燈の許に
平穏で淡々とした日々が続く中、おれは思いきってユウヒを外に連れ出すことにした。気分転換に、と。
共有部屋に置いた古時計は、人間界の時間に合わせてあり、時刻はちょうど午後の二時を過ぎた頃。昼下がりだ。
まだおれにとって日射しのきつい時間ではあったが、ユウヒに見てもらいたいものがあったのだ。
「用もないのにセッカがこの時間に外に出るのは珍しいですねぇ。体は大丈夫なんですか?」
「虚弱体質だが、これでも一応死線は何度か潜り抜けた身だ。なんとかなるだろ」
「楽観思考ですねぇ」
楽観、はユウヒには言われたくない。
ユウヒはいつもほわほわしていて掴みどころがない。何か不測の事態があっても、「なんとかなります」とけらけら笑っているような人物だ。実際、なんとかなっているのだからなんとも言えない。
そんなユウヒを連れて行こうとしていたのは、町外れの丘の下にある、教会だった。名前もない、小さな教会。──おれが一度世話になったことのあるそこは、変わらずにあった。
さすがに、何十年か経って、神父は変わっていたが。荘厳なステンドグラス、十字架を握りしめ、憂いを帯びた表情で祈りを捧げる慈母の像は変わらずにあった。
時こそ経ったものの、あれだけの事件を起こしたアーゼンクロイツの名というのは残っていたらしく、その名を出せば、何代目かの神父であっても、すんなり通してくれた。
「……教会、ですか」
ユウヒはマントのフードを取り払い、辺りを見回した。おれは短く、「ああ」と頷いた。
「アーゼンクロイツ、と言っていましたね。セッカ、君の過去に関わりが」
「ああ。施設に入る前に世話になった。姉さんがよく礼拝だかに来ていた」
生憎だが、おれには信仰心など微塵も存在せず、礼拝だの何だのといった儀式の類はさっぱりだ。それに、ユウヒに宗教を語りに来たわけじゃない。ユウヒも宗教というものは好きではなさそうだから。
「はは、なら何故来たのです? 昔を懐かしむにも、人は変わっていますし」
「ただあんたに見せたかっただけだよ」
端的にそう告げ、十字架を握る慈母像を示す。
「この教会の偶像だよ。なかなかの出来だろ? 寂れた教会の割には」
「そうですねぇ。完成度の高い彫刻です」
「これを見せたかったんだ」
「へぇー。白い石膏像ですが、色が着いたらどんな色なのでしょうねぇ」
興味本位であろうそのユウヒの一言に、おれは少し悲しく呟いた。
「髪は赤で、瞳は琥珀色だったんじゃないか」
そう答えると、ユウヒの瞳がオレンジに揺れた。悲しげに、寂しげに。
ぽつりと彼は呟いた。
「そうだと、いいですねぇ……」
長らく、場を沈黙が支配する。
おれは場の空気を探り探り、言葉を探した。
「神様なんて、いるのかな」
その呟きは沈黙の中、やけに鮮明に落ちた。その一言にユウヒはふとニヒルに笑う。
「いますよ。何せ我々は死『神』です」
「死神は神なのか? だとしたら、名ばかりだろう?」
おれの反論にユウヒはくつくつと笑う。
「どんな形にせよ、一応は存在しているから、そういう意味では最も信憑性のある神ですよ」
「大した理屈だ」
おれはからからと乾いた笑いをこぼした。神父やマザーに聞かれていたら、大目玉を食らうにちがいない。
でも、物は考えようだ。死神の仕事だって、ヒトの命を刈る仕事という物騒なものだが、その刈った人物の罪を洗い流し、魂を救っているのである。それに確かにここに存在している。それは変えようのない事実だ。
そういう点で考えれば、死神は確実に存在する神だ。まあ、物騒な存在として伝えられる死神を進んで信仰しようなんていう物好きはいないだろうが。
「……もしかして、私の過去を読みましたか?」
「ああ」
ユウヒの静かな問いに、嘘は吐かなかった。吐いてもしょうがないから。
「それで、同情でもしましたか?」
「それは違う」
即答した。
「お前は同情なんか望んじゃいないし、赤の初代もそうだろう。同情したところで、過去が変わるわけじゃないんだから」
おれはただ、はっきり告げた。
「言っただろう? 見せたかっただけだ。この慈母神が祀られているこの教会を」
ユウヒがはっと息を呑む。
ユウヒは静かに慈母像に触れた。人間が作った崇めるための偶像に。
ユウヒはそこに何を見たのだろうか。
ただ、傾いてきた太陽が、名前に引き寄せられるように、ステンドグラスを通してユウヒを照らしていた。
そんなユウヒの横顔と慈母像の眼差しはどことなく似て見えた。
ユウヒは何か祈っているのだろうか。日が沈むまで、慈母像から動こうとしなかった。
やがて暗くなると、マザーから任務が与えられ、夜の街に出ることになった。
帰り際にユウヒはおれに言った。
「ありがとう」
意味がわからなくて、何がだ、と聞き返すと、ユウヒは穏やかに微笑んだ。
「これでようやく、クレナイにさよならを言えるよ」
その顔は慈母像に似て、慈しみに満ちていた。
ユウヒがクレナイに告げたさよならがどういったものなのか、おれにはわからない。
マザーと死神として別たれたことへのさよならなのか、
人間だった頃のクレナイとのさよならなのか、
決別、もう取り戻せないことを改めて実感するためのさよならなのか。
どうにせよ、ユウヒは死神をやめないつもりなのだろう。クレナイのために。
おれはそんな決意を湛えたユウヒの瞳に願う。
いつか、ユウヒが死神という楔から解放されて、クレナイがマザーという無情の役割から解放されて、
またなんでもない日々に、二人で戻れることを。




