燈劇
アルファナと俺が出会わなければ、アルファナはリクヤと幸せになったかもしれない。リクヤの言う通りだと思う。
ただ、金瞳種に生まれたアルファナは今や数少ない吸血鬼の純血種だ。吸血鬼以外と番になることはなかっただろう。けれどリクヤがあのとき語ったように、人間との友好のためにアルファナが差し出される未来はゼロじゃなかった。
もし、とか、かもしれない、とかは、言い出したらきりがない上に意味がない。俺たちはもう完成してしまった未来の上を歩いている。
アルファナの未来も、リクヤの運命も、詰んでいた。
俺がいたから、もう、どうにもならなかったんだ。
リクヤと出会ったのは、アルファナが先だった。
リクヤは自警団団長の息子として持て囃されている反面、疎まれてもいた。それはリクヤの口調や態度が悪かったせいもあるが、ガキ一人相手に子どもが何人も寄ってたかってリンチにしようとする様を通りすがりのアルファナは身過ごさなかった。
リクヤに投げられた石礫を全部蹴りで叩き落としたのだ。
藍色の修羅の嫁ともなると、それなりの修行が課されるようで、アルファナはそれなりに強かった。そんじょそこらの成人男性くらい、片手で捻り上げられる。昔、質の悪いナンパ師に絡まれている人間の女を助けたとき、面の強いやつらが出てきたときはどうしようかと思ったが、アルファナが一瞬で全員を伸してしまった。
ちなみに、アルファナは金的を使わない。男相手にはそれが一番だというのは本人も理解していて、以前は金的もしていたらしいが、金的を打ち込んだ瞬間に漏らされて、それ以来気持ち悪いので嫌になったらしい。御愁傷様としか言い様がない。
というわけで、アルファナは金的以外で人を伸せるように訓練しているらしい。
ただ、アルファナが強いことは、俺の一つの悩みの種だった。俺が暴走したとき、俺を止められるように鍛えているのだろうが……その、だな。アルファナが強いことで、アルファナは男女問わずにモテるのだ。
ナンパから助けた女もアルファナに惚れて、ナンパ師から逃れたのにアルファナから住所や連絡先を聞き出そうとして、逆にナンパ師のようになっていた。そんなことが一回や二回ではない。吸血鬼の寿命が長いことを踏まえても、異様な回数、あった。
そのたびに俺はアルファナの肩を抱き寄せて、自分の恋人であることと、逢い引き中であることを主張した。なんだか大人気ないような気がしてならないのだが、アルファナはそのたびに何故か喜んでいる。曰く「アイラに愛されているみたいで嬉しい」とのこと。
みたいも何も、愛しているんだが。
で、案の定なのだが、リクヤもアルファナのことを羨望の眼差しで見つめていた。そりゃ、石礫を蹴り落とすようなかっこいい女が現れたら、惚れずにはいられないだろう。
ぴょこぴょことアルファナに素直に礼を言うガキに睨みをつけるのは大人気ないにも程があると思い、自重した。
この人間のガキが生まれるより前から、俺とアルファナは婚約関係にある。婚姻になっていないのは、俺が先延ばしにしていたからだ。ロマンチストというわけではないが、アルファナはまだ便宜上の婚約者だと思っているから、正式にアルファナと結ばれることを望むのなら、俺も真正面からアルファナに「好きだ」と伝えなければならないと思っていたから。人間的な言い方をすると、告白というやつだ。
まだそれを伝えられずにいた。婚姻を結んでしまったら、もう戻れないような気がした。アルに依存して、アルを求めて、アルを束縛するような気がしたのだ。そんなことはしたくないと思っている。そんな、縛りつけなきゃ成立しないようなものを愛だと語りたくなかった。
「アル、大丈夫か?」
「うん。それよりこの子自警団団長さんの子みたい」
「そうか。なら送って行こう」
俺の言葉にぎろ、と睨まれた気がした。アルファナの意図を汲んでの発言のはずだが、子どもにはわからなかったらしい。
好きなやつに寄る男は全て敵と見なすタイプなのだろうか。なんて俺に似ているんだろう。
子どもの名前がリクヤだというのは簡単にわかった。自警団とは交流が深いからな。
