託す燈
ヒカリの人生が多難でありながらも幸せだったようで安心した。
ヒカリにはおれ以外の大切な人ができたらしい。いいことだ。おれがいなくても、ヒカリは生きていける。
「アカ、いなくなっちゃうの?」
ヒカリが寂しそうにする。
おれは目を合わせない。
「ああ、ごめんな」
またお前を置いていってしまう。
「そんなことはさせませんよ、セッカ」
ユウヒが右目を細めて睨んでくる。おれは睨み返した。
「おれは死神だ。役割を果たしたら、浄化する。それが決まりだ」
「いいえ、あなたはもう死神ではありません。罪を贖う必要はない。あなたは慈母神になった」
ヒカリが目をきょろきょろと、おれとユウヒの間で行き交わせる。
「アカ、こいつアカに失礼。殺す?」
「やめておけ」
ユウヒは浄化されない。マザーと同じく死神を管理する立場となった。クレナイという古の死神もマザーとなって、死神を管理している。
同じところに行くまでに、一万と五千年かかった。ユウヒの涙ぐましい努力を実らせたのはおれだ。けれど、それはおれが自分の意思でやったことではなかった。
慈母神と同じ力を得たのも、おれが望んだことじゃない。
「神になんて、なるものか。神はおれに何もしなかっただろう」
「いいえ、慈母神はあなたを死神にしました。罪を赦すために。そしてあなたの罪は赦され、人間だった身でありながら、あなたは神と同じ力を得た。罪ある者を死神にする力を」
現に、とユウヒはヒカリを見る。おれはヒカリを今のユウヒに見られるのが非常に不快だったため、背に隠す。
ユウヒは肩を竦めた。
「その子を死神にしたではありませんか」
「おれの意思じゃない」
「全身の骨を折っておいてから、何を言うんだか」
「それは関係ないだろう」
「ふふ」
ユウヒは妖しく笑うと、続ける。
「私たちの思い通りになりたくなかったのでしょう? よかったですね。思い通りにはならなかった。私たちを超越する存在にあなたはなり、これからもずっと、存在し続ける。神として、私たちにも、人間たちにも、崇められ続ける」
「そんなものに、なりたくはない!!」
崇められたから何だ。力を持つから何だ。罪人を死神にする力は、喜びと悲しみの天秤を喜びに傾けることはない。そんなものになって、讃えられて、期待されたって虚しいだけだ。
結局何も救わないような神になるくらいなら、普通に──
「おじさん、馬鹿だねえ」
おれの背中から、ヒカリはひょこ、と出てきた。けたけたとユウヒを嘲笑う。笑い終えると、残忍さを宿した目でユウヒに近づいた。
「この世界に、神様なんていないよ」
「……修道服を着て、何を言っているのです」
「神様なんていないって言ってるの。神父さまは神様に祈ってたけど、結局、どれだけ祈ったって、神様は神父さまに祝福をくれなかったよ。じゃあそもそも神様っているの? 信仰って何? 神様って何? どんなに苦しくても祈り続ける神父さまにボクは何度も何度も問いかけた。そのたび、神父さまはこう答えたよ」
ユウヒの前でヒカリはぴたりと足を止め、告げた。
「神とは信仰。信仰とは人の心。つまり神とは人の心だってさ」
ヒカリはユウヒの胸元をとん、と指で突く。
「おじさんの神様はここに棲んでる。誰の心にも神様は棲んでる。神様っていうのは、もうどうしようもなくなったときに、無責任に祈る相手で、すがりつくことのできる『何か』なんだよ。人の心の妄想産物。妄想に神って名前がついているだけ」
「慈母神は存在しますよ」
「おじさんの心の中にね。おじさんの勝手な妄想をアカに押しつけないでよ」
ヒカリの言葉は幼いものとは思えないほど説得力があった。おれが神を信じていないからというのもあるかもしれない。
神は人の心の中に棲む。それは真実かもしれない。虹の死神が七人揃うまで、死神で居続けようとしたユウヒの心はマザーという神を信じていたからだ。盲信していた。同じところに行きたいと、祈り続けた。一人になりたくない、と。
そう思えば、ユウヒの存在は滑稽ですらあった。
「だったらそちらも、勝手な理屈を押しつけないでいただきたい」
「特大ブーメランだよ、おじさん。おじさんがアカを神様だっていうのも、おじさんの勝手な理屈じゃん」
ヒカリはおれに抱きついた。
「アカはただ、アカだよ。死神ではあるけれど、お母さんじゃないし、お兄さんでもない。ボクにとってのアカはね、神様でもないんだ」
「君を蘇らせたのに?」
「人智の及ばない事実とかはどうでもいいんだよ」
ヒカリはにこりと笑って、おれの首根っこに掴まる。
「アカはボクの友達。それで充分だよ」
本当の名前はセッカだ、と名乗っても、ヒカリはおれをアカと呼んだ。生前はアカという言葉すら、口にさせてもらえなかったから、新鮮で楽しいのだという。
「でも、友達がアカリという名前じゃなかったか?」
「……」
アカリのことを少し未練に思っているらしい。
「ボク、アカリを置いてきちゃったよ。アカリはボクと一緒だと、よく死にたがるんだ。ボクと同じで、色覚ナントカ症候群とか言って、緑を見ると、自殺衝動が起きるんだって」
色覚衝動症候群の少女。「シノメ」と呼ばれる忌み目を持つけれど、目を塞ぐことで、その差別と病気から逃れているらしい。
アカリの話をするヒカリは少し寂しそうだった。
「死ぬんだったら、アカリも一緒がよかった。いつかアカリを殺すのは、ボクだとずっと思ってたんだ」
「……そっか」
ヒカリの過去を読ませてもらった。殺人衝動のヒカリと自殺衝動のアカリは怖いほどに相性がよく、互いに特別な思いを抱いているようだった。
きっと、教会での惨劇のきっかけになってしまったアカリとの別れも、ヒカリは悲しかったにちがいない。さよならを悲しく思える相手がヒカリにもできるなんて……と親心のようなものが感動を受け止めてしまう。
ヒカリは不安そうに、おれのマントを引いた。
「アカがもうすぐいなくなっちゃうって本当?」
「ああ」
「せっかく会えたのに……」
短い再会になってしまう。
ヒカリと再会できて嬉しいのはおれだってそうだ。すぐにお別れが来てしまうのも悲しい。でも、さよならを悲しいと思える相手を残して行けることが、嬉しくもある。
それに。
「ヒカリはもう、一人じゃないよ。虹の死神という五人の仲間がいる」
ヒカリをリビングに案内した。包帯を首に巻いたシリン、ヒカリの暴走を避けるため、一時的な対策として似合わない帽子を被るアイラ。アイラの帽子の似合わなさを笑うリクヤ。シリンの傷を心配するセイム。こちらを慈しみの眼差しで見るキミカ。
みんな、ヒカリを温かく迎え入れてくれた。
ああ、よかった。安心して託して逝ける。
おれはセイムに歩み寄った。