赤い華を背負う
私は死神。名前はユウヒ。マスターと呼んでもいいよ。私は初代虹の死神、橙を司る者だ。
私が死んだのは、もういつだったかも思い出せないし、記憶も擦りきれてしまった。だから私のことは話さないし、話せない。
まずは虹の死神とは何か、話そうか。
虹の死神は訳ありな元人間だ。具体的に話すと長くなるが、主に私のように罪をいくつも重ね、その罪のことすら忘れて……しまったような者が多い。
まあ、虹の全員が揃ったことはない。特に紫の席なんかは万年空席だ。橙は私が初代、他の色は三代目、五代目……ああ、藍もまだ空席だったか。
私はずっと虹の変遷を眺めてきた。しかし、その全てを覚えてはいない。
虹の死神は、罪の重さや生前の名前から決められるらしい。もっとも、全員が生前のことを覚えているわけではない。
虹の死神は、特典として、虹に選ばれた際に一つ願いを叶えることができるらしい。私は、何を願ったか……忘れてしまった。それは、人間では考えられないような年数、百や千では利かない、万にまで片足を突っ込んでいるかもしれない。
ああ、思い出した。私は紙をもらったのだ。
私は生来より、記憶するということに疎い。そのため、罪はもちろん、死神について、正しいことを語っていきたいと願ったのだ。万を数える年の者としては、なかなか奇特なことだろう?
さて、前置きが長かったかな。私が語るのは、三代目くらいになる赤の死神のことからだ。
赤の死神は、あるときまでは、死神界など関わりなく生きるであろうと全く目をつけていなかった人物だ。
その生涯は私の知るところではないが、赤というのはどうも橙とは親くある運命のようで、因縁を感じ、どうも気にかかるのだ。
まあ、因縁を感じようにも、今代の赤の死神は、私が生まれてからかなり時の差があるのだ。何もあるまいが。
そうそう、虹の特殊性の一つを話していなかった。
死神の世界では罪が数値化されるのだが、虹に任命された者は、その数値が任命された色になるのだ。
おまけに数値の変動が、体調に影響したりする。例えば、いらぬ生命を刈り取ると罪が増えるのだが、その場合は数値が刻まれた箇所に激痛が走る。犯した罪の重さにより、痛みの度合いが変わるらしいが、いまいちわからないという程度の違いだ。逆に、罪が軽減されると、体が軽くなるという。罪がなくなれば、死神の世界に定着することなく、舞い上がって消える、人間の言葉で言うなら、成仏というのが正しいだろう。それに近づく。
私もまあ、万に片足突っ込むくらい、死神をやっているのだ。なんとなく、そんな浮遊感はある。長らく橙の死神の地位を守っていたが、直に成仏とやらをするのだろう。
といっても残る数値はまだ四桁だ。まだ長いだろう。
さて、私が向かうのは、とある孤児施設だ。いや……孤児施設「だった」が正しいだろうか。
夜闇の中、目の前に広がるのは施設「だった」であろう瓦礫の残骸。月明かりに照らされた屋内「だった」場所に生気はなく、むしろ──私が見慣れた、死屍累々。人間「だった」者たちの残骸だ。大人よりも子どもの割合が高いな。まあ、ここは孤児施設「だった」のだから仕方あるまい。
子どもが死んでいるというのはいつの時代も気分の悪いものだなぁ。そんなことを考えながら、夜の中でひときわ目立つ死体……いや、死体「だった」少年に歩み寄る。
背は高いのだが、あまりにも細身……いや、細身というと婉曲か。あまりにも痩せすぎていた。
あらかじめここにいるという情報は得ていたが、発見が遅すぎた。大量の罪にまみれているが、それを軽減してやることは私にはできない。死神は死者の魂を刈ることはできないのだ。
赤の適格者ということでわざと遅らされたのか。いや、この罪の量では刈ったとしても死神となっただろう。だとしたら、罪の量をそのままにするためにわざと発見を遅らせたのか。
死神を統括する意識体マザーからの指示で私はここに来たわけだが、もしこの予想が正しいとすれば、マザーは相当に性格が悪い。
まあ、万に片足突っ込む死神年歴の私が刈って、万が一にも浄化されたら、と思ったのだろう。私はそれで一度青の適格者を成仏させてしまったからなぁ。さすがは虹に適格するだけあって、相当体が軽くなった。
しかし、可哀想に、目の前の彼は死神の勝手な都合で餓死だ。骨と皮ばかりになったような細腕を持ち上げてやるが、反応はない。目を閉じているし、餓死だから無自覚だった可能性が高いのが救いか。
