赤い中央都市
『セッカ、任務です。アイラを連れて、虹の死神青の席のアオイを回収に行ってください』
誰もいない薄暗い通路に佇んでいると、頭の中に明朗な女声が響く。もう飽きるくらい聞き慣れたものだ。無機質に、淡々と、マザーはたくさんの人が死んだ事実と一人の少年が死ぬ事実を伝えてくる。
「アイラと、ですか」
『はい。アイラはまだ死神になってから死神を回収する任務を行っていないので、セッカが指導してください』
「ユウヒは?」
『もしものときのために待機です。キミカやリクヤが妨害行動を取ろうとしたとき、抑え役が必要でしょう』
なるほど、とおれは少し寂しく思った。
ユウヒはもはや、マザーの傀儡なのだ。まあ、この任務を引き受ける時点で、おれも大概なのかもしれないけど。
アイラは死神の役目についてつべこべ言わないから、マザーとしても扱いやすいのだろう、今のところ。生前婚約者だったアルファナが絡んでこなければ静かなものだ。
おれはアイラを呼びに行くことにしたのだが、アイラはわかっていたかのように、暗い通路に現れた。
「マザーから話は聞いた。……が、いいのか? お前は」
そういえば、アイラは一度アオイとセイムに会ったことがあったな。おれとユウヒの三人で出かけたときだ。
「いいも悪いもないさ。任務だ」
「そうか」
さして心配はしていなかったのだろう。アイラは乾いた声で頷いた。
それより、と言葉を次ぐ。
「俺とあんたが二人で、となるとなんだか物騒な任務のような気がしてくるな」
アイラの声色には苦笑いが籠っていた。無理もない。おれとアイラは単体での大量虐殺兵器のようなものだ。今まで一緒に行った任務も、うじゃうじゃと人がいるところに放り込まれるものが多かった。それで、最終的に互いに我を失い、殺し合って、減らした分の罪の数値を帳消しにして帰ってくる。
マザーにどういう意図があるかわからないが、まあ今回の任務の目的は概ねマザーが言っていた言葉通りだろう。死神の回収だ。ただ、アオイのいるクォン国は今、戦争に巻き込まれているから、アオイに辿り着く過程で何かあるのかもしれない。
備えあれば憂いなし。非力なキミカや一対一の方が得意なリクヤに行かせるよりか、最初から最高戦力で行った方がごり押しができる。
案外マザーも、虹の死神が七人揃うのを心待ちにしているのかもしれない。
「……キミカとリクヤは」
「街からずっと帰ってきていない。今のクォン国は厳戒体制だ。余所者がずっといると訝しまれるだろうからな。ずっと街を回っているんだよ。……何もできないって、わかってる。それでも何かできないかって思わずにはいられないんだ」
「あんたは?」
どうなんだろうな。最近、自分のことがよくわからない。意識はある。自我はある。マザーに乗っ取られたりしているわけではないだろう。ただ、自分が体験しているというには少し俯瞰的にものが見えるかもしれない。
とはいえ、人が死ぬのがつらくないわけじゃない。誰かが死神になることには寂寥を覚える。
「問題ない。問題があっても、いつものことだからな」
キミカの願いも、アイラの死神化も、リクヤの記憶も。問題なく事が進んだことの方が少ないのではないだろうか。
おれの苦々しい表情を見て何か察したのか、アイラがそれ以上聞いてくることはなかった。扉を通り、外へ向かう。
その光景に、おれたちは言葉を失った。
人が死んでいる。当たり前のようにそこにいる人々は息をしていなかった。さも当然であるかのように人が死んでいるのだ。
「ここは……クォン国だよな?」
辺りにここがどこだかわかるものがないか探した。アイラがそこら中に転がる死体を探る。
「こいつら、同じ柄のバッジをつけてる」
「それはクォン国の国章だ。ということは国の要人か何かか?」
「要人がこんなにばたばた死ぬわけあるか?」
だがしかし、死んでいるのだからなんとも言い様がない。
建物があるが、そこまで死体で道ができている。なんだか現実めいてなくて、空笑いをしてしまった。
これを全てアオイがやったのだとしたら、大したものだ。死体の損傷が少ない。確実に急所だけを狙っている。医者の息子だから、血管が太い場所とかを覚えているんだろうな、と思ったが、先日までただの学生だった子どもがこんな多くの人数を? と疑問に思う。人数としては確かに死神になってもおかしくない殺戮の有り様だが、いくらそういう才能があるとしても、この人数はおかしくないだろうか、と死体の数を数えるのをやめながら思った。
百人はいる。建物の中に向かって、花道のように敷き詰められた死体。狂気以外の何物でもない。仕方がないので、おれとアイラはその趣味の悪い花道を通っていくことにした。
物理的な死体蹴りについて、おれたちにとやかく言う資格はないが、正気のときにやっていると気分のいいものではない。まあ、死んでいるので、呻きが聞こえてくることがないのが救いか。
辿り着いた建物は「クォン国臨時■■対策本部」らしい。建物自体の名前は違うが、事が深刻なためか、目立つように看板が覆われていた。読めない部分は、布地が切り裂かれている。おそらくテロとか冷戦とかが入るのだろう。情勢からして。
まあ時既に遅しのようだが。
「何かの対策本部が建てられるということは国の中心地ということか?」
「それなら要人が襲われても仕方ないのかね。ただ、アオイがいるとして、それが何故なのかがわからないな」
