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虹の死神  作者: 九JACK
芽取りの死神
146/150

紫んだのだ

 朝起きて、目が覚めたら、台所でことこととスープを作っているアルファナがいた。その他にも空気中に芳香が漂う。

「コーヒーを煎れていたのか」

「おはよう、アイラ。いい香りでしょう? 人間の街の長がいい豆を分けてくれたのよ」

 アルファナはそう言って得意げに金色の目を細めた。心ばかりに一つに束ねられた髪から、さら、と後れ毛が落ちる。

「……ヘアバンドの方がいいんじゃないか?」

「アイラはそっちの方が好み?」

「……俺の好みになろうとしなくていい」

 アルファナは俺の好みを知ろうとした。義務を、責務を果たすために、真摯に俺と向き合おうとしていた。それが胸に痛かった。

 おそらく、金色の目に生まれてしまったこいつもこいつで、生まれ落ちたそのときから、どのように生きてどのように死ぬかまでの道筋を定められている。その道筋に沿って生きることで俺たちは肯定されるから、道を外れないように生きている。

 けれどそいつは違うわ、と首を横に振った。

「私があなたを好きだからなるの」

 まるで選んだ選択であるかのように言う。

 違うだろう。お前は長に選ばれたんだろう。そうして大切に大切にされながら、地獄のような日々に縛りつけられているというんだろう。

「でもこれもいいでしょう?」

 不出来なポニーテールをちょんちょん、と示す。

 とても満足そうにアルファナは笑った。

「あなたとお揃いだもの」

 とくん、と心臓の音が聞こえた気がした。

 アルファナはふとした拍子にそんなことを言う。俺はそんなことを言われたら、勘違いをしてしまう。

 アルファナは俺を好きなんじゃないかって。

 でも、そんなことあるわけない。婚約者になったのはつい先日の話だ。アルファナも俺も、あの日が確かに初対面だった。一目惚れくらいはご愛嬌だろうが、藍色の修羅がどんな存在か、婚約者になることが決まっていたアルファナは散々っぱら聞いていたはずである。心無い殺戮者のことなんて、一体誰が好きになるのだろう。

「髪、結いましょうか?」

「いい自分でやる」

「だいぶ長くなってきましたよね」

 言われて、腰ほどまであることに気づく。俺は動きにくいように、髪を伸ばしっぱなしにしていた。あまり手入れのされていないかさついた赤い髪。

 適当に結おうと思ったが、少し編むことにした。さして時間もかからない。

 アルファナはなんでもないことのように髪を編んでいく俺を見て、目を丸くしていた。まあ、男が自分の髪を編むなんて、あまり見る光景ではないだろうからな。

 そういえば、アルファナは会ったときから髪をあまり伸ばさない。だからポニーテールさえ不完全なのだ。髪の長さが足りないから。

「お前は髪を伸ばさないのか?」

「え? ええと」

 アルファナはそこで苦笑した。

「私の髪は捧げ物なのです。金瞳種に生まれた者は先祖にして始祖である吸血鬼の金瞳種に供物として、自分の体の一部を捧げる慣習があって、私は髪を捧げることにしたから、定期的に切らなくてはなくて」

 吸血鬼のなかなかにも変な慣習があるらしい。本で読んだことがあったが、本当にあるのか。

 始祖への捧げ物。それは今も吸血鬼として生きられる我々の生を築いた始祖への感謝を込めて行われるものである。捧げる部位は捧げる者が自分で決めることができ、熱狂的な信者は足を捧げたり、手を捧げたりする。そんなイカれた慣習だ。

 ただ、捧げる部位によって価値が違い、髪や爪など、生活に支障のない範囲を捧げた者は、その後も定期的に捧げ続けなければならないという。馬鹿馬鹿しい限りだ。

 いくら始祖に慣習をしたところで、その始祖ももう生きていないというのに、生きている者に不便を強いる信仰なんて馬鹿馬鹿しい。

「コーヒーが入りましたよ」

 アルファナがカップを盆に乗せ、テーブルに静かに置いた。俺はそれを見、少し沈黙してから、アルファナを手招く。

 アルファナは不思議そうにしながら、近寄ってきた。後ろを向かせ、座らせる。

 俺はその藍色の髪を手で鋤いた。やはり女というだけあって、きちんと手入れされていて手触りが良い。その髪を編み始める。その動きをわかったらしく、アルファナは身を固くした。

 髪を結うことすら許されなかったんだろうな。たぶん、俺の婚約者になるにあたって、髪をいくらか伸ばせたのだろう。髪が短いのは手入れが楽だが、髪は女の命というくらい女性にとって大きなものである。少し寂しかったんじゃないだろうか。

