赤の死神
セッカは死神としてなかなか優秀だ。寡黙で従順。順応力も凄まじい。まあ、それはあらゆる物事への諦めから来ているのかもしれない。
過去を教えてくれないか、と聞けば、面白くもないが、と話し始めた。
***
おれは、アルビノに生まれた。
おそらく覚醒遺伝というやつだったのだろうが、親とは全く違う容姿で生まれたのであろうおれは、生まれてすぐに捨てられた。
親がおれに与えてくれたのは、命とあと、一つだけ。
地獄花、死人花……死に関連する名ばかり持つ赤い華に準えてつけられた「セッカ」というこの名前だけ。
幸運にも、おれはアルビノへの理解のある家に引き取られ、育てられた。まあ、その家のフィウナという令嬢がおれを拾ったらしいが。
フィウナ嬢の家であるアーゼンクロイツ家は、医学の名門として名を馳せており、なかなか裕福な暮らしをしていた。だからといってフィウナ嬢が我が儘娘だとかそういうことはなく、我が儘はおれを拾った一回きりで、あとは親に従順で礼儀作法のなった淑やかな貴族令嬢だった。
おれを拾った責任、というのを名目に、何かと世話を焼いてくれたのも、よく覚えている。責任感もあって、なんでもそつなくこなす、そんなフィウナ嬢は絵に描いた令嬢のようで、近くにいるけれど、おれにはどこか遠い存在だ。
そう思うたびに、思考を読んだように、「わたくしはあなたの姉ですのよ?」と悪戯っぽく笑んできたのも覚えている。そういう、愛らしさのある人だった。
アーゼンクロイツは医療に秀でているとあって、先に言ったとおり、金銭に困ったりすることはなく、けれどおれもフィウナ嬢も慎ましやかだったが、順風満帆に暮らせていた。あるときまでは。
わかりやすく幸せが崩れたのは、いつだったか。当主が執刀した手術で医療ミスがあり、患者が死亡したという事件があってからだ。
あっという間にアーゼンクロイツの名は地に落ちた。街からは貴族暮らしから一転、村八分のような扱いを受け、昼間には怒号の嵐、家の門壁には罵詈雑言の落書き、など散々な扱いを受けた。
そんな様子を悲しく思いながら外を眺めていたおれを、誰かが見ていたのだろう。
ある日、『悪魔を飼う背信者め』という落書きが書かれた。
アーゼンクロイツの人々がアルビノに理解があったことで忘れかけていたが、おれは、そう、端から見れば、異形のもの。赤い不気味な目をしたイキモノなのだ。
それで、
そこで、当主は逃げ場を見つけてしまった。
逃げ場とは、言わずもがな、おれのことだ。
医学的におれを理解してくれたはずの人は、おれを悪魔だ、悪魔だ、と謗り、暴力を振るった。殴る、蹴る、首を絞める、食事を抜く、刃物で切り刻む……更には毒を盛る、なんてことまで。
毒以外にも、様々な薬を盛られた。死なない程度に。皮肉にもこんなところで、アーゼンクロイツの医学で培った知識が役に立った。
それを見かねてフィウナ嬢は何度もおれを庇った。毒を看破し、身代わりに煽ろうとさえしたときは、おれのみならず実の父──アーゼンクロイツの当主も狼狽えていた。
それでもおれへの八つ当たりはひどくなる一方で、ある日とうとう当主は、おれを本気で殺しにきた。ナイフを急所めがけて突き出してきたのだ。ぴりぴりと肌を焼く殺気におれは反射で避けることができた。──しかし、そこからが、駄目だった。
おれは、反射でそのまま、当主の首を折ったのだ。華の茎でも手折るかのように。
常人の成せる業ではないことは考えなくてもわかった。いくら正当防衛とはいえ、これは。
そのとき初めて、おれは自分の異様な力に気づいたのである。
それを皮切りに、アーゼンクロイツの家はがらがらと音を立てて崩れていく。夫の死を目の当たりにした夫人が、今度は狂ったのである。
「恐ろしい子、恐ろしい子! 今まで不便なく衣食住を与えてきた恩を、こんな形で返すなんて! アルビノだからと優遇したのがいけなかったのだわ。やはりこの子は悪魔の子なのよ!!」
そう喚き散らした。
……何が、不便なく、だ。おれの世話をしてくれたのはフィウナ嬢だけで、夫が暴力を振るう際は黙認していたくせに、見て見ぬふりをしていたくせに。
険悪な雰囲気が漂う中でフィウナ嬢だけが動いた。おれと夫人の間を遮るように。
「お母さまもセッカもやめて! 落ち着いてください」
おれは、す、と無意識に後退りした。元々、事を構えるつもりはなかったため、何もしてこなければ、何もしないつもりだ。……正当防衛を笠に着る、卑怯なやり方だとは思ったけれど。
けれど、母は動かない分、醜く喚き散らした。
「これで落ち着いていられると? フィウナ、あなたは父親を殺されたのですよ? 何も思わないのですか!?」
悲鳴のように放たれた言葉はやけに耳をつんざいた。
けれどフィウナ嬢はそれに怯むことなく、凛とした眼差しできっぱりと告げる。
「仕事にかまけてわたくしに何もしてくださらなかった、目を合わせることさえろくにしてくれなかった父親に、一体何を思えと!?」
……え?
