着緑
まるで、なかった世界を見ているようだ、とオレは思った。
オレは今、キミカとヒカリと歩いている。ヒカリは楽しそうだ。こうして何もなく出かけるなんて、なかなかないことだし、生前から考えて、初めての出来事なのかもしれない。キミカはそれを微笑ましげに見つめている。
今日の目的は任務じゃない。ヒカリが拾ったという落とし物を持ち主に返すことだ。なんだかうだうだ言っていたようだが、ヒカリがにこにこで出かけることになったのでよしとする。
ヒカリはいつもの僧服から着替えるのをかなり嫌がったが、シリンのやつ、なんか一言で言いくるめてたな。「ちゃんとした人にはちゃんとした格好で会った方が好きって言ってもらえるよ」だったか。ヒカリの精神をちゃんと汲んでいるんだろうな。
「ちゃんとした格好にならなければならない」という義務的な表現を避けて、ヒカリが心の奥底で人に認めてもらいたいと思っている承認欲求の部分を汲み取り、「好きって言ってもらえる」なんて言葉を選んだんだ。こういうのを、読心術っていうのか? ったく、ガキのくせに恐ろしいヤツだぜ。
というわけで、ヒカリは白いワンピースを着ている。髪も飾り編みつきのハーフアップだ。こうして見ると、目もでかくて幼いながらにちゃんと美少女なんだな。
化粧はさすがに拒んでた。というかなんでシリンとキミカは普通に化粧品揃えて化粧できるんだよ。男だろうが。
ヒカリは正直髪そのままでも年頃のガキらしい可愛さはあるし、飾り編みでその可愛いが少し美しい方面にグレードアップしているところはあるから化粧とか必要なくね? とは思う。
代わりにキミカが化粧始めたときびびったけどな。女装趣味があるのか、と思ったけど、顔はそもそも女顔だし、神様として崇められていた時代、化粧を施されることもあったんだろう。そう考えると宗教って怖い気もするが、まあ、顔色の悪い神様は確かに嫌だよな。
年頃の女の子を相手にすることもあったキミカは身だしなみについて男より心得があった。オレじゃさっぱりだ。下地にファンデにチークにルージュ。濃すぎないメイクで、キミカはいつもより顔色の良い爽やかな美人に見える。
三人で並んで思ったが、これは親子では?
「こんなにめかしこむ必要あったか?」
「良家のご令嬢にお会いするんですよ? 全然足りないくらいですよ」
すぱっとキミカから答えが来たため、オレはそれ以上聞かないことにした。このことに関して、キミカの熱量がわけわかんないんだよな。
ただ、別に悪い気はしない。キミカみたいな気の回る母親がいたら、女の子は嬉しいものなんだろうな。キミカ男だけどさ。
それに、キミカが楽しそうにしているのはいいことだと思う。ユウヒがマスターになって、セッカがいなくなってから、キミカは表情が暗いことが多かった。それをオレじゃどうにもできなかった。
変な話かもしれないけど、キミカに惹かれている気がするんだ。オレがキミカを「好き」っていう感情、たぶん、そういうのなんだよな。
「なんでオレを付き添わせた?」
「色々理由ありますけど……『きっかけ作り』がリクヤさんの欲しい答えじゃないですかね」
「……そーかよ」
出てくる前、シリンと交わした言葉を思い出す。おそらく、オレを付き添わせた理由は最低でも三つあって、そのうちの一つが「きっかけ作り」なのだろう。
オレが記憶を思い出すきっかけ。オレがいなくなるためのきっかけ。
今、死神の世界を動かす舵を握れるのはオレだけだ。シリンに言われなくてもわかっている。アイラが動くにはオレの消失が必要だし、セイムは死神を辞めるに辞めれねえ。シリンもヒカリもアカリも、たんまり罪を抱えている。
今まで、確かに何も抱えてこなかったから、とうとうお鉢が回ってきたんだ。抱えなきゃならんことがあっても、セッカが背負ってくれていたんだなっていうのを、痛いほど実感している。
セッカは死神の中で一番の古株だった。ユウヒはさておく。だからオレにはあんまり実感がなかったんだが、アイツはオレより生きないで死んでしまった。生きた年数はシリンと同じで、シリンとは別のベクトルでクソみたいな人生を送っていた。大人が頼れなくて、大人になるしかなかった。
そんな小さいヤツに全部背負わせてしまったのが、本当に情けねえ。いなくなってから気づくとか尚のことダセェ。
それなら、セッカが残してくれた余暇を有用に使わなきゃならない。少なくとも、キミカをユウヒと同じものにしちゃいけねえ。それだけは確信できる。
でも、キミカはたぶん、この場所を捨てられない。キミカは人殺したわけじゃないから、きっと人だった彼らのことが好きなんだろう。
キミカのためだ、と思えば、消えなきゃならないっていうのも受け入れられた。シリンが催促してくんのは嫌だけどな。
キミカがそういう意味で好きってことは、言わないでおこう。
「あそこですね」
「おっきい!」
キミカが指したのは立派な邸宅だ。今回訪ねるのはラミアスとかいう家。大企業に連なってんなら、支社でも金持ちなんだな。街一つ入りそうだぞ。
「びびってんじゃねーよ。悪いことしに来たわけじゃねえんだから」
「そう言われても、生前からご縁のなかったようなお屋敷ですから」
「ん、大丈夫、大丈夫。えっと、これを押すんだよね」
「あ、ヒカリ待っ」
ヒカリがインターホンを押してしまう。キミカが異様に緊張しているな。まあ、他の死神連中よりは社交性が高いから大丈夫だと思うけれど。
『はい、どちらさまでございましょうか』
淡々とした女の声がする。メイドか?
