また青を
セッカから日記を渡されたんだけど、何これ。
みんな日記を書いているみたいだけど、ぼくは書いたことないよ。
「セイム、お前だけが、確実に永遠に死神のままでいられる死神だ。だから、これに思いを綴っていってほしい」
それで、日記を読んだんだけどさ……
「シリン、付き添ってくれてありがとう」
「ううん。頼ってもらえるのは嬉しいから」
こんなシリンは、ぼくが死んだ後の世界で戦争に巻き込まれて、何をやっても裏目に出て、結局誰からも「裏切り者」としか思われなかった辛い過去を背負っている。最初は忘れていたのに、触れたものの記憶を見る能力で思い出してしまった。
シリンはすごいよ。生まれの不幸をおくびにも出さない。
ヒカリは戦後の世界で捨てられた孤児。それをセッカが拾ってちょっとの間育てたって。ヒカリはセッカのこと「アカ」って呼んでいる。セッカはちょっと嬉しそうだ。
ヒカリは色覚衝動症候群って病気で赤を見ると殺人衝動が起こるらしいんだけど、セッカの目は見ても大丈夫なんだね。愛ってすごいな。
リクヤ兄とアイラ兄にも、そういう過去があるらしい。キミカ姉も抱え続けている。セッカも。マスターやマザーも、何かしら抱えている。
ぼくだけ何もなくて、だからそろそろ抱えろってことなのかなって。
「だめだなあ、ぼく……」
「セイム?」
シリンがぼくの顔を覗き込んでくる。セイムとは死んだときの年齢が近いから、友達みたいに話すことができる。シリンは友達が何かもよくわかっていないみたいだけど、友達みたいに接してくれる。
シリンの記憶能力は死神になってから更に特殊になったらしい。一度記憶したことを忘れないことは変わらないままだけれど、死神の触れたものの過去を見る能力、シリンはいつでも使えるみたいなんだよね。
普通は死神の仕事である魂の罪を浄化するときにしか見えないし、何なら死神なりたてほやほやのときしか見えないこともあるらしいんだけど、シリンは触れたものの記憶が全部見えて、それを全部覚える。
だから、キミカ姉に触れて「あなたは神様の子どもだったんですね」とか、過去を言い当てることができる。
シリンはそうやって、たくさんの記憶を抱えている。なんでマザーはシリンのその能力を消してあげなかったの? きっといつか記憶の重さに押し潰されて、苦しくなるのに。
「こんな重いもの、背負えないよ」
きっとぼくは潰れてしまう。押し潰されて、ぺしゃんこだ。でも、セッカが「永遠」って言っていた。セッカは冗談を言うような人ではないし、きっとぼくは永遠に死神で、永遠だからこそこの日記を受け継がなければならなくて、永遠にぺしゃんこなんだ。
できるものなら、セッカに突き返したいけれど、セッカはもうすぐいなくなるって言っているからなあ。
「セッカ、マスターみたいに残らないのかな」
ぼくが呟くと、シリンは悲しそうな顔をする。まあ、シリンが悲しそうなのはいつもだけど。
死神は罪人の命を刈ることで罪人と自分の罪を浄化する。罪人の命を刈り続ければ、やがて自分の罪が完全に浄化されて、死神の役目から解放されるのだという。
今まで、例外はただ一人。マスターことユウヒさんだ。なんか、儀式をやって、死神からマスターになったんだって。それをすれば、セッカもいなくならなくて済むのに。
「セッカはそれを望まないよ。だから死神のまま、消えようとしてるんじゃないかな」
「なんで? ヒカリと仲がいいんでしょ? キミカ姉やリクヤ兄とも付き合いが長いっていうし、大切な人とお別れするのはつらくない?」
「でも、いつかお別れしなきゃならなくなるよ」
シリンはきっぱり言った。
「自分が生き残ったって、昨日話した友達が明日も生きているとは限らない。命が長ければ長いほど、たくさんお別れをしなきゃならない。今一瞬の別れのつらさ、セッカがこれまでしてきた別れの数に比べたら、きっと痛みのうちにも入らないよ」
シリンはずるい。正論という暴論を振るってくる。正論を言われたら、何も言い返せないじゃん。
何があれだって、シリンはぼくより生きた年数が短いのに、人生の密度が段違いなんだ。だから悟りのようなものを開いてしまっている。そういう人の言葉って、重みがあるんだ。
ぼくは重たいものを持つのは苦手。いつだって身軽で、自由でいたい。でも、みんな背負っているのに、ぼくだけこんななのも、不平等で不謹慎なのだろう。だとしても、ぼくは何かを背負いたくなかった。何かを託されるような大した人物じゃないのに、期待されるのがひどく怖い。ぼくが何したっていうのさ。
そうして鬱々としていると、シリンが苦笑いする。
「別に、セイムが一人で背負う必要はないんじゃない?」
「……へ?」
シリンはページをいくつかめくる。ヒカリの幼い文字をなぞって、このページはヒカリが、キミカ姉のすらすらとした文字を見て、このページはキミカさんが、そしてシリンが自分で書いた活字みたいに整った文字を示して、これは僕が、と告げた。
「セッカだって、ずっと一人で書いていたわけじゃないよ。誰かに少しずつ補足してもらって、死神の有り様を紡いできた。
セイムだけが背負う必要はないんじゃないかな。セッカだけじゃなく、これから罪が浄化されて、いなくなって、虹の死神の顔触れは変わっていくと思うよ。だから、そのときそのときで、頼れる人に日記を書いてもらえばいいんじゃないかな」
目から鱗だった。
シリンは続ける。
「セッカがセイムを選んだのは、セイムはよほどのことがない限り、虹の死神で居続けることになっているからだよ。たぶん、セイムに託したのは日記という物体であって、それに連なる思いとか、そういうのは、セイム自身にもだけど、他の死神にも伝えたいから、こうして残そうとしてるんじゃないかな。物を持っていてくれる人がいなければ、それが存在したって事実が消える。存在しなかったことになったものは、記憶に残らない。二度目の死を迎えるんだ」
「二度目? 人生は一度きりだよ」
人生は一度きりだからかけがえがないのです。やり直しが利かないから、とても慎重に歩かねばならず、悔いのないよう歩き続けなければならないのです。ぼくはそう習った。
シリンは目を閉じた。何かを思い出しているのだろう。再び開かれた瞼の奥から、ぽう、と緑の灯る瞳が姿を現す。普段は灰色なのに、この色は綺麗だ。
大切なことのように噛みしめながら、シリンは紡ぐ。
「存在の死は二度あるよ。一説ではね、一度目が肉体的な死──つまり、僕たちが一般的に死と表現するものだ。そして二度目は、誰の記憶からも忘れられること」
「魂の死とかじゃないんだ」
「魂というよりは、存在証明がなくなるというか……意味や価値がなくなるっていうこと」
「意味?」
シリンは宝箱から、自分の好きな宝石を取り出すみたいに丁寧に言葉を選んでいた。
「忘れるのは、覚えている必要がないからだ」
「違うよ。人が何かを忘れるのは自然なことだよ」
「でも、大切なことは覚えている。大切じゃないものかろ順番に、記憶から消していくんだ。大切じゃなくなるっていうことは、覚えていても意味もなく、覚えているような価値もない情報だと判断されるってことだよ」
シリンはぱたんと日記を閉じた。
「覚えていてほしいんじゃないかな、セッカは。消えるなりに、何かを残したいんじゃないかな、僕たちに」