フィウナ嬢は実子なのだから、大切にされていると思っていた。そう勘違いしていた。
けれど、よく考えればわかる。当主は娘と目を合わせていただろうか。挨拶をしていただろうか。会話をしていただろうか。
そうだ。全くしていない。おれはフィウナ嬢の誕生日なんて知らないけれど、それを祝われているのを見たことがないからだ。
そんな扱いで、今までよく黙っていたものだ。
言葉に詰まる夫人にフィウナ嬢は告げる。
「ともあれ、セッカは大事な子です。アルビノの体質もありますし、うちに」
「それは駄目だわっ」
フィウナ嬢が「おれを家に置いておこう」というのだけは夫人は譲る気はないらしかった。
「こんな悪魔をいつまでも家に置いておけるものですか! 捨てなさい!!」
「家族を捨てろと?」
「義理とはいえ父親殺しの不孝者を家に置いておくつもり?」
「正当防衛でしょう、あれは!」
夫人とフィウナ嬢が激しい言い争いを繰り広げる。それを当のおれは……見ていられなくて、出ていきます、と淡々と歩を玄関に向けた。
それをぐいと腕を引かれて止められる。振り向くと、涙目のフィウナ嬢がおれを見上げていた。行かないで、と。とても寂しそうな声は震えていた。
おれは悲しく笑った。フィウナ嬢を安心させるというよりは、自分が可哀想っていう、最低な笑みだった。
「だって、おれが出ていけば、全て丸く収まるのでしょう?」
「っ……」
酷いことを言った自覚はある。けれど、これ以上の言葉はないとおれは思っていた。
「さようなら、フィウっ」
「駄目っ」
遮るように叫んで、フィウナ嬢は首を横に振った。
「せめて、せめて……屋根のあるところで暮らせるよう、施設を探しますから、待ってください」
何故この人はここまで必死になれるのだろうか。おれは所詮赤の他人だというのに。
おれはよくわからないまま、掴まれた腕を振り払うこともできず、無言で頷いた。
するとそれに満足したのか、フィウナ嬢は手を放し、話をまとめてきます、と奥へ行った。
当然、フィウナがいなくなるなり、おれは夫人に追い出され、外に行く宛もなくぽつりと立っているしかなかった。
雪が軽く降ってくるのをぼーっと見上げる。手も足もすぐに冷たくなって、柔らかな雪さえ指先には痛かった。顔に雪がかからないよう、フードを目深に被って待つ。来るかどうかもわからないフィウナ嬢を。
待っていると、何やら焦げ臭い臭いがしてきて、なんだ、と臭いの方を見やる。それは、先程までいた屋敷の方だった。屋敷の奥。あの辺りは確か……厨房じゃないか? そこから黒い煙が上がって、広がって──広がって!?
焦げ臭い臭いも強くなってきた。一つの予想があまりに容易に頭の中を転げる。「火事」──その二文字。
あまりにタイミングがよすぎないか、とぞっとするも、おれは屋敷に走り出す。誰が火をつけたとかはどうでもいい。フィウナ嬢が心配だった。
「フィウナ嬢……フィウナ、フィウナっ」
呼び慣れない呼び捨てで呼ぶ。けれど広い屋敷。何処まで届くか知れない。それでも叫んで探した。
けれど彼女は来ない。
「フィウナっ……姉さん!!」
おれは意を決して、ずっと呼んでほしいと言われていた名を口にする。
『堅苦しいのはなしでいきましょう』
『わたくしたちは、家族なんですから』
……なんで、気づかなかったんだろう。
あれは建前ではなく本音。家族に温かくしてもらえなかった冷えきった屋敷の中で、姉にとって本当に家族だったのは、おれ一人だったんだ。
おれだけが、本当の家族だと思っていた、よすがだったんだ。
そんな馬鹿みたいな簡単なことに今更気づいたおれの前に、姉さんは現れた。
おれはただただ嬉しくて、抱きついた。後にも先にもこれ一回きりだろう。人に抱きつくなんて。
姉は少し嬉しそうに笑んでから、固い声音で語った。
「あなたの行く施設の話をつけてきました。わたくしがよく行く教会に行きなさい。そこの神父さまが手配してくれています」
「姉さん、そんなことより火事、逃げよう」
姉の腕を引くも、姉はその場から動こうとしない。おれが顔を見ると、変わらず姉は笑みを湛えていた。
落ち着いた声音が、やけに静かな場に落ちる。
「お母さまが、火を放ちました」
「なっ」
「アーゼンクロイツの罪はアーゼンクロイツが負います。だからあなたはお行きなさい」
「そんな、姉さんっ……!」
やっとわかったのに、
それなのにあなたを置いていけと?
