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ネガイウタ  作者: 高柳神羅
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第8楽章 ラセン

 何処かで爆発音がした。

 それは外かもしれないし、中で起きたことのようにも感じる。

 ただどちらにせよ、近い場所ではない。

 足下の揺れを感じ、礫は足を止めた。

 ……否。歩みが止まったのは振動のせいだけではないかもしれない。

 嫌というほどに自覚があった。

 先程の幻視のことが気になって仕方がないのだ。

 ホロウが未だにあの時の願いを抱えているのなら、自分の身代わりを用意しようとするだろう。

 その身代わりとなる人間は──最も近くにいる存在である相棒だ。

 ネガイウタの力を使うためには、復元した唄とそれを使う人間の存在が不可欠となる。

 唄を復元するためには、欠けた『音』である自分の代わりにネガイウタの一部となる存在が必要だ。そしてネガイウタを使うためには、本来のネガイウタの利用資格を持つ相棒の存在はこれ以上になく邪魔なものとなる。

 邪魔者を排除すると同時に自分の身代わりを用意する方法として、相棒を選ぶのは最も理に叶ったことなのだ。

 ふと、オルバと輝のことが頭に浮かんだ。

 輝はオルバに戦い方を教えてもらえなかったと言っていたが、今ならその意味が分かる。

 オルバもホロウと同じなのだ。いずれ排除することになる人間に下手に力を与えると、いざという時に自分の首を絞めることになる。だから彼を鍛えることはしなかったのだろう。

 ……でも、ホロウはボクを鍛えてくれたよね?

 ホロウは、礫が興味を持ったことは何でも教えてくれた。時には自分が練習台となって彼女の特訓に付き合ってくれた。

 いずれ手にかけることになると分かっている相手を、そこまで手塩を掛けて育ててくれるだろうか。

 だから、分からなかった。ホロウが2人存在しているようで。

 礫を護りたいホロウと、礫を殺したいホロウと。

 どっちが本心なの? ねえ。

 また、爆発音が響いた。

 今度は大きい。すぐ横の窓から聞こえた。

 現在礫がいるのは、玄関を正面に進んだ先にある廊下だった。

 絵画があり、彫刻が並び、燭台の炎が黄金に全てを染める、ゴシック調の造りの廊下。先程アグニエルの力で幻視させられた出来事の中で見かけた場所だ。

 ただし、微妙に違う部分もある。絨毯の色が、先程とは微妙に異なっていた。先程は真新しい朱色であったものが、こちらは深い臙脂色だ。施された刺繍も、微妙に変わっている。

 絵画と彫刻の間に埋もれるようにして設置された窓は、填め殺しになっているらしい。バルコニーらしきスペースは設けられているが、窓自体は全く開かなかった。鍵も取っ手も付いていなかった。しかし、窓自体は大きいので外の様子を見るには十分だった。

 掌を硝子に付けて外を見ると、明らかに1箇所、異変が起きているのが知れた。

 これも城の一部なのだろうが、この建物以外にも、同じような外観の塔が幾つか建っているのが見えた。それの最も大きなものの上の方から、煙が上がっていた。時折、何かが光っているのも見えた。

 あの光が爆発を起こしたのかどうかはともかくとして、あの場所で何かが起きているのは少なくとも確かだ。

 ……まさか、ホロウとアグニエルが?

 礫は駆け出した。

 今はどちらが本当の相棒かなんて話はどうでも良い。何よりも今は、アグニエルを倒さなければ。

 そのために、自分は此処まで来たのだから。

 アグニエルを倒したら、ホロウに全てを訊いてみよう。きっと彼なら、その時になったら全てを教えてくれる。そんな気がした。


 留め具を断たれた漆黒の外套が、ばさりと宙に舞う。

 後半秒身を引くのが遅かったら、衣と共に身をも裂かれていただろう。アグニエルはホロウを放り投げるように彼から手を離すと、大きく距離を取った。

 ホロウは頭上で暗黒剣を旋回させ、上段に構えた。粘液が付着した鎧が、いつにも増して黒光りしている。

「あいつが此処に来る前に……てめぇを仕留める」

「できるのかな?」

 紫を基調とした布地に金糸で刺繍を施し、大粒の宝石や装飾品で飾り付けた法衣。細工が見事な魔術師用の錫杖。単体だけで見ると派手な衣裳だが、着用している者自体に目を引く煌びやかさがあるため、不思議と厚かましさはない。

