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虹の死神  作者: 九JACK
灯の死神
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赤子

 赤い湖面で瞬きするのは何色だろうか。おれの目も赤いからか、赤ん坊の目はより赤く赤く見えた。深いというより、純然たる赤といった感じ。

 ああそうか。お前もその目のせいで捨てられたのか。

 おれはおれが捨てられた理由を思い出した。父のことも母のことも覚えていない。日の光が痛くて、少しでも光から逃れるために襤褸も塵も死体だって被った。何かに隠れて生きなければ、すぐに皮膚が爛れ、息が苦しくなる。苦しいことが生きている証明だった。

 おれはフィウナに拾われて、初めて鏡を見たときに、セッカという名前を知ったときに、思った。赤いから、おれは捨てられたって。

 赤は血の色。赤は死の色。死の世界に咲いているという花は、神様のいない地獄に咲くという花は、赤い色をしているらしい。だから、赤は忌避される色で、「赤華」と名付けられたおれは、忌避された。

 おれと同じ色を湛えてしまったために、お前は捨てられたのだな。どんなに時間が経っても、地獄に咲く花の色は変わらないのだな。

 かわいそう、とは思わなかった。おれが赤ん坊に抱いたのはたぶん、同情だ。でも、憐れむというより、予感だったのかもしれない。

 ──この子はいつか、おれと同じところまで堕ちる。

 それは次の瞬間、確信に変わった。

 赤い目がぎらりと走り、おれの首に噛みつこうとした。おれは咄嗟に身を引いて、腕を差し出す。噛みついた歯は、ぎりぎりと、シャツの上からでも痕をつけるかのように、強い力で食い込んでくる。

「う゛ーっ……ふう゛ーっ……」

 赤ん坊は獣のように荒い呼吸をした。様子が変だ。歯の食い込む力は増すばかりである。

 おれは食われても再生するからいいが、人を食い千切る赤子など聞いたことがない。譬おれが世間知らずだったとして、普通にあり得てはいけないことのはずだ。

 そういえば、さっきの襤褸の人間も噛まれていたな。怪我をしていないといいが。

 おれはフードを目深に被った。視界から赤ん坊の赤い目が見えなくなると、僅かに赤ん坊の噛む力が緩む。その隙を見逃さず、おれは赤ん坊を腕から引き剥がした。

 赤ん坊から少し距離を取り、噛まれた腕の袖をまくる。しっかりと噛まれた痕がついていた。とても人間の、しかも赤子の仕業とは思えない、赤紫色の痣。

 この赤ん坊が捨てられたのは、目が赤いからだけじゃない。この異常性のためだ。おそらく、手がつけられなくなって、匙を投げたのだろう。

 親なのに、それくらいで匙を投げるなんて、と思うかもしれないが、仕方がない。世の中にはカミツキガメというやつがいて、人の肉を食い千切ることで有名だ。あの赤子も下手したらそれ並みである。しかも、元々は腕ではなく、おれの首筋を狙っていた。首は急所の一つ。太い血管が浅いところにあるから、刺す、切る、噛み千切るのどれでも、面白いように血が噴き出し、死ぬ。そんな知識は赤子にはないだろうが、動物的本能で急所を狙うことはできる。

 この赤子はおれを殺そうとしていた。殺すつもりで噛みついてきたのだ。赤ん坊の武器など歯か爪くらいなものだろう。

 これは、ただ人の世に放してはいけない生き物に関わってしまった。赤ん坊に道徳を説いても仕方ないし、道徳でどうにかなるのなら、親が匙を投げたりはすまい。

 さっき、目を隠したら、赤ん坊の力が弱まった。噛みつくのにも、何かきっかけがあるのだろう。だとすれば、目を合わせることか……赤という色を感知すること。

 捨て子は普通は教会に届けなければいけないが、おれの中に立った仮説が確かなら、この赤ん坊を教会に連れていってはいけない。

 面倒なことになったな、とおれが頭を抱えるのをよそに、赤ん坊は寝息を立て始めた。呑気なものだ。こちらはお前のことで悩んでいるというのに。

 しかし、参ったな。教会に行きたかったのに。この赤ん坊をこのまま捨て置くわけにもいかなくなってしまった。

 眠った赤ん坊を起こさないようにそっと抱き上げる。女の子だろうか。髪と同じ色をした睫毛が長い。きっと綺麗な子に育つ。おれと違って、髪に色があるし、肌色もある。異常性さえなければ、いくらか普通に過ごせたろうに。

 おれは荷物から布を出した。長く裂いて、結んで、赤ん坊を背負う。リクヤ辺りが見ていたら、似合わないだとか、笑うんだろうか。おれは赤ん坊をおんぶしていた。

 こんなことができるのが意外だと思われるだろうから説明しておくと、おれは孤児院にいたとき、赤ん坊の世話をすることがあった。背だけは大人と同じくらいでかかったから、職員の怠慢に付き合わされたのだ。おれが抱き上げて子守唄を歌ったり、おんぶして寝かしつけた小さいやつらはおれを慕った。あれは間違いだったかもしれない。

 経験がどこで生きるかなんて、わからないものだ。

 背中を温める体温が懐かしい。

「ああ、案外と覚えているものだな」

 五千年経っても、赤子は(ぬく)い。

 夜目が利くのをいいことにここまで日記を書いたが、直に夜が明ける。そうしたら、おれは普通には歩けない。路地裏を歩こうか。

 路地裏はおれの生まれ故郷のようなものだ。あまり光の入ってこない、じめじめとしたあの空気がおれには心地よかった。おれは太陽に嫌われた子どもだから、太陽がおれを苛まない時間と場所が好きだった。

 時々赤いものが転がっているだろうから心配だが、まあおれのことを噛む分には何も問題はない。ただ、赤いものを見るのが人を殺そうとするトリガーなのなら、難儀だ。

 人は血を流すから。血の色は赤い。赤を見て、人を傷つけて、血が流れて、血の赤を見てまた人を傷つけて……負の連鎖である。

「めんこやめんこ

 寝る子はめんこ……♪」

 おれはうろ覚えの子守唄を歌いながら、昇る太陽から逃れるように、路地裏へと入った。

 どうするにも、水源を探さなければならない。一人旅ならどうとでもなったが、赤子がいる。死なせたくない。

 それとも、この子が誰も殺さぬうちに死んでしまうことを望んだ方がいいのだろうか?

 ……いいや、それは絶対に後悔する。おれはもうこの赤ん坊の中に過去の自分を見て、守りたかった小さいやつらの姿を見ている。だから、見捨てたら、きっと引きずる。

 難儀だな。どうすることもできないのに。

 でも、赤子は守られるべきだ。

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