藍もなく
『アリアに任務を与えます』
冷酷にも聞こえる脳内に響く女声。もう聞き慣れたマザーの声だ。マザーは自らを慈母神と称するが、慈悲の欠片もないことは承知済みだ。
しかし、本来の彩雲であるフランにではなく、アリアに任務というのも奇妙だ。アリアは竜鱗細胞に適合していない普通の少女だ。竜鱗細胞実験では、フランに次いで被験者として適合率は高かったらしいが、アリアを死神として生きる状態に戻した際は、死因である竜鱗細胞が埋め込まれていない状態にされたはずだ。
フランを彩雲にしたのは、フランに竜鱗細胞の扱い方を覚えさせるためである。ならば、フランを死神の任務に連れていって、経験を積ませる方がいいと思うのだが。
だが、まあ、マザーがわざわざ人員を指定してくるということは、何かあるのだろう。
『セッカ、アリアにとっては初任務です。同行してください』
まあ、断る理由もないので引き受けた。ユウヒやリクヤ、キミカもいたが、ユウヒとリクヤはいつものように訓練場でばちばちやっているようだし、キミカは相変わらずフランと死神界を探検している。フランはおれと同じ十五歳──推定だが──と聞く。よくもまあそんなに好奇心を発揮させるものだ。だが、その子どもらしさにおれはどこか安心していた。
同じ十五歳でも、おれとフランとでは歩んできた道のりが違うし、死神歴が違う。これから死神の任務をこなしていけば、いつまでも無邪気でいられるわけでもない。こうして好奇心の赴くままに、行動できるのは今のうちだろう。
キミカは体が弱いし、まあ、後見人としては面倒見がいいので適しているだろうが、死神としてのフォロー、実力はいまいちだ。それなら、おれが行くのが一番の適任だろう。
アリアもマザーから話を受けていたのか、部屋にやってきた。アリアは本来、死神になる必要のない存在だ。だが、死神であるフランと運命共同体として存在している。フランの罪の数値を減らすという役目も担っているのだから、その責任感は強いのだろう。フランとは研究施設内で最も仲が良かったようだし。
扉は既に任務地に繋がっているが、向かう前に、チュートリアルとしてアリアに死神の役目を教えておいた方がいいだろう。
「アリア、これから、お前の初任務になる。死神としてのな。死神の役目は……」
「確か、罪人の命を刈るんですよね」
「そうだ。正確に言えば、人の寿命に影響をもたらした人物を刈る。寿命に左右することを成した人物が死神の世界では罪人と呼ばれる。その罪人を刈れば、その罪人の罪が浄化され、我々、死神の罪の数値も減る」
「はい。フランのために頑張ります」
アリアは自らの武器であるナイフをきゅ、と握りしめる。アリアにも死神の武器として、当初は鎌が渡されたが、虹の死神や彩雲など、特別な死神に渡される武器には特徴がある。詳しいところはわからないが、持ち主の意志によって、形を変えるとかなんとか。おれの場合は九節鞭や三節棍など殴る系の武器に変わる。キミカは以前、武器とは言い難い大きな虫取網に形を変えたことがあった。他にも諸々あるようだが、アリアの武器は取り回しやすそうな短剣だった。アリアは小柄であるから、大鎌のような大きな武器を振り回すよりも、小回りの利く短剣の方がいいと判断したのだろう。
アリアは小柄なため、ありとあらゆる場所に身を隠すことができる。それで奇襲をかけて、相手を速やかに浄化する。実に合理的な手法だ。
アリアの研究施設で心得た実戦経験は失われてはいない。これは心強い戦力だ。
「じゃあ、行こうか」
おれはアリアの頷きを見てから、扉を開いた。
扉の先にあったのは、会社の事務所だった。いかにも怪しげなマントを着たおれたちは目立つことだろうから、すぐに物陰に隠れたが。
「うそ……」
アリアが目の前の光景に呆然としている。理由はなんとなく、察しがつく。
その会社のロビーには社名が書いてある。その名には見覚えがあった。
