魔女降臨~ヘレンの『心』~
今日も、一人の女が犠牲になった。地面に転がるその首は何かを訴えるような、そんな目をしていた。
×○村には変わった因習がある。それは、村から出ようとしたり、男性からの求婚を断ったりすると、「魔女」認定され、死罪にあたるのだ。この村に女の人権なんてものはない。求められればなんでもする。それが女の役割であった。
そんななか、一人の少女が外の世界に興味を持ったのである。
「さっき飛んでいった鳥はどこにいったのかな」
それを聞いた母親はあわてて少女の口を塞いだ。「誰にも言っちゃだめよ」と。幸いその場には二人しかいなかった。辺りは赤錆が目立つ、今にも崩れそうな小屋が点々としていた。所々にじゃが芋畑があるが、誰かが強引に引きちぎったのであろうか、芋がゴロゴロと散らかっている。
「ねぇ、私も空を飛びたい」
「だめよ。変な気を起こさないで」
この村の女には名前もない。愛着が湧けば村の因習が成り立たなくなってしまうからだ。それでもこの因習を守るのには意味がある。この村には、必ず一ヶ月に一人、人智を超えた「魔女」とよばれる者が誕生するからである。その可能性のある者は必ず「空を飛びたい」という。
それは、「村の外を出たい」「自由になりたい」などという強い意志を持った女である。村人はそんな女を恐れていた。「意志」こそが女を狂わせ魔女にする。そう思っているのだ。
「おい、何してる。家に戻れ」
少女の父が二人を呼んだ。その声は冷たかった。
「今日は何をしていた」
家に帰ると、父は彼女に尋ねた。少女は素直に「空を見ていた」という。それに彼は激昂して彼女の顔に平手打ちをした。その白い肌はみるみるうちに赤く腫れていく。
「いいか。お前は畑仕事だけをしていればいいんだ。余計なことは考えるな」
「……はい」
頬を押さえながら少女が母の顔を見やる。その目は怒りよりも恐れに満ちているようだった。それ以降、父も母も彼女に対して、きつくあたるようになった。ご飯の量も少なくなっていったし、仕事の量も増えた。それはもう過労死するぐらいに。両親からすれば「早く死んで欲しい」という表れなのであろう。
しかし、それにつれて少女の思いは強くなっていく。
「あの鳥のように、この村から飛んでいきたい」
ザッ……
「魔女じゃ……」
少女が呟いた声を、村長連中が偶然聞いた。彼らは手にナタを持っている。たまたま薪を割りに帰っていた途中なのだろう。
(逃げなきゃ……!)
少女はとっさに、村の外へと駆け出した。しかし、すぐに囲まれ、追い詰められてしまった。髪や腕を掴まれながらも、彼女は諦めなかった。大声で
「魔女になってもいい、だから空を飛びたい!」
そう叫んだのである。
すると、彼女の髪が金色に輝き、瞳は緑に染まった。その姿を見て村長らはその場をあわてて走り去った。彼女は何が起こったのかわからないでいる。
「やっと目覚めましたね、ヘレン様」
声は一匹の雀から聞こえた。
「ヘレンって、私のこと?どうしてこんな姿になったの」
「この村の女性には古代魔女へレン様の血が流れております。なぜなら、今は亡きヘレン様の肉を食った女がいるからです。その女はヘレン様の能力を継承し、子孫を増やしていった……」
「殺して食べたの?」
「いいえ。魔女にだって寿命はある。ヘレン様の御意志です。魔女の本当の使命は人の病気を治療したり、こうやって私たちと意思疎通して自然の状態を管理したりすることです。最初は『魔女降臨』といって、崇められていたのですが、それがいつしか、負のイメージがついて『魔女狩り』なんてものがなされるようになったのです。」
「私にその血が流れている……一体何をすればいいの」
「まずはこの村を管理しましょう。あまりにも酷すぎます。まずは女性に名前と自由を与えるのです。そうすれば、複数のヘレン様が目覚めるでしょう。そして、この村にかつての賑わいを取り戻すのです」
「そして、魔女狩りもなくなる。いい事尽くしね」