それにしても……これだけの死体の山が、よく腐らずにあったものだ。人に見つかっても不思議はないと思うのだが……あぁ、ここは町からだいぶ離れているのだっけ。
ならば生前にさしたる苦労もなかっただろうに、と少年の髪を撫でる。綺麗な白だ。こうまでなるほどに何をして、何をされたのか。死神といえど私も元は人間。同情くらいは覚えた。
死体が腐敗していないのもマザーの手回しによるものだろう。とりあえず今日のお役目はこれ一つだ。さっさと済ませて帰ろうか。
私は、マザーより依頼の際に届けられた死神のマント──まあフードがついていたらローブと呼ぶらしいが、マザーが頑なにマントと言って譲らないので、マントと呼ぶ──を取り出す。
丁寧に畳まれたそれは闇夜にあまりにも際立った。月明かりを返すそのマントは、私などが羽織る一般的な黒い死神のマントではなく──白かった。
それこそ、少年の髪と同じくらい。きらびやかと形容してもいいくらい。
鶴が自らの羽根を犠牲に織った布、というのはこういうものだろうか。まあ、鶴が織ったわけではないが。
そのくらい、真っ白かった。
今回のは特別性だ、とマザーが言っていたので、少なからず興味を抱いていたが……白いマントの死神とは、前代未聞ではなかろうか、と思った。
まず、こうして見てわかる通り、夜闇に映える。死神は死んだ人間がなるものだから、人間で言うところの幽霊かもしれないが、その活動は人間だった頃の肉体に依存して行われる。つまりわかりやすく言うと、実体があるため、人間の目に映るということだ。
故に、人間の目につかないよう、光を返しにくい黒という色を全身を覆うマントに適用しているわけだが、このマントは……あまりに正反対。
特別性と言っていたが、この少年にここまでするほど、何が特別なのだろうか。
ともかく、死神にするには、このマントをかけてやる必要がある。私はするりと手から滑り落ちさせた。マントの特殊な能力により、肉体が再生され、死神として再構築、万近い時を生きる私が存在することからもわかるとおり、不老不死の体となる。
もそり、と白いマントが蠢いた。どうやら肉体の再生に伴い、意識が戻ったようだ。さすがに餓死状態のままでは動かせないためか、やけに白い綺麗な肌が戻っている。
がさがさと白いマントから出てきた少年の目を見、私はかなりの衝撃を受けた。驚愕という感情は死神という異端になってから擦りきれていたが、万近い時を経てそれが蘇ったくらいの衝撃だ。
目を覚ました赤の死神は、赤の死神の名に相応しく、毒々しく神々しい赤い目をしていた。肉体が再生されたにも拘らず、髪は白いまま。肌も色白というだけでは済まないであろうほど白い。よく見れば、睫毛も眉も白いではないか。
これは貴重なものを見た──彼は白子。一般的な呼び方をするとアルビノというやつだ。目の赤い典型アルビノはあらゆる生物界において存在するが、その稀少性と脆弱さ故に、滅多にお目にかかることはできない。
月明かりも眩しいらしい彼は眉を寄せてこちらを見ている。おそらく、真っ白な彼のマントは、マザーがアルビノの体質のために処置を施した結果なのだろう。
様々な憶測が一つの線に繋がったところで、私はようやく口を開き、まともに彼と対面することになった。
「やぁ、おめでとう。君は死神に選ばれた」
我ながら皮肉な一言だ。彼はしばらくきょとんとしていたが、やがて意味を理解したのか、自嘲の笑みを浮かべる。
「はは、おれに似合いの役職だな。まるであの赤い華みたいだ……」
言葉には自嘲では生温い……自らを呪うような色までもが混ざっていた。
私はそこでマザーからの頼まれ事に得心する。死神となると生前から名前がそれほど大きくはないが、変わる。まあ、字が変わるくらいだが。マザーには、彼の字はこれにしなさいとしつこく言われていたため、不審に思っていたが、なるほどそういうことか。
赤い華。それが彼の名なのだろう。地獄花死人花曼珠沙華……死に関連する名を負う花に準えられたのだろう。不名誉な名だ。あまりに死神に適した名だ。
皮肉の多いマザーが、珍しく気を利かせたのか、と私は新しい彼の名を提示した。
「そんな不名誉な名から君を解放してあげよう。……雪の中十字架を背負う、でセッカ。どうかね?」
すると彼は顔を歪めた。悲しい思い出に心馳せるように。
……こっそり彼の魂に触れ、記憶を覗いたら、悲しい記憶の中でも鮮烈だったのは全て、雪の日の記憶だったのだ。
やはりマザーは皮肉屋だ、と私は断じ、手に纏わせていた彼の数値を左の首筋につけてやった。
赤い数字が彼の白い肌に映えていた。