彩雲の藍
リクヤの直接的すぎる頼みにフランが目を丸くする。
「死神?」
「ああ、いや、その、だな」
おいリクヤ、何故上手く説明できないのなら死神という単語を突拍子もなく出した?
そんなリクヤをフォローするように、キミカが前に出て説明する。
「私たち三人は元は人間でしたが、今は死神になっています。死神はお仕事みたいなものです。といっても、人間社会で一般的に言うようなお仕事ではありません。死神のお仕事は……」
少し躊躇ってから、意を決したように一気に言う。
「人を殺すことです」
ざっくばらんに言うと、そうなる。ただ、ざっくばらんすぎて、フランが顔を青ざめさせている。
キミカも、言葉が足りないことは承知済みだったのだろう。慌てて付け加える。
「殺す、といっても、無為に殺すわけではありません。ちゃんと理由があります」
「人を殺していい理由なんてあるのかよ」
もっともな疑問を口にする。キミカは予想済みだったのだろう。すらすらと答えた。
「人に人を殺していい理由はありません。けれど、私たちは死神。死神には死神の倫理観があるんです」
キミカが苦い面持ちになる。仕方のないことだろう。死神の倫理観というやつは、おれたちが普段から嫌っているマザーの理念なのだから。
それでも、死神になってもらう以上、説明しないわけにはいかない。キミカが続ける。
「人が人を殺していいわけはありません。そこに死神の倫理がはたらくのです。つまり、『人殺しをした人物を殺す』ということです。
もっと正確に言うと、人の寿命に関わった者を殺すということになりますが……細かい話はレアケースなので、『人殺しをした人物を殺す』と覚えておけばいいでしょう」
「人殺しを殺す……つまりあれか。お前らの仲間? がこないだ来たのは研究員という人を殺した俺を殺すためなのか」
「正確に言うと先日の目的は違うのですが、最終的には、そうなってしまいましたね」
首を傾げ、頭上に疑問符を浮かべるフラン。
だいぶ死神の役目を理解しているようだ。ストリートチルドレンだから、この辺の理解に手間取るだろうと思っていたが。
おれも静観していないで、手を貸した方がよさそうだ。
「先日の一件、本来の目的は『ストリートチルドレンを無為に大量に殺した研究員たちの始末』だ。だが、おれたちの仲間が行ったときには標的の研究員たちは殺されていた」
フランが納得する。
「確かに、やつらは俺が殺したからな」
「だがお前は人だ。譬、研究員にどんな仕打ちを受けていたとしても、それこそ人を殺していい理由にはならない。だから、状況からお前が殺したと判断した死神が標的をお前に変えた。知っての通り、返り討ちに遭ったがな」
返り討ちに遭ったのはユウヒと主にアルファナだ。まあ、二人の紹介は後でいい。
「そこまではわかったけどさ。それなら今日はどうして、俺に死神になれっていうんだ?」
当然の疑問だろう。普通、この状況なら、「殺しに来た」という方が自然な流れだ。
ただ、理由が言いにくい。フラン自身が気にしているであろうことだから。
「フラン、お前の今の体のことについては調べさせてもらった。これだけ散々殺す殺すと言っておきながら、非常に情けないことなんだが……」
「私たちの力では、あなたを殺せません」
おれが言い淀んだ先をキミカが引き継ぐ。
「殺せない?」
「情が移った、とかそういうことはありません。ただただ身体能力的に殺すことが不可能だと判断したからです」
「だから仲間に引き入れると?」
フランの躊躇いのない言葉に、キミカはほろ苦く笑う。結論からいくと、まあ、フランの言った通りだ。倒せないから仲間にする。それもある。
ただ、それだけではない。おれは前に出た。
「お前は死神になったとしたら、普通の死神とは別格になる。おれたちも別格と言えば別格だが……別格の死神は死神の中でも強い力を持ち、ある特権を使うことができる」
「特権?」
フランが胡乱げにおれを見る。
その特権を使わせることこそが、今回のおれの目的だ。
「なんでも願いを一つだけ、叶えてもらえるんだ。夢みたいな話だが、本当だ」
「なんでも?」
疑いの眼差しが向けられる。当たり前だろう。なんでも願いが叶えられるなんて、夢みたいな話だ。現実味がない。何より苦しい現実の中をずっと過ごしてきたフランが黙って信じ込むとは考えられなかった。だが、信じてもらうしかない。
