藍色の修羅
アイラから、聞いた話だ。
リクヤから生前の記憶を消してほしいというその理由。
アイラとリクヤ、そしてアルファナが死神にならなければならない理由が、そこにはあった。
***
吸血鬼には主に二種類いる。
吸血鬼の純血種。人間と吸血鬼の間に生まれた混血種。
吸血鬼というのは人間の世界で一般的に語られているものとは少々違う生き物で、実は血を吸わなくても生きていくことはできる。まあ、それは心が愛というもので満たされていれば、の話だ。
いつの時代も「混血」というのは疎まれる。純血種が上に立とうとする傾向や、混血種が純血種に比べて、吸血衝動への耐性が低いことから、人間を襲いやすいと疎まれ、差別されているのだ。
そんな差別は下らないと思うのだが、人間には純血種も混血種も結局は「吸血鬼」という一括りで伝わっているため、忌み嫌われている。
吸血鬼を残忍なものだと誤解されたくない──そのために俺が一世紀ほど前から始めたのが、混血種など、人間を無闇に襲う吸血鬼の取り締まりだ。教育、といった方が正しいかもしれない。吸血衝動を抑えられず、暴走する吸血鬼のほとんどは、混血であるが故に吸血鬼、人間、両方の親に見捨てられ、正しい知識もないまま衝動に身を任せるしかない者ばかりだからだ。そういう無責任な行動こそやめてほしい。
だが惚れた腫れたの話に水を射すのも野暮なのだろう。俺は混血種の取り締まりに力を入れた。
半世紀ほど前だろうか。人間の方で「吸血鬼も悪いのばかりじゃない」と気づいてくれたらしいやつがいて、俺と会い、吸血鬼の出没情報などを与えてくれたやつがいた。そいつとその息子は吸血鬼に友好的に接してくれた。
やがて、息子が大人になり、街の長だったそいつは「人間の平和は人間で守ろう」と自警団というのを立ち上げた。
俺はその自警団と連携して、暴走を繰り返す哀れな混血種を見つけたり、混血種に紛れて好き勝手やらかす純血種をとっちめたりと、人間と吸血鬼の共存、所謂平和のために頑張っていた。
まだ二十年も経たないだろう、リクヤが生まれてからは。リクヤは、その自警団の長の息子でリクヤもまた吸血鬼のことを理解し、自警団の存在意義も理解してくれた。父の跡を継いで、自警団の長を継ぐということになったらしいが、リクヤが成長する頃には一人前になっており、吸血鬼への理解もあるし、相応しいと俺は思っていた。
俺は思っていたのだが……どうやらトントン拍子の出世というのを人間は疎むらしいな。吸血鬼でもそういうのがないとは言わないが……リクヤはいじめを受けていた。イビられていたのだ。
リクヤはリクヤでそういうのを受けて立ってしまう性分だったため、いじめ……? のようなそれは、膠着状態だった。
いじめって、すごいガキ臭かったがな。リクヤは目が悪くて、眼鏡を親からもらったらしいんだが。眼鏡というのは高級品だから、親の脛かじりだの七光りだの言われて、それが嫌になって、リクヤはガキの頃、眼鏡をかけようとしなかった。
どっちもどっちだな、と思って見ていたある日、リクヤに石を投げたくそガキがいたらしい。
距離感の掴めない目のため、逃げ遅れたリクヤは……アルファナに助けられた。
これが、アルとリクヤの出会いだ。
そんな出会い方をしたアルとリクヤ。リクヤは目に見えてアルに惚れていた。けれど、純血の吸血鬼であるアルは俺との婚約が決まっていた。リクヤのそれは片想いで終わるだろう……残念なことだが、俺にはアルを渡す気なんて微塵もなかったからな。
リクヤも、俺とアルが想い合っていることを知ってか、アルに告白の類は全くしなかった。
それで、そのままの関係でいられれば、よかった。少なくとも、俺はそれで充分だったんだ。
人間と吸血鬼で小競り合いが続いた。それは、人間がとある吸血鬼の純血一族の子どもを捕まえたことから始まった。