少女は、嬉しそうに自分の頬へと手をやった。父に殴られてできた赤い痣を(治れ)と念じれば、緑の光が現れ、痣を消したのである。
「これが、私の力……」
彼女は雀に言われたように、村の女に名前と自由を与えた。すると、次々に黄金の髪と緑の瞳をした女が老若問わず現れたのである。
そして彼女らは、それぞれの動物に言われたように、赤錆びた小屋や、荒れたじゃが芋畑に満ちた村を魔法の力で美しい姿に変えた。男たちはその力を次第に崇めるようになっていく。
しまいには、村中に「ヘレン信仰」が広がっていった。
しかし、女たちは一つの不満を抱くのである。もともと名前のなかった少女は「ヘレン」という名で納得しているが、それぞれ名前を貰った女たちが「ヘレン」と呼ばれ、その功績さえも同一視されるのに、深い憤りを感じたのである。
少女は「私たちはヘレン様の一部だからしょうがない」と言って、あまり深く考えなかったが、次第に女たちの不満は膨らんでいく。
ある老婆のヘレンは「散々男たちに虐げられてきた。何故この村を救う必要がある。私の烏も言っておるぞ。『復讐することもできる』と。それに私はヘレンではなくイワナじゃ」と言った。
ある中年のヘレンは「こんな村捨てて、私たちは外に出て世界を知るべきだわ」と言った。
少女は困ってしまった。確かに彼女は「空を飛びたい=外に出たい」から魔女になったのである。しかし、雀は言う。「魔女の役目は人の怪我や自然を癒すこと。そこに個人の意志はいらない」と。
そこで、ふと彼女は不思議に思った。何故この村に拘るのであろうかと。
「ねぇ雀さん、ヘレン様はどうしてこの村で死んじゃったの。魔法の力があれば村の外に簡単にいけるでしょ」
「村の外にも魔女がいるからです。ヘレン様は魔女たちから迫害されてこの村に来ました。それを快く受け入れてくれたのがこの村だったのです」
「そうだったの……それじゃあ、外に出てもこの姿なら、魔女たちに追いやられるかもしれない。やっぱりこの村で生きていくしかないのね」
少女はこのことを他のヘレンたちにも話した。それを聞いた彼女らはある一つの案を出した。それは、「私たちで他の魔女をやっつけよう」というものだった。少女はそれに異議を唱えた。
「それじゃ、魔女の役割と反してるわ。どうしてヘレン様が迫害されたかも知らないのに」
「私たちが悪いとでも言いたいの。あんたも外に出たいんでしょ」
中年のヘレンが眉を吊り上げて言う。古代魔女へレンと同じ血が流れているはずが、何度話しても、少女だけどうしても意見が合わなかった。そして、個人の名前があると主張していた彼女らも、ヘレンの話になるとみな口をそろえて「私」というのである。
夕暮れで一人佇んでいた少女に雀は言う。
「あなたはこの村で一番へレン様の血が濃いのかもしれません。あの方は戦いを好みませんでしたから」
「ヘレン様はどんな気持ちで私たちにこの血を授けたんだろう」
「……それは、後にわかるでしょう」
少女は雀の言葉に首を傾げたが、沈んでいく真っ赤な太陽に「この村に祝福がありますように」と願った。その姿を、雀は少女の肩の上で見つめていた。
しばらくして、事件は起こった。ある女の付き添い動物が、「魔女の心臓を食えば、魔法の力が増幅する」と言ったのである。それを知ったヘレンたちは互いの心臓を狙いあうようになった。いわば殺しあいである。しかし、少女だけはそれを拒み続け、身を隠しながら仲間の供養をした。
そうしているうちに、ヘレンの数がどんどん減り、やがて強力な魔法の力を持つヘレンが登場した。彼女は自分のことを「ダーザイン」と名乗り、片っ端からヘレンたちの心臓を貪り食っていた。
ついに、残ったのは少女とダーザインだけになってしまった。
「やはり歴史は繰り返されるのでしょうか」
雀は俯いて、まるでこうなるのを知っていたかのように呟いた。
「過去にもこんなことがあったの?」