「記憶を消してもらいたい、人助けをする力がほしい……どんな形になるかはわからないが、確かに願いは叶うんだ。現実では不可能と思える事象でも。たぶん……死んだ人に、会うこともできる」
セッカ、とキミカが責めるような声を出す。そんな夢物語を紡いで、実際に叶わなかった場合、どうするのか、と思うのだろう。だが、叶ってもらわなければ困る。マザーは自称ではあるが、万能なのだから。
利用されてばかりでは癪だ。こちらもたまには利用してやるくらいでないといけない。
死んだ人に会うこともできる、という言葉に、フランの目の色が明らかに変わった。それは誰もが願うことだろう。大切な人を失っているのなら、尚更。おれだって、フィウナ姉さんや、殺された子どもたちを蘇らせたいと何度も思った。──人の世界では禁忌とされるが故に。
フランは少し迷う様子があった。何やら口の中でぶつぶつと呟いている。
顔を上げ、フランは言った。
「……わかった。やるよ。ただ、おれは一人じゃない。だから、そいつにも話を聞いてやってくれ」
「一人じゃない?」
どういうことだろうか。疑問に思いながら見ていると、フランがす、と目を閉じた。
それから目を開いた次の瞬間には、信じられないことに、雰囲気ががらりと変わっていた。フランの年相応の子どもっぽさが消え、少し大人びた印象になる。先程のフランよりも理知的な光を宿す瞳。色こそ違うが、その瞳を見た覚えがある。
そう、砂漠の研究施設で。
まさか、とは思うが。
「アイン、か?」
「ああ、あの映像を見たのですね?」
アインは少し悲しげに微笑んで肯定した。フランの顔でやるものだから、少し違和感がある。だが、その憂いを帯びた微笑みは確かにアインのものだった。
資料によれば、アインは人工知能にして、人工人格になるという研究のために開発されたものだ。……フランに植え付けられた、ということだろうか。
「僕はフランを制御するためにフランに植え付けられた人工人格……アインと申します」
口調もあの映像の少年そっくりそのままだ。フランの声で喋っているが、やはり雰囲気の違いは大きい。
「僕は竜鱗細胞の適合率が最も高いけれど、研究員に最も反発するフランを制御するための人格として作られました。その目的のままにフランの中に植え付けられ、フランと脳を共有している状態にあります。これも人工人格実験という研究の一つの成果と言えるでしょう。
僕とフランは人工的に作られた二重人格というわけです」
フランの一人ではない、という発言はこのアインの存在に基づいたものだったのだろう。脳を共有している、ということなら、記憶も共有しているはずだから、ここまでの会話はアインにも筒抜けだったはずだが、それでもフランはアインを別の個体と断じているのだろう。アインは自分とは別の意志だ、と。
実験で植え付けられたというなら、フランに二重人格の自覚があってもおかしくない。自分たちは今、画期的な科学の進歩というやつに対面しているわけだ。こうして、人工知能が人格として人間に植え付けられる技術が広まったとしたら、恐ろしいことになるだろう。
アインもそれをわかっているのか、目を伏せる。
「僕とフランの存在は人間の世界にあってはならないものです。死神という世界でそれを隠すことができるなら、僕も死神になることは賛成です。ですが……本当に、死んだ人に会うことができるのですか?」
それを疑問に思うのも仕方のないことだ。普通はあり得ないのだから。死んだらそれで終わり。それこそが世の理というものだ。
その理を超越するのが、マザーの力、といったところか。
「きっと叶えてくれるだろう。なあ、マザー」
すると、天から声が降ってくる。淑やかな女声が。
『死んだ人間に会いたい、ですか。私は死神を統括する存在、マザーです。生者より死者の方が扱いやすいのは確かですね』
今までそんなことを願う死神はいませんでしたが、とマザーは言う。
だが、マザーの言葉にアインは瞳に希望の灯火を灯す。
「なら、僕もフランと同意見です」
『良いでしょう。フラン、アイン。あなたたちを死神の彩雲、藍の席に任命します』
空から、一枚の黒い死神のマントが降ってきた。