子どもは、吸血鬼のことをまだ完全に理解していないやつだった。仕方ないといえば仕方ないことなのだが、親の監督不行き届きが原因であるのも事実だ。
そこで、人間と吸血鬼とで、衝突してしまったのである。ちょっとした口喧嘩が、収まらなくなったとか、そんな感じだ。
それが徐々に、吸血鬼、人間というそれぞれの大きな括りに広がっていったというわけである。
戦争でも始まるんじゃないかというくらい、両者の間は緊迫していた。俺とアルは吸血鬼側を宥めて回っていた。リクヤは人間側の怒りを鎮めるために奔走していた……はずだった。
あるとき、リクヤからアルに伝達があった。「話がある」と。
人間側で何か起こったかもしれないというのを懸念したアルと俺は、急いでリクヤの元へ向かい──俺は、見てしまった。
リクヤがアルに迫るところを、
アルが操を立てて、自害するところを、
アイラという俺の名前は「藍色の修羅」という意味らしい。
吸血鬼の中で何者にも負けぬ強さを持つ、藍色の瞳を持つ修羅、と。
ぶつりと何かが切れた俺の姿は、その名に相応しいものだったにちがいない。
愛する者の死を嘆いた。それはその原因となった者を前にして、怒りに変わった。いとも容易く。
そいつを俺は殴り飛ばした。吸血鬼の鋭い爪で肌を抉ってやった。ぐちぐちと血管が嫌な音を立てて弾けるのを、俺は聞いていた。気にも留めず、血を浴びた。親友だった男の血を。
リクヤの護衛とやらについていた人間が飛びかかってきた。千切って投げた。また血を浴びた。
何人か同時に来た。負傷しながら一人一人殺して回った。ある者は喉を突き、ある者は首を跳ね、ある者は心臓を抉り──
虫のように沸いてくるのに苛立って、地面を殴りつけた。それだけで何人か吹き飛んだりした。
俺はもう、ただの修羅悪鬼だった。意識は途中から飛んだが、暴れ続けたのだろう。
アルを胸に抱き、慟哭しながら、
向かってくる人間を一掃した、と吸血鬼から聞いた。
目を覚ますと、俺の死んだ体が目の前にあった。起き上がると、自分が別の体に入っているようで驚いたものだよ。
自分の死体を自分で見る機会なんて、そうないからね。
それに、近くで封印の儀式をしていたやつがすぐに教えてくれたんだ。俺がどれだけ暴れたか。危険視されたか。つまりはどういった経緯で封印に至ったか、を。
当然の処置だと思った。抑制なんて最初からなかったからな。俺は封印をよしとし、受け入れ、この器に収まった。
気を利かせた吸血鬼の連中が、アルとリクヤの遺体を確保していたらしい。この二人だけは損壊が少なかったと不思議がっていた。
アルは恋人で、リクヤは──腐ったって親友だったんだよ。
***
「まあ、そんなわけだ。俺がリクヤの記憶を消してほしいのは」
「……また会ったとき、ぎこちなくならないため、ですか」
アイラの言葉をキミカは悲しげに引き継いだ。アイラは苦笑いして頷いた。
それをキミカが真っ直ぐ見つめる。
「それでリクヤさんが気まずくならないとして、貴方はどうするんです?」
それはもっともだ。しかし、アイラは既に覚悟を決めていたようで、即答した。
「俺は、背負えばいい。俺の業を」
「そんな……」
キミカは悲しそうにするが、私は彼の潔さが羨ましくあった。
自分で業を受け入れられるなんて、業の深さを決められるなんて。
なんて自由なのだろう、と思った。
自由のない、我々死神も、いつか、抗えるのだろうか。藍色の修羅のように。
そんな萌芽が私の中にあった。
「アルに会えないのは、残念ではあるが、よかったとも思う」
アイラはそんなことを言って、自分の瞳と同じ色の、想い人の髪に口付けた。愛しげに。
キミカは疑問符を浮かべる。
「よかったのですか? 想い人なのでしょう?」
「ああ。引きずるのは、あいつが望まないだろう」
あいつとは、どちらのことだろうか。
別れ際、アイラはキミカに言った。
「アルの目を見て、驚くなよ?」
そう残して。
自分の死体を預けた藍色の修羅は去った。