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虹の死神  作者: 九JACK
死神の始まり
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暮れない結燈

 私の名前はユウヒ。生前からの名前だ。死神になってからは普通に「夕陽」という字を当てられたけれど、生前の「結燈」という書き方の方が好きだ。

 まあこれは好みの問題か。

 私にユウヒという名がついたのは、実は結構最近……というと語弊があるな。死ぬより少し前のことだ。

 元々私は名前など持てる身分ではなかった。名前という「固有名詞」を持つことを許されるのは身分の高い人だけだ。私は村はずれに住む一村民だ。名前など、持てるわけがない。

 ただ、名前がないからといってその身に自由がなかったわけではない。畑を作ってそこで育てた作物を食べてよかったし、別段、偉い人に農作物を献上するとか、そういう儀式をする必要はなかった。弱者から搾取するのをよしとしない御心の広い方だったからなのかわからない。

 偉い人の面倒を見るのは偉い人。余裕のない一村民は自分の面倒だけ見ていればいい。そんな村だった。居心地は悪くなかったように思う。

 子どもの頃からそんな風に育ってきたため、世の中というものに私は疑問を抱かなかった。少しの不便があったとすれば、父も母も黒髪黒目なのに、私の姿がまるで似ていないことだろうか。

 水面に映る姿は灰色の髪。見つめ返してくるのは、光に透けるような琥珀色の瞳。両親と全く似ていない。周りの子どもはそれを揶揄した。例えば、「偽物の子ども」とか、「孤児(みなしご)」とか。けれど私はからかわれることに何の疑問も感じなかったし、不快も感じなかった。

 そう言われるのは自然なことだ。周りの子を見て自然と察していたのである。子は親に似るもの、と。親に似ていない私は揶揄された通り、偽物の子どもなのだろう。つまりは拾われっ子。つまりは孤児。全て正しい指摘である故、否定する理由もなかったし、不便はないから悲観する理由もなかった。

 ただ、子どもたちが何故そんなことを気にするのか、私にはわからなかった。




 思えば私には常識というものが欠落していたのだと思う。常識を知っているつもりでいた。けれど本当は「常識」の枠組みから外れていることを知らされず、ただ淡々と、のうのうと生かされてきただけなのである。父母に守られて。

 父母は、他の家がやたら気にする「子どもの結婚」について、私に何も言わなかった。家の跡継ぎなど、別にいらなかったのだろう。先に書いた通り、我が家は一村民なのである。跡継ぎなんて大層なものは必要ないのだ。名前もないのだから。

 それでも同じ名もない村民の他の家は、跡継ぎというものに拘っていた。子どもは十五を過ぎれば結婚をしていたようなくらいである。齢が二十に近くなる私が、まだ独り身であることを不審がるくらいに関心の深い話題であるらしいのが、私にもわかった。

 結婚というのはよくわからない。同時に、跡継ぎという概念もよくわからなかった。父母が私にそういうものを教えなかったからかもしれない。名無しには必要ないものだから教えてくれないのだろう、そんなあたりをつけて、私は世間の不審な目を知らないふりをして生きていた。

 そんな、私の人生──死神分も含めて──の最大の転機となった出会いは、やはり、あれだろう。

 村に一人の女性がやってきた。年の頃は私と同じくらいだろうか。真っ赤な髪をしていた。この辺りではあまり見かけない色だ。血の色より鮮やかな、赤。その色は私のみならず誰もの目を惹いた。

 彼女の髪は短くて、緩く波打っていた。風が動くたびに不定形に揺れる髪。その下から覗く瞳は奇遇なことに私のそれと似た琥珀色。私のものより色は浅く、時に金色に煌めく。私より遥かにきらびやかな人だった。

 どうやらその女性は名前も持っている高貴な人で、村民一同が戸惑った。聞けば、とある神への信仰に生涯を尽くす、「教会」の人物なのだとか。教会で神に仕える神子ともなれば、その高貴さは語るべくもない。

 何故そんな人物がこんな村に──誰もが思った。無論、私も。

 聞くに、この村にも教会を建てたいらしい。

 場所を検討するため、視察に来たのだとか。

 なるほど、布教というやつか、と私は持っている知識の中の言葉を引っ張り出した。

 彼女がどんな神を崇めているのかは興味もないし、知りもしない。だから私はやはり関係のない、ただの通りすがりの一村民にしかなり得ない。そう考えていた。人目は惹くが、それだけの人。

 そう思っていたんだ。


 その人はこの村に越してきた。偶然だろう、私の家の隣に。

「引っ越しの挨拶に来ました」

 その人は丁寧に、私の家に挨拶に来た。赤い髪と独特な琥珀の瞳がやはり目を惹いた。

 同じ年頃だから、という理由で私は相手をさせられた。

「あら……」

 その人は私を見て、驚いていた。少し違うけれど、自分と同じ目の色を持つ私が珍しかったらしい。

「貴方、名前は?」

 訊かれて、目をぱちくりとした。それもそうだろう。さも当然であるかのように名前を訊かれたのだ。この村のほとんどの者は名前を持たない。先に話した通りだ。当然私も例に漏れず、名前など持たない。敢えて私の固有名詞を挙げるとすれば、「村はずれの」だ。村はずれに住んでいるのは私と父母だけ。だから、それで充分通じる「名前」という固有名詞を使う必要も、作る必要もなかった。他の村民も似たようなものだ。

 故に名前を訊かれるなど、初めての経験だった。それに答えることができず、なんとも気まずい沈黙が漂った。

「名前は?」

 その人はもう一度問いを口にした。……答えないと怒られるだろうか。私は意を決して答えた。

「名前? 私のような一村民、そのような高貴なものは持ち合わせておりません」

 すると彼女は驚いたように目を見開いた。

「名前が、ないのですか? ……おかしい、村の者は名乗っていたのに」

 ……え?

 おかしい。それはおかしい。

 私が昔から教えられてきた「常識」がおかしいことになる。間違っていることになる。それは、まさか、もしかして。

「貴方だけ、名前がないのですか?」

 彼女が、口にした答えは、

「……はい」

 奇しくも、当たっていた。


 私の答えに彼女は顔をしかめた。

「なんということでしょう。少しそんな気配はありましたが、こんな形で差別が為されているとは」

「差別?」

 その言葉は私を表すのには不適切に思えた。

「私は、差別などされていませんよ」

 そう、これは差別ではない。

 ──存在を認められていないのだ。

 ただ、それだけのこと。

 そう告げると、その人は悲しげな顔をした。

「……それなら、わたくしが貴方の存在を認めましょう。名前も授けましょう」

「……え?」

 それはあまりに突飛な提案だった。

 私に拒否する暇など与えず、彼女は告げた。

「貴方は今日からユウヒです。燈を結ぶ、と書きます」

 畏れ多くも字までもらい、

「わたくしの名前は赤紅(くれない)です。ユウヒがクレナイ。面白い言葉遊びでしょう?」

 私は、呆気に取られて頷くしかなかった。

 けれど確かに、ユウヒというのがその瞬間から私の名前になった。



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