出藍
旅というと大袈裟かもしれないが、おれは旅に出ることにした。世界を見てみたい、と言ったら、案外あっさりユウヒとマザーからOKが出た。
「旅ですか? セッカが?」
他の面々はきょとんとしていたが、シリンやアイラはいいんじゃないか、と賛同してくれた。
「でも、急に旅だなんて、どうしたんです?」
キミカが不思議そうにするので、おれは笑う。
「マザーやユウヒにも言ったが、世界を見てみたいんだ。今まで、おれはただ役目だから、と死神としての務めを果たしてきた。それが世界を救ったり、守ったりすることに繋がっていたわけだが、じゃあ、自分がたくさんの命を刈って、救ったり、守ったりした世界って、どんな形をしていて、どんな姿をしているのか、そういえば知らないと思った。
おれはね、あの世界で十五年しか生きなかった。そのことを今更悲しんだりはしないよ。ただ、この世界の管理人面をするには、この世界のことをおれは知らない。おれはおれの疑問を解消したいんだ」
「疑問ってなんです?」
その問いにおれは答えなかった。
「内緒だ」
というわけで、旅に出ている。日記が埋まったら帰るつもりだ。日記が埋まるまで、何日かかるかな。それも少し楽しみだったりする。
目標とか使命とか、抱いたことがないから。おれはあまりにも惰性で死神を続けてしまった。何かをしなければならないということが死神にはない。そのことに甘んじて、のうのうと過ごしていた。けれど、ずっとそうしているわけにはいかない。
おれは近々、死神じゃなくなる。その前に、ちゃんと世界を見て、知って、その上でおれの考えを後の世に遺したい。
おれのこの思いを知っているのはシリンだけだ。ミアカのことは結局おれとシリンしか覚えていない。英雄ナントカほど重要ではないからか、名前が潰されることはないけれど。
まずおれは、ミアカの家に行った。ミアカが言っていた英雄の資料というやつを見てみたかったのだ。これはおれに残された数少ない未練だったのかもしれない。この世でもうたった一つしかないかもしれない、フィウナの足跡。
消えてしまう前に拾い上げたかった。シリンのように覚えることはできないけれど、この目できちんと見ておきたかったんだ。
ミアカの家は廃墟となっていた。誰かしら住んでいたりしないだろうか、と探索したが、今のところ、誰もいないようだ。
英雄の肖像画を見た。確かにミアカは瓜二つだ。それにやっぱり、フィウナにそっくりだった。油断すると、嗚咽をこぼしそうになる。絵師が良いのだろう。今にも動き出しそうで、声をかけたら、セッカ、とおれの名前をあの懐かしい声が呼んでくれるんじゃないかって、そんな幻想を抱きそうになる。
死神界には時間があってないようなものだから、日の照っている時間に出歩くと頭がくらくらする。屋敷の探索に徹することにした。
といっても、ほとんどが英雄に関する資料だ。この家にとって、よほど先祖の女傑は重要なものだったのだろう。どこかで血脈は続いているかもしれないが、直系の血筋は途絶えた。なんだか他人事だ。ミアカとフィウナはどれだけ似ていても違う人だし、そもそもおれとフィウナにも血の繋がりはないということをしっかり認識しているからかもしれない。
■■■・オウガ
この国の独立戦争、宗教戦争、侵略戦争を勝ち抜いた女傑。他国からの侵略戦争にも打ち勝ち、地域によっては神として奉られている。
彼女は戦士としての側面と慈母としての側面があり、戦争の神か慈母の神かで■■■の教会は二分される。
慈母というのはどういうことかというと、■■■の活躍は戦時中のみではなかったということである。
戦争というのはたくさんの人が死ぬ。そのことから孤児が多くなる。そういう子どもたちに手を差し伸べる姿を■■■は持っていた。あるときまで、■■■は女であることを隠していたため、慈母として振る舞うときは赤毛のウィッグを被り、貧しいものたちに溶け込むよう、ウィッグをわざと癖毛のぼさぼさにして、襤褸をまとい、マザーと名乗っていたそうだ。
彼女は国の英雄と立てられるようになってからも、マザーとしての活動はやめず、そんな彼女に心を打たれた人々は孤児院を開いたり、教会への寄付をしたり、各々できることをするようになった。
戦争を勝利へ導いた英雄としての語り草が有名な■■■であるが、この国の孤児への対応の礎を築いたのもまた■■■なのである。
この国の■■■を奉る教会は今も積極的に孤児の保護を行っている。
また、赤い癖毛は■■■が自身の母をモデルにしたという言い伝えもある。真偽のほどは不明であるが、ある国では赤い癖毛の女性を慈母神として讃えているという。
これ、まさかマザーに関係あるのか?
