黄えた色
セッカさんは首を横に振った。
「なんでですか」
「セイムに引き継ごうと思っているから」
「え」
意外な名前に僕とミアカさんの声が重なる。
セイムは僕の少し前に虹の死神になった人物だ。享年は僕より上だけれど、戦争が始まる前の人物だからか、僕より無邪気で子どもらしい子どもといった感じである。
僕を死神として迎えに来た人物でもあるが、セイムは記録係に向いているように思えない。
すると、セッカさんが説明した。
「セイムはシリンと違って忘れっぽい。どちらかというと、ユウヒ寄りの気質だろう。だが、セイムは特殊だ。やつには罪の数値がない。故|に、浄化することがない」
罪の数値は生前に犯した罪を文字通り数値化したものだ。僕のは左肩にある。アイラさんは左手首、キミカさんは背中。そういえば、セイムの罪の数値がどこにあるのか知らない。
セッカさんは続ける。
「セイムは本来虹の死神になるはずだった人物の身代わりとして死神になった。本来、誰も殺していない、罪のない魂だ。だから、罪の数値がない。本来なるはずだった人物の罪を引き継ぐとかではなく、虹の死神の理に干渉した罪として、セイムは永遠に死神で居続けなければならない」
「罪を犯していないのに?」
「理をねじ曲げた代償だ。シリン、セイムはお前の最初の任務先の相手に身代わりで死神になったと告白したそうだな。あれははったりでもなんでもなく事実で、死神のシステムにおいて例外中の例外だ。特例だということをセイム自身すら知らない。知らないまま、やつは死神として永劫のときを送る」
「そんな、そんなの、ひどすぎます! 罪がないのに理を犯したからって、そんな、滅茶苦茶な……!」
セッカさんは僕の叫びに、何故か口元を綻ばせた。目は遠くを見ていた。懐かしむように、愛おしむように。
「滅茶苦茶なことをしてでも、セイムは友人を救うことを選んだんだ。酷いかもしれない。惨いかもしれない。それでも、あいつ自身が望んで選んだ道だよ」
セッカさんが僕を手招く。僕はしゃがんで、セッカさんと目を合わせた。
骨張った手が、僕の頭を優しく撫でる。その掌から感じられるのは、慈しみ。感情のない人には出せない感情だ。悲しみを理解する人にしか、わからない感情。
「だから、記録係になる、なんて言うのはやめてくれ。よりによって、お前が自ら、そんなことを言うのは止してくれ。おれに罪悪感を増やさせないでくれ」
「セッカさん……」
「東暁とかいう、お前の大事な人に、顔向けできなくなる。……おれは近く、虹の死神ではなくなるつもりだ」
セッカさんの宣言はさらりとしていたが、それは簡単にできることではないはずだ。
日記を読んだから、知っている。セッカさんはユウヒさんをマスターにするために殺した。それは膨大な罪として、セッカさんの首筋に刻まれているはずである。
「それなんだがな」
セッカさんはフードを取る。星明かりすら眩しいのか、眉根を寄せるが、死神のマントをふぁさりと取り、その下に着ていたパーカーの襟元をぐいっと広げてみせる。
首筋に刻まれたセッカさんの罪の数値は赤い色で三桁の数字を示していた。
どういうことだ? 虹の死神を殺すという罪で、セッカさんの罪は跳ね上がっているはずだ。三桁なら、数回の任務で浄化できてしまう。大量殺戮の担当となりやすいセッカさんなら、あるいは一回で浄化されるかもしれない。それくらいの数値だ。
ははは、とセッカさんは声高に笑った。
「これはマザーたちも予想外だったんだろうな。おれは確かにユウヒの首を飛ばして、虹の死神の一人を殺した。だが、おれは虹の死神で、罪を浄化する力が強い。そしてユウヒは虹の死神として罪の数値を持っている。
ユウヒという虹の死神を殺した分の罪が、ユウヒの罪を浄化したことで帳消しになったんだ」
死神になったものの罪を死神が浄化できない、なんて、いつから思い込んでいたんだろう。
セッカさんはからからと笑う。
「おれとアイラが共同任務に出たとき、最終的におれとアイラは殺し合った。それにより、罪が加算された……とやつらは勘違いしていた。実際は違う。殺し合ったことで、互いに浄化した分の罪と、加算された罪とが反映され、加算された罪の方が若干多かっただけだ」
ユウヒさんに対しては、セッカさんが一方的に殺しただけ。セッカさんはアイラさんと殺し合う以外は、罪の加算となる行為はせず、着々と罪を浄化していた。ユウヒさんを殺した罪は大きいが、自傷し続け、罪を重ね続けていたユウヒさんの罪を浄化した分、どれくらい浄化されるか。それは殺した罪の数値を帳消しにし、上回りさえした。
僕はセッカさんに持ってきていた日記を差し出す。
「そのことを、キミカさんに伝えてください。この事実は、キミカさんの希望になる」
「キミカに、何かあったのか?」
「読めばわかります」
それと、僕は閃いた。
「やっぱり、僕に死神の記録を見せてください。僕にしか見つけられない情報が、そこにある。全てを記憶できる僕が、記録を記憶して、分析して……全てを救う方法を見つけます」
データベースとしてじゃない。僕には情報を処理、整理、分析する能力がある。それを生かせる方法が、これだ!
