緑
いつも通り、朝が来て、居間に集合する。
いつも通り、キミカがユウヒの髪を楽しそうに鋤く。それを恨めしそうにリクヤが見ていると、ユウヒの髪を結い終わったキミカが、リクヤの元へ行き、リクヤの跳ねっ毛に櫛を通してやる。リクヤはいつも気持ちよさそうにして、機嫌を直す。現金なやつだ。
任務がないと、稽古場に行く。稽古場といっても、誰も武器の心得などないから、手探りで模擬戦だ。一部、本気戦闘になっているのは言うまでもないだろう。
キミカは戦わせるとすぐ息が上がってしまう。そのためほとんど観戦して過ごしている。とても楽しそうだからいいか。いいのか。
おれは大体が長柄の武器だから、長柄の死神の鎌を使って長いユウヒに指導される。三節棍、九節鞭という特殊な武器である故に、時折マザーに資料を要求して、それを読みながら訓練を進める。当然ながら、おれはどちらの武器の知識もない。知識もないのにそれらの武器に変化させられるというのも奇妙なことだったが、大方、マザーが何か仕掛けたのだろうと当たりをつけている。
厳密に言えば、おれたちの得物となる一見ただの棒は使用者のその時々の「思い」「願い」を反映するのだという。例えば「あいつの長髪鬱陶しい」と鋏に変えたリクヤなんかがわかりやすい例だろう。
しかも、このただの棒が汲み取る願いはランダムだ。その瞬間の強い意志であったり、生前から深く根付いていた概念だったりと様々だ。
俺の三節棍や九節鞭はおそらく後者が生んだ形だろう、と言われた。
思い当たるのは、孤児院での出来事。殴る蹴るは当然で、鞭打たれたことだって、なくはない。鞭ではなく、縄だったか。一見太くて扱いづらそうなあれは一度縦横無尽に振るわれれば、鞭よりも太く強い痛みをもたらす凶器だった。
打たれ、虐げられた記憶。それに抗いたかった。武器さえあればおれだって……なんて考えもあったにちがいない。そんな武器をひたすらに欲する記憶と、打たれたときの相手の得物の記憶がぼんやりと生み出したのが、三節棍や九節鞭なのだろう。
それを思うと、棒程度の重さしかないはずの得物が、ずしりと重みを持ったように思える。振るおうとすると、体が軋む。関節が痛む。いや、関節だけじゃない、全身が、痛い。──傷の記憶が蘇ったんだ。
確かにおれは、力を得た。あのときおれを虐げた、あいつら以上の力だ。死神という力。けれど、それを振るって、おれは一体何を成す? 何を成せる? もう守りたい子どもたちは亡い。おれが憎んだ大人の理不尽に殺された。おれが力を持たなかったが為に。
そして、今のおれは死神。死神とは、罪を犯した人間の命を刈る存在。一口に言い表してしまえば、『人殺し』。さて、武器を手にして、力を手にして、やっていることはおれが憎んだあいつらと一体何が違う──?
そんな惑いがおれの中に生まれ、その隙を逃すことなく、ユウヒに叩きのめされる。おれは力なく崩れた。
キミカが心配そうに寄ってくる。ユウヒも怪訝な表情を浮かべる。その疑念に答えるべく、おれは素直に話した。
「……武器が、重い」
正しさを見失った途端に、重くなった。するとユウヒが簡単に答えを提示してくれる。
「それは『考えすぎ』のせいだよ、セッカ」
死神界のありとあらゆる存在──死神そのものも含め──は既に命を亡くしたものを『想念』で動かしているのだという。想念とは、例えば願い、例えば空想、例えば幻想。誰もが理想と掲げる非現実なものを具現化する非現実な存在、それこそが死神である。
罪の数値化もそう。よく語られる、殺人事件などの遺族の諦めの一言。「貴方がいくら懺悔しても、私が今貴方を殺しても、あの人は帰って来ない」──そんな綺麗事の裏、本当にそんな言葉で、憎しみは心の底から退去するか? 答えはもちろん、否である。そんなことで人間の感情が簡単に消え去ってたまるものか。
憎しみは募り続ける。遺族が押し殺し続けるその感情こそが、おれたちにとっての数値化された罪なのだ。
そう考えると、奇妙なものだ。
ユウヒが殺したのは、父と母のたった二人。クレナイに至っては誰も殺していないはずだ。それなのにユウヒは途方もない罪を課せられ、クレナイは無情の慈母という不名誉な地位に意志もなく着いている。
死神になった当初は途方もない桁数の罪の数値だったと聞く。おれですらまだ辛うじて読め……るとは言い切れない桁数だが、桁数で十は行っていないはずだ。
