燈の神
気づいたときにはもう、目の前が真っ赤に染まっていた。血の色みたいに。みたいではなく、血の色だったかもしれない。
はっと我に返ると、目の前には二つの死体。喉を貫かれ、切り裂かれた死体だ。……父と母だったものだ。
聞きたいことは山のようにあった。私には元々名前があったらしいとか、クレナイと共に生まれてきたとはどういうことかとか、火を消せとか、あなたたちは一体何なんだ、とか……聞くべきことは様々あったはずだ。
けれど殺した一時の激情に身を任せて。
「ああ、これじゃあもうクレナイの髪は切れないな……」
口は頓珍漢な言葉を紡ぐ。それは鋏が使いものにならなくなったからか、私が血塗れになったからか。たぶん、後者だ。
……火を、消さなければ。
クレナイは祈り続けているのだろうか。だとしたらその祈りが届いている様子はない。火は煌々と燃え盛り、私の家を巻き込んで、私たちを呑み込もうとしている。
「クレ、ナイ……」
私は煙を吸ってしまったのだろうか、少し咳き込んで掠れた声をしていた。元来た道を覚束ない足取りで戻っていく。
戻ると、クレナイはやはり、祈っていた。この火よ止みたまえ、と。
この火は、止まない。おそらく、そう仕組まれたのだろう。それなら、クレナイを連れて逃げるしかない。
「クレナイ……!」
「……ユウヒ?」
クレナイは私の姿に驚いていた。……あぁ、血塗れだものな。
あんな高貴な存在にはもう、触れてはならないんだ。
私は瞳に諦めを湛えて、クレナイに告げた。
「クレナイ、逃げて」
逃げて、生きて。
神様になんてならなくていい。生きて。君は人間だ。それは許されるはずだ。
燃え盛る炎の中で、そう告げると、クレナイは少し驚いた顔をしてから、……笑った。
「なんとなく、気づいていました」
「え……」
今度は、私が驚く番だった。私の思考回路を置いてきぼりに、クレナイは滔々と語った。
「この村に来てから、神様はわたくしに手を貸してくださらないのです。毎日どんなに祈りを捧げても、神様は応えてくださらないのです」
……それは、
神子として辛くなかったのだろうか? 信じる神に応えてもらえない、見放された、そんな状況。
「故にわたくしは気づきました。ここがわたくしの運命の地、もしくは宿命の在処──死に場所だと」
私は、目を見開く。
そんな覚悟が、クレナイにあったのか、と。
ここに来た当初から、こうなるとわかっていたのか、と。
どうしようもなく悲しくなった。
「……死なないで……」
私の呟きは、あまりにか細かった。
「死なないで、死ぬな、クレナイ、お願いだから」
「……わたくしは」
クレナイは綺麗に微笑んで言った。
「わたくしは、後を全て貴方に託せれば、それで」
……まさか。
「知っていたんですか? 私もあなたと同じだと」
手がすらりと伸びてくる。私の目の横に添えられた体温。温かくて、愛しい。
その手の向こうには、温もりのある瞳。少し金色に冴えた……私と同じ色の。
「慈母神様は仰いました。『貴女は独りではない』と。
『いつか、貴女と同じ証を持った者が現れるでしょう』と」
「……そいつがあなたを救うとは、限らないでしょう」
「わたくしが、その人を救いたかったんです」
ひう、と息を飲んだ。それはどこかで望んでいた解答であり、最も聞きたくなかった解答だ。
「……いやだ、いやだ、いやだっ……同じだっていうんなら身代わりにでも何にでもなる。だからクレナイは生きて、生きてよ……」
『それが、貴方の答えですか』
ふと、クレナイによく似た声がした。しかしクレナイより遠くから、脳に直接語りかけてくるような。
「だれ……?」
「……我が神……」
クレナイが呆然と呟く。クレナイの、神?
『貴方たちに、宿命を与えましょう』
「さだめ……?」
意味がわからなかった。神という存在を、それまで信じたことはなかった。けれど、今は藁にもすがりたい思いだった。
クレナイは私のたった一人の友人。後にも先にもこれ以上はないだろうというほどの親友なのだ。
それほどに私はクレナイに肩入れをしていた。
だから、不信心者だった私は、このときばかりは『神』という存在にすがった。すがるしか、なかった。
けれど、神は残酷だった。
『貴方たちは、ヒトを救うという役目を負っています。それを永劫に果たしていただきましょう』
「……は?」
何を言っているのか、わからない。
ヒトを救う? そんな役割引き受けた覚えはない。勝手にあんたたちが課したものだろう? それを続けろと?
救うべきヒトは、私たちを見捨てるのに?
