黄々に見守られ
ユウヒから日記を返してもらって読んだら、随分長々と綴られていて驚いた。まあ、死神が三人も増えたのだから仕方のないことかもしれない。厳密に言うと二人だが。
一人は一般の死神なので、いつか任務で顔を合わせるかもしれないという程度にだけ、頭に留めておくことにした。
問題はもう一人だ。
虹の死神、六代目緑の席、リクヤ。
久々に平和な日常を綴ろうと思ったが、どうもこいつは厄介事の種を蒔く天才らしい。アイラという人物の罪に大きく影響を与えたことからもわかる。
当面の問題はこれだろうな……
ユウヒとリクヤの、仲の悪さ。
***
これは、いつものことである。
「さあ、ユウヒさん、今日も髪を弄らせてください!」
「こういうときばかり元気だな、キミカ」
毎度勃発する軽い戦闘。おれはもはやこれを一日の始まりだと理解している。死神となって、昼夜の感覚は全くないが、任務のとき、外は夜である。任務のない間、こうしてキミカに加担して、ユウヒの髪を巡る壮絶な追いかけっこをしているのだ。ユウヒが諦める頃にはおそらく外は昼で、しばらくすると任務が来る。故に追いかけっこは朝の恒例と見て間違いあるまい。
さて、キミカは相変わらず楽しそうにユウヒを追い込んでいくわけだが……それをぽかんとして見つめるのが一人。
虹に参入したばかりのリクヤである。
おれはマザーが用意した、少々広めのリビングでリクヤにコーヒーを出しながら、二人の勝負の行方を眺めていた。
まあ、端から見たら何をやっているのだという話だが。
櫛を片手に追いかけるキミカと得物で壁を破壊して逃げるユウヒ。異様な光景だ。
以前、ユウヒは扉を使っての逃亡を謀っていたが、ここは死神界。マザーの掌の上のようなものである。マザーの性格は言わずものがな。
悪乗りはするに決まっているだろう。
そのおかげでユウヒは追い詰められ、大人しく捕まることがしばしば。しかも二対一……マザーも人数に加えるなら三対一である。分が悪い。
髪を弄るために全力を使うとはどういうことだろうか。キミカがいつも楽しそうだからいいが。
「あのおっさん、一体何やってんの?」
それを眺めるリクヤが言う。おれはさすがにそれはないだろうと思った。
「おっさんじゃなくてユウヒな。ええと……鬼ごっこのような」
「鬼ごっこ? ガキかよ」
何故か知らんが、リクヤはユウヒに対してだけ態度が悪い。
おれに対しては態度がでかい。
キミカに対しては……何故か敬意を持って接している。
これは何か理由があるとかではなく、リクヤの元々の気質に起因する。まあ、死神の力を使っても、もう消されてしまったリクヤの過去を見ることは叶わないが、日記から推測するに、かなり気が強いというか、負けず嫌いというか……強がりたい部分があるのだろう。
おれはまあ、施設とかにこういうやついたし、そいつから見たら暴力を振るって来ないから遥かにましなのだが。ユウヒとは少し揉めたこともあったらしく、仲が悪い。
リクヤが勝手に敵視しているのかと思ったが、ユウヒもリクヤに対しては冷たく、素っ気ない対応だから、ユウヒもリクヤを嫌っているのだろう。名前の件もある。
ただ厄介なのが、キミカはリクヤの面倒を見てはいけないというのだ。
リクヤの記憶は死神の力では見られないが消えたというより隠したというものらしく、きっかけがあると思い出してしまうようなものらしい。
そのきっかけにキミカがなりうるというのだ。
参ったな。リクヤが一番なついているのはキミカだというのに……まさか。
マザーはこれを狙ってやったわけではないよな。いや、あの性悪ならあり得る。
ぐるぐるそんなことを考えていると、リクヤが立った。
「リクヤ、何をするんだ?」
「何って、鬼ごっこの手伝い」
鬼ごっこの手伝いってなんだ。初めて聞いたぞ。
そして、現状から考えるに……
「まさかユウヒを」
「取っ捕まえる」
「おいおい」
案の定な答えが返ってきて、一応とばかりに止める。
「そう簡単にはいかないし、あれはただの戯れだ。ほっとけ」
しかし、リクヤからは何故か、殺気に似たオーラが出ていた。何故かは知らないが。
「おい、リクヤ……」
おれの二度目の制止はもう遅い。
リクヤはユウヒの背後から奇襲を仕掛け、取り出し、ハサミに変化した得物で、ユウヒの髪の先を掠めた。
「……!」
突然の一撃をかろうじてかわしたユウヒの顔に衝撃の色が宿る。それを睨み返すリクヤの目は本気だ。どう本気かというと……ユウヒの髪を切る気満々であるのだ。
ハサミという得物の形からも、ありありとわかる。
ただ、それはまずい。まずすぎた。
おれやキミカはいくらかユウヒと交流が深い。こんな戯れをする程度には。だからこそ、それが地雷だとなんとなく、察していたのだ。
ユウヒの髪を、切ること。
それを悟っていたからこそ、キミカは櫛でといて、髪型を変えるだけという遊びに留まっていたし、おれも無闇な手出しはせず、面白おかしく眺めるに留めていた。
その禁じ手を、リクヤは知らないとはいえ、破ってしまった。
ユウヒの琥珀色の瞳がその穏やかな光と柔らかな雰囲気を失っていく。すん、と冷えた透明な、オレンジなのに不思議と冷えた、氷のような目がリクヤを真っ直ぐ捉える。睨んだわけではない。捉えただけ。だが、その雰囲気、冷たさに、あれほどまで荒れていたリクヤの気さえ鎮まるのを、肌で感じた。
マザーに対して悪態を吐くときにすらその穏やかさを崩さないユウヒ。それが、今見たこともないような、別人にさえ思える冷たさを放っている。息をするのも許さない、とでも言うような。
空気を吸えば、喉が凍りついてしまうのではないか、というほどの冷ややかな眼差し。
こんなユウヒをおれは知らない。当然、キミカも。
「な、んだよ……」
時を止められたように凍りついた中、どうにか口火を切ったのは、リクヤだった。ただし、その口の悪さは半減されている。
「なに? 怒ってんの? ……意味、わかんね」
途切れ途切れに紡ぐリクヤに、ユウヒは微笑む。が、当然目は笑っていない。夕色をした、氷のままだ。
「鳳仙花の花言葉をご存知ですか?」
不意の問い。誰も答えることができなかった。その様子にユウヒは長い棍にした得物を一瞬振るい、リクヤのハサミはもちろんのこと、キミカの櫛まで叩き落とした。
「今日の戯れはここまでです。私は……少し、人間の世界の空気を吸ってきます」
そう言って人間界に通じる扉から、ユウヒが出ていくのを、その場の誰もが呆気に取られて見ていた。