緑の鵺
今日はリクヤの初任務の付き添いだ。
ユウヒはもちろんのこと、おれにも全くなついていないリクヤだが、果たして大丈夫だろうか。まあ、ユウヒほど当たりは強くないからいいか。しかし、キミカと一緒に行きたかったらしいことをぼやかれ、複雑な心境である。
けれど、リクヤはアイラの願いによって、記憶を思い出せないようにマザーから処置が施されている。原因はわからないが、キミカはその記憶を思い出してしまう引き金を持っているらしいから、リクヤとの接触時間は短い。……だからなついているという部分も多いのだろう。
まあキミカは結構懐が広いところがあるし、その部分はおれも好ましく思っている。他の死神もきっとキミカには惹かれるだろうな、とは思う。
それに、アイラが別れ際に言った一言──アルファナの姿を見ても驚くなよ、というのがどうも引っ掛かる。リクヤの過去に関係があるのか、ないのか。よくわからない。キミカが関係がありそうだ、というのは、アイラの目配せでなんとなくわかったが。
リクヤはとにかく、死神として特殊な個体だ。忘れているのではなく、記憶を消されている。アイラから軽く話は聞いたがリクヤ視点……つまりはリクヤが生前、何を思って行動していたのか、何故あのような……アルファナを死に至らしめるような選択に至ってしまったかが、わからない。
まあ、他人の考えていることなんて、わかりようもないのかもしれない。
死神になってからそれに付随する能力である「記憶閲覧」に頼りすぎていたのかもしれない。「記憶閲覧」は、記憶に付随してその記憶が鮮明なほどに感情も強く伝わってきたから。キミカのときなんかがそうだ。……そういえば、ユウヒの日記の一冊目を見たときも、ユウヒの思いというのがやけに鮮明に伝わってきて、胸を打ったように思う。
今のユウヒに「記憶閲覧」を使ったらどうなるのだろうか……そんなことを考えながら、リクヤと人間の世界を歩いていた。もちろん時間は夜。
おれはいつものことだからぼんやり当たり前に歩いていたが、リクヤはやけに躓いたり、物にぶつかることが多かった。街灯も多くて、見通しが悪いとかそういうことはないはずなのだが。
「おいリクヤ、大丈夫か?」
「……るさい」
踏んだり蹴ったりが続いたからか、リクヤからは不機嫌満点の返事が返ってきた。と思ったらまた看板にぶつかって足を痛そうに抱えていた。
どじなのか、とも思うが、一つ、ぼんやり頭に浮かぶ単語があった。
「……視覚狭嗟?」
するとぎくりとリクヤが固まった。図星だったか。
と思いきや。
「べ、別にオレは目なんか悪くねぇ!」
あたふたとおれに、そんな弁明を始める。それはあまりに見え透いた嘘だ。よく見れば、夜陰に際立つ緑の目は瞳孔がぶれていて焦点が合っていない。
目が悪い……おそらく、ひどい近眼か何かなのだろう。それに付随して視覚狭嗟があるにちがいない。しかし、リクヤはそれを自覚しつつもよくわからない見栄を張りたいようだ。わたわたと身振り手振りでおれの言葉を否定する様はなんだか子どもっぽかった。それを口にしたらきっと怒られるのだろうが。
とりあえず、任務に支障が出ないようであれば気にすまい。察するに近眼は極度のようだが……対策は帰ってからでもいいだろう。
死神になると死の直前の体質──というと大袈裟だが、生前の体質が保たれたままになる。おれやキミカの場合は体調不良系統の体質だから、悪化することがしばしばあるが、基本的にはそういう体質は良くも悪くも変わらないらしい。ユウヒの「忘れっぽい」という気質のように。
つまり何が言いたいかというと、リクヤの近眼は生前からの体質ということだ。であるならば、一つ疑問が生まれる。
「……眼鏡、かけないのか?」
振り返ると、アイラの話の中でもリクヤが眼鏡をかけていたという話は聞かなかった。つまり、近眼のまま生活していたというわけだ。おれは眼鏡も何もしたことはないからわからないが……不便じゃないだろうか。
という考えから生まれた疑問だったが、リクヤは、ただでさえ悪い目付きを更に悪くして、おれを睨み据えた。
「あんなだせぇもんかけてたまるか!」
……あ。
今思い出したが、こいつは筋金入りのかっこつけで強がりだった。
アルファナとの出会いのきっかけも、目が悪いことに端を発するいじめが原因だったか。
意地でも眼鏡をかけない。それは強がりであり、リクヤの中の「眼鏡=ダサい」という固定概念もあってのことだろう。
別に眼鏡がダサいとはおれは思わないが……うむ、なんだろう、だいぶ偏見だと思うのだが、リクヤには絶対似合わない気がした。
けれど、ここに来るまで……まだ任務地は先だというのに、リクヤが足をぶつけたりこけたりした回数を考えると、眼鏡は必要なように感じる。死神の活動は隠密が必須であるのに、やけに物音を立てていて、人間に勘づかれないか不安になる。夜の静けさの中だから尚のこと。
だが、現状のリクヤではおれが説得したところで眼鏡は頑なにかけようとすまい。帰ったらキミカに相談しよう。
ともかく、今は標的について思考を切り替えることにした。
「今回の標的について、覚えているか」