 編み込みをするのにも、ある程度の長さは求められるが、アルファナの長さならぎりぎり簡単な編み込みくらいはできそうだ。俺は編みながら、藍色の髪を見つめた。

 忌まれることのない藍色が、羨ましかった。俺はアルファナの何もかもが羨ましい。アルファナにはアルファナの苦しみがあるのだろう。だが、それでも俺よりは恵まれていた。

「料理は得意なのか?」

「はい。おばあさまに教わったので」

「母親は?」

 くす、とアルファナは肩を揺らした。

「お母さまは料理がからきしで。おばあさまにいつも叱られていました。煮込み料理を作るのに、鍋一つを真っ黒焦げにするようなんですよ」

「それは愉快な母上だな」

「ふふ、そこは母に似なくてよかったです。おばあさまには、アルは料理が上手でよかった、と褒められました」

「コーヒーの味も期待できそうだな」

「それは豆がいいんですよ」

「……ほら、編み終わったぞ」

 手鏡で見せてやると、アルファナはいたく感動していた。自然と笑みが零れる。

 笑みが零れたことに驚いた。こんな何気なく笑うことなんて、今まであっただろうか。

「こちらの方が揃いっぽいだろう」

「……!」

 振り向いたアルファナは頬を赤らめていた。それを見て、美しい、と感じた。

 たまらない思いを放出するように抱きしめられて、俺も抱きしめ返した。コーヒーが冷めるのはいいだろう。俺は少し苦いくらいの方が好きだ。


「手を繋ぎましょう、アイラ」

「ああ」

 街で服屋に向かっていたときに、アルファナがそうねだってきた。俺に否やはない。

 アルファナが俺の望むことを望むように、俺もアルファナの意に添うように振る舞いたかった。手をぎゅ、と握ってやると、細い指が俺の指の又を這って、互いの指を絡める握り方にしてくる。その方が恋人らしいからだろう。

 俺たちがしているのは恋人ごっこだ。俺の心が満たされるように、アルファナが気を回してくれている。

 そう思うと、胸がちくりと痛んだ。

「ペアルックのセーターとかあるんですって」

「それはいいが、俺はだいぶ標準よりでかいぞ」

「デートだから、そういう細かいところはいいの。楽しければ」

 ふふ、と俺の腕にすり寄るアルファナ。かわいいな、と思う。

「あ、あの髪飾り、かっこよくないですか?」

「竜のやつか?」

 意外な好みをしているな、と思いながら買う。

 アルファナにやるとアルファナは俺の髪の三つ編みの先にそれを取りつけた。自分で使いたかったわけではないらしい。

 俺は満足げなアルファナを連れて、服屋に入る。アルファナは笑うと母のような、姉のような、妹のような笑い方をする。姉や妹はいたことがないけれど。

 俺みたいなやつが誰かを笑顔にできるなんて、夢にも思っていなかった。だからいつか、

 先程一緒に買った髪飾りをポケットに仕舞う。

 ──いつか、許される日が来たら、アルファナの髪にこの花飾りをつけて、編んでやろう。


 人間のいざこざに巻き込まれて、そこそこの怪我をした。

 回復力は普通の吸血鬼からしても並みではない俺にとっては掠り傷のようなものだが、それでもアルは俺の側にいてくれた。

 包帯を傷口にくるくると巻く。

「大袈裟だ。これくらい……」

「骨が見えるほど抉られた腕の傷を掠り傷だなんて思うの、あなただけですからね!?」

 消毒をされても別に痛くはないし、出血は派手だが、それは眠れば治るし。

 俺が集中しなければならないのは、同胞の名誉を守るために暴れないことで。俺はふい、と適当に振った手で人を吹き飛ばすことができる。力加減以前の問題だ。

 それをアルは、目尻に涙を滲ませながら、せかせかせかせかと手当てしていく。

「痛みに鈍感なのは良くないことですよ。出血を感知できないのも。いくら丈夫でアイが平気でも、見ている方は平気じゃありませんから。それに、吸血衝動は失血したときに起こりやすいと言います。気をつけるのならそちらを、……っ」

「アル、自分でできる」

「……私にさせて……」

 アルを泣かせるつもりはなかった。泣いているアルも綺麗だ、なんて頭の片隅で思っていて、不謹慎だ、と自分を殴り飛ばしたくなる。そんなことをしたら、アルをもっと泣かせてしまいそうだからしないけれど。

 アルの手が俺の腕の輪郭をなぞる。その存在を確かめるように。

「アル……」

 怪我をしていない方の腕で抱き寄せる。アルはぺちん、と俺を叩いた。手厳しい。怪我をしていない、というのは俺判定で、もう片方の手はあちこちに擦り傷ができていた。ぺたぺたとガーゼが貼られている。

 大袈裟な、と思う反面、アルの心の柔さに守られているような気がした。

 守りたいのは、俺の方なのに。

 いつか服屋で買った大きめのブランケットを二人で使う。その中で俺はアルを抱きしめた。

 自分の温もりがここにあると伝えるように。アルの温もりがそこにあると確かめるように。


 その温もりを掻き抱くことはもうできなくて。

 もう二度と彼女は微笑まない。

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