おれはそれに相応するくらい人は殺しているだろうと納得はしている。だが、おかしい。やはりユウヒの罪と合わない気がするのだ。それはユウヒが殺したのはただの人ではなく、親という自らに関わりの深いもので、人間の間では「親殺し」と謗られてもおかしくはないが……人間一人、親一人の命を十桁以上の数値と化すのは、おれの数値から見てもおかしくないだろうか。
非情なことを言うようだが、親兄弟だろうが命は皆決まって等価ではないか? 宗教じみた論理を展開するつもりはないが理論に近い倫理はそれだろう。
罪を「数値」にするという考え方からして、死神という存在はちょっと無理があるものの、理論的な存在であるように造られていると思われる。そんな死神に理論的でない部分があるというのは些か不可解ではなかろうか。
……小難しく語ってみたが、言っていてわけがわからない。
つまりは死神の「罪の数値」というものの基準が全くわからないというだけなのだが。
そのことを話題に出すと、ユウヒは苦笑いした。
「ははは、面白いことを言う。大体当たりだと思うよ」
「というと?」
「罪の数値における『人間一人の命は皆決まって等価』という考え方があるというのは当たりだ」
「しかし、それだと、ユウヒさんが万年死神を続けるほど罪を負っていたというのは不可解じゃありませんか?」
以前一緒に一冊目を読んだキミカが疑問を挙げる。するとユウヒはからから笑った。
「ふふ、そこが二人の『間違っている』部分さ。死神というのは固有名詞じゃない。『概念』の存在だ。もっと視野を広くしてごらん。私はもう覚えていないけれど、私が一体何人『殺した』か、わかるはずだ」
ユウヒはそれからおれの額をぴん、と弾き、付け足す。
「さっき言った『考えすぎ』の理由もね」
直後リクヤがユウヒに喧嘩を吹っ掛けるのを尻目におれは思索に耽った。
もっと広い視野、固有名詞じゃない『概念』、考えすぎ……
概念とは人が考える事象のことを表し、定まった形はない。個々により異なる。個々により異なるのは、個人個人では視点が違うからだ。
視点を──視野を変えて考えてみる。広く? という言葉は少々ぼんやりとしすぎている気がしなくもないが……待てよ。
概念というのは思想から生まれる。思想というのは個人の思考の結果だ。考えすぎた結果……それが死神の概念的存在理由だとしたら?
おれが武器を重く感じた理由が『考えすぎ』だとユウヒは言った。考えすぎ──あのときおれは、武器本来の持つ重みや重い痛みを思い返していた。その重みについて考えすぎた──それが得物に『重みがある』という思い込みに繋がった……?
概念とは形が定まっていない。人によって、人の思いによって形が変わる。……概念とは、まるで死神の得物の棒そのものではないか。その時々の思いによって姿を変える。けれど、もし、変わるのが姿形だけではないのだとしたら?
思索に耽ることによって、思い込むことによって、概念がその有り様を変えるのなら、重さだって一つの概念。加わってもおかしくない。
得物の謎は解けた。しかし、罪の数値の謎は解けていない。
この調子でいくと、ユウヒは親殺しをしたことをひどく重い罪と思っていたから罪の数値が大きくなった、と考えられる……が、ユウヒの日記を読んでも、親への懺悔の様子はないからまずないだろう。
では何が……と考えていると、リクヤが吹っ飛んできた。どうやらまたユウヒにこてんぱんにやられたらしい。
キミカが介抱しに行くと、リクヤは気絶していた。……いやいや、こんなになるまで一体何やっていたんだ、と思ったが、そこでふと気づく。
罪の数値は虹の死神にだけ、体の一部に刻まれる特別なもの。
そういえば、リクヤのがどこか、確認していなかったのだ。
そう思ったのは、キミカがさらりとリクヤの前髪を撫でたとき。額の左上に緑の文字が浮かんでいた。
そこにある数字に困惑する。
「六……!?」
生前人殺しはせず、自害に似た死に様をした一番罪の軽そうなキミカさえ、二桁だというのに。
リクヤの罪の軽減になる任務には一度しか行っていないというのに。
そこに刻まれているのは確かに六──一桁の数字だった。
ユウヒが言った。
「彼は直接は誰も殺していない。きっかけを作ったとしてもね。
そういうやつは普通の死神になる。けれどリクヤは虹の死神になった。それはね、
彼が強く、『罪』だと思い込んでいるからだよ」