渦巻く疑問を読み取ったように、その『神』は告げる。
『もちろん、ヒトの取った行動は、貴方方には許し難いものでしょう。ですからそんな理不尽を振り払う、断罪者の任を貴方方に授けるのです』
「断罪者……?」
断罪者というのは、罪を罰する者だ。つまり、……どういうことだ?
火の手がうねうねと私とクレナイの周りに集ってくる。もう、私たちに残された時間は少ないだろう。それを察してか『神』とやらは多少早口で告げた。
『貴方方には、死神になってもらいます』
「……死神?」
なんとも物騒な単語が出た。嘆かわしそうな『神』の声が紡ぐ。
『貴方方が憎む、信者の意に沿ってしまいますが、死神という神の席に就いてもらう──つまりは神になってもらうのです』
「そんな……」
『無論見返りはただではありません』
『神』は淡々と告げる。
『貴方方は死神になることで、ある程度の制限はつきますが、ヒトを断罪することができる。死神の役割とは、簡単に言いますと……人殺しをした者の魂を刈るのです』
ごくりと私は固唾を飲み、続く言葉を待った。
『貴方方はやがて、火に呑まれて死ぬでしょう。この火はヒトが放った者。そしてこの村の皆は貴方方が死ぬことを望んで容認した共犯者。直接手を下していないとはいえ、これは貴方方の殺しに加担した立派な罪』
甘い声が、耳朶を打つ。
『断罪したくは、ありませんか?』
その甘言に、私は簡単に乗ってしまったのだ。
クレナイはやめろと叫んだ。それも聞かずに。
クレナイの制止を聞かなかったことは反省している。けれど、私の中に後悔という言葉は微塵も生まれなかった。
『神』は続けた。
『無論、貴方方にも人類を見捨てた、という罪があります。それを忘れず、理不尽を断罪してください』
それを理不尽だとは、当初は思わなかったのだ。
私とクレナイは業火に焼かれ、一度死し、死神として生まれ変わった。
その後、村民を刈った。『神』から与えられた得物で、首をはねたり、刺し貫いたり。
村民が息絶えると、私も少しは溜飲が下がった。
けれど、『神』の与えた宿命というのは、これで終わりではなかったのである。
『お務めご苦労様でした』
そんな『神』からの声。
純粋に嬉しかった私、だが。
『さて、これだけの罪を刈れば、貴方方の罪の浄化は近いでしょう』
「罪の、浄化?」
聞いていない、単語だった。
『はい。罪を刈ることで己の罪を相殺する。それが死神という異端の神のシステムです』
「つまり……?」
『貴方方は解放されるのですよ。特にクレナイ、貴女は』
解放。死神ではなくなる。それはつまり、一度死んでいるから、再び死んでしまう?
その仕組みに気づくのは容易かった。
「……なるほど」
それを受けたクレナイの瞳は、
赤髪の下で、やけに落ち着いていた。
二度目の死を受け入れるというには、あまりにも穏やかな。
それでありながら、発した願いは、意外なものだった。
「ならばわたくしは、死神たちを見守っていきたい」
「……え?」
『それはどういう意味でしょう?』
クレナイは落ち着いた瞳で、どこにいるとも知れぬ『神』に告げた。
「元とは言え、わたくしは神子。貴女さまに魂を授け、ユウヒを、見守りたいのです」
いけませんか? と問うクレナイに、『神』はしばし黙した。
「クレナイ……」
私は引き留めようと声をかけたが、クレナイは首を横に振り、拒否した。
「ユウヒ、貴方はこれまででわかったでしょう? 死神とは、いとも容易く生まれる者。罪と同じように。わたくしたちが容易になれたのもそう。そして罪はこの世にたくさんある」
それら全てを刈り取れるか? ──そう問われれば、否である。
「罪はこれからも生まれ、その罪を元に、死神は造られるのです。わたくしたちがそうであったように。だから、ユウヒ」
クレナイはやたら綺麗に微笑むと言った。
「貴方は死神という存在を直接支えて。貴方が死神であり続ける限り、わたくしが、見守っています」
薄れゆくクレナイの体。『神』はクレナイの要求を是とし、クレナイを取り込んでいるのだ。次第にクレナイの声は『神』の声と混ざり、溶け合っていく。
待って、と手を伸ばすには、遅かった。
クレナイは、『神』になった。
そして『死神を統括する特別な意識体』となり、死神を見守っている。
そうなった彼女は、無機質な声で私に告げた。
『わたしは慈母神より派生し生まれた死神統括用意識体、今後はマザーとお呼びください』
『第一の死神ユウヒ、貴方は他の死神を直接的に統括するマスターとして、存在していきなさい』
それが、私が死神となり、マスターとなった経緯であった。