「もちろん」
先程の会話をなかったことのように話題を逸らし、──まあ、こっちが本命の話題だから、確認を取った。
リクヤがマザーから受けた指令を復唱する。
「かつて、人間と吸血鬼の間で争いがあった。表沙汰にはならない水面下の戦い。そんな中でも人間側は吸血鬼の人間より秀でた戦闘能力を恐れ、全面戦争となる前に密やかに有力な吸血鬼を始末していた。
今回はそんな吸血鬼の暗殺を担った人物とその黒幕を倒しに行く、だったよな」
わりとしっかり覚えているリクヤに失礼ながら面食らったが、その通りであるので黙って頷いた。
この任務がリクヤに割り当てられたことにも、おれは当初、面食らった。
リクヤと吸血鬼というのは切っても切れない因縁がある。アイラやアルファナといった存在がその最たるものだ。
リクヤの家は、吸血鬼に反感を持つ人間の過激派を抑えていたというのをアイラから聞いている。おそらくだが、そんなリクヤの家さえ気づかない裏側で動いていたのが、今回の標的だろう。
リクヤが覚えていないとはいえ、こんなに吸血鬼というリクヤの記憶の琴線に触れやすそうな任務が初回で当たるとは思っていなかった。マザーの考えることは全くわからない。まあ、マザーは記憶を消すのは難しいと言っていたから、どこまで自分の力が効くのか、手探りで試しているのかもしれない。
この程度で破れるような記憶ならまた新しい術を、と試行錯誤しているのかもしれない。
マザーというのはユウヒと同じく万に近い時を生きているのだろうが、それでもまだやったことがないことというのがあるのだ。どれだけ神に近いような超人的力を持っているとしても。
不思議とユウヒの過去を知ってから、マザーはマザーで一欠片なれど、「人間らしさ」がまだ残っているように感じられた。……よくよく考えると、嫌がらせのような任務をおれたちに与えて掌の上で踊らせているようなところも、ひねくれてねじ曲がっているが、マザーの偏った人間らしさなのかもしれない。腹は立つが。
さて、道中リクヤは変わらずどじを繰り返したが、ようやく目的地についた。夜の世界というのは暗闇があるからか、不穏でそういう雰囲気を伴ったものが溜まりやすいらしい。また吸血鬼の闇討ちを企てる者が集まっていた。
吸血鬼も人間も、アイラのたった一人の戦いによって大きな損害を受けたというのに。アイラの行動の虚しさというのが、その場には窺えた。おそらくそいつらは何も知らないのだろうが。
そんな中、無謀にもリクヤが「おい」と不機嫌な声で割って入っていく。やけに通るリクヤのどすの効いた声は、そいつらの耳に入ったらしく、そいつらは闖入者に振り向き──凍りついた。
闇に溶ける黒色のマントがはためく下には生前からのリクヤの衣装、襟の立った上着に、左腕につけられた、字こそないものの印象的なワッペン。少し跳ねたところのある漆黒の髪の奥で鋭く光る緑の眼光に、標的たちは怯み、そして恐れた。
「なっ……緑の鵺、リクヤ……! 死んだはずじゃ」
緑の鵺、とは随分とまた格好のついた二つ名があるものだ。やはり、リクヤは人間と吸血鬼の間ではそこそこに名の知れた存在なのだろう。
死んだはずじゃ、という言葉にリクヤは緑の目を細め、不敵に笑った。
「悪事を働くやつがあると聞いちゃ、おちおち死んでもいられなくてな。地獄の果てからお前らを始末しに来たぜ」
リクヤのそんな台詞におれは場違いにぽかんとする。いや、仕方ないだろう。……結局のところ、リクヤはただのかっこつけなのだ。
決め台詞も決まったところで、リクヤは得物を取り出しぶん、と振るう。死神専用の得物の棒は一瞬にして死神の名に相応しい、首刈り鎌へと姿を変えた。
常軌を逸した現象に標的たちは固まる。その隙を見逃さず、リクヤは一同の首をはね飛ばし、斬り捌く。
無駄のない素早く流麗な動き──だったが、大振りの刃を思い切り振ったせいで、壁に突っかかり、リクヤは標的一人を残して動けなくなる。全く、最後の最後で格好のつかないやつだ。
おれは呆れ混じりの溜め息を吐き出し、自らの得物を取り出した。おれのそれは一つ振るえば、九節鞭という特殊な武器に変わる。
鞭を唸らせ、空間を縫って、逃げようとした最後の一人の脳天を先についた小さな刃で貫く。
呆気なくその命は断たれた。
その場には、五、六人の死体。無為に吸血鬼を殺した罪人たちのものだ。その罪と同時に、自分の罪が浄化されていくのがわかった。僅かではあるが、体が軽くなる。
「……さて、帰るか」
おれは得物を納め、リクヤに告げた。リクヤもようやく鎌の刃を抜けたようで、元の棒サイズに戻し、懐に収める。
やけに静かに、素直についてきたリクヤは、おれに近づくとぽそりと言った。
「……ありがとな」
それに若干驚いた。振り向くとリクヤは恥ずかしげに視線を逸らしたが、頬に赤みが射しているのが少しではあるが窺えた。
少しではあるが、認めてもらえたらしい。
これは大きな一歩である。
帰り道、その勢いで眼鏡を勧めてみたが、それは断固拒否された。
キミカほどの距離感までは程遠いが、少しは近づけたということでいいだろう。
それが今日の収穫だった。