「ええっと、ここ、ラミアスさんのおうちで合っていますか?」
お、ヒカリが敬語使ってる。頑張ってるな。
『はい。そうでございますが、あなたはどなたですか?』
「ボクはヒカリです。先日、ここのお嬢様が髪飾りを落とされたのを見かけて、届けに来ました」
『そうですか。少々お待ちください』
ぶつ、と通信が途切れて、ほどなくしてメイドが現れる。
険しい顔をしていた。もしかしたら盗人と疑われるかもしれない、とシリンから忠告されていたが、杞憂ではなかったようだ。
「わざわざこちらまでご足労いただき、ありがとうございます。お嬢様の落とし物というのを確認させていただけますか?」
「はい」
ヒカリは何の躊躇もなく、髪飾りを差し出す。その様子にメイドは驚いていた。高価なものだから、簡単に渡してくるとは思わなかったんだろう、な!?
メイドはすぐに無表情に戻り、ヒカリから髪飾りを受け取る、と見せかけて、ヒカリの手首を掴み、投げ飛ばす。が、ヒカリはただで投げ飛ばされるようなヤツじゃない。残念ながら。
条件反射なのだろうが、近場の壁を蹴って、メイドの元へ逆戻りする。明らかに白いワンピースの似合う可憐なだけの女の子の動きではなくて、オレは頭を抱えた。
悪いことをしたわけではないから、何されても反撃はするな、と言いつけてはいたのだが、反撃をしないだけで、凄まじい体捌きを見せることになってしまった。
ヒカリは何事もなかったようにメイドの前に戻り、顔を覗き込む。
「ルチルお嬢様のもので間違いない?」
「お前、何者だ!?」
メイドが声を荒らげる。声を聞きつけた他の者たちも集ってきて、囲まれた。ヒカリはきょとんとしていた。
「質問したのはボクなんだけど」
「特に何者でもありません。偶然、教会に行く途中でお嬢様とすれ違っただけで……」
「うん、ぶつかっちゃったのはごめんなさい」
「魂胆は何だ?」
「コンタン?」
ヒカリの教養のなさが裏目に出る。キミカの社交性の高さも。
「惚けるな! これをお嬢様から盗んだのではないか!?」
「盗むなんてとんでもない! 落としたよって渡そうと思ったらいなくなってて、どこの誰かわかんなかったし」
「お嬢様を知らないとはどういうことだ!? 雇われの捨てゴマということか!?」
「ふえ!?」
拘束されそうになり、上に跳び上がるヒカリ。ごめんね、と言いながら、迫り来る召使いたちの頭に手をついて離れていく。
「あ、あの、怪しい者じゃないって!」
「いや、もう弁明できないほど怪しいぞ、ヒカリ」
「ええ!?」
オレの隣に降り立ったヒカリの頭を小突く。そんなあ、とヒカリは泣きそうな声を出す。当然、オレも囲まれた。
「ヒカリ、抵抗すんな」
「え、無理」
繰り出された手刀をヒカリは手でいなしてかわしてしまう。これはもう駄目だ。
「やめなさい」
そこに凛とした幼い少女の声が降りる。
声のした方向を見て、オレは目を見開いた。
陽光から生まれた、と言われても信じられるほど、神秘的な美しさを持つ女の子がいた。
琥珀色の目が日の光を返して時折金に輝くのに、目を奪われざるを得なかった。