吸血鬼が人間と交わることは禁止されている、といっても、既に人間の中に溶け込んでしまった吸血鬼の血筋まではどうしようもない。隔世遺伝で吸血鬼となり、暴走する輩が出たとき、自警団と吸血鬼は協力することとなっている。対吸血鬼の模擬戦のために、俺が自警団の男共を相手にすることもあった。まあたぶん、そこらの吸血鬼の暴走より、俺の暴走の方が手がつけられなくなるだろうからな。
リクヤとはそこからよく一緒に行動するようになった。リクヤは強くなり、父の跡を継いで自警団の団長になるのが夢らしく、俺に稽古をせがんできた。俺以外にも相手はいるだろう、と指摘したが、吸血鬼の知り合いは俺とアルファナが初めてだったらしい。
「女に鍛えてもらうなんてダセェだろ」
「別にダサいとかそういうのは考えたことがないな」
「それはオマエが最初から一番強いからだろ? 聞いたぞ、藍色の修羅って、最強の吸血鬼だって。それに、最強のヤツに鍛えてもらった方が強くなれる気がする!」
リクヤはガキらしいガキだった。思想が偏っているような気がしなくもないが、それは人間の子どもならではの狭い世界、狭い価値観しか知らないためのものだろう、とリクヤが変化していくのを待った。
リクヤは目が悪いのだが、「眼鏡なんてダセェ」と言ってかけなかった。まあ、戦闘中に吹っ飛んでって、戦えなくなったら元の木阿弥である。俺は容認したが、アルファナはかけさせたがった。
「せっかく美男子なのに、眼鏡かけないなんて勿体ないわよ!」
「眼鏡かけたら冴えない男子になるって相場が決まってんだよ!」
「そんなのわかんないじゃない。まずはかけてから言ってよ」
「そんなことで言い争いをするな」
くだらない言い合いで、アルファナとリクヤはしばしば喧嘩した。俺がそれを宥める役をやっていた。人参もちゃんと食べなさいとか、虫を素手で触るんじゃありませんとか、アルファナの説教はどこか母親のようだった。
俺がきちんと告白しないから、アルファナはリクヤに擬似的な家族の空想を抱いていたのだろう。
やがて、リクヤは成長して、自警団に入った。荒事も難なくこなすリクヤは自警団の若手の中で有望株だった。それでも俺のところに来て、鍛練を欠かさないのは大したものだと思う。
将来有望な若手に、団長の座を譲ろうという話が出て、その第一候補がリクヤなことについて、親の七光りとか言われていたようだが。
実際、吸血鬼と人間の仲を取り持つ上で重要な老いない吸血鬼の性質に不信感を抱かないというのが自然にできている数少ない人間だった。
埋められないほどの年月が俺たちの間にはあるのに、俺とアルファナの見た目年齢に自分が近づいていくことをリクヤは何とも思っていないようだった。
「リクヤは変わらない俺たちに違和感とかないのか?」
あるとき、聞いてみた。少し不安だったのだ。
俺のせいで、道を外れていく人がいる。両親がそうだった。結局、両親は寿命より早く、病気で死んでそれまでに一度も俺を産んでよかったとは言ってくれなかったから。
間違っても、俺に愛しているなんて言うのは、アルだけだ。
リクヤはんー、と生返事をしながら、顎に人差し指を指し、すっと持ち上げた。
「違和感とかねーよ? ずっと印象が変わらない兄ちゃん姉ちゃんがいるのはむしろ安心するけど?」
「そうか」
「何笑ってんだよ!」
リクヤの言葉に安心してしまった。だから笑ったんだ。変わらないものがあることに俺もまた安心した。
リクヤはずっと、このままの距離でいてくれる。そんなことを思ったんだ。
そんな保証、どこにもなかったのに。
人間と吸血鬼の時間の流れは違う。だから、人間が急激に変わっているように見えた。
俺は緩やかに、穏やかに変わっていこう、と思いながら、アルファナに告白した。
「もう、お前といることを、義務だとか思っていない。ずっと俺の傍にいてほしい」
きょとんとして、目を見開いて、目を潤ませて、笑って。
そんなアルの表情変化と、抱き着いてきた感触がとても愛おしかった。
「よかった。やっとあなたにちゃんと、愛してるって言っていいのね」
俺は苦笑する。
「今までだって言っていただろう?」
「片想いと両想いでは想いの重さが段違いなんですぅー」
