空赤
ユウヒ……今はマスターってやつも、かつては自傷していた。
自傷するヤツは嫌いだ。自分を大切にできないヤツが、他人を大切にできるわけがないというオレの論理に基づく好悪だ。
ただ、理由のない自傷をするアイラに比べれば、ユウヒはまだ「罪の数値を自傷で増やすことで死神であり続ける」という具体的な目的があったから、歓迎はできなくとも、てめえの論理ってのがある分、筋は通っているんだろう。オレはそう飲み下している。
ユウヒは死神であり続けて、あり続けて、とうとう一線を越えて、死神の上位の存在となった。そうなることがユウヒの野郎の目的だった。
マザーの傍に行きたかったんだろう。好きなヤツの傍にいたいってのは自然な感情だ。それが周りにどんな影響を及ぼすかはともかく。
「シリン、オレは」
ユウヒはまだいい。問題はアイラだ。
「オレは、アイラのために消えた方がいいのか?」
こんな自傷みたいな言葉、吐きたくなかった。
大嫌いなヤツのために消えるってなんだ? 本当、意味わかんねえ。オレが消えたところでアイツが変わるかよ。
シリンは紡ぐ。
「アイラさんのためでもありますが、リクヤさんのためでもあります」
「浄化するのが幸せ? 輪廻に戻る? 転生する? それが世界のあるべき姿だからか?」
「そうです」
「そうじゃねえだろ」
オレはシリンの胸ぐらを掴んだ。
「世界のあるべき姿やら、理やら、罪やら、罰やら、んなもんオレの知ったこっちゃねえよ。オレは自分の生きたいように生きる。自分がやりたいようにやる。自主性のない行動に伴う幸運を幸福とは呼ばねえ。
オマエ、生前は軍人だって言ってたよな? 軍規やお国の決めたルールに従って、オマエは幸せになれたかよ? 誰かのためとか押しつけがましいことを言うんなら、ちったぁてめえの頭で考えやがれ」
シリンの額を軽く弾く。とんだ石頭だ。こっちの指が痛いわ。
十五年。自由が一度もなかった人生しか知らないこいつが、規律から外れた生き方というのを考えることができないのは無理もない。ただ、死後までそれを引きずる必要はないだろう。
シリンは可哀想な子どもなのかもしれないが、ちゃんと頭は回る。頭が回らなきゃ、規律は守れない。世界の理なんてくっそ難しいものを言葉で説明することもできないだろう。回る頭があるんなら、きちんと回転させてほしい。
「オレは死神のルールってのも気に食わねえんだ。セッカもキミカも、それに苦しめられた。年功序列とか言うわけじゃねえけどよ。オレはキミカより先に浄化するつもりはねえよ」
「でも、リクヤさん」
シリンは静かな声で告げる。
「誰かが動き出さなきゃ、何も始まらないんですよ。キミカさんに、最初の舵を切る力はありません」
……
オレはシリンを下ろし、近場の扉を開けた。
「リクヤさん」
「五月蝿い」
キミカのことは好きだ。
キミカはセッカの次に古くからいる死神だ。セッカがいなくなった今、最古参の虹の死神である。生前から体が弱く、死神になっても、少しは身体能力が向上したとはいえ、虚弱体質までは治らなかったらしい。キミカは生涯のほとんどをベッドの上で過ごしていて、病院から脱け出して逃げた最期に初めて走った、というくらいだ。
虹の死神の中で、飛び抜けて戦闘能力がないのがキミカだった。強くない上に、人を殺すことに大きな躊躇いがある。それは人として真っ当な感情だ。けど、それは死神にとっては欠点だ。
キミカは人の首を落とせない。そのために、任務失敗となり、罪を加算されたことの方が多い。
聞けば、キミカは人を殺して死神になったのではないというじゃないか。人を殺すどころか、人に人生を、キミカという人格を殺されて生きてきた。それなのに、適格者だからという理由で虹の死神にされた。そんなことって、あっていいのだろうか。
オレたちの倫理を無視して、世界の理とやらは平然と巡る。それが吐き気がするほど嫌だった。
オレが嫌だろうが何だろうが、お構い無しに世界は回るし、時間は過ぎ去っていく。だからオレが反抗心を抱いたところで、それは虫けらの呼吸みたいなもんで、世界という大規模には何の影響ももたらさない。
それが悔しくてならない。
まあ、だからといって、ずっと死神でいたいのかというと、それは違う。まあ、オレもいつかは浄化するんだろうな、くらいにぼんやり認識していた。
それはキミカがいなくなってからだ、と勝手に決めつけていた。キミカとは死神になってから初めて会ったはずなんだが、なんだかとても、懐かしい気がするのだ。褒めるとキミカが苦笑いする金色の瞳とか、女みたいなところとか、ひ弱なのに芯があるところとか。
たぶん、オレが忘れてしまった大切な誰かに似ているんだろう、と当たりはつけている。でも、それ以上前に進むことはしない。
怖いのだ。まだセッカがいなくなったことも受け入れられていないのに、これ以上「先」に進んでしまっていいのかって。
シリンの指摘は時折手痛い。何も言い返せなかった。
「はっ……くっそださ……」
部屋でオレはオレを鼻で笑う。
結局、今のままっていう、安寧のぬるま湯に浸かっていたいだけなのだ。シリンは先を見据えているのに。
ヒカリだって、前を向いている。アカリの引っ付き虫だったけどな、しばらくは。それでもちゃんと任務は行ってるし、アカリの世話を焼いてる。ご立派なこった。
オレは何をしている? オレは何ができる?
──記憶を取り戻す。
いつも最後に浮かんでくるのはこれだ。オレはセイムと違って、罰とかで記憶を失ったわけではない。セイムは覚えていようと、思い出そうと、この先も死神で居続けなければならないのはどうしようもない確定事項だ。だが、オレは違う。オレは浄化できる。
なんとなく、いつも浮かぶのに、目を逸らしていた選択肢。たぶん、これをしたら、進んでしまう、と怯えていたんだろうな。
漠然とした終焉への恐怖。まあ、こんくらい、誰でも持つもんだろう。死ぬのが怖いってのと大体一緒だ。
いつも不思議に思っていたんだ。オレが五千年以上も、きちんと任務をこなしているのに、浄化されない理由。それはオレのなくした記憶にあるんじゃないかって、薄々気づいていた。
理由は知らん。罪を自覚しないことが罪とか屁理屈捏ねられてもおかしくねえしな。まあ、理由はどうでもいいんだ。
シリンの言うことはわかる。オレたちは、罪がどうこうを抜きにしても、変わらなきゃならねえ。じゃないと、セッカがきちんと役目を全うして浄化されていった意味がなくなる。
セッカがいたとき、マザーとマスターはセッカをユウヒと同じ存在にしようとしていた。だからセッカが浄化しないように任務を与えず、橙の席の適格者が現れるまで、放浪なんてさせていたのだ。
その隙を突いて、セッカは浄化した。となると、セッカの替えをヤツらは求めるはずだ。その候補として一番に挙がるのはキミカの名だろう。
キミカが望まない「マスター」なんて肩書きを与えられないためには、キミカが浄化するか、もう一つの方法しかない。
アカリが加入したことで、虹の死神は全席埋まっている。マスターになるための儀式の条件は虹が七席揃っていることだ。キミカの浄化が遅々として進まない以上、この条件を崩壊させるしかない。
虹の死神に空席を作る。これをすぐできるのが、オレしかいない、というわけだ。