青く儚い果実
死神界に帰ると、任務に行っていたフランたちがリビングにいた。フランが顔を赤くして、俯いている。アリアの髪は綺麗にハート型に三編みで縁取られ、中も市松模様のように綺麗に飾り編みがされている。キミカのセンスに脱帽だ。
「あ、あり、アリア……」
まあ、フランもお年頃である。見た目は二十歳くらいの青年だが、精神の成長が追いついていなかったため……あー、あれだ、思春期というやつなのだろう。おれには全く理解できないが。まあ、見ている分には面白い。
同じことを考えているのか、一歩引いて見ているユウヒがかなり楽しそうに笑みを浮かべていた。
おれはさりげなくユウヒに歩み寄る。
「……これはどういう状況なのか」
ユウヒにひっそり訊ねると、ユウヒも声をひそめて返す。
「いやはや、我々もびっくりしているところだよ。ハート型の編み込みでしどろもどろになっているフランくんは面白いねぇ」
物見遊山というわけである。もう一方でリクヤが空気を読もうとして立ち去るタイミングを計り、挙動不審になっているのも面白かった。ちなみに、キミカは得意満面な笑みを浮かべ、アリアの背中を押している。アリアだけが、まだ鏡を見せられていないのか、状況をわかっていない。
「キミカさんにやってもらったの。どうかな」
フランが肚を決めたのか、こくんと頷き、噛みながらも言う。
「よ、よくにゃっ……似合ってるよ」
なるほど、これは。ユウヒの言う通り、見ていて面白い。「にゃっ」ってなんだ、「にゃっ」って。可愛すぎか。
フランからの評価を聞くと、アリアは花が咲いたようにぱあっと笑みを浮かべ、ありがとうと喜んだ。なんだこの可愛いが全開の和やか空間は。なんだかんだあったが、フランを彩雲の死神にしてよかったと初めて思う。こんな朗らかな空気を生むのなら、かなりの癒しになる。
そこではて、と考える。いや、今日ずっと考えているのだが、この二人の関係は、「友達」なのだろうか。
研究施設で出会い、意気投合した、本来なら出会わなかったはずの二人の関係。それは最初、「仲間」に見えた。「友達」とも言えたかもしれない。だが今は?
フランが頬を朱に染めている理由はなんだろうか。アリアが「似合う」と言われて喜んでいるのは何故だろうか。
……アルファナは、家族も友達も越えて、好きだと思えることが愛だと言った。さあ、この十数年、フランとアリアの関係性は友達を越えたのだろうか?
なんてことに着目する辺り、おれもなかなか俗っぽい。元は人間だったのだから、仕方ないと言えよう。
ユウヒが笑いをこらえるような声で今度は問いかけてくる。
「セッカは二人をどう思います?」
「お似合いだな」
即答してやると、ユウヒは耐え兼ねたように噴いた。くつくつと肩を震わせ、笑っている。
ユウヒのこういう人間らしいところを見ていると、最近なんだか安心する。ユウヒは万を超える年月を過ごしてきた死神だ。最近はマザーが呼び掛けてこなくても、マザーの意思が伝わってくる、というようなことを言うので、主におれとキミカが心配している。さすがに万年死神をやっていると頭がおかしくなるのでは、と懸念したのだ。
だが、こうしてさもないことで笑うユウヒを見ると、なんだか安心する。まだユウヒは人間の心が残っている、と。リクヤはどうでもよさそうにしているが。
さて、邪魔者はお暇するかな、と扉の取っ手に手をかけたところで、強い視線を感じる。そちらを見ると、リクヤが切実な目で助けてくれ、と訴えていた。それはそれで面白いので、放っておいてもよかったが、まあ、何十年も付き合いのあるよしみだ。リクヤの首根っこを捕まえてやった。
そのままずるずると引っ張って扉を開ける。目を白黒させるリクヤに構わず、おれはみんなにおやすみ、と言った。
扉の先はおれが使っている部屋に繋がっていた。本棚には無数の日記が立っている。おれがユウヒから受け継いだものだ。一万年と、数千年以上もの間の死神の記録がここにある。リクヤはおお、と驚いていた。そういえば、他人を自室に招き入れるのは初めてだ。
一応言っておこう。
「ようこそ」
「おう」
リクヤにはまだ若干の戸惑いがあったが、おれは机から椅子を引いて座り、今日の日記を書き始めた。リクヤは、どうしていいのかわからないようだったが、やがてベッドの縁に座った。生憎とおれの部屋は来客用にできていないので、椅子が他にないのだ。仕方ない。
「うっわ、すげぇ低反発」
ベッドのふかふか感に驚くリクヤ。子どもっぽい。二十歳らしいので、おれより五歳も年上のはずだが。
「そういえば、記憶がないんだったか」
「ん? ああ。常識とかは覚えてんだけど、死神になる前の記憶はさっぱりだな」
リクヤとこうして話すのは新鮮だ。思えば、この二人の組み合わせになったのは初めてかもしれない。
「死神の仕事には慣れたか?」
仕事というと何か違う気がするが。リクヤはむっとした雰囲気を醸し出す。わかりやすいやつだ。
「何に納得いかないんだ? マザーか?」
問いかけると、少し考えるような間があった。
「主にそれだな」
リクヤなら間髪入れずに答えると思っていたので、少し意外だった。それに「主に」とやつは言ったつまりマザーだけではない。
となると、思い当たるのはあと一つ。
「ユウヒか。あいつは胡散臭いが……何が悪い?」
「やつはマザーと同じ臭いがする。人間側の死神じゃない。あいつは半ばマザー側の死神になってる……んだと思う」
「ほう」
なるほど一理ある。
元々、ユウヒはクレナイと同じく神の贄となる者だった。クレナイはマザーとなり、ユウヒは原初の死神となった。ユウヒが己に課した原初の死神としての役割はおそらく、おれに託したこの日記を綴っていくことなのだろう。おれに託したことによって、ユウヒは本来あるべき死神を統括する側へと歩み出そうとしているのだろう。あくまで予想だが。
リクヤはマザーを嫌っている。それならマザーの側に傾倒しつつあるユウヒを嫌うのも頷けた。
ただ、言っておきたいことはあった。
「……そこに窓がある。覗いてみろ」
「? ああ」
死神界というのはどういう構造をしているのかさっぱりわからないが、入ってきた扉とは反対側にある窓からは何故か、リビングの様子が見えた。
こくり、とリクヤが唾を飲む。窓の向こうでは、赤面したフランがアリアに向かって、口を開けたり閉めたりしている。アリアはこてん、と首を傾げた状態だ。
ここで心を落ち着けるためか、フランは深く息を吸い──それから、半ば叫ぶようにアリアに告げた。
「好きだ!!」
……なんて陳腐な告白だろう。何の飾りもない言葉の羅列だ。頭で色々ぐるぐる考えた割に出てきた言葉はかなり簡素。初々しいにも程がある。
リクヤは、フランの思い切りのいい告白に、おお、と声をこぼした。感嘆だと思う。
もしも、ここにいるのが記憶をなくしたリクヤではなく、死んだときの記憶を持ったままのリクヤだったなら、フランの愛の告白に一体何を思っただろう。今日、アルファナが浄化されたことを聞いたら、どんな表情をしただろう。
もしもはない。ただ、まだフランもアリアも、リクヤでさえも、青い果実なのだろう。それが赤く熟すまで、見届けてやるのも、一興ではないだろうか。
腕を広げたフランの胸に「私も」と答えて飛び込んでいくアリアを見ながら、そう思った。




