青い罰
セイムの言葉にアオイがぴたりと止まる。
おれがアイラに目配せすると、アイラはアオイの拘束を緩めた。呼吸ができるようになったアオイはごほごほと咳き込むと、セイムを見る。
「セイム、何を言ってるの?」
それは責めるような口調ではなかった。感情が歪んで、滲んで。明瞭になったそれは嘆願のようであった。
セイムがアオイにゆっくりと振り向く。そこには穏やかな笑みが浮かんでいた。
「アオイの罪をぼくが背負うよ。だってぼくの罪だから」
「でも、セイム」
アオイが言葉を詰まらせる。彼はセイムの笑顔に弱いのだ。穏やかな微笑みには特に逆らえない。それがアオイがセイムに執着する理由で、どうしようもなくセイムを好きな理由なのだろう。
きっと、セイムはそれを知っている。卑怯だな、と思った。
それでもアオイは声を絞り出す。
「おれは、セイムに人殺しになってほしくない……」
「人殺しじゃないよ。死神になるんだ」
「死神は人を殺すよ」
アオイがとうとうと語る。
「おれは、罪人の命を刈る死神の話を知っている。罪人とは、人を殺した人間のことだ。命を軽んじた人間のこと。そういう命を摘む役目を負うのが死神という存在。おれは本で読んだよ」
おれたちは目を丸くした。ユウヒまでも驚いている。アオイの語るそれはおれたち死神の役目そのものだった。ここまで正確に死神について綴った書物があるのか。
「罪人であろうとなかろうと、人の命を奪うということは人殺しだ。おれはセイムにそんなものになってほしくない」
「ぼくだってそんなのになってほしくないよ! アオイはいつもそうじゃん!」
セイムが叫ぶ。感情が迸った声は死人ばかりのこの部屋にはよく響く。
「ぼくに何もさせないように、ぼくの手が汚れないようにって、アオイばっかり苦しい方を選んでく。そんなの、見てられないよ。ぼくだって、アオイのために何かしたいのに、こんなことも駄目なの!?」
こんなこととは。人殺しの話なのだが、セイムにとって人の命とアオイとでは重みが違うようだ。
わかる。顔も知らない有象無象の死より、おれにとってはフィウナ・アーゼンクロイツを殺す方が何倍もつらかった。きっと誰もがそうやって、自分にとっての他者の価値を決めつけて押しつけて、生きている。
セイムはアオイが思うより、アオイのことが大切なのだ。同じくらいアオイを大切にしたいのに、アオイはアオイのことを守らせてはくれない。それがセイムの不満なのだろう。独占欲の話だ。
歪んでいるのに、彼らは無垢なまま。
「ぼくはアオイさえいればあとはなんでもよかった。どうでもよかった。アオイがいれば、幸せだった。アオイが生きてくれれば、ぼくなんてどうなったっていい。死んだってかまわない」
「そんなこと冗談でも言うなよ! おれだって……俺だって、セイムさえ生きてくれればそれでよかった! 人殺しと謗られたって、死神と呼ばれたって、セイムさえ生きてくれれば、あとのことはどうでもいいんだ。セイムがいるだけで幸せなんだ!」
リクヤが呆気にとられている。それもそうだろう。この言い方は響きがあれだが、ここまで見事な相思相愛もそうない。ここまで狂った愛も。
これが狂っていたとしても、拗れていたとしても、彼らにとってはこれか正しく、愛おしいたった一つの道なのだろう。アイラは友情を超越した何かに顔を歪める。
そこまでぽかん、と眺めていたユウヒが、ぽんぽんと手を叩いた。
「はいはーい、盛り上がってるところ悪いね。セイムくん、君の要望は非常に面白い。それに不可能じゃないからね。死神はアオイくんの言う通り、人を殺すことが役割だ。ただ、今重要なのは、アオイくんがまだ死神になっていないということ。罪の数値というのが死神にはあるのだけれど、前例がないだけで、生きている人間が死神になる前の罪人の数値を肩代わりすることは可能なんだ」
「前例、ないのか」
おれが思わず呟くと、ユウヒがニヒルに笑う。
「当たり前だろ。大抵の死神はひとりぼっちで死ぬんだ」
言われて、あらゆる最後を思い出す。おれも一人だった。キミカは望んで一人で死んだ。リクヤは一人になって殺された。アイラは一人取り残された。
ユウヒも自分でそう思っているかはわからないが、ひとりぼっちの死神だ。遠い昔に、友に置き去りにされた。
死ぬとき、誰かが傍にいるのはそれだけで救いなのかもしれないし、呪いなのかもしれない。いずれにせよ、今、アオイとセイムは二人で生きている。
一人じゃないのだ。
「説明したいことはたくさんあるのだけれど、生憎と時間がない。アオイくんはぴんぴんしてるけど、セイムくんはキミカの力でどうにか繋いだ命だ。のりでくつけただけのつみきは、簡単に壊れるよ」
「っ……」
息を飲んだのはアオイだ。アオイがこれから一体何人殺そうと、セイムが死ぬのは揺るがない現実である。それを端的にユウヒは知らしめたのだ。効率よく、事を進めるために。
ユウヒのよく回る舌はアオイに一つの問いかけを投げる。
「ところでアオイくん、死神の中でも特別な存在……私たちのような虹の死神には、一つ願いを叶えることができる権利がある。その後死神になろうとなるまいと、ね。元々私たちは君を死神として迎え入れるために来た。つまり、君には願いを叶える権利がある」
「願い……?」