僕の提案に、セッカさんの顔色が少し明るくなる。
「わかった。そういうことなら、死神の記録を見せよう。おれの部屋にある」
この表情変化でわかった。
セッカさんは願いを持たないから、ユウヒさんから日記を引き継いだという。でも、死神としての五千年で、セッカさんにも願いが生まれた。それが望みだと、自覚していないだけ。
セッカさんは五千年、死神の仕組みに苦しみ続けた。だから望んだ。死神が終わることを。
けれど、それをただマザーに言っただけでは、言いくるめられて終わりだ。マザーやマスターが、何も言い返せない論理、死神の理に関わる反論材料を見つけ出す。死神の仕組みの抜け穴を。
風が吹いて、頭上の星が一つ堕ちていった。
一万と五千年分の記録、ということで、一人で読破するには何日もかかってしまう。そこでミアカさんが手伝いを申し出てくれた。
正直、有難い。これで、僕が新たに手に入れた能力も生かすことができる。
「セッカさん、ミアカさん、三人で協力して、記録を読みましょう」
「だが、シリン一人に記録を集約しなくてはならないのではないか?」
セッカさんの疑問はもっともだ。
「セッカさん、手を出してください」
「?」
僕は差し出された手を握り、記憶能力を発動させた。
これは、死神が命を刈るとき、罪人の記憶を垣間見るという能力を応用したもの。記憶という分野において、後にも先にも、僕より造詣の深い者は生まれないだろう。
ああ、一気に情報が頭の中に雪崩れ込んでくる。セッカという名前は赤い華と書く。忌み名としてつけられたものだ。忌み名となった赤い華は秋に咲く花で「曼珠沙華」「死人花」「地獄花」「彼岸花」など死にまつわる呼び名が複数存在する。故に忌み名だった。
「フィウナさんは、雪の日に火事で亡くなったんですね」
「なんで、そのことを……」
「あなたは悪魔の子としてアーゼンクロイツ家を追い出された。義父を殺したというのもあるでしょう。そんなあなたをフィウナさんはせめて教会に、と送った。そしてあなたは孤児院へ行くこととなった。そこでの扱いも酷かった。
中略します。あなたはその孤児院で暴走し、職員を皆殺し、力を使い果たしたあなたはやがて餓死し、死神として迎えにやってきたユウヒさんに連れられて、虹の死神となった。
ミアカさん、手を」
「はい」
その手を取り、次に語るのは。
「あなたは大佐に、僕のことにして忠告した。昔の自分に似ていると。
英雄の書十三章。英雄は性別を男と偽っていたが、戦争が佳境を迎えたとき、彼女は自分の性を明かし、演説した。『自分は女であろうと、この国のために戦い続け、この国のために功績と人生を捧げ続けてきた。それで今がある。それでも、私が女だからだと蔑むか? 目前まで勝利をもたらした私を、信じられないか? 皆、己の魂に問いかけよ!』と。その演説に民たちは鼓舞され、女傑の下に集い、戦い、勝利の栄光を手にした」
「私が何度も読み返したところ……」
簡潔に語る。
「僕は触れたものの記憶を読み取り、記憶することができます。多少、情報処理に時間はかかりますが……セッカさんとミアカさんが読んだ部分を、こうして、読み取ることができる。これがこの何万とある日記を記憶する最短の方法です」
「なるほど! それなら早く片付きますね」
納得したセッカさんも、日記を読み始めた。
ミアカさんも日記を本棚から取り出す。そのとき、あら、とミアカさんが声をこぼす。
「本棚に隠れた扉なんて、古風ですね。どこに繋がっているんでしょう?」
ちょっと覗いてきますね、とミアカさんは扉の向こうに消えた。ちょっとした探索だ。すぐ帰ってくるだろう、と見送ったのが、僕たちがミアカさんを見た最後だった。
「……遅いな」
さすがにセッカさんもそう感じたらしく、ミアカさんの入っていった扉を開けて入ると、そこは真っ白な空間で、何かの脱け殻のように、死神のマントが落ちていた。
ふわりとマントから香る石鹸と柑橘の匂い。
「ミアカさん?」
ミアカ・オウガが、消えた。