告藍
土を掘っていた。傍らには、清めたアルとリクヤの死体。
せめて、俺が弔わなければ、と思った。
何の贖罪にもならないことは知っている。けれど、二人の魂が報われるように、きちんと弔ってやらなければ。
俺のために操を立ててくれたアル。恋心故にどうしようもなくなったリクヤ。俺が問答無用で殺さなければ、リクヤを許すことくらいはできたはずなのに。
怒りのままに、リクヤを始めとし、たくさんの人々を殺した。その中には俺を止めようとした吸血鬼たちもいた。人間たちだって、リクヤを守りたかっただけで、何も殺すことはなかった。
皆殺しになんて、する必要はなかった。
全員分、墓を建ててやれるだろうか。アルとリクヤの体を安置し、土をかけながら思う。
あまりにも、途方もない人数の死体。百や二百では利かないだろう。途中から数えるのなんて放棄した。
墓なんて、人並みのご立派なもんを一人で建てることはできない。だからせめて、十字架を建てる。償いになんてならなくても。
ぱさ、ぱさ、とアルを埋めていると、ぱたぱたと土の上に赤いものが落ちた。
血だ。
俺はシャベルを手放して、後ろから俺を刺したガキを撫でた。
「俺が殺した中に、お前の父親か母親でもいたか?」
「……」
「それとも両方か」
「……」
「祖父母もいたか」
「……」
ガキは黙りこくって何も言わない。一つわかるのは、俺の脇腹を刺したナイフを握る手がかたかたと震えていること。
「いくらでも刺してくれてかまわない。でも、この二人の墓だけは作らせ……がっ」
俺の心臓目掛けて、何かが突き刺さる。ガキのナイフよりよっぽど凶悪な何か。俺は貫かれた胸を眺めていた。
こんな俺でも、血は赤いんだな、と呑気なことを考えていた。
「死ね! 死ね死ね、藍色の修羅! 我ら吸血鬼の汚点め! 貴様に生まれ変わることなど許されるものか。貴様なぞが建てなくとも、金瞳種様の墓は我々が建てる! 貴様に墓なぞあってなるものか! 貴様は輪廻になぞ戻れない!」
「輪……廻、転生は、世界の、理だ……一吸血鬼が干渉できる領域のもの、ではない……」
俺を殺したい気持ちはわかるが、世界の理に逆らって、俺を輪廻に行かせない、というのは理解できない。……まあ、俺なんて、生まれてこない方がよかったのは確かだけど。
ずる、と胸に穿たれた杭が抜かれる。人間なら死んでいるところだが、お生憎様、吸血鬼は人間よりずっと頑丈だし、藍色の修羅と呼ばれる俺の体はその中でもひときわ頑丈だ。この程度では死なない。それに殺戮をして、大量の血を摂取した直後だ。回復力も並みじゃない。
「貴様は魂だけこの世に留まり続けるのだ! 依り代に宿り、自分ではどうすることもできない生を眺め続ける。この封印の儀でな!」
封印の儀。
魂魄封印。俺の魂を留めるための外法の儀式だ。魂魄とは魂と肉体のこと。魂を特定の肉体に留めることで、俺を、……ということは。
「逃げろ、ガキ!」
「生贄よ! 我らのために! amen!!」
俺はガキを突き飛ばしたが、間に合わなかった。
ガキが黒色の目を細めて悲しげに笑うのを見たのが最後だ。
諦めた目、というのをあのとき初めて見た。
俺は他者から見ると、あんな感じだったのだろうか。自分の顔というのが嫌いで、鏡をあまり見ないから知らなかった。
俺は結局、俺を刺したガキの吸血鬼の体に封印され、ガキの目を通して世界を見ている。
あの封印には俺の魂を閉じ込めるための檻となる肉体が必要だった。そのために用意されたのが黒目の吸血鬼だ。
人間でも、吸血鬼でも、黒目のやつ、黒髪のやつ、黒い肌のやつ、といった感じで、体の特徴に黒いものがあれば、肉体の強度が高いとされた。
このガキは俺が暴走したときのとっておきだった、というわけだ。だが、封印の儀は不完全に終わった。俺がガキを突き飛ばしたからだ。
あのときガキが俺を刺したのは物理的な繋がりを作ることで魂を同調しやすくするため。肉体の同調が済んだら、肉体同士を同じ状態にする必要がある。つまりは同じ得物で殺す必要があった。
