藍を込めて
「セッカさん」
日記を綴ろうとしていたところ、アリアがやってきた。高く括ったサイドテールが印象的だ。
そんなアリアを見て、おれは言葉を探し、中空に一つ円を描く。
「アリア、リボンは返してもらわなかったのか?」
「リボン?」
唐突な問いにアリアが疑問符を浮かべる。それから気づいたように頭のリボンを撫でた。
「別に返してもらう必要なんてありませんよ。フランにあげたんですから」
なんとなく、推測はしていたが。やはり、フランとアリアは仲がいいらしい。先日フランに書いてもらった過去話から見ても、アリアを大切にしているようだし。
アリアにとっても、フランは大切な存在なのだろう。大切な人が傍にいると、あんなにも笑顔が輝くものなのか、とおれは思った。
アリアが改めておれを呼ぶので、おれは姿勢を正して何だと問いかけた。
「あの、アインから聞いたんですが、私に用があるって……」
「そのことか」
アリアはアインというフランに植え付けられた擬似人格に関しても、特に気にした様子はない。「あなたもお友達だね」なんて笑っていたような気がする。アインはアリアの順応にたじろいでいたのが面白かった。
そんな性格の悪い話はさておき。
おれがここまで、フランの願いへのお膳立てをしたのは、実はアリアに用があったのだ。その用というのは、先日、砂漠の研究施設で見つけたものにある。
「この書類に見覚えはないか?」
おれは机の引き出しから書類を出して見せた。大きな茶封筒にまとめられたいくつかの書類。字は実を言うとあまり読めない。最近言語が変わったか、書いた人物が相当な癖字かのどちらかだろう。十中八九、後者だろうが。
その癖強めの字で書かれた書類はなんとなく読み取った感じでは何かの契約書だ。何の契約書かはわからなかったが。ただ、そこにサインされた癖強めの名前が気になった。
アナロワの企業の現社長の名前に見える。
そこから、何故そんなものがこんな研究施設にあるのかと思ったが、この書類は隠されるようにして、寝台の裏に貼りつけてあったのだ。何故そんなことを調べたかというと、まあ、偶然、研究資料の落ちていった先が寝台の下で、そこを覗いたら封筒が貼られていてびっくりした。
アナロワの企業の社長の名前が書いてあるからには、アリアと無関係ではないだろう。癖字も読めるキミカに読んでもらったところ、この契約書がなかなかに物騒な代物であることがわかった。
「……あの人たちが暗殺者と交わした暗殺計画の密書……」
アリアが、慎重に受け取る。おそらく、おれが何故そんなものを持っているのか、警戒しているのだろう。仕方あるまい。身内に裏切られた人間が他人を警戒するのは至極真っ当なことだ。
「研究施設で見つけた」
特に後ろ暗いこともないため、正直に話す。というか、これを渡すために、アリアを蘇らせたといっても過言ではないだろう。
「復讐がしたいんだろう?」
アリアが更に警戒を強めるので、おれは日記を見せた。ストリートチルドレン失踪事件を探る最中で明らかになったあれこれは全て日記に書いてある。アリアがアナロワからプジェロに捨てられたこと、研究員に拐われたこと、フランとアインから聞いたアリアという人物像から色々想像した結論として、一番可能性が高いのが、アナロワの企業を今仕切っている社長への復讐だと判断したのだ。
アリアが一通り読み終えたらしく、日記から顔を上げる。
「よく調べましたね」
「死神は大抵暇なんだ。毎日毎日刈りに行くわけじゃない」
その証拠に、今、ユウヒとリクヤは日課となりつつある取っ組み合いに、キミカはフランに付き合って、死神界中を探検に行っている。本当に死神なのか疑わしいほど和やかだ。
まあ、こんな日常パートでもないと、何百年も死神をやってはいられない。おれなんかは数百年で済んでいるが、ユウヒに至っては五桁越えの年数死神をやっている。時々思うが、飽きないのだろうか。
飽きないように「虹」と呼ばれる人数の特別な死神がいるのだろう。……ユウヒは一体これまで、何人の死神を見送ってきたのだろうか。
と、話が逸れたが。
「調べてわかったことから推測して、お前がこれを証拠に裏切り者に歯向かうつもりだったんじゃないかと思った。……死んだ人間に心があるかどうかなんて宗教的な考え方はてんでできないが、もしおれがお前の立場で、ここまで切り札を揃えていたなら、復讐できないのはさぞかし未練なことだろうと思った。その結果がこれだ」
アリアはしばらく、おれと書類とを交互に眺めた。それからふわりと笑った。……こうして見ると、普通の女の子だ。
「ありがとうございます」
どうやら、おれの目論見は外れていなかったらしい。アリアが書類を眺め、ぽつりと語り始めた。
