燈徳
歪んでいるよな、と思う。
シリンが日記を書くようになって、日記をたびたび見せてもらうようになった。なんかセッカは見してくんなかったからな。
歪んでいるのは、まあ、シリンだ。ヒカリが虹の死神になった今、一番の年下ではなくなったシリンだが、なんつーのかな、人格が歪められて正しく戻る前に死んだから、歪んだままなんだろうな。
あ、悪口じゃねえぞ? シリンは礼儀正しいし、ちゃんとオレのことをさん付けで呼んでくれるヤツだ。ただ、考え方に共感できねえっていうかよ……
シリンとセッカの日記の書き方を見てると、シリンの人格の歪み具合っつうか、同い年だからセッカが歪んでなかっただけなのか、こう、すごく「違う」んだよな。
セッカはそれなりに等身大の生き方をして、書き方をした。シリンはちょっと視野が狭いってえか、視覚狭窄ってわけじゃねえけど、なんか極端なんだよな。零か百しかないっていうか……
シリンの提案で、みんなで日記を読むことになった。キミカは大体内容知ってるからいいって遠慮してたな。ヒカリはセッカが旅に持ってってた日記を離さねえしよ。セイムは日記への関心が極端に薄い。というか、なんか日記のこと、怖がっているみたいなんだよな。
「ぼくは持っているだけでいいから」
セッカがセイムに日記を託したってのはわかったけど、セイムは日記という物体だけを預かったみたいな姿勢なんだよな。これは虹の死神の記録で、セイムも虹の死神なのにさ。
記憶がねーからかね。そんなこと言ったら、オレも記憶はねーけどさ。
「なあシリン」
「どうしました? リクヤさん」
持って回った聞き方をするのは性分じゃない。だから率直に聞いてみることにした。
「オマエはオレがいなくなった方がいいって思ってんのか?」
ぴし、とシリンが固まる。やべ、率直すぎたか?
言い直そうにも、出た言葉は返らねえしな……
オレが言葉に悩んでいると、シリンはゆったりと口を開いた。
「いなくなった方がいい人なんていませんよ」
あ、でも真っ向から否定はしないんだな。
「でも、死神ですから。いつかは浄化して、魂が輪廻に戻る必要があるとは思います。僕の罪は許されなくたっていいって僕は思いますけど、世界の仕組みに逆らうほど自分を許せないかというと、そうではないので」
「難しい言い回しするよな、オマエって」
それがシリンの特徴なんだろうけどさ、と思いながら、オレは腕を組む。右手が服の腕章に触れた。
相も変わらずに、そこには何の文字もない。きっと、何かの文字はあったはずなのに。装飾というには素っ気ない黄色い線が二本引かれている。赤い腕章は派手な色に見えるが、オレの濃紺の服には意外としっくり合う。違和感がないことへの違和感。そういうなんか高度な言葉遊びみたいなの、オレは好きじゃねえんだけどな。
オレは自分が生前何者だったのか、覚えていない。わかるのはせいぜい、二十歳まで生きたリクヤって男だったことだ。どうして死んだのかも覚えていない。
シリンがアイラの野郎に焚きつけたときの言葉からすると、ヤツとは因縁浅からぬ感じなんだろうな。諸事情あったっていう加入が遅れたアイラのことをオレが嫌いなのも、そういう過去の記憶からなんだろう。
「日記に書いてあった『終わらせる』ってなんだよ? オレには死神としてのオレを終わらせることのように読み取れたぞ」
シリンはにこりと笑う。どこか満足げな笑みだ。たぶんオレみたいな短気なヤツじゃなきゃ、普通に人懐こくて可愛いとか思うんだろうが、オレはシリンのその笑みが気に食わなかった。
嘘を吐くことに慣れているヤツが、嘘を吐いていることに気づいてもらえて満足しているのだ。気に食わねえってか、性根がひん曲がってるよな。可愛い年下にこんなこと思いたくねえけどよお。
