赤く滲む
どうやらおれは暴れすぎると暴走するきらいがあるらしい。あの中の何人をなぶり殺したか知れない。
ユウヒは途中から刈るのをやめ、おれが対象を全員殺すまで黙認していたそうだが、終わっても止まる様子がなかったらしく、止むなく昏倒させたらしい。迷惑は、かけたくなかったのだが。
ユウヒによると、自己防衛本能の異常抑制の反りとのこと。生前のおれは、様々な暴力に耐えすぎた。自己防衛本能を抑えすぎていたのだという。極端だったため、反りで、枷が外れると止まらなくなる……止まれなくなる。
せめて止まり方を生前のうちに身につけておけば、もしくは生前のうちに抑制しすぎていなければ、起こらなかった現象だという。まあ、過ぎたことを嘆いても仕方ない、とユウヒは言ったが。
暴走、か。
暴力、か。
この、おれが。
……笑えてくる。泣けるような涙はない。どこで使い果たしたんだか。
自分に失望するおれに、ユウヒは淡々と、「このことはマザーに報告した。しばらく多数相手の任務はないだろう」と告げた。
何の慰めにもならない。
おれは暴走するのだから。
駄目だな、思考が自暴自棄になっても暴走するらしい。おれは気づいたらまた昏倒されていた。心配そうなユウヒの目を見て、「この人、こんな表情ができたんだ」なんて薄情なことを思っていた。
「感情はコントロールしてもらわないといけないね。しょっちゅうこれでは骨が折れる」
実際おれを気絶させるのに小指の付け根が複雑骨折したらしい。当て木をし、包帯を巻いている姿がなんだか奇妙だった。
聞くに、不老不死となっても怪我や病気がなくなるわけではないらしい。実際、おれのアルビノの虚弱体質は治っておらず、昼間はまともに外を出歩けない。
『外』というのは人間のいる世界のことだ。おれたち死神はドアを開けるたびに違う風景を見せる、人間の世界とは別の『死神界』というのにいる。そこは基本的に屋内の光景というのを広げていて、機関室とか呼ばれそうな管の這った場所だったり、赤い絨毯の敷かれた教会のような場所だったり、と様々だ。
今は家族団欒にでも使われそうな椅子と机のある簡素な部屋にいる。
向かい合っているわけでも隣り合っているわけでもない位置関係で、おれとユウヒはマザーから指示があるのを待っていた。
人間は一日に数えきれないくらい死ぬが、その全員が罪人というわけではない。死神が罪人と数えるのはあくまで『生死を操作した者』だ。まあ、生死といっても、生かす方なら罪に数えられない。でなければ死神界は医者だらけだ。それはそれでいいが。
ちなみに、医療ミスで人を死なせてしまったアーゼンクロイツの当主はどうなったのかとユウヒに訊いてみたところ、死神にはならなかったらしい。医者というのはちゃんと医者をやっていれば、一度くらいの医療ミスはそれまでの人を生かしたり治したりした功績で免罪されるそうだ。
自分が殺してしまった人間が死神になっていたら、更に居心地が悪くなるところだった。
しかし、胸糞の悪くなる話も当然あり──おれが虐殺を繰り広げた施設の施設長は、死神にならなかったらしい。
子どもを何人も殺したあいつが、罰を受けないなんて、あまりに子どもたちが浮かばれないし、死神という罰を受けているおれからすれば、理不尽だ。だが、あいつはあいつで保護した子どもの数の方が多いらしく、免罪されたそうだ。
「……まともなやつには見えなかったのに」
「君と会うまではね」
ユウヒがおれのこぼした愚痴を拾い、説明する。
「あの人には君の知らない分の人生がある。そこではいい人だった、ということさ」
たった一人の出現で、人はああも変わるのか。
おれは手を握りしめて、死神の任務で見た記憶を思い出す。
死神は何故か、人間の魂を刈る際に刈る対象の記憶を見ることができる。所謂走馬灯、というやつを一緒に体験する、のだろうか。
先日の宗教団体だって、始まりはそれなりに清い信念だった。「法で裁けぬ罪人に罰を」……まあ、それも呪いの一種ではあったのだが、マザーの作り出した死神の概念と重なる部分があったからか、マザーは放置していた。だが時代が変わり、人が変わり、団体の性質も変わってしまったのだろう。
刈ったうちに団体の古株でもいたのだろう。そんな変貌を嘆く声を聞いた気がする。
人は変わる。変わってしまう。それは当たり前で、悲しいことだ。別に、悲劇ばかりを生むわけじゃないことはわかっている。理解しているつもりだ。それでも、やるせない……
おれの罪の数値はどれくらいなのだろうか、とユウヒに訊ねてみる。左首筋、と見づらい場所にあるので、人に見てもらわなければわからない。なんと不便なのだろうか。ユウヒがよく、「マザーは性悪だ」と言っているが、その意味がなんとなくわかる気がする。
ユウヒは大昔の人間だから、数の呼び方などは十くらいまでしかわからないらしい。いつも桁数を数えているのだとか。おれの罪は今のところ八桁。当初は十桁ほどあったというから、やはり先日の掃討が効いているのだろう。
一方のユウヒは、右膝についているらしい。見せてもらったが、四桁で、あまり解消されていないという。思えばほとんどこないだは刈っていなかった。おれに譲った、と考えていいのだろうか。
だがユウヒは気の遠くなるほどの時を死神として生きているはずだ。それを何故わざわざ解放を先延ばしにするような行動を採るのだろうか。不思議だった。
今日は任務もなく、お互い暇なので訊いてみることにした。
「ユウヒは、解放されたいとは思わないのか?」
するとユウヒは琥珀色の目を細めて笑った。光の加減か、橙に見える。
「私はね、最初の赤の子と一緒に死神になったんですよ。けれど、あの子の方が先に解放されて……始まりの死神ですから、語り継ぎたいと……いえ、違いますね」
笑みにほろ苦い色が混じる。
「私は、忘れたくないだけなのですよ。あの子、もう遠すぎる日の親友のことを。死神から解放されたら、消えてしまうから。あの子のことを覚えている人が消えてしまうから」
初代赤の死神について、ユウヒは何も語らなかった。ただ、なんとなく、ユウヒが語り継いでほしいとおれに願った理由がわかった。おそらく、感覚的にいつか自分も解放されることを悟っていて、初代赤の死神という存在が消え去ることを恐れている。──それに、おそらく、おれが、何代目かは知らないが、赤の死神だから。
「あの子は笑顔で消えていったよ。できるなら、一緒にいきたかった。けれど、私の罪の方が重くて。おそらくこの事実こそが、私に対する永劫の罰なのだろうね」
全く、マザーは昔から性根が曲がっている、と笑って流したが、心中はそんなに穏やかではなかったのだろう。握りしめた手が震えていた。
日記が少し、重みを持った。
その手に滲んだ、赤を見たから。