儚い燈
仕事がないというのはいいことだ、と死神になってから思う。
それはもちろん、死神として、だ。
死神の仕事があるということは、罪人の魂を刈らなければならないということだから。
そんな、とりとめのないことを考えていると、マザーからおれに任務が言い渡された。
どうやら傍らで寛いでいたユウヒにも聞こえたらしく、彼は顔いっぱいに苦々しさを出して、こう吐き捨てた。
「やはりマザーは性悪だ」
死神の親といっても過言ではない意識体マザーを捕まえて性悪というのはどうか、と考えたりもしたが、死神になって数ヶ月を経た今では、全面的に同意できる。
それにやはり、死神の仕事がないというのはいいことだ。
今度のおれに当てられた対象は、とある孤児施設の施設長だった。
「確かに、対一の任務を当てろと要求はしたが、なんだこれは。嫌がらせか」
おれの過去を知るユウヒが散々に言い散らかす。ユウヒが語るまでもなく、これはおれへの当てつけのようにしか思えなかった。
おれの罪は孤児施設を一夜にして壊滅させるほどの虐殺を行ったこと。
あの施設の施設長が死神にならずに済んだ、という話を聞いただけでも胸糞が悪かったというのに。
死神となる人間の選別、死神の任務管理は全てマザーが行っている。罪状の管理も。当然、おれの罪だって知っているはずだ。おそらく過去も。
その上でこれだ……つまり、苦悩しろと言いたいのだろうか。苦悩こそが罪に対する最大の贖いだと? ──非常にいい性格をしている。
苦しむのを見て嘲り笑っているのではないか、と時折錯覚するほどに嫌らしい任務管理だ。
ここのところ、あらゆる施設長や養子殺しの里親など、本当に当てつけめいたものばかりだったが、「めいた」は余計だったな。ここまでくれば確信していいだろう。当てつけだ。
それとも過去を乗り越えろという激励なのか? ならばいらぬ世話だ。もう世に存在しない人物をどうやって憎めと?
暴走の危険があるからか、ユウヒも同行するらしい。それならこんな仕事をおれに当てるなという話だが。
夜陰に紛れて孤児施設に辿り着く。我ながら目立つ格好をしていると思うが、死神だからか、はたまたマザーの意思が働いているのか、あまり人目にはつかないようだ。それでもやはり目立つ気がする。自意識過剰と言われてしまえばそれまでかもしれないが、ユウヒによく「やっぱり目立つね」と言われるから、やはり目立つのだと思う。
孤児たちは皆、寝静まっていた。職員も。偶然か、やはりマザーが働きかけているのか。おそらく後者の可能性が高いだろう。任務は速やかに済ませたいのだろう。
施設長の部屋というのに着いて、おれもユウヒも顔をしかめた。
煙草、酒、香水……吐き気がするほどの匂い臭い匂い……それが充満する部屋。寝汗も、酷いかもしれないな……とにかく、世の悪臭という悪臭を集合させたような。
いびきをかいて寝ている。とても耳障りだ。子どもたちが起きてしまったりしないだろうか。
施設の職員もすぐ近くで仮眠中だ。……大丈夫だろうか。
まあ、早く刈ってしまえばいいのだが。
ユウヒは誰か起き出して来ないか見張ってくれているらしい。
おれは得物を取り出す。振ると長い棍に変わる。
おれは、どう殺したらいいか、と考えていたが、武器を手にした瞬間、目の前が薄暗くなった気がした。暴走の予兆に似ていたが、頭は信じられないくらいに平静だ。
くき、と棍が三つに曲がる。そう、この棍の正体はこれだ。
三節棍。
武器にはさして明るくないが、特殊なものであることはユウヒから教えてもらった。まあ、ヌンチャクくらいなら知っていたから、それの少し長いくらいかな、なんて思って扱っている。まあ、ヌンチャクも使ったことはないが。
おれはまず、だらしなく空いた口に棍を突っ込み、折り曲げた棍の先を思い切り喉仏に叩きつけてやった。
ごき、と気持ちの悪い音の後、止めどなく血が口から溢れてくる。
人間が死ぬ条件というのは三つあったはずだ。一つは忘れたが、心臓が止まるのと、呼吸が止まること。めりめりと喉を突いた棍の感触でわかる。死の気配。同時に流れ込んでくる、この人物の記憶。
記憶を見る、というのは半ば精神を同調させるということだ。つまりは対象の感情の記憶まで味わうことになる。
この男のそれは、最悪極まりなかった。
『面倒くさい』
『なんで親父が勝手に始めた慈善事業をオレがわざわざ引き継いでやらなきゃならねぇんだ?』
『子どもたちに行く先がない? んなもん売り飛ばせばいいだけの話じゃねぇか』
『どいつもこいつも善人面しやがって。結局孤児みんな、いらないから捨てられてんだ。いらないものをわざわざ拾って育てて……誰のためになるってんだ?』
『てんで理解できねぇ』
おれは対象を殺したにも拘らず、理性を飛ばしそうになった。
それくらいの憤怒……いや、憎悪が身体中を焼き尽くさん勢いで駆け抜け、気づけば男の顔を叩き潰していた。
軽いけれど丈夫らしい棍が男の鼻を潰す。べきゃり。
目玉が飛び出たのを、ぐしゃり。
頭を叩けば容易に潰れ、穢らわしい脳奬が血液に混じってぶちまけられる。
心臓も、棍で抉り出せるかもしれないな、などと考え始めたところで、ユウヒが入ってきて、おれを羽交い締めにした。マザーに声をかけたようだ。男の体を死んだ直後の状態に戻してほしい、と。
マザー……慈しみに溢れて聞こえる女性の声からすぐに答えは返ってきた。
『良いですが、不用意な傷をもたらしたセッカに罰を下しますよ。死神の決まりですから』
慈しみに満ちた声なのに、何故こうも無情な一言が放てるのか。
何故おれが罰を受けなければならない? 何故この男が惨たらしいこの姿から、解放されなければならない? 孤児施設の長でありながら、何故孤児という存在が生まれるのか、微塵も考えようとしないこの男の罪が、死神に刈られるだけで、許されなくてはならない?
確かに、おれの本当の親のように、いらないから、自分から遠ざけたいから、という理由で捨てたやつが多いかもしれない。けれど、それが全てじゃないんだよ。おれはそれを知っている。フィウナ姉さんみたいな人がいるのを知っている。置いておきたかったのに、家の事情で、救うために手放した人だって、いるんだよ。
この男の存在は、そんな哀しい人たちの、フィウナ姉さんの存在価値を否定しているじゃないかっ! それを罰して何が悪い? 怒りを抱くことの何処が間違っている?
けれどマザーは容赦という言葉なぞ知らないとでも言うように、おれにだけ、罰を下す。首筋の赤の印に、痛みを。
痛みは脳を貫き、焼いていく。視界が白く消えそうなのを、意識でもがいて、保とうとする。
「……れが、まちが……るなら、証明、見せっろ……!」
虚空に掠れる声で訴える。マザーは応えない。答えを持っていないだけかもしれないし、応えたくないのかもしれない。
ただ、ユウヒがおれの瞳を覗き込んで言った。
「これが、死神の掟というものさ」
その琥珀は、儚げな、橙を灯していた。