「何故死しか見えない選択肢をわざわざ選ぶのです!?」
おれは泣き叫んだ。抵抗とか意地とかは、それくらいしかできなかった。まあ、もう死ぬ覚悟ができているらしい姉を引き留めることはできないだろうが……
証拠、姉は穏やかな顔をしていた。おそらく、どんなになってもアーゼンクロイツという名から逃げようとしない姉は「わたくしはアーゼンクロイツですから」と答える気がした。
けれど、
「……あなたに、生きていてほしいから」
放たれた言葉は予想とはあまりにも違って。
それを告げるなり屋敷の奥へ消えようとする姉を追いかけるのに出遅れた。
姉とおれとの距離を遮るように焼けた柱が落ちてきて、おれは進めなくなった。
おれは薄情にも、外へ逃げた。街の者に助けを乞う。
すると火事という言葉を聞くなり、あれだけアーゼンクロイツを蔑ろにしてきた連中は一致団結し、消火に当たった。
それを見ながらぼんやりと、村八分の意味を思い出した。村からの嫌われ者のことを指す村八分は確か、火事と死んだときだけ構われる。つまりこれはそういうことなのだ、とおれは乾いた心で理解した。
けれど火は止んでくれない。
おい、なんで雨は火を消すのに、雪では駄目なんだ。雪は全く火を消してくれない。火の熱気に当てられ、消えるだけ。
結局屋敷は全焼した。生き残った者は、いなかった。
孤児施設に行ったおれに待っていたのは差別だった。
まあ、白髪に白すぎる肌、赤い目だ。人間の形をした別なイキモノという扱いで。
アーゼンクロイツ家のこともあり、疫病神扱いになったおれは、暴力はもちろん、虚弱体質で日の光に強くないのに、昼間に追い出されて施設の外で死にそうになったり、その後殴る蹴るを血を吐くまでされて、夜には寝床もなかった。布団を裂かれて、それを自分でやったんだ、と無実の罪を着せられ、施設の大人に叱られた。
叱るだけで終わればよかったんだが、そう都合よく世の中は回らない。罰として頭からバケツいっぱいの水を被せられ、濡れているやつとみんなを一緒に寝かせたら風邪を引くとかで、寒い中、外に追い出されて……屋外で一夜を過ごすのが常だった。朝日に目を突き刺されながら明ける毎日は、体が重くて仕方なかった。
食事だって、見ただけで胃もたれしそうな類の虫を入れられて駄目にされたし、食べないおれを大人は「せっかく用意したのに食べないとはいい度胸だな」と殴ってきた。虫の入ったスープを無理矢理口に入れられたこともある。
おれはまともに抵抗することもできず、けれど生かさず殺さずといった感じで惰性で生かされ、十年生きることができた。
その間の数少ない救いが、おれの後に入ってきた子どもだ。そいつらは差別だとか蔑視だとか、そういう固定概念に囚われておらず、おれに普通に接してくれた。時にはおれに食事を分け与えてくれたし、毛布を貸してくれたこともあった。そんな小さな温もりにおれは生かされたんだ。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。
おれが終わったあの日は、あの施設の全てをおれが崩壊させた日だ。
言い逃れなどするつもりはないが、おれを壊したのは、施設にいたやつらだ。あいつらが、過失とはいえ、子どもを殺した。おれに優しくしてくれた子どもを、みんな殺した。みんな死んだ。みんなみんなみんなっ!
おれと出会ったせいで、
おれに優しくしたせいで、
おれの、せいで……
酷い話さ。あの子どもたちは孤児だからという理由で、戸籍登録の手続きが済んでいない、なんて、あいつらはほざいた。だから、死んでも誰も気づかない、何もなかったことになる。我々は人殺しじゃない、なぞと。
おれは目の前が真っ暗……いや、真っ赤に染まったのを皮切りに、全部忘れた。たぶん、施設のやつらを千切っては投げってしたんだろうな。アーゼンクロイツの当主を難なく手折ったように。
あの死体の山は、そういうことだったんだろう?
***
長い話だった。虹に選ばれるやつに碌な過去を持ったやつはいないが、やはり、なかなかに壮絶だった。
私は憶測でしか語れないので、最後の問いには頷かなかった。応えるにはあまりに、セッカの浮かべる表情は自嘲に満ちていて、どうしても憐れみを抱いてしまう。それは一番、本人が望まないだろう。
「なるほどねぇ。教えてくれてありがとう」
「……ユウヒは、過去に何があるんだ?」
彼は、当然といえば当然の問いを放った。
先に言った通り、虹に任命されるやつは碌な過去を持たない。
「……ふふ、遠すぎて忘れてしまったよ」
故に私は、そうして誤魔化した。