唐突に巡ってきた上手い話に、アオイは訝しむ表情を見せる。それが普通だ。というか、ユウヒのセールスが胡散臭すぎる。何を企んでいるのやら。
それに、突然「なんでも願いを叶えます」と言われて即応できる人間がこの世にどれくらいいるのだろう。おれが思うよりはいるのかもしれないが、少なくともアオイがそういうタイプでないことはわかる。
アオイは警戒心が強い。それはセイムがいなくても同じことだろう。だから願うよりまず疑う。願うとしたら、それは彼の切なる願いだ。
「うん、願い。なんでもいいよ。キミカのような治癒の力だって手に入る。一万年書いても尽きない日記帳とか、誰かの記憶を消すとか……セイムくんの申し出を絶対に受け入れない、とかね」
本命そうな一番最後の例えを紡ぐと、ユウヒはそれにウィンクを添えた。リクヤが隠すことなくうげえ、と言う。ひどいなあ、とユウヒはからからと笑った。
周囲はよそに、アオイは真剣に考え込む。賢い子だから、キミカの力がこの「願い」によって生まれたものだと察したのだろう。疑いながらも、迷っているようだ。
だが、さっきユウヒも言った通り、そう悠長には待てない。
「……げほっ、ぐ……」
「セイム!」
どさ、とセイムが地面に伏す。ばっと上がったアオイの面には悲壮感が漂っている。
そこに切なる願いが宿っていた。
「セイム、お願い、生きて。お願いします、セイムを生かして。どんな形でも、セイムが幸せに生きてくれるなら、それが俺の、一番の願いだ!」
「おや、じゃあ、セイムくんが身代わりになるのは受け入れるのかい?」
「もう言ったよ。セイムが生きてさえくれるなら、俺はどうなったっていいんだ」
アオイの目は今まで見た中で一番澄んでいた。海のような深い青。言葉に偽りはないのだろう。
セイムはその瞳を見ることができない。キミカが治癒をかける腕の中で、ぐったりと目を閉じている。
おれは問いかけるようにアオイを見たが、目が合うことはなかった。アオイは目を閉じていたから。
「切なる願いは美しいものだね。君の願いを叶えよう。アイラ」
「ああ」
それまで黙していたアイラが、アオイの拘束を完全に解く。アイラには人間を死神にする工程のことは話していた。事前に預けていた黒いマントを持ち、つかつかとキミカに歩み寄る。
リクヤがキミカの肩にぽん、と手を置いた。
「キミカ、もういい」
「いやです」
「アオイの願いを無下にするのか」
アイラの低く太い声に、キミカがびくん、と自分の前に立つ影を見上げた。華奢なキミカと体躯のいいアイラは小人と巨人だ。リクヤがアイラの言葉にむっと睨みを利かせる。まあ、責めているように聞こえただろう。
アイラが淡々と話す。
「俺はわかる。大切な人に生きていてほしいという思いが、切なる願いになってしまうことも、そういう願いに限って、大抵は叶わないことも」
アルファナのことだろうか。リクヤのことだろうか。どちらにしたって、こう言われてはリクヤもキミカも反論はできなかった。
「叶うのなら、叶えてやりたい」
「……わかりました」
キミカがそっと、地面にセイムを横たえる。セイムは肩と脇腹と太ももと……複数箇所を撃ち抜かれていた。よくここまで生きていたものだ。
そのほとんど遺体のセイムを労るように、アイラは優しくマントをかけた。人間が遺体にかける布は白だと聞いたことがあるが、おれたちは死神だ。黒い布がセイムの体を覆う。
「これでセイムくんは君の代わりに死神になる。あとは君に死んでもらうだけだけど」
「ちょっと待て!」
ユウヒの軽い口調を遮ったのはリクヤだ。ぎり、と拳を固めている。
「なんでアオイが死ななきゃなんねえんだ」
おれは今更触れなくてもいいのに、と短く息を吐いた。聞いたところで、リクヤに納得できる答えなどあるはずがないのだ。
案の定、ユウヒは当たり前のようにこう告げた。
「帳尻合わせだよ。わからない? 本来死んでしまうはずだったセイムくんを死神にして生かして、アオイくんは死神にならないんだ。命の代価は命というのもそうだけど、セイムくんがアオイくんの運命を肩代わりしたように、アオイくんがセイムくんの運命を肩代わりすることでようやく辻褄が合う」
「辻褄!? 帳尻合わせ!? 何言ってんだよ」
「はあ、君は相変わらずわからず屋だねえ」
「わからず屋はどっちだ、このくそ野郎!」
リクヤが乗り出してユウヒに一発入れようとする。それが叶うことはないのだが。
どさ、とリクヤの体が崩れ落ちる。アイラが首筋を叩いていた。無表情で。
倒れたリクヤを愉快そうに眺めながら、ユウヒはうんうんと頷く。
「別に君はそのままでいいよ、リクヤ」
とても楽しそうだった。リクヤはユウヒの掌の上で踊らされていたのだろう。これをただ眺めているだけのおれたちも同じだが。
「さて、アイラ。聞き分けのいい君に頼んでも?」
「選ばせるようでいて選択肢を与えない言い方は感心しない」
「ははは。信用の表れさ」
物は言い様だが、ユウヒ、相変わらずだな、とおれは遠い目をした。
アイラは死神の武器を取り出す。普段、アイラはあまり武器を使わない、もしくは短剣だ。だからそれが大きな死神の武器に相応しい大鎌であることに驚いた。
「何か、言い残すことはあるか?」
アイラが聞くと、アオイは満面に笑みを閃かせた。
「ありがとう。いつかまた、どこかで」
「……ああ」
ぶん、と空気を薙ぐ音がした。
命の終わる音だった。




