藍の記録
フランは生まれた頃から捨てられていた。生粋のストリート育ちらしい。育ててくれたのは、ストリートで長く生きる大人だった。
今の時代、ストリート育ちでは、ろくに就職もできないらしく、パシェにいた浮浪者のように、そのままストリートに居着くのが普通だという。
フランのいたストリートは、フランがいた頃には大人ばかりで子どもはフランと数人……ろくに教養も受けていないフランが数えられる程度の人数しかいなかったという。
読み返してみたところ、虹の死神では恒例になっているため、虹に倣い、彩雲の過去の記録も残していこうと思う。
ここで、何故おれ、セッカが筆を執っているのか疑問に思うだろうが、先に述べた通り、フランには教養がない。せいぜいできて数字を数える程度だ。字も書けない。アインは人工知能というだけあって、字が書けるそうだが、アインにフランの過去を代筆してもらうのは、何かが違うように思えた。パソコンの中に茶髪蒼眼のアバターがあったことからわかる通り、アインにとって、フランは今は己でも、過去は他人だった。だから、いくら記憶を共有していようと、アインが書いてしまうと、他人事のような話になってしまうのではないか、と考えた。
そんなことを言ったら、おれだって、赤の他人だが……おれはフランの言葉のままに、フランの語る彼の過去を綴ろうと思う。
この日記をユウヒから託された責任として。
俺が覚えてんのは、ただただ灰色の世界。色に乏しい、世で言うところのストリート? の荒んだ色だ。
灰色の地面、灰色の壁、晴れていても何故だか灰色に見える空。俺はそんな世界で暮らしていた。
俺に自我? っていうやつがつくと、ストリートの大人たちは俺に色々教えてくれた。ここはストリートって呼ばれる場所で、世の中のはぐれものの集まりだと言っていた。
俺の容姿は翡翠? っていう宝石みたいに綺麗な色をした髪で、珍しいと言われたっけ。よく売り飛ばされなかったな、なんてブラックジョークをよくおっちゃんから言われていた。同時に、お前は運がいい、とも言われた。ストリートにはストリートによって違う生き方をしている。ストリートの人間同士で潰し合っていたり、生きる糧もなく餓死していったり、とストリートにろくな話はない。そんな中、盗みを働きはするものの、それ以外は人間としての倫理? 道徳? みたいなのがちゃんとあるこのストリートに捨てられたことは、あれだ。不幸中の幸いってやつだと言われた。
でも、今にして思うと、あれでよかったのかな? 俺は俺を育ててくれたおっちゃんたちには感謝しているし、出会えてよかったと思っているよ、今でも。
でもさ、ふとした拍子に思うんだ……俺があのストリートにいなければ、それこそおっちゃんのブラックジョークみたいに売り飛ばされていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって。
運命論? とか、そういう難しいのを考えることはしないけどさ、やっぱ思うんだよな。──竜鱗細胞実験っていう、わけわかんねぇ実験に、俺が巻き込まれなきゃ、あの研究員どもは研究を完成させられず、研究は頓挫して終わったのかもしれないのによ、俺っていう適合者? がいたばっかりに……何人も何人も犠牲になった。
別に、あいつらに対して同情なんか湧かねぇし、殺したことを後悔なんかしてねぇ。アインが竜鱗細胞実験の研究資料とやらを全て消し去ったから、まあ、結果オーライなんじゃないかってくらいまで思っている。悔いてはいない。悔いてはいないんだけどさ……
俺は俺が選んだ道が絶対だとは思えないんだ。アインが何考えているかなんてわかったもんじゃねぇし、竜鱗細胞の俺みたいな成功例が続出するとか、考えただけで怖気が立つね。でも、ちょっとくらい、思ったっていいじゃんか。「普通に生きたかった」って。
……俺のいたストリートは、ストリートチルドレン失踪事件? とやらの手始めに襲われた。だからその新聞? とやらを追っかけたって、俺の街は出てこないと思うぜ。
おっちゃんたちは、正体不明の研究員どもに果敢に立ち向かった。研究員どもが「浮浪者風情が」とか罵っていたけどよ、おっちゃんたちの勇気は誰にも否定させやしねぇ。あの人たちは立派に戦った。
もちろん武器も何もないストリートだ。おっちゃんたちは腕が立つのもいたけど、研究員どもが持ってきていた薬品? とやらで殺された。注射器をぶすって打ってな……そうしたらみんなばたばた倒れていくんだ。俺や一緒だった子どもは見てられなくて、おっちゃんたちを助けたい一心で、「自分たちはついていくから、おっちゃんたちを殺さないで」って叫んだんだ。……研究員どもはそれも計算づくだったんだろうよ。「自分たちから申し出てくれるとは嬉しい」とかほざきやがって……
俺たちはおっちゃんたちを守るために、そこから出ていくことになったんだ。
今思えば、間違いだったのかもしれない。自分の身を守るという意味では。でも、俺たちには、おっちゃんたちに育ててもらった恩があるし、生かしてもらった恩があるんだ。……あれしきじゃ、返しきれてねぇと思うけど。元気してっかなぁ、おっちゃんたち。
だが、それは今だから考えられることだ。良くも悪くも、あの胸糞の悪い実験を終わらせることができたからだろうな。