「ええ。あなたのように目覚めたへレンたちが互いを食いあい、最終的に完全体のヘレン様になるというものです。あとはあなたがダーザインの心臓を食べれば、あなたは完全なヘレン様になられるのです」
「それはできない。魔女の役割に反しているわ」
「古代魔女ヘレン様は自らを蘇らせるため、この村の女に自らの肉を食わせた。それは、この村をずっと守っていきたいという意志の表れだったのです。しかし、目覚めたヘレンの欠片たちは、ヘレン様の『心』まで継承することはできなかった」
「まって。それじゃあ、ヘレン様は目覚めたヘレンをお互いに食べあって復活するのを望んだってこと」
「そうです」
「そんな。ひどい」
少女は口に手を当てて、今にも泣き出しそうな表情をした。古代魔女へレンの考えに、拒絶反応を示したのである。村の女たちの命を何だと思っているのか。
「これが最後のヘレンか……」
髪が腰まで伸びたダーザインが梟を連れて少女の前に現れた。つり上がった目で彼女を見ると、ダーザインはニッと笑った。不気味な笑みだ。
彼女は少女に向かって、いきなり魔法を放った。大地がグラグラとゆれ、彼女の足場が崩れる。その隙にダーザインは少女の心臓を奪おうとしたが、彼女も魔法を使った。
水色の膜が彼女を囲い、ダーザインの攻撃を弾いたのである。
「なんだ、防ぐことしか出来んのか。いつまで持つかな」
「もうやめて!ヘレン様は間違ってた。私たちは自分の力で村を発展させるべきだったの。このままじゃヘレン様の血に乗っ取られるだけよ」
「それの何がいけない。この血のおかげで自由になれた。魔法も使えるようになった。それに私には意志がある。私はダーザイン。ヘレンではない」
「その力でしてきたことを、あなたは覚えてるでしょ」
少女は胸に手を当てて、まっすぐに彼女を見やる。ダーザインは長い髪をブワッとなびかせ、ほくそ笑み、ギザギザの歯に沿うように舌なめずりした。
「ああ、覚えてるさ。ヘレンの肉はうまい。お前を食ったら他の魔女の肉も食いに行くつもりだ。さぞかしうまいのだろうな」
「そんなことさせない。この村を壊したあなたを私は許さないわ」
少女が怒りを顕にすると、異変は起こった。目の前のダーザインの皮膚が溶け始めたのだ。それに、彼女は慌てふためき、咄嗟に側に居た梟の尻尾を掴む。しかし、それは溶けて骨となってしまった。
「さぁ今です。ダーザインの心臓を食らってください」
雀が少女の周囲を飛び回りながら言う。彼女は古代魔女へレンの考えには反対だったが、このままダーザインを放っておくわけにはいかない。そうしている間に、ダーザインの皮膚は剥がれ落ち、骨が剥き出しになっていた。不思議と筋肉や心臓などは溶けずに残っている。
「……古代魔女ヘレン様の意志。そしてこの村への報い。私が全て受け入れる……」
少女はダーザインの心臓を両手で引きちぎり、トクトク鳴っているそれを一口かじった。プチンと肉が千切れる音と、鉄くさい血の味に最初は吐き気を催したが、次第にその味を「うまい」と感じるようになった。気がつけば心臓だけでなく、残された筋肉なども食らい尽くしていた。彼女の口からは真っ赤な血が滴り落ちている。
「あぁ、ダーザイン様。これで本来の力を取り戻されましたね。記憶はどうですか」
雀が少女の肩に乗り、語りかける。
「ふふふ、完全に元に戻ったよ。ヘレンの『心』それは、世界中の魔女の戦いを止めさせようとする事だった。あいつが私の肉を食べて、私を封印したまではいいが、まさか人間に自らの肉を食わせて自分の血を薄めようとするとは……。いつ私の欲に支配されるか怖かったのであろう。愚かなものよ。この女が勝手に解釈してくれたおかげで、うまく事が進んだ。感謝してるぞ、雀」
「お待ちしておりました。ダーザイン様」
「まずは西の魔女、グリムからやろうか。その次は東の魔女オトギ……」
ダーザインはブツブツ呟きながら、ホウキにまたがり、目的地へと向かうのであった。ヘレン信仰のなくなった村は、再び女を恐れて、名前と自由を奪い、ひそかに衰退していった――