──アリアの実家とも言える会社だ。
マザーが淡々と告げる。
『今回の標的はこの会社の社長です』
アリアが虚を衝かれたように、マザーがいるとも知れない中空に向かって言う。
「そんな……叔父はお父様とお母様を暗殺者に殺させましたが、自ら手は下していません。寿命に直接関わったとは言えないはずです」
アリアの反論を予期していたのだろう。マザーはすらすらと述べた。
『それが、違うのですよ』
「えっ」
『あなたの父親は確かに暗殺者に殺されました。ですが、母親は違います』
「まさか」
アリアの顔から血の気が引く。そんなことも気にせずに、マザーは淡々と告げた。
『夫を失った失意の彼女にあなたの叔父は声をかけました。そして、励ます風を装って呼び出し、殺しました』
まるで、劇の台本を棒読みするかのようなマザーの感情のない一言に、アリアは絶句するしかなかった。言葉なんて出ないだろう。弱冠十二歳の子どもにこの現実は少々、いやかなりきついものがある。
それにアリアはつい先日、決意したばかりだ。もう復讐はしないと。だが、この状況でマザーが出した指令はどう考えても復讐を示唆するものである。
マザーは得意げに言う。
『あなたは、復讐がしたかったのでしょう? お父様とお母様の仇である叔父に。それをお膳立てしたのです。気分が乗りませんか?』
マザーはおれたちを監視していると言っていたが、おれたちの一体何を監視していたというのだろうか?
アリアがもう復讐を望んでいないことだって、わかるはずだろうに。
おれはアリアを見た。アリアはフードを被った状態で俯いていた。表情は窺えない。だが、顔色が暗いことだけは察することができた。ナイフを握りしめる手が震えている。
アリアは苦悩しているのだろう。先日、おれに言った「復讐はしない」というのは当然本心だろう。だが、心のどこかにはまだ微かに疼く復讐心というのがあるのだろうか。
それを見越しているのだというのなら、やはりマザーは性根が悪い。……これが狙いだったのか。
マザーは徒におれたちを引っ掻き回す。それを楽しんでいるかどうかは断定できないが、引っ掻き回すことに重きを置いていることが窺える。……おれたちを試しているのだろうか。
それはそれで納得がいくような気もしないわけではない。如何なものかとは思うが。
今、実際に試されているのであろうアリアは、あまり考える間を置かず、高らかに宣言した。
「私はもう決めたんです。復讐はしないと」
『ほう』
関心か、予想外か、わからないような声でマザーが相槌を打つ。
アリアは堂々と続けた。
「だから私は、この任務を放棄します。遂行しません。譬、叔父が人を……母を殺しているのだとしても、私は、復讐には何も得られることはないことを知っているんです」
それから一呼吸置き、真っ直ぐな眼差しで中空を見る。
「私に叔父を刈ることはできません」
ややあって、マザーの声。
『死神の任務放棄が何を意味するか、わかって言っているのですか』
死神が任務を全うしないのも罪として加算される。更に、アリアはフランとの運命共同体だ。罪の加算となれば、両者に苦痛がもたらされる。
暗にマザーはフランを巻き込むことになるがいいのか、と聞いている。
アリアは少し表情を翳らせたが、すぐに真顔に戻る。
「承知の上です」
『良い覚悟です。……では、罰を与えましょう』
一拍の間を置いて、アリアから悲鳴が上がる。おれはバレないよう、近くの扉から死神界にアリアを引っ張り込んだ。
アリアは耳を押さえて絶叫した。おれも一度は味わったことがあるからわかる。罪の加算は辛いし、痛い。アリアがどのくらい痛みを感じているかはわからないが、もがき苦しんで辛そうだ。
意識が薄れていくのだろう。焦点がぼんやりとしてきた目で、アリアはぼんやり呟き、目を閉じた。
「ごめんね、フラン──」




