信黄と伝承
アイラはオレをとある街に連れてきた。そこは外よりも薄暗く、その街に入るとなんだか涼しかった。太陽の刺激がないっつうか。
「ここが吸血鬼の街だ」
アイラがオレに紹介する。オレは辺りを見回した。
薄暗い中でも、民家には温かな色の灯りが灯り、若くて美しい者たちばかりが歩いている。時折その中に子どもが混じっていて、転んだり、怪我をしたりすると、周りの美男美女たちが助ける。じいさんやばあさんといった感じの見た目をしたヤツは子どもより少ない。
少子化とか騒いでいる国が見たら、きっと羨む光景だろう、と思う傍ら、それを歪だと思うオレもいた。吸血鬼で長生きをするから、容姿の年齢がどこかで止まるのだ。だから、同じ年代の美男美女に見えても、実は五十年とか百年とか、年の差があるのだろう。人間からすると、自分がいて、兄弟がいて、親がいて、じいちゃんばあちゃんがいて、子どもがいて、みんな見た目がばらばらなのに慣れているから、同年代に見える美男美女ばかりというのは違和感と少しの気持ち悪さを感じた。
同時に、コイツらは人間じゃないんだな、というのも飲み込める。人間とは違う生き物だ、吸血鬼というのは。
そう噛みしめながら、オレはアイラを見上げた。その顔の上半分は包帯で覆われている。
「別に同胞の街に来たんだから、ソレ、取ってもよくねえか?」
オレがじっと見ていると、ややあって、アイラが反応する。
「いや、駄目だ。この街の吸血鬼たちにとって、俺は未だ忌むべき藍色の修羅であることに変わりはない。心の平穏を保つために、俺の目は隠しておいた方がいい」
「その忌み物ってのも、因習だろうが」
「因習だからといって、闇雲に否定するな。それに長命の吸血鬼からすれば、長い間生きる伝承だ。人間の中で立ち消えていく時間と、吸血鬼の中で立ち消えていく時間は違う」
そう告げて、アイラは行くぞ、と身を翻した。
行くってどこだよ、と思ったが、あまり口喧嘩して目立っても、アイラには迷惑なんだろう。口は慎んだ。
まあ時間の流れが寿命の長短によって異なる感覚になるのは言葉としては理解できる。アイラが言いたいのは、人間が数百年経ってやっと忘れられるようなことを、吸血鬼は同じ数百年では忘れられないってことなんだろう。
アイラの後ろをついていくと、アイラは何もしなくてもものすごい存在感を放っているようで、道行く人がアイラをちらちら見る。顔に包帯巻いているのもあるが、図体もでけえしな。だが、所々で視線の中に入り交じる恐怖は単純に図体のでかいヤツにびびるっていうよりか、存在そのものへの嫌悪に近いものだった。
アイラはまだ何もしてねえぞ? と思いながら進んでいく。その先にあったのは、図書館だった。司書もアイラを見て、怯える様子を見せる。そんなに怖いか? コイツ。まあ、無愛想だけどさ。
アイラは本棚からざっくり五冊ほど本を取って、閲覧室に向かう。なるほど、と思った。たぶんオレの聞きたい話には吸血鬼の伝承が絡むんだろうな。コイツ、説明下手っつうか、口下手だし、書物を交えた方が……ん?
なんでオレ、コイツが説明下手で口下手なんて知ってんだ? 普段ろくに口も利かねえくせに。
「アイラ、もうちょっと喋った方がいいわよ?」
……?