実験のこと? 思い出したくもねぇや。絶食やら、水に沈められるやら、服に火ぃ着けられるわ、散々だったとしか言い様がねぇな。そん中で更に仲間だったやつらが死んでくんだぜ? そう、同じストリートの仲間も死んだ。あの実験で、みぃんな、な。
そんな、毎日毎日人が死んでくのを見送る中で、俺は俺なりに自分の異様さには気づいたよ。時間の感覚がわからなくなるくらい物も食わず、水に沈められ、丸焼きにされても生きてんだ。俺は自分が人間じゃないんじゃないかって疑ったくらいだ。
俺はいつもいつも死んでく仲間を見送る側。そんな日々の中で、俺の隣に並んでくれたのが、アリアだ。
アリアは、一人であそこに来た。純粋なストリートチルドレンではないことはすぐにわかった。ろくな教育を受けてない俺たちと違って、教養とか素養とか、マナー? とかもきっちりしてて……そう、被験者にされた中で、唯一髪を結っていたんだよ。俺たちは盗みをしても、その日生き延びるための食べ物くらいしか盗まなかった。時々下手こいて野垂れ死んだやつから服飾品? とか剥ぎ取ったこともあるけど、使い方がてんでわからないもんだからさ。髪なんていつもそのまま、ばっさばさだった。研究員どもだって、俺たちは実験台でしかないから、そういうのくれるわけでもないし。
だから、髪を二つにリボンで高く括ったアリアが来たときは、俺だけじゃなくてみんな、びっくりしていたと思うんだよな。しかも、名前持ってるし。絶対元々はストリートじゃないって思ったんだ。
でさ、アリアは俺より小さいのに、あの研究員どものろくでもない実験に食らいついていって……俺の次に適合率が高い被験者02と呼ばれる存在にまでなったんだ。
アリアはストリートって、街に居場所がなかった俺たちからすると、別世界の人間だったよ。でも、おんなじ人間だって教えてくれた。人が死んだら悲しいし、自分が死ぬかもしれないのも怖いって素直に吐き出していた。だから、俺たちと打ち解けるのは早かった。
そんな中、アリアは実験台の中で一番実験に積極的で、実験が非人道的? であるのもわかっているのに、実験を推し進めようと必死だった。やっぱり別世界の人間なのかってちょっと残念に思ったこともあったよ。
……うん、アリアと過ごした時間は短かったかもしれないけど、かけがえのない大切な時間だったから、今でも心の中でずっと再生されている。
ある日、アリアは俺に聞いたんだ。なんであなたの適合率が一番高いのか知りたいって。アリアは俺の次に適合率が高いけど、それでも俺とは雲泥の差? っていうのがあって、しかもアリアは実験に積極的だから、その質問はあって然るべきものだったんだと思う。
俺は素直にわかんねぇって答えたよ。そのついでに、アリアがなんで実験に積極的なのか聞いた。アリアは一般的な倫理とか道徳とかを知っている人間だ。こんな、人間にやらせるようなもんじゃない実験を何故進めようとするのか、実験で散々な目にしか遭ってない俺には不思議で仕方なかったんだ。
そんな俺の問いに対して、アリアは自分の身の上話をした。
大方の予想通り、アリアは元々ストリートチルドレンじゃなかった。とある街の上層を仕切るような世界で生きていた。別世界の人間みたいだっていう俺たちの印象は間違ってなかった。
ただ、雲の上みたいな世界でも住んでいるのは人間で、人間の中には薄汚い部分があった。アリアの親は会社? の一番偉い人で、人徳があった。だけど、それがある日突然死んだ。原因不明で親が死んで……アリアは、その会社の相続? ってのの争いに巻き込まれた果てに爪弾きにされたんだ。
案外、俺たちが知らない外の世界も闇に満ちていて、本来なら、アリアが継ぐべきところをまだ子どもだからって理由で弾いて、アリアが後見人がどうのって話を持ち出して、話を丸く収めようとしたらしいんだけど、聞かずに……親戚だけが甘い蜜を吸うために、アリアを家から追い出して、ストリートに放り込んだらしい。外の世界も案外ろくでもないんだなってそのとき思った。
でもさ、アリアの動機はそれだけじゃなかったんだ。粗筋はそいつらへの復讐って理由で合ってるんだけど、そいつらに復讐する理由が家を追い出されたからじゃないんだ。
……そいつらが、故意にアリアの親を殺した。その証拠をアリアは掴んだから、親のために復讐するため、とにかく「力」が欲しいからって、この実験に賭けたんだって言ってた。譬、人の道を踏み外しても、やっぱ悔しかったんだと思う。親がいないから親が殺される苦しみを理解できるなんて言わねぇけど、俺がおっちゃんたちを殺されたくないって思ったのと、似てるんじゃないかな。
だから俺はアリアの意志ってやつを否定しなかった。全部思ってることをぶちまけて、すっきりした俺たちは、仲良くなった。その証が、俺の髪を束ねているこのリボンだよ。アリアのリボンと一緒だろ? アリアがな、俺の髪を見て、二つ結びだったのを一個外して、俺にリボンをくれたんだ。嬉しかった。だから今も大切にしている。……アリアが死んでからも。
……アリアは竜鱗細胞の仮適合試験で、竜鱗細胞を植え付けられた結果、竜鱗細胞に体を侵食されて、その最中で研究員の一人に銃殺されたんだ。
竜鱗細胞のおかげか、撃たれてから少し息があって、俺に最期にこう言ったんだ。──生きて、って。
それから俺はがむしゃらに生きた。竜鱗細胞に適合もしてみせたさ。──研究員どもに、復讐するためにな。
研究施設を破壊しながら思ったよ。アリアは、これがしたかったんだって。
俺がやったのは、復讐だって、な。