あまりにも愛らしいアルファナの髪を鋤いたアルファナが気持ちよさそうに目を瞑るので、唇を落とす。
ああ、幸せだな、と思ったとき、凶報が入った。
吸血鬼と人間の間で続いていた小競り合いで、死傷者が出たのだ。
俺は動くな、と厳命された。俺が暴れたら、取り返しがつかないから。
「ただ、アルファナ様に、自警団団長から、話があるとのことで」
「リクヤが?」
俺たちは顔を見合わせた。
「行くわ」
アルファナに戸惑いはあったが、毅然としていた。
吸血鬼にとって、金瞳種のアルファナは神のようなものだ。アルファナが白と言えば、黒でも白になる。……まあ、これは例えであり、そこまで過激ではないはずだが、金色の目を信仰している節はあった。
アルファナの目を見て、敬いたくなる気持ちはわかる。それほど、アルファナの目は強い色をしていて、いつだって頼もしかった。
ただ、俺の胸はざわついた。
「さすがにアル一人では行かせられない。俺も同行する」
「アイ」
リクヤへの嫉妬ではない。自分の想い人を自分で守らなくてどうするのか。
「藍色の修羅、お前が行くとなると、あちらの警戒が強まるぞ」
「知ることか。それに自警団団長とは俺もアルも顔馴染みだ」
「しかし……」
俺がリクヤの友人であること以上に、俺が要注意人物であることが有名なのだろう。だが、そんなことで、俺は引き下がれなかった。
「では、途中までアイに同行してもらいましょう。アイの身体能力なら、人間じゃ一時間かかる距離も一瞬のようなものです」
「仰せのままに」
ふっと笑ってしまいそうだった。本当にアルを神様扱いしているみたいだったから。
それから、人間の街に向かう途中まで、アルと一緒に歩いた。
「大丈夫よ、リクヤはもう人間の中じゃ大人だもの。立派な団長さんじゃない」
「……訳もなく不安だ、と言ったら笑うか?」
俺が告げると、アルは不意に唇を重ねてきて。
「笑わないわ。でも、そうね、気慰めになるかわからないけれど……リクヤがもし、私に告白でもしてきたら、そのときはこっぴどく振ってやるわ!」
その笑顔が、俺の見た最後の生きているアルだった。
アルは唇に痕を残していった。吸血鬼が求めるものは突き詰めれば体液だ。だから、万が一にでも何かあったときのために、俺の唇から伝わるように、口づけて行ったのだろう。
俺からすれば、人間が一時間かかって辿り着く距離など、瞬き一つのうちのものである。
その瞬き一つすら、永劫に感じられるような地獄だったのだろうか。
俺が何かを察知して辿り着いた先で、アルは胸を突いて、自害していた。
理解ができなかった。否、したくなかった。
けれど、体は勝手に動いて、瞬き一つもしない永劫の中で、リクヤをなぶり殺した。
「だ、団長! おのれ、不届きも」
「遅い」
俺は一人殺した。
「あ、藍色の修羅……!」
「どうしてここに!」
二人殺した。
「応援をよ」
「誰かっ」
「行くな!」
三人殺した。
「取り押さえ」
「いいや、殺」
「やばい、速」
「いやだ、死にたく」
四人殺した。
「騒がし」
五人殺した。
「藍色の修羅、だから行くなと」
六人殺した。
「止まれ、止まるん」
七人殺した。
八人殺した。九人殺した。十人殺した。百人殺した。千人殺した。万人殺した。何人殺した。わからなくなった。
俺と吸血鬼の境界線が曖昧になっていく。喉が異様に渇いていた。こういうとき、何を飲むんだったか、と考えることもなく、血を欲した。それが吸血鬼の本能だ。吸血鬼と一緒くたにするのが不敬か何かにあたるのなら、藍色の修羅の本能だ。
ぽつ、と何かが鼻先を叩いて、俺は我に返った。ここまで誰も、俺に触れることすらなく死んでいったから、血液以外のものが自分に触れたことに驚いたんだ。
透明なそれは雨で、不規則にぽた、ぽた、と地面を叩いたかと思っていたら、馬鹿みたいにざあっと降り注いできた。
「は、はは……」
俺から零れたのは、からからの笑いだった。
どうすればよかった?
アル、俺は正しかったか?
アル、俺はお前を守れなかったけど、それでも見限らないでくれるか?
アル、リクヤはお前に何を言った?
アル、どうしたらお前は死なないで済んだ?
どうしたら、俺は、リクヤを殺さずに済んだ?