赤き罪
思い込みだけで罪になる?
「それは合っているけれど、少し違う、かな」
「違うんですか?」
ユウヒがおれたちの前に正座して、丁寧に説明を始める。
「死神というのは『魂』という不明瞭なものを扱うため、存在自体も『想念』という不明瞭なものに依る。まあ、『想念』というのは死神、つまり私たち自身の願いであり、思いであり、考えのことだ。
死神の行動、任務、存在理由なんかは、死神本人の思いが反映されたものだ。
けれど、さっきも言った通り、『想念』は不明瞭なまのだ。それだけでは存在するには足りないくらいに。
そこで必要なのは『事実』だ」
「『事実』?」
「その思い込みが事実である証拠だよ。例えば、罪が本当にあったことであるという現実が必要なのさ」
例えば、リクヤのように、「多くの人が死ぬ戦争のきっかけになった」や「大切な人を死なせてしまった」というのが事実。想念というのはその事実に伴う感情のことで、それが死神となったとき、罪として数値化されるのだ。
つまり死神にとっての罪とは、自分が引き起こしたことに対して抱いた罪悪感が形作ったものなのだ。
「けれどリクヤは罪悪感と罪の量が釣り合っていない。死神の罪とは『人の寿命を操作すること』だ。リクヤは直接手を下したわけではないからね。彼の纏う罪はほとんどが想念で形成されていて、事実が無に等しいから、こんな僅かな数値の歪な存在なのさ」
言われてみれば、リクヤは大切な人を精神的に追い詰めただけでその大切な人──アルファナは自害した。
その後狂って殺戮を繰り広げたのはアイラ一人で、リクヤは直接的な意味で、手は一切汚していない。
罪に数えられることが異端なほどの存在なのだ。
けれど、とユウヒが付け加える。
「死神の罪のカウントは事細かだ。まあこれまで様々な任務をこなしてわかったと思うけどね。
自殺、自傷はもちろんのこと罪のカウントには『救えた命を見捨てる』ということもカウントされるんだ」
「救えた命……」
その言葉にキミカが唇を噛む。きっと、彼の過去の懺悔の多くを支配するラナやクレトといった存在を思ってのことだろう。
キミカのそれは違う、とユウヒは諭した。そうだ。キミカには当時、人を救える力なんてなかったのだから。
「これは私の罪が多い理由の一つでもあり、リクヤの罪悪感を死神の罪としてカウントしていることにも関係する」
リクヤの場合なら、「アルファナを目の前で亡くした」ということが、「アルファナを見殺しにした」という罪に数えられた、ということか。アイラから聞いた限りの話ではあるが、リクヤも言葉を選べばアルファナを止められたかもしれない。
ではユウヒは?
おれとキミカはやはりいまいちぴんと来ず、目をぱちくりとしてユウヒを見つめた。
するとユウヒは溜め息混じりに笑って告げる。
「死神の始まりを読んだのならわかるだろう? 私自身はもううっすらとした記憶で怪しいが……私は曲がりなりにも、『世界を救う慈母神の神子』だったわけだ。けれど私はそうあることを拒んだ。
──世界を救うことを、放棄したんだ」
つまりその罪状は、
「……世界の全人類を、見捨てた……?」
あまりにも、スケールの大きい話ではあるが、流れからするに、それが適当だ。色々と辻褄が合う。
人類の総数など、考えたことはないが、途方もない数であることはなんとなく知っていた。世界はわりと、広いのだ。おれは死神になるまで、おれのいた場所以外のことを知らなかった。例えば、お伽噺に出てくるような吸血鬼という存在。例えば、キミカを祀り上げた、おれがいた場所とは正反対の風習。死神になってから視野が広がり、おれが知る他にもたくさん人がいることはもちろん、様々な種類の人がいることも知った。
死神の霊凍室を見てもわかる。中身の人物こそわからないが、あの黒いマントのカプセルは百以上は並んでいる。もっと桁が違うかもしれない。……生まれた時代は違えど、それだけ人がいる。
そのほとんどが殺人をもしくはそれ紛いのことを犯しているのだ。そのときの相手を含めれば、もう数えるのをやめたくなるくらいの人数になるにちがいない。
それら全てを見捨てた──それが、どれほどの罪の数値を成すかは計り知れない。
けれど、やはり疑問だ。
「ユウヒの行動は、本当に人を見捨てたものだったのか?」
ユウヒに、全人類とか、世界規模の考え方が頭にあったとは思えない。神子だということだって、死ぬ間際まで知らなかったことなのだから、そういう意識を持つのは難しいのではないだろうか。
「うん、そうだねぇ。これが摩訶不思議なところだ。もしかしたら……誰かさんの分の罪も、代わりに背負っちゃったのかもね」
ユウヒはそういうと、へらりと笑った。
誰かさん──もしかして、クレナイのことだろうか。そういえば、クレナイは幼い頃から神子と奉られ、神を信じ、慕い、神子としての自らの地位に強い責任感を抱いていたはずだ。
代わりに背負っちゃった──つまり、ユウヒは、クレナイの分の罪も背負ったということか? ──それなら、筋は通る。クレナイはきっと、自分の成すことが、ユウヒと共に逝くことが、人類を見捨てる行為だと、神に懺悔したにちがいない。口に出したかどうかはともかく、そんな思いは心の奥底にはあったにちがいない。
それが、どれだけ重荷なことか。わざわざ推して測るまでもない。おれたちとは比べ物にならないほどの『罪』を感じていたにちがいないのだ。
それを何故、ユウヒが肩代わりしているのかはわからないが……
「さて、と」
思索に耽るおれをよそに、ユウヒが立つ扉の前に行き、道場から出ていくようだった。
「そろそろまた罪が減ったから、重ねに行かなくては」
「え……」
キミカが軽く目を見張る。言っている意味がわからないのだろう。おれも以前は戸惑ったものだ。
ユウヒの罪の桁数は、徐々に減っている。時にはキミカと同じ二桁にまでなったほどだ。そんな、罪の著しい減少のたびに、ユウヒはわざわざ自傷を重ねることによって、罪を加算させる。自傷は自傷それ自体が痛みを伴う上に、死神の場合は罪の加算によって更なる痛みがもたらされる。そんなことを何故続けるのか……よくわからなかった。
けれど、理由はとても聞けなかった。ユウヒの表情は険しく、何かに追い立てられて、焦っているように思えたから。
おれが日記を継ぐことになった今も、時折綴らせてほしい、と申し出てくることがある。
そんなときユウヒに日記を渡すと、鬼気迫る表情で、叩きつけるようにペンを走らせ、何かを綴っていく。なんとなくそれを見ると、声がかけられなくなる。
時折、考える。
死神とは酷い制度だ。たった一度の自殺行為でキミカのように死神に仕立て上げられる者もいる。罪悪感が罪の形を成し、けれどそれを忘れて死神となったリクヤのような者もいる。おれのように怒りのままに、けれど逃れられない運命のように殺戮を犯して、妥当といえば妥当に、非道といえば非道に、死神になった者がいる。
ここは理不尽に埋め尽くされた地獄。おれにはそのように思えてならない。
──そんな地獄に、一万年以上もいて、ユウヒは何を思い、死神を続けるのだろうか。
そもそも死神で居続けたいのだろうか。
解放されたいのだろうか。
わからないけれど、問えば、ユウヒからは笑顔で返ってくる返事。
「私は、見届けなければならないから」
それが、ユウヒの意思なのだろうか。
わからないまま、日々は過ぎていく。おれたちの苦悩も知らないように、平々凡々と。