そういうとこが歪んでるってんだ。人ってのは何かしら歪むもんかもしれないけどさ、十五年しか生きてなくてこれだぜ? こういう表情すんのは普通、もっと年嵩のいった嘘つきだろうが。
シリンはその年端に見合わぬ綺麗な嘘を吐くし、嘘だってわからないときもある。そんなの、十五年しか生きてない子どもにあっちゃならねえだろうが。
っていうか何だよ。嘘だと気づいてもらえて満足するってさ。普通の感性してねえじゃん。
「別に、深い意味はありませんよ。アイラさんはアイラさんの過去をしっかり消化しないと前に進めないみたいだから、過去のことはもう終わったことと思うようにって、僕なりに考えた言葉ですよ」
「それが、オレが消えることか?」
「……」
シリンはよくわからん顔をする。種類としては笑顔なんだろうが、そこに乗ってる感情がわからん。難解なヤツだ。
アイラもそうだ。目を隠してよ、口元からだけじゃ、アイツが何を思ってんのか、全然わかんねえ。言葉も少ないし。言いたくないのだろうが、こっちは言われないと何もわからんから腹立つ。
「アイラさんとリクヤさんに何か因縁があるのは、よく知らなくても見ていればわかります。確かに、包み隠すことなく言うなら、リクヤさんには消えてほしいです。それがアイラさんのためになりますし、リクヤさんも輪廻に戻れますし、メリットが大きいです」
けっとオレは目をすがめた。
「メリットデメリットで人の生き死に語るのかよ」
「元軍人ですから。特に潜入工作とかしていると、物事の判断の大概は倫理的な良し悪しよりも実利的な良し悪しが優先になるので、リクヤさんは、僕のこと、好きじゃないでしょう?」
「んなこた言ってねえだろうが」
「少なくとも、僕のこういう考え方は嫌いなはずです。リクヤさんは倫理や道徳を重んじるタイプの人ですもんね」
言われて悪い気はしない言葉たちだが、腹の奥底で「断定すんじゃねえ」っていう憤りから来る反論が渦巻く。けれど、シリンを怒りたいわけじゃなかった。
ここまでのオレの語り口からすると、シリンはもうぶっ壊れてどうしようもないヤツだと思われるだろうが、少し違う。壊れかけのガラス細工みたいなもんだ。ひび割れていて、少しでも衝撃を与えると、傷が広がり、取り返しがつかなくなるような、繊細なヤツなんだよ。
取り扱い注意の劇物。オレが苦手なタイプなのは……まあ、否定しない。
でも、何もしなくても……いや、何か「した」つもりがなくても、いつの間にか何かの衝撃で壊れてしまいそうな危うさがあって、目を放せない。そんな感じでシリンのことを見ている。
「僕はそういうの、羨ましいから、そういう人こそ、早く報われてほしいなあって思うんです」
元軍人。人を殺すのが仕事のようなものだったガキ。それが苦しくてつらくて自殺したヤツが「自分は倫理や道徳が不得手です」と暗に証言している様は、やはり歪だった。
倫理や道徳がわからないヤツはそれをそもそも「わからない」とすら認識できねえもんだ。つまりシリンには倫理や道徳の知識はあるし、それを理解するくらい良心がある。そうじゃなきゃ人殺しが嫌で死ぬなんてあり得ない。
なんとなく、オレは自分が何に腹を立てているのかわかった。
自分で自分を否定するヤツが、オレはムカつくんだ。アイラの野郎だってそう。自分は恵まれてはいけない、幸せになっちゃいけない、なんて独り善がりな思い込みに寄りすがって、それで自分を保とうとして結果壊れているような、矛盾まみれのヤツが大嫌いで、見ていられないのだ。
自分で自分を傷つけるヤツは嫌いだ。自分が傷ついていれば、世の中は正しく回っているんだって思って自分を傷つけているヤツなんか、特に嫌いだ。
アイラみたいに。