あと、やはり英雄の名前は潰れるな。この資料を写生してみたんだが、興味深い。
おれもフィウナに紹介された教会を介して孤児院に行ったから、もしかしたら何か関係があるのかもしれない。あの頃は神なんて信じていなかったし、興味もなかった。教会がどんな神を奉っていたかなんて、爪の先ほども覚えちゃいない。
さて、いつまでもここにいると旅にならないから、夜になったら出ていくか。資料を読んだことで一つ目的もできた。
あと、少しミアカのところから医療関係の資料を拝借してきた。ちょっと気になる病気があったんだ。
最近名前がついたらしい奇病なんだが、「特定の色を目にすることで特定の衝動や欲求が強まり、制御できなくなる病」というのがあってな。「色覚衝動症候群」というらしいんだが、症例として挙げられていた中に見覚えがあるのがあった。
例えば、黒という色を見たときに物欲を極端に刺激され、「欲しい」と思ったものを手段を選ばずに手に入れようとする症状がある。この場合の「手段を選ばない」というのは金に物を言わせるとか、悪どい立ち回りをするとかの回りくどいことではなく、手に入れるためにそれを持っている人物を攻撃、あるいは殺すことも厭わないという意味だという。
これを聞いて、おれの前の赤の席、キセキというやつの話を思い出した。あの頃は名前がなかっただけで、少女を殺してまでその黒髪を欲したキセキのそれは色覚衝動症候群なのかもな、と思ったんだ。
関係があるかはわからないんだが、シリンの異常記憶能力についても何か手掛かりにならないか、漁ってきたんだが、まあ、ミアカも救護班長なんてやっていたからか、専門用語が多くて、おれの知識ではさっぱり……大脳と小脳って何だ? 脳って一つじゃないのか?
おそらく記憶云々の話は脳の部分になると思うんだが、情報が頭に定着しないので匙を投げてしまった。すまんな、シリン。
まあ、今更治るどうこうを気にしているわけではないんだろうけどな。忘れられないって、つらいことだろ。おれはフィウナのことだけ忘れられなくていっぱいいっぱいなのに、シリンは何もかもを覚えているんだ。おれと同じで十五年しか生きていないのに、途方もないほどの情報を抱えなきゃいけなかった。それを大人に利用されて、洗脳されて育ったから、死ぬっていう方法しか採れなかったんだろう。つらかったよな。おれもやり方がわからなくて、間違えたんだ。だから死神なんてやっているんだ。
おれは孤児院でおれを慕ってくれた小さいやつらを守れなかった。行き場所なんてないからって思い込んでいて、「逃げる」っていう手段を思いつかなかったんだ。小さいやつらを連れて、逃げればよかったのに。いつかのストリートチルドレンのように、路地裏でみんなでわいわい、飢えながらでも生きている方がずっとよかったのに。なんでそんな簡単なことが、あの頃はわからなかったんだろうな。
今更悔いてもどうしようもない。
日が傾いて夜になっても、死神のおれは夜目が利く。今まであまり気にしたことがなかったけど、なんだか新鮮な発見だった。
おれはミアカの家を出て、近くの教会へ行こうとしていた。英雄を奉っているかはともかく、教会というものをきちんと見てみたかったのだ。
おれの頭から爪先まで、真っ白のマントでは目立って仕方ない。何なら夜だって目立つのだが、体調も踏まえて、昼間よりはましだろう、と考えたのだ。
教会の近くまで来たところで思いがけない事態に遭遇する。
「ぎゃあっ」
悲鳴がして、反射的にそちらを見た。ぶかぶかのローブで女か男か判然としないが、それが腕に何かに噛みつかれて、悲鳴を上げたのだ。
ペットの散歩とするには随分と夜が更けているが、と思っていると、腕についたそれを引き剥がし、その人はそれを地面に叩きつけるように投げた。
おれの目は捉えた。その塊から伸びているのは、小さな赤ん坊の腕だ。
だっと一足飛びでその赤ん坊のところへ向かい、自分の体がクッションになるようにしてキャッチする。おれはぱっとローブのいた方を見た。
「おい、お前」
「いっぃぃぃ……っ」
険しい声は出たが、そんなに怖かっただろうか。おそらく女と思われるローブは夜闇に消えていった。おれは追いかけるには態勢が崩れており、腕に抱えた小さい命に気を向ける。
どこからどう見ても捨て子だ。あんな怒ったとにに捨てるごみみたいな投げ方をしなくてもよかっただろうに、とは思うが、赤ん坊は死んでいないのでそこはもう深く追及しないことにしよう。
ふっと苦笑が零れた。赤ん坊の頭をそっと撫でる。赤みのある金髪をしていた。オレンジと言っていいだろう、鮮やかながら、街灯の光を返すと儚い煌めきを放つ、綺麗な髪だ。
「お前は強いな。捨てられるからって、最後の抵抗に母親に噛みついたのか? はは」
戦争は終結したものの、復興には年数がかかる。いくら国が手を尽くしても、ひもじい思いをする国民がゼロになることは決してない。
言葉として知ってはいても、実際目にすると、やはり胸に来るものがあるな。最後の最後まで親に抵抗したこの子はさぞや逞しい子に育つことだろう。
名前は……ないようだ。口減らしというよりは忌み子ということだろうか。この国にそういう因習があるのかは知らないが……
ばちり。
そこで赤子と目が合った。
おれの目と同じ赤が、爛々と輝いていた。