「私のお父様とお母様は叔父と叔母に殺されました。この書類を読んだならわかると思いますが、直接手を下したというわけではありません。暗殺者を忍び込ませて殺したようです。お父様とお母様の遺体を私は見ていませんから、どのような状態だったのかわかりませんし、世間にも急死とだけ広まっていて、死因までは伝わっていないくらい、強固な情報管理が行われていました。
お父様とお母様の死は悲しいことでしたが、私はそれだけだったなら、復讐なんて考えなかったでしょう。この書類さえ、見つけなければ……
おかしいと思ったんです。お父様とお母様が管理していた金庫の暗証番号が変わっていたんです。もしものときのために、私用の財産が入っていると教えられていました。暗証番号をお父様とお母様が変えたとは考えにくいです。だとしたら、誰が変えたのか。
私はこの通り、身分がそこそこにいいものですから、色々なことを学びました。その中で、指紋を調べる技術もそこはかとなく聞いていたので、試してみたのです。すると、暗証番号はすぐにわかりました。そして、金庫の中にあったはずの財産はなく、あったのはこの契約書類です。そこから推測したら、何が起こったのかわかりました。
ただ、私は子どもでした。その推測を叔父にぶつけたところ、叔父は憤慨して、『そんなことを言うやつは傍には置いておけない。プジェロのストリートにでも放り込んでおけ』と言いました」
アリアは肩を竦めて笑った。
「予想通りの予想外だったんでしょう、私が気づくなんて。叔父は私が気づいたら、元々捨てようと計画していたんです。そうでなければ、プジェロなんて具体的な地名が出てくることはなかったでしょう。語るに落ちるというものです。
私は叔父に打たれ、素直にストリートへ行きました。服にこの封筒を縫い付けて、隠し持って。いつか復讐してやる、と思いました。この書類さえ見つけなければ、私はお父様とお母様の死を不審に思うこともなく過ごしていたことでしょう。──いえ、本当は、気づいて当然だったのだと思います。会社は私が継げるように手筈を整えていたんですから、叔父がしゃしゃり出てくるのは不自然なんです。
叔父とお父様の間にどんな遺恨があったかは知りませんが、譬、どんな理由があろうと、それが人を殺していい理由にはなりません。
浅はかな叔父はろくにお父様が行っていた活動も知らずにしゃしゃり出てきたばかりに事業に失敗したようですね。それだけでも溜飲が下がるというものです」
そこまで言い切ると、アリアは茶封筒を丁寧に綴じ、おれに返した。その行動が予想外で、戸惑う。
「……いいのか?」
言外に復讐をしなくていいのか訊いた。復讐しようと考えたとアリアは言ったのに、証拠まで押さえているのに、彼女はそれを手放した。
復讐如何は最終的にアリア自身が決めることであって、おれが口出しをする謂れはない。だが、おれは理解できなかった。
アリアは静かに首を横に振った。
「今更、あの人たちを糾弾しても仕方ありません。罪の発覚は更なる混乱を招きます。復讐をしたい気持ちは山々ですが、徒に人を振り回すのは好みません。それに」
アリアの浮かべる笑みが哀しみを深めていく。
「復讐を遂げたところで、お父様やお母様が褒めてくれるわけではありませんし、お父様とお母様が生き返るわけでもありません。死んだ人が蘇るなんて、絶対にあり得ない。あり得てはいけないんです。
私が人間ではなく、死神としてここにあるように」
その言葉は重く響いた。
そう、アリアは生き返ったわけではない。死神として存在を得たに過ぎないのだ。マザーが何をどうやってアリアを死神にしたかはわからないが重要なのはその過程より、生まれた結果だ。
アリアはフランの願いにより蘇った存在。最初はマザーにしては素直に願いを叶えたものだと感心したが、現実はそう甘くない。
アリアは右耳の裏に死神の数値を持っている。数値はフランと同じ。アリアはフランの運命共同体として、死神にされたのだ。
つまり、アリアが刈りに出て罪を減らせばアリアもフランも罪の数値を減らし、フランがもし能力を過った方向に使い、罪を重ねれば、フランもアリアも罪増加の苦しみに苛まれる。まさしく、運命共同体というわけだ。相変わらず、マザーの性格は悪い。
だが、フランはアリアのために頑張るのだろうと思う。そういう点から考えると、効率よく、死神の活動ができるのだろう。人質を取っているようで、いい気はしないが。
「私は、フランを責めたりしませんよ。こういう運命も悪くないなって思っているくらいです。だから私は死神として、なくしたはずの平穏を得て過ごしていこうと思います」
死神の仕事が人の命を刈ることだと知っても尚、アリアは笑顔でそう宣言した。
そんなアリアの笑顔が、とても眩しく感じられた。




