黄土色の気配
リクヤが言うのもわかる。本来なら、被害が出る前に防ぐのがベストだろう。
それをできないのは、証拠がないからだ。何故人は証拠を求めるのか、と思うが、大抵の人間は罪から逃れたいと思うだろう。
人間の法では未遂の罪はよほどでなければ裁けない。……それは、死神のシステムも同じなのだ。悔しいことに。
無論、死神のシステムは法のように抜け穴があることはない。おれやキミカが捕らえられているように。人間世界では裁ききれない罪を人知れず裁いているのが、この死神というものだろう。
だが、それですら罪の発生を未然に防ぐことはできない。何故なら、
罪が発生しなければ、死神というものは必要なくなるから。
なんと無情な制約だろうか。
けれど、それでも足掻くとリクヤは言った。
「犠牲を少しでも減らせるかもしれないなら、その可能性に賭ける」
正義漢らしい一言だった。
きっと過去には自警団なんてやっていたからだろう。虹の死神の中では唯一まともな倫理観の中で育ったから言えるのだ。譬、覚えていなくとも。
というわけで調査は続行だ。
「まず怪しいと思うのは、やっぱアリアって子だよな」
情報源の中にある固有名詞というのはこの上ない手掛かりだ。
その子の足跡を追えればいいのだが、何せ元は富豪でもストリートチルドレンに成り下がった身。追うのは難しいだろう。
そこで黙考していたキミカが口を開く。
「アリアさんのもっと過去……ストリートチルドレンになる前のことを探ってみては?」
「アリアがストリートチルドレンになった経緯とかか? そう簡単に見つかるかね?」
「手掛かりはあります」
そう言い切るキミカは、まず人差し指を立てた。
「アリアさんは元々、そこそこの富豪の出です」
「お付きの者がいたって言ってたしな」
確かにプジェロの調査でそんな話がわかった。お付きの者がつくくらいだから、そこそこのどころか大富豪の出かもしれない。
「富豪というと、やはり企業展開をしているはずです」
キミカは中指を立てると続けざまに薬指も立てた。
「お付きの者がつくほどの富豪だとします。もしその当主が死んだとします。……そしたら、相続争いが起きると思いませんか?」
ありがちな話だ。
人というのは金に弱い。金さえあれば、なんでも手に入ってしまうと思っているほどに。依存しているといってもいいかもしれない。
遺産相続争いなんて、よく聞く話だ。アリアの元々の身なりのよさから考えるにあり得なくはない話だ。
「つまりは、アリアはその遺産相続から爪弾きにされた存在という推論が立つわけか?」
「そのとおりです。そこからもう一つ察せられるのは、アリアという少女が遺産相続の最も大きな権限を持っていたということ」
「例えば、死んだのが親とか?」
キミカが頷く。
「相続は大抵親から子に成されます。けれど、アリアさんは幼かった。それなのに相続するということに気に食わないやつの一人や二人はいたでしょう」
「それでアリアをストリートチルドレンにまで貶めたと?」
リクヤの眉間にしわが寄る。
「やりすぎじゃねぇのか?」
それはおれも思った。たかだか十二歳の少女をそこまで警戒する必要があるのか?
「アリアさんは白ずくめを一目で研究員と見抜き、子どもを拐う目的をも看破しました。これほど先の見える目を持つ少女が、大人になったらどうなると思います?」
「そりゃ優秀だろうな。若くしてエリートみたいな」
「気に食わないやつらから見たら、十二歳でも充分脅威というわけか」
キミカが頷く。
「ただ裏から操るには聡すぎたんでしょう。だからできるだけ遠ざけたかった」
「下らねぇ」
リクヤが吐き捨てるように言う。
「そんなの、端から見たら十二歳の少女より自分が劣っていると認めてるようなもんじゃねぇか」
「そのとおりなんです」
きょとんとするリクヤにキミカが補足した。
「だからただ貶めるだけでは駄目だったんです。近くにいたのでは、いつか才能を駆使して、せっかく手に入れた地位を取り返されてしまうでしょう?