クォン国を邪魔で潰しに来たアセロエ連邦辺りの兵士がいても何らおかしくはない。唐突に爆撃をするくらいのイカれようだ。このくらいの物騒さがあるくらいの方が納得できる。
問題はアオイだ。何故ここにいるのかもそうだが、どこにいるのか。おそらく、セイムも一緒か、セイム絡みでここに来ているにちがいないのだが。
見たところ、建物の階数は十もない。臨時の場所なだけあって、さして大きい場所ではないようだ。おれとアイラの二人で探せば、さして時間はかからないだろう。
「上から? 下から?」
「下から行こう。逃げられたら困る」
「……逃げるか?」
「さあ?」
なんでもないやりとりをして、アイラと探索を始めた。思った通り、一部屋が大きく、部屋数自体は少ない。
探索はあっさりと終わった。何故なら、アオイは一階の医務室にいたからだ。医務室というか、負傷者を何十人も手当てできそうな場所。まあ、転がっているやつらに手当てをする必要はないだろう。彼らはもう息をしていない。
ただ、予想外すぎる事態がそこで起こっていた。
「おい、キミカ、やっぱりやめろって」
「やめません……!」
そこにはアオイの傍らでセイムを抱きしめるキミカの姿とそれを宥めるリクヤが。一瞬事態が飲み込めず、頭が真っ白になるが、セイムがぐったりしている様子なのを見れば、大体何をしているのかわかった。
キミカが願って手に入れた「月の魔力」という治癒の能力。それをセイムに使っているのだ。まだ生者であるセイムに。
生者に月の魔力を使うと、死神における罪として数値が加算される。もう死ぬものの命を無意味に延命する行為も立派な寿命操作というわけだ。罪の数値が加算されるとき、罪の分の罰を刻み込むように全身が痛む。それに耐えながら、キミカは能力を使っているのだ。リクヤは脂汗をかき、息も浅くなってきているキミカを見ていられないのだろう。
経緯は知らないが、セイムが怪我をしたらしい。顔色が悪いし、肩の辺りから血がだらだらと流れている。キミカが抱きしめているから見えないだけで、他の場所も傷ついているのかもしれない。
おれはざ、と足を踏み出した。
「キミカ、リクヤ」
「セッカ?」
キミカがぱっと顔を上げる。黄色かったセーターは赤に侵食され、涙と汗の混じった顔は色が悪い。
「セッカ、セッカ! 助けてください! セイムくんとアオイくんが……」
「だから、もう無理だって、キミカ。せめて力を使うのをやめてくれ」
「でも!」
「ナキさんだって駄目だっただろう!?」
ナキ……アオイたちの母親の名前だ。まさか、死んだのか。
「う、ぐっ」
呻き声がして、リクヤがそちらを見る。全身を返り血で濡らしたアオイがアイラに締め上げられていた。さすが、脅威の無力化はお手のものだ。
「おま、何して──」
「リクヤの言う通りだよ、キミカ。もう遅い。何もかも」
「セッカ、何を言って」
「おれたちは、アオイを迎えに来た」
え、と掠れた声がキミカから零れる。
「アオイは死神になるんだよ。おれたちと同じ、虹の死神に。わかっていたことじゃないか」
そう、最初からわかっていたことだ。
マザーに命じられて、おれたちはアオイとセイムに出会うことになった。アオイが青の席の候補だからだ。遅かれ早かれこうなることは最初から決まっていた。
それでも、何もせずにはいられなかったのがキミカとリクヤだ。キミカがぼろぼろと流す涙をおれはもう理解できないかもしれない。
「何があったかは後で聞く。アイラ、アオイをそのまま落とせるか? そうしたら死神のマントを」
「死神って……なんですか……?」
任務を遂行しようとしたおれに、聞いたことのある声が尋ねた。弱々しく繰り返される吐息の混ざったそれはセイムのものだ。キミカが号泣している。
「ありがと、キミカ姉。キミカ姉の声、ちゃんと聞こえたよ。──それで、死神ってなんですか?」
セイムの眼差しがおれに向けられる。真っ直ぐ目がかち合ったかと思うと、セイムはけほ、と吐血した。
あまり長々と説明する時間はないし、そもそも説明する義理もないが、何を思ったか、おれの口は動いていた。
「死神は人の命を弄んだ罪人に科される役割だ。アオイは人を殺しすぎた。だから死神にならなければならない」
「それ、なら」
セイムがキミカの腕から這い出し、おれの方へずるずると体を引きずって向かってくる。
「それなら、ぼくのせいだ。ぼくが撃たれなきゃ、アオイはこんなことしなかった。アオイが人を殺したのは、ぼくのためだ。ぼくも、死神になる」
「それはできないよ、残念ながらね」
飄々とした声が場違いに辺りに響いた。ひらりと黒いマントを揺らめかせて現れたのはユウヒだ。
赤にまみれ、悲壮漂う部屋の中で、彼はにこやかに微笑んでみせた。
「面白いことになっているみたいだね、セッカ」
何故名指しなんだ、と溜め息を吐きたくなる。何を考えているのか、この男は。
「やあ、お久しぶり、セイムくん。君、もうすぐ死んじゃうのに、友達思いで素敵だね。お察しの通り、私たちは死神だ。でも鬼じゃあない。君の健気な願い、形は違っても叶えてあげたいな、と思っているよ」
「だったら! げほ」
噎せながらも、セイムが懸命に言葉を紡ぐ。
息を飲むような「可能性」を。
「アオイと一緒に死神になれないなら、ぼくが……っ、ぼくがアオイの身代わりになる!!」