脳内で懐かしい気がする女の声が蘇った。ただ、誰だったか思い出せない。随分とアイラに親しげだ。この声は一体……
「リクヤ? 頭が痛むのか?」
「あ、いや」
声が脳内に聞こえたことで思わず頭を押さえていたため、アイラの野郎に心配されちまった。
「なんでもねーよ。とりあえず、さっさと話始めろよ」
「ああ」
脳内の女声、といえば真っ先に浮かぶのはマザーだが、マザーのものとは明らかに違った。さばさばとした感じの世話好きな女の声だった。
が、まあ、オレの方は後回しでいいだろう。なかなか語りたがらねえアイラが口を割るんだ。聞いてやろうじゃねえか。
「まず、吸血鬼には礎を築いたとされる赤い目と金色の目の吸血鬼が存在し、それらは崇められている。反対に、青い目と銀色の目を持つ者は人をたくさん殺した伝承がいくつも残り、疎まれている。俺の目がオニノメと呼ばれ、存在そのものを疎まれるのは、広義でいえば青い目を持つことに由来する。その辺の歴史が簡単に綴られているのが、この本だ」
本を開くと「吸血鬼の歴史は金瞳種に始まり、赤い月の世界で平定を迎える」とのことだった。金の目のヤツらが崇められているのは吸血鬼の始祖の血が流れているっていうことか。
ざっくり本の内容をまとめると、金色の目の吸血鬼が一番最初の吸血鬼として生まれ、その次に銀色の目の吸血鬼が生まれた。銀色の目の吸血鬼はあるとき人間と恋をし、人間との間に子どもをもうけた。だが、その子どもが暴走し、人を襲うようになった。そこから吸血鬼と人間の関係に溝ができ、一万二千年の永きに渡る戦争へとなった……という感じだ。
吸血鬼の一万二千年とかに比べると、死神の一万五千年もどっこいどっこいなんだな。
「これは何千年も前からある伝承だ。で、こっちの本は最近の伝承。最近といっても、ここ千年、まことしやかに囁かれるようになったものだ」
千年ね。なんでもないことのように言っているが、とんでもない長さの年月をコイツらは当たり前のように過ごしているわけだ。
人間との争いが終わり、混血吸血鬼の暴走を食い止める策を立てた吸血鬼たちは小さな街を作り、人間と簡単に交わらないよう、結界を張った。
それが今のこの街。こじんまりとした生活を吸血鬼は楽しんでいたが、人間の数が多くなってきて、全く交流を持たない、というのは不可能になった。
そこで隣街と交流を持つようになった。最初、人間たちは吸血鬼の存在を信じなかったが、心優しい彼らのことを受け入れた。交流を深めていくうちに、彼らが不老長寿であることを目の当たりにし、吸血鬼であるということを信じるようになっていったという。
人間と手を取り合って幸せに過ごすことは吸血鬼たちの悲願であった。だが、良好な関係が続いたのは、そう長い話ではなかった。
五十年もすると、太陽の光が苦手な吸血鬼たちを迫害する人間が現れた。ごくわずかではあるが、過激派は吸血鬼を焼き殺そうとしたこともあった。時が経つほど、理解のできない人間とは違う生命体との交流を恐れる者は増えていき、その行動は過激になる。
けれど、その街は吸血鬼の街との交流をやめることはなかった。代わりに、人間や混血吸血鬼を諌めるための自警団を結成し、二つの街の間での揉め事を仲裁するようになる。
自警団、という言葉に何か懐かしさを覚えた。俺は右腕の腕章を見る。そこには何の文字もない。けれど、もし、そこに文字があったとするなら、自警団の名前だったかもしれない。
記憶が戻っているわけではない。まだ可能性の話だ。だが、胸がざわつく。
アイラは三冊目の本を出す。
「これはおとぎ話として伝わっている『藍色の修羅』の悲劇の話だ。あまりにも藍色の修羅の行動が現実じみていなくて、おとぎ話だろう、と子どもらはからから笑う。
なあ、リクヤ」
やめろ。
「これを一番、お前に読んでほしい」
「てめえのことを知りたいわけじゃねえ」
「自分のことを知りたいんじゃないのか」
何も言い返せない。
そうだ。オレはもう、前に進もうと決めた。進むからには、立ち止まることも、逃げることも許さない。オレがアイラにそれらを許さなかったんだから、オレにそれを許しちゃいけない。
オレはアイラから手渡された本をぺらりとめくった。