赤哭
鳴いたのを、覚えている。
泣いたのを、覚えている。
哭いたのを、覚えている。
「ヒカリ、ヒカリ!」
いくら揺すっても起きない骸であることは百も承知だ。それでも、ヒカリに声をかけずにはいられなかった。
何年越しの再会か。どれほど願った再会か。ヒカリに聞きたかった。おれを覚えていてくれたか。元気で過ごしていたか。笑うことができるようになったか。誰か大切な人を思えるようになったか。どれを聞いても、おれは泣いたことだろう。
どれも聞けずに、今、おれは泣いている。
この後どうなるかも、わかってしまって泣いている。
「……セッカ」
静かにこちらへ向かってきたキミカが、死神のマントを携えている。黒いローブだ。黒い修道服を着たヒカリが着れば、さぞや似合うことだろう。死神に見えることだろう。
当たり前だ。ヒカリは死神になるのだから。
おれはヒカリの体を抱き寄せた。冷たい。
キミカはそんなおれを哀れむように見下ろす。
「セッカ。マスターからの指示です。任務に失敗した場合は」
「わかってる」
おれはキミカの言葉を遮った。そんなの、わかっているのだ。ユウヒを除けば、誰が一番、長く死神をやっていると思うのか。
ヒカリを抱きしめる力を強めるもう命の亡い体を健気に支え続ける骨が軋む音がした。これ以上強く抱いたら、骨が折れるかもしれない。
「キミカ、もし、お前が今、手にしているそれが、おぞましい怪物だとして、その怪物に、愛しい子どもを、食わせたいと思うか?」
「思いません」
キミカは即答だった。でも、と続ける。
「私は何があろうと、クレトやラナにはもう会えません。……セッカ、これを被せないと、セッカもその子に会えませんよ」
「……そう、だよな」
ぼきぼきぼきっ
キミカはヒカリの中からした鈍い音に目を見開く。文字通り、ヒカリの体をおれが抱き潰したから出た音だ。ヒカリの全身の骨を、なるべく全部、砕いていく。それはおれだからできることで、おれにしかできないことだ。
死神になる者の骸を傷つけても、それは罪にはならない。刻印は痛まない。痛いのはおれだ。
泣いているのは、おれだけだ。
死神のマントは、おそらく、生者であろうと、死者であろうと、そのものを死神にする能力がある。フランやミアカに巻きついた触手が肉体を死者にし、体を作り替える。フランは結局、フラン自身の肉体が勝ち、死ぬことはなかったけれど、死神となったことに変わりない。
たぶん、他の死神も、「死」という前提段階が完了していただけで、体をこの得体の知れないマントに作り替えられたことに変わりはない。ただ、ヒカリをマザーたちの好きにはさせたくなかった。
ヒカリ、ヒカリ、ヒカリ……
「……カ、アカ!」
その声に、ぱっと顔を上げる。セッカと呼ばれているわけではなかった。おれを「アカ」と呼ぶのは、この世で一人。
ヒカリが、目を覚ましていた。琥珀色の大きな目が、綺麗だ。
「ひか、り……?」
「アカ! やっぱりアカだ!」
ヒカリは元気におれを抱きしめ返した。優しい抱擁ができるようになっていることに、おれは驚き、目を見開いた。頬を伝う熱いこれは、何という名前だったか。もう、なんでもいいや。
「ヒカリ……!」
おれが抱きしめて、頭を撫でると、ヒカリは嬉しそうにえへえへと笑った。
そんな向こうで、キミカが死神のマントを持ったまま、呆然としている。
ん?
「これは、一体……」
「私が聞きたいです」
そうだろうとも。
ヒカリは死神のマントをかけられていない。
けれど、目を開けた。
おれたちが戸惑っていると、ぱちぱち、と乾いた拍手の音がした。後ろを振り向くと、灰色の髪を靡かせ、左目に眼帯をした男がこちらに向かってきていた。久しぶりに会ったら随分と様相が変わっているが、この男のことをおれは知っている。
「ユウヒ」
「おめでとう」
ユウヒは橙色に見える瞳で微笑んだ。夕陽みたいな色だ。以前は橙色に透ける琥珀色だったのに。
それに「おめでとう」とは一体何に対してだ?
「おめでとう、セッカ。君は自力で、特別な力を開花させた。ヒカリは君が死神にした」
「どういうことだ」
「簡単さ。君の纏う白いそれも、色こそ違えど死神のマントだ。君のマントに抱きしめられたことによって、ヒカリは死神に変化した、と言えばわかりやすいかな」
それを聞いて、ぞっとした。
おそらく、おれが死神のマントの役割を代行した、ということなのだろう。
おれがヒカリを作り替えてしまった。
「いやはや、予想外だった。遅かれ早かれ、セッカは特別な存在になるとは思っていたけれどね、まさかこんなに慈母神に近い存在になるとは思わなかったよ。誇っていい。君は私にさえ成り得なかったものになったのだ」
「慈母神……」
それはクレナイやユウヒを死神にした、死神というシステムを作ったものの名だ。ユウヒの口振りからして、死神のマントを作っているのは慈母神の能力によるものなのだろう。
それに近い存在になった? それが「おめでとう」だって?
「馬鹿を言うな」
おれは確かに、マザーの思い通りになりたくないと思った。けれど、人を死神に作り替える力を持ちたかったわけじゃない。
こんな形を望んだわけじゃない!
「アカ?」
そこに、無垢な瞳が覗き込んでくる。こちらは琥珀色の瞳だ。
「アカ、ボクとまた会えたの、嬉しくない?」
「嬉しいさ」
駄目だ、泣き声が滲んでしまう。
ヒカリ、お前をどれだけ探したかわかるか? お前のためにお前の病気について、どれだけ調べたかわかるか? お前の居場所になれそうな場所を見つけられて、お前を連れていくだけだと意気込んで、戻ってきて、お前を殺さなきゃならなかったおれの気持ちが、再会して、嬉しかったのに、直後にお前を殺されたおれの気持ちが、わかるか?
わからなくていい。わからなくていい。おれはそう自分に言い聞かせて、首を横に振った。
ただ一つ、変わらぬ事実がある。
死神になったとか、死んだとか、おれが死神にしたとか、そんなことは関係ない。今、ヒカリがおれの腕の中にいて、おれを「アカ」と呼んでくれる。それだけ。
そのたった一つだけに、おれはどうしようもなく、救われた心地がしたんだ。
同時に、絶望もした。
もう、ヒカリに人間として生きられる場所を与えることができない。せっかく見つけたのに。
でもヒカリとまた会えて、言葉を交わせてよかった。
喜びと悲しみの波が交互に押し寄せて、おれの心はぐちゃぐちゃだ。でも、ぐちゃぐちゃにしているものの中心にいるのがヒカリだから、許せる。
ヒカリがおれを覚えていてくれた。それだけで、おれは報われる。
「ヒカリ」
「なぁに?」
「ありがとう」
でもね、
今度はもうすぐ、おれがいなくなってしまうんだ。
そう、哭いた。