生贄。こいつが生きているのは、俺が中途半端に助けたからだ。封印は半分成功、半分失敗である。俺の意識が強く残りすぎて、時折このガキの体を乗っ取ってしまう。
『ごめんな』
「いいよ。助けてくれたんだし。……僕を助けてくれたのがあなただけなのが、最高に皮肉で笑っちゃうけどね」
このガキ、リーダルは黒目の吸血鬼として、儀式のために肉体を鍛えさせられた。だから俺の魂の強度にも耐えられる。そう育てられたから。
リーダルはそんなこと望んでいなかった。普通に生きて、普通に死にたかった。魂が共にあるからか、そう伝わってくる。
言ってしまえば、こいつも俺という存在の被害者だった。俺が暴走さえしなければ、望んだままに生きられただろうに。
塔の中に閉じ込められて。
肉体が強いから、塔から飛び降りても死なないが、アルとリクヤの墓を見に行ったら、脱走したとされ、火炙りに遭った。それでも簡単に死なないのだから、俺もリーダルも生物という枠組みを越えてしまったのかもしれない。
「ねえ、アイラ」
リーダルは書き物をしながら語る。
「僕はアイラが羨ましいよ。愛する人がいて、その人のために怒れて。僕は喜怒哀楽を許されなかった。好きな子に好きだということすら許されなかった。だから、アルファナという人と愛し合えたアイラが羨ましい」
『リーダル……』
「アイラとアルファナとリクヤの話を、物語にしちゃ、駄目かな。いくらか脚色を入れるけど……君の愛の物語を、誰かが手に取ってくれる未来があったらって、僕は思うんだ」
だから教えて、とリーダルは俺に乞う。否やはなかった。
リーダルは文才があった。体を鍛える以外は儀式のために穢れに触れないよう、という名目で閉じ込められていたらしい。だから、今も昔も変わらないよ、とリーダルは笑った。朗らかに。
鍛えなくていいときは、与えられた唯一の娯楽である本にかじりついていたそうだ。それで空想ごっこをして、窓から見える子をかわいいな、と思ったりしていたらしい。
リーダルの描く世界は優しくて素敵だった。きっとリーダルの心をそのまま映しているのだ。その中でだけでも、俺やアルやリクヤが笑えるのは嬉しかった。これをきっと幸いというのだろう。
リーダルは長く生きた。生きなきゃ、と言っていた。
「アイラの魂は僕の命が尽きる前に次の子に引き継がれる。そんな子が少しでも少なく済むように、僕は長生きしなくちゃ」
その引き継ぎのときは、リーダルのように半殺しにする必要はないらしいが、リーダルと違い、自分以外の魂が自分の肉体に入る、という前情報を直前まで知らない状態でその子は俺の魂を受け継がなければならない。
魂同士が拒絶し合えば、肉体の暴走は避けられない。だから、そんなことが少しでも起こらないように、とリーダルは先の先のことまで見据えて生きた。生きることから逃げなかった。
リーダルを生贄にしたあの無責任な吸血鬼が死んでも何百年。齢にして千の時をリーダルは生き続けた。
リーダルの書いた文章は本となり、街の図書館に寄贈され、子どもたちの間でおとぎ話とされるくらいの年月が経った。もしかしたら、神話ですらあるのかもしれない。
それくらい経って、リーダルも限界が来た。
次の吸血鬼に引き渡す直前、リーダルは俺にさよならを言った。
「いつか、また、きっと会おうね。君が許されるその日を、輪廻のその先で、ずっとずっと、願っている。そうして君も僕も生まれ変わって、また出会えたら、今度は友達になろう。普通の友達に」
『ああ』
儀式は滞りなく終わった。魂の拒絶反応で、俺がリーダルの遺体を貪り食った以外は。
そんなことを何度も繰り返して……それでも、人間の友達は、結局リクヤだけだったな。
なあ、リクヤ。
お前にとって、俺は友達だったか? それとも、ただ妬ましいだけの存在だったか?
お前の記憶を奪ったこと、俺は後悔していないよ。お前と仲良くできなかったことを、俺は悔いていないよ。
記憶が戻ったお前と、戻る前のお前は、どっちが幸せだったんだろうな。
俺は、お前ともう一度、友達になりたかったよ、リクヤ。
さよなら。