だからまだ何もできないうちに、這い上がって来られない場所まで落とす必要があった」
「まさか……」
そう、そのまさかだろう。
「アリアは意図的にストリートに放り込まれたんだな。適当に理由をでっち上げられて」
でっち上げられた適当な理由というのが、頬が腫れていたという証言と何か関係があるのだろう。
そこまではおれも推理できた。だが、キミカの推理には続きがあった。
「アリアさんを蹴落とした相続人が、果たして上手く会社を経営できたかはまた別の話です。……まあ、たかだか十二歳の少女に劣るような人間です。あとはお察しというものでしょう」
「……経営破綻したと?」
リクヤと揃って首を傾げると、キミカは苦味を帯びた表情で告げる。
「不自然に街への援助を切った企業があるでしょう?」
街への援助。
援助なんてされていたのは、アナロワくらいだ。アナロワ……
「そうか、アナロワに本社を置く企業は経営破綻したから援助するにできなかったのか」
「経営破綻までいったかはわかりませんが、社長クラスの人間が突然死して、混乱している、というのは充分にあり得ます」
だが、とおれは口を挟んだ。
「アナロワからプジェロって、距離的に近くはないが遠くもないよな? なんでそんな半端なところに」
「その距離感がいいんですよ」
キミカが人差し指を立てる。
「遠すぎる場所で、仕返しの算段を立てられても困るでしょう? 様子見にはいい場所です」
「……なるほど」
自分本位なやつだ、とリクヤが表情を険しくする。
でも、今は大わらわでしょうね、とキミカがくすりと笑う。彼はこう続けた。
「見張っていた少女が思いがけず拐われた。どう対処していいか、慌てふためいていることでしょう。もしかしたら、見張りを少女にまだつけているかもしれません。するとそこから研究についてが辿れるかもしれませんよ?」
「なるほど」
アナロワの企業とやらを当たって、情報を引き出す作戦か。推理が正しければ、悪くない作戦だろう。ただ、やはり推理は推理であって、確証ではない。
「アナロワを再調査したいっていうんなら、リクヤとキミカの二人で行ってくれ」
「どういうことだ? セッカ」
理由は二つある。
一つ、おれは大概この件では黒幕の研究員と同じポジションの人間として警戒されている。調査が捗らない原因になるのはごめんだ。
もう一つはおれが個人的に調べたいことがあるから。
「セッカの調べたいことですか?」
「ああ。別に今回の件と完全に無関係ってわけでもないと思うぞ」
おれが試みるのは今医学界で名を馳せるアーゼンクロイツ家との接触。一時期とはいえ、おれがアーゼンクロイツ家にいたことは確かだ。どういう扱いになっているかはわからないが。万が一の場合、アーゼンクロイツの関係者だと言い訳が立つから行くのだ。
そこで聞くのは、アーゼンクロイツが成功した生体学的研究、もしくは現在試験中の研究。
実験という観点において、何かしらの糸口を掴めるかもしれない。例えば薬の開発や万能細胞の開発なんかは動物だけでなく、人間の被験者を用意する場合があるのだ。
もしかしたらだが……アーゼンクロイツが破棄した案の中から極秘裏に実験が行われている場合というのも、あり得なくはない。非人道的な実験でも、誰かしかの私利私欲のために、成されているかもしれない。
先程例に挙げた万能細胞も、使い方を変えれば、生物兵器を作ることだって可能かもしれない……
マザーがおれたちの調査を邪魔しないのは、大量の罪人が生まれる可能性があるから。──それは何も研究員だけがなるとは限らないのだ。
例えば、生物兵器の成功してしまった個体が暴れたら?
それだって、立派な罪になりうるだろう。
事態はどれだけ深刻になっているのか、計りきれないのだ。
可能性を一つ一つ探る方がいい。
「そうですね。そちらはセッカに任せます」
「じゃあ、また後でな」
そこで作戦会議は一旦終了した。




