緑でなし
リクヤが怒りをぶちまけても、マザーは一切動じる様子がない。それもそうだろう。それでこそのマザーだ。
マザーは淡々と述べた。
『一般死神で対処が無理なのはわかりました。ではあなた方……変えてみせるといったリクヤ、あなたを中心に竜鱗細胞を持つ少年に対応してください』
「ああ、言われるまでもねぇ」
啖呵を切るリクヤだが、横合いからユウヒが出てきた。
「お言葉ですが、マザー、彼の少年を殺すのは、我々では不可能かと」
リクヤとユウヒは仲が悪い。ただでさえ悪いのに、これでは、
「あんだと?」
……こうなる。
リクヤはユウヒにガンを飛ばしていた。リクヤの目力はそこそこなものだが、ユウヒは涼風にでも吹かれているかのような涼しい顔だ。もしかしたら、リクヤなど眼中に入っていないのかもしれない。
ユウヒは、きっと、それどころではないのだと思う。本当は死神の任務など気にしていられないほどに焦っている。毎日毎日、腕に切り傷を入れるほどに。
ユウヒは自分が浄化されるのを恐れている。
だからこその発言か、と思ったが少し違ったようだ。
『不可能、ですか』
「はい。私の見立てからしますと、あの少年が手に入れた力は人間の手に負えないどころか、我々の手にも負えません。封印によって死神になれずにいる最強の吸血鬼、アイラでもいれば、どうにかなったでしょうが……そういうレベルの相手です」
『なるほど、わかりました』
マザーは少し思考するような間を持って、マザーは告げた。
『虹の死神も次の段階へ進む必要がありそうですね』
「次の段階?」
キミカが首を傾げる。おれも首を傾げた。リクヤは目を丸くしている。まあ、みんな予想していなかった言葉だったのだ。
ユウヒは予想していたようだが、一応訊ねる風に言った。
「次の段階、とは?」
『死神は通常死んだ者が成る神でした。けれど、それを変えましょう。生きているけれど、私の管理下に置くために』
「管理下、ねぇ……」
マザーの管理下。つまり死神にする、と。
『彼の少年は罪を犯した研究員たちを浄化しました。それは虹の死神になる兆候です。彼には死神の素質があります』
「死神に素質とかあんのかよ」
それはおれも初耳だった。マザーが淡々と答える。
『ええ。死神、特に虹の死神には素質が必要です。セッカなら心当たりがあると思いますが』
「おれ?」
『あなたが怒りのままに殺した職員の中で死神となったのはあそこの施設長だけでした。それを不思議には思いませんでしたか?』
言われてみると……子どもたちを殺したのは施設長一人だけの仕業ではないように思う。おれを慕う小さいやつらは何人もいた。それを一人で殺ったとしたら、それはそれで腹が立つが、施設長はどちらかというと、自ら手を下すというよりは部下に命じてやらせる方が多かったように思う。
だとしたら、死神の論理で言ったら、施設長に従っていた職員にも罪はある。だが、職員は死神にならなかった。確かに奇妙だ。
マザーが訥々と説明する。
『虹の死神の適格者というのは、死神になる前から、罪を浄化する能力を持つことがあります。だから、セッカのいた施設の職員はセッカに浄化されて死神にはならず、余罪もあった施設長は一回の役目だけで済むまでに浄化されていたのです』
あの屑、余罪もあったのか。まあ、不思議ではない。おれはあれほどの人間の屑を見たことがないから。
なるほど、おれが浄化してしまっていたのか。その上、おれは大量虐殺を行った。罪人でも殺せば人殺しに変わりはない。──それで、おれは虹の死神になった、と。なるほど、道理は通っている。
キミカやリクヤなどにはそういう自覚はないようだ。キミカは虫すら殺したことがなさそうだし、リクヤは記憶喪失しているのだから、実感がなくて仕方ない。生前は自警団だったというから、罪人の取り締まりくらいはしたのだろうが、殺したかどうかまではアイラも話していなかった。
さて、ユウヒはどうだろうか。……確か、手記に両親を殺した、とあったはずだ。両親はユウヒを殺そうとし、マザーの元になったクレナイまで殺そうとしたはず。それをユウヒが殺した。ユウヒも案外、親の罪を浄化したのかもしれない。本人は何も言わないが。
「まあ、詳細を知りたければ、セッカの日記を遡れば、君たちの前に虹の死神をやっていた者たちの記録もあるはずだよ。それを見ればまあ、大体は納得がいく」
