藍の記憶
僕は、人工人格実験の過程で作られたAIのアインと言います。
僕は今、竜鱗細胞実験の被験者01だったフランという少年の中に人格として植え付けられています。人工人格実験は今のところ成功といっても過言ではないでしょう。フランという人物の人格として、今ここにあるのですから。
僕が生まれてから今までと言いますと研究員──馴染み深いので、マスターと呼びますね。マスターたち人間との対話が主でした。より人格として自然に近づけるために、普通の人間として僕は扱われていました。
──と、申し遅れておりましたが、僕がこんな自分の過去を綴るのは、セッカさんという虹の死神──今の僕らからすると上位種の死神に書くように言われたからなのです。
死神の歴史というのも興味深いもので、なんと一万年以上続いているとか。もし、元のAI形態に戻れるのなら、死神の歴史が始まってから綴られ続けた日記というものをパソコンに入力して資料として保存したいくらいです。
と、話題が逸れましたね。僕の話をしましょう。
人工人格実験──つまり僕の実験は竜鱗細胞実験と並行して行われていました。竜鱗細胞の存在はマスターたちから僕にも知らされていました。コンピュータにも記録が残っていますし。
僕は元々人間ではないので、人間の倫理とか道徳とかはプログラムされていませんでした。僕も、マスターたちと交流していく中で身につけていけば、より自然な人間に近い思考回路になるのではないかと思い、人間の倫理とか道徳とか、竜鱗細胞実験の非人道ぶりとかはさして気にも止めていませんでした。
僕はマスターたちを慕っていましたから、マスターたちの実験の成功のためだけにあればいいと思っていたのです。だから、マスターたちの思考回路なんかを参考に「自分」というものを作っていきました。
アバター──自分の仮の体、コンピュータ内での体については、マスターたちが人間に馴染みやすいよう、人間の中でも普遍的な容姿に作ったと聞いています。マスターたちは黒髪や白髪混じりが多かったので、茶髪という自分のアバターには少々疑問を覚えなくもありませんでしたが、僕にとって、マスターたちは絶対的な存在だったので、特に反論することはありませんでした。わりとあの容姿も気にいっていましたし。
僕があの研究施設でしたことといえば、ほとんどがマスターたちとの会話だったので、今日の実験はああだった、こうだったというものが多かった気がします。研究熱心なマスターたちの心が移ったのかどうかはわかりませんが、僕はマスターたちの話を聞き、これから実験をどのように進めていったらいいかとか、これを試したらいいんじゃないかとか、色々提案させていただきました。マスターたちは僕が自主的に考えて意見を出すということを非常に喜んでいた印象があります。研究への知的好奇心は人間に近づく第一歩だとかなんとか。
とにかく、マスターが喜んでくれるなら、僕は僕の内から湧き出る好奇心というものを惜しみなく、外に出すようにしました。時には、実験に行き詰まったマスターたちに、突飛な提案をしたりして、マスターたちが新しい道を切り開いていくきっかけを作ったりなんかもしました。楽しかったですよ。
そんな和気藹々とした僕とマスターたちの様子をかなり不機嫌な様子で見ている人物がいました。それが被験者01です。今のフランですね。フランはストリートチルドレンですから、名前がないものと思っていましたが、捨てた親が名前だけはつけたのか、名前持ちのストリートチルドレンだったんです。アリアのことをああだこうだとは言えませんよね。あ、これはフランには内緒ですよ?
僕はマスター以外の人物とはあまり接して来なかったので、実験台である者たちにも多少の興味はありました。彼らは何を思い、この実験を受け続けているのだろう、と思いました。あんな不機嫌面になるくらいですから、快い思いなんてしていないでしょうに。
僕にとって、マスターたちの研究の進行は喜びでした。けれど、被験者たちはそれを疎んじていました。その疎んじる理由が僕にはてんでわかりませんでした。あの名門アーゼンクロイツですらなし得なかった実験を完成させようというのですよ? 科学の世界において、これ以上誇れることがありましょうか?