改めて読み返したのは、ユウヒの過去くらいしかないが、ユウヒの言い様から察するに、ユウヒはこれまでも、虹の死神になった経緯を書いていたと考えられる。
それは後にするとして、問題は竜鱗細胞の少年だ。
「生きたまま死神にすると言ってましたけど? 可能なんですか?」
『不可能なら言いません』
可能なのか。少し呆れた。
『ただ、今まで死んだ者以外で死神を作ると、世の中の辻褄が合わなくなるから死んだ者を使うようにしていたのです』
確かに、生きている人間がやってきていきなり「私は死神です。これから罪人のあなたを刈ります」とか言っても、道理が通らない。それではただの殺人者だ。法か何かによって裁かれ、殺されることになるだろう。だが、よく考えてみよう。死んだ人間に法ははたらかない。だとしたら、最初から死んだ人物を使えばいい。死んだ人物には法ははたらかないし、死んだ人物を殺すというのは現実的ではない。
だから、死神は法も死も効かない人材を使う、というわけだ。死神という存在が許せるわけではないが、合理的だ。
「具体的にどのようにするのですか? マザー」
ユウヒが問いかけると、マザーは即座に答える。
『虹の死神ではなく、「彩雲」という存在を作ろうと思います。考え方としては、そうですね、仮初めの虹の死神と考えていただければ』
以前から考えてはいたのだろう。マザーの説明はすらすらと出てきた。
『「彩雲」とは仮初めの虹。虹の死神が一色一席なのを二席にすると考えてください。彩雲は普通の死神とも虹の死神ともまた違った特性を持ちます。今回の場合、該当の少年を生きたまま死神にします。それは死神の道理には添いませんが、彼を死神の力でもってしても殺せない以上は交渉して、死神になってもらうしかありません。セッカたちが調べた資料、ユウヒが調べた資料に基づくと、竜鱗細胞に適合した彼は殺せないでしょう。頑丈な鱗の細胞が彼の肌に現れて守るものと思われます』
マザーは何をどこから見ているかわからないが、現状を的確に把握しているらしい。確かに、集めた情報、ユウヒの証言から、彼の少年を殺すことは難しいだろうと思う。研究施設を壊滅させた彼の罪は重いにちがいない。それを死神にしてあがなわせるというのは、マザーらしい考え方だ。
同時に、彼を救う方法はそれしかないと提示されているようで悔しいが。
同じことを思ったのか、リクヤが異を唱える。
「死神にする以外、方法はねぇのかよ」
『言いましたよね。私は死神を統括、管理する存在だと』
ぴりぴりとした空気のリクヤを諭すようにマザーは告げる。
『彼を死神にしてしまえば、彼の能力を管理することができます。彼に罪の数値を与えることによって、彼が罪を犯しすぎていないかということを指摘できるのです』
まだ死神になって日の浅いリクヤにはぴんと来ないだろうが、マザーが言っているのはこういうことだ。
「死神には罪の数値というのがある。役目を果たしていけば、その数値は減り、数値が零になれば、死神の役目から解放される。これが死神の仕組みってやつだ。
ただ、死神にも犯してはいけない罪がある。例えば、目的でない人物を殺したり、必要以上に痛めつけたりすると、それは罪として加算され、罪の数値は上昇する。
罪が加算されると、体に痛みが走る。駄目なことをやって躾をされるような感覚だ。それで少年に能力のコントロールを覚えさせる。マザーが考えているのは、こんなところだろう」
説明を終えると、リクヤは呆れたような溜め息を吐いた。
「つまりはマザーの傀儡にするってことか? 生きていても自由がねぇじゃねぇか」
それはもっともである。だが、マザーなら言うだろう。
『それがどうかしましたか?』
マザーの非情な一言に、リクヤは怒髪天を衝く、といった様子だった。リクヤは誰かの指示で動くのがあまり好きではないのだろう。自警団の長をやっていたというし、指示される側ではなく、する側の人間だったと考えられる。
傀儡、という言葉をリクヤは使った。確かにおれたち死神は、マザーという存在に意のままに操られる傀儡とも言えるだろう。だが、死神である限り──虹の死神である限り、その理不尽な操り糸から逃れることはできない。
「リクヤ、諦めるしかない」
「くそったれが!」
くそったれ、とはおれも思うが。
そうやって苦いものを飲み下していくのも、罪を犯してきた報いなのかもしれない、と最近おれは思う。