そう思った僕は、ある日被験者01に話しかけたのです。あなたが竜鱗細胞実験を疎んじる理由が知りたい、と。被験者01は最初、驚いたように僕を見ました。「機械でもそんなこと思うもんなんだな」と意外そうにしていたと記憶しています。僕はそういう機械になるように作られたのですから当たり前なのですが、竜鱗細胞実験に追われる彼が人工人格実験の内容など知る由もないでしょう。
僕が訊くと、被験者01は素直に答えました。竜鱗細胞実験は人間の成す所業ではない、と。それに、目の前で何人も何人も人が、仲間が死んでいく、殺されていく、その様を見て、研究員たちに嫌悪──いえ、憎悪を覚えない方が不可能だ、と被験者01は主張しました。
被験者01の言うことは僕には到底理解できませんでした。だって僕は、マスターたちが全てで、マスターたちが正しいと思っていたのですから。
けれど、僕の中には好奇心というものがありました。好奇心とは、理解できないものを理解したいと思う心です。つまり僕は理解できない被験者01のマスターたちを憎悪する気持ちというのに興味を持ったわけです。
僕は、後先なんて考えもせず、被験者01の心情を知るために、好奇心を働かせたのです。
具体的にどうしたのかというと……まず、被験者01には竜鱗細胞というものの有用性を解きました。竜鱗細胞がどれだけ強力な細胞か、知ってもらうためです。
その中の例え話に、被験者02と呼ばれていたアリアという少女のことを話しました。彼女の目的は復讐するための「力」を手に入れること。十三歳と幼い彼女が大人に復讐するには「力」が足りなかったのです。彼女はそれを悟ったからこそ、自ら被験者になることを受け入れました。……つまりは、この竜鱗細胞に適合すれば、大人、ひいてはマスターたちすらをも凌駕できるような力を持つことができる、と彼を唆したのです。
彼は被験者の中でも跳ねっ返りで、それをどうにか御すために、人工人格、つまり僕との適合性が測られ、都合のいいことに、相性がいいという診断が出ました。そうして、僕は被験者01に移植されることが決められたのです。
移植は、僕のデータを一纏めにしたマイクロチップを01の脳に埋め込むというものでした。手術は滞りなく終わりましたよ。それで、僕と被験者01は同体になりました。僕が脳から指示を出し、竜鱗細胞の使い方を教えたのです。
──それがどんな事態を引き起こすかも予想せずに。
好奇心は猫をも殺すという言葉を聞いたことがありますが、正に、僕はそれに相当するでしょう。被験者01に──フランに、竜鱗細胞の知識を与えたことで、フランはマスターたちに復讐を始めたのです。
僕は復讐の意味をちゃんと理解していませんでした。そこに含まれる、悪意や、殺意を汲み取ることは……やはりAIだからでしょうかね。できなかったんです。
被験者02であったアリアの非業の死も重なって、フランには鬱積していたものがあったのでしょう。竜鱗細胞に適合した強靭な体で、実験の成功に両手を打って喜ぶマスターたちをなぶり殺しにしていきました。研究施設も壊しました。資料も、実験台として殺されかけていた子どもも、全て。竜鱗細胞の力でできる破壊の限りを尽くしました。
竜鱗細胞の力を存分に発揮した影響か、フランと僕は破壊と殺戮の最中で人格交替をし……僕は、この手でマスターたちを……
フランは人格交替する直前、僕にアインと呼び掛けるマスターたちにこう叫びました。
「俺はアインじゃねぇ! 被験者01でもねぇ! 俺にだって、ちゃんと名前があるんだ、フランって名前がっ!」
その言葉が脳裏に焼き付いて離れません。
何故って、それは……そこで僕はようやく気づいたんです。竜鱗細胞実験の被験者と人工人格実験の被験者の僕との扱いの格差を。
それがフランは許せなくて、機械の僕を人間のように愛しむマスターたちが理解できなくて……復讐を望んだんです。
けれど、フランに復讐の仕方を教えたのは、他でもない僕なんです。
これでは、僕がマスターたちを殺したも同然ではありませんか。
正直、僕は今、死んでしまいたいくらい後悔しています。けれど、僕は死ねないのです。……この体は、フランのものですから。フランが生きようとする限りは僕も生き続けなければならないのです。
それが僕の選んでしまった道なのです。