 彼のために仕立てられたような衣服を纏う暗黒魔術師は、薄く引き伸ばしたような微笑を口元に浮かべて黒騎士を見据えた。

「君が私の全てを知っているように、私も君の全てを知っている。能力が知れていれば、対処の仕方などいくらでもあるのだよ。

 例えば──」

 アグニエルは錫杖の先で足下を軽く突いた。

「【Speed】」

 黄金の光がアグニエルの全身を包み込む。と同時に、前へ踏み出した彼の姿が消失した。

 同時に、ホロウの背後にその姿が出現した。

 気配を察知して振り向きかけたホロウの双眸を覆うように空手で撫でつける。

「【Flash】」

 室内が一瞬にして閃光に満たされた。

「ぐあっ!?」

 至近距離で放たれた光に抗う術はなく、視力を灼かれたホロウは声を上げた。

 単純な閃光による目眩ましで肉体的な苦痛はないものの、戦闘中に一時的にとはいえ視力を失うのは、特に武器を振るう者にとっては致命傷にも近いことだった。

 気配を辿って暗黒剣を振るう。

 しかし捉えたのは気配が生んだ残像で、刃は空を裂いただけだった。

「騎士は精神防壁が薄弱だ。肉体能力に秀でた分、弱体魔術に支配されやすいという欠点がある」

 ホロウの斜め後ろに位置取ったアグニエルは、錫杖で宙に円を描いた。

 次々と生まれ出る異色の輝きが、呟きと共に彼の肉体に見えない強化を施していく。ホロウと違い魔術の行使に言葉を必要とするものの、その間隔は驚くほどに短い。

 ようやく視力が戻ってきた瞳を乱暴に擦りながら、ホロウはアグニエルの姿を探した。

 ぼやけた視界に紫の法衣姿の輪郭が入るとほぼ同時に、アグニエルは次なる魔術を口にする。

「【Gravity】」

 ホロウの体勢が、がくん、と大きく崩れる。

 アグニエルの魔術によって、ホロウが立っている場所に強力な重力結界が生じたためだった。

 結界内に存在する全てのものは、体の重さは何倍にもなる。普段は何とも思わない軽さの物体までもが鉛のように重たく感じられるようになるのだ。鎧など最たるものだった。

 これではまともに身動きが取れない。

 ホロウは咄嗟に暗殺者へと姿を変えた。

 一気に身軽になった体を何とか起き上がらせ、そのまま床を蹴り、重力結界から脱出する。

 小刀を構えつつ、アグニエルとの距離を一気に詰める。

 相手は魔術で身体能力を強化しているが、速度は現在のホロウの方が上だった。迎撃の魔術を唱えるよりも先に、彼が繰り出した小刀の先端が相手の喉元を捉え──

 と、アグニエルが魔術師としては信じ難い行動に出た。

 彼が無造作に構えた右手に、ホロウの小刀は弾き飛ばされた。

 いつの間にか魔術師の手には、小さな短剣が握られている。

 予想外の衝撃に、思わずホロウは打たれた小刀を手離してしまった。

 魔術師が体術を使う。皆無ではないが、滅多にあることでもない。

 強大な魔術を扱う魔術師は、その制御に集中するあまり動きが疎かになりがちだからだ。いくら魔術で身体能力を引き上げているとはいえ、生身の人間の域を遥かに超えている。

「そんな意外そうな顔をすることはないだろう?」

 短剣を顔の前で構えたままアグニエルは言った。

「今の私を創ったのは、他でもない君なのだから」


 耳に入る戦いの音が、少しずつではあるが増えてきている。

 戦場が近付いてきている証拠だろう。

 自分が向かっていることはアグニエルの予想の範囲内だ。相手の視界内に入った瞬間に攻撃されるかもしれない。そればかりか、捕えられて人質にされてしまう可能性だってあるわけだ。

 もっとも、ホロウにしてみればアグニエルもろとも始末してしまえば良いだけの話なのかもしれないが。

 ……何にせよ、アグニエルに捕まってしまうことだけは何が何でも避けたかった。

 戦場に突入した瞬間に、不意打ちを仕掛けるしかない。

 アグニエルは真正面からの魔術を反射する。どのみち死角を突くより他に礫が魔術で相手に決定打を与えられる方法はないのだ。

 弓のように遠くからでも狙撃できる武器があるのなら、状況はまた変わってくるのかもしれないが。

 ホロウのように、自身の魔力を武器に形成できる能力があったなら。

 などと、ないものねだりをしていても仕方がない。

 ふと。

 礫は足を止めた。

 横手にあった窓の硝子にぼんやりと呪術師の姿が映っている。

 礫の姿である。

 それを目にして、思い浮かんだことがあったのだ。

 それは、単なる稚拙な思い付きでしかない。

 だが、悪足掻きをする前に試してみる価値はあるかもしれない。

 彼女は再度前へと踏み出した。

 眼前に緩やかに伸びている螺旋階段と、人気のない廊下。これを幾つか越えた先、そこにホロウとアグニエルがいる。


「つぁッ!」

 掛け声と共に放った回し蹴りが、アグニエルの後頭部を捉えた。ごぎん、と盛大に音を立て、魔術師の首が妙な角度に傾く。

 ホロウは、相手からやや離れた位置に着地した。乱れた呼吸を整えつつ、床に突っ伏したアグニエルを見据えて腰を低く落とした。

 気配が消えていないうちは、気を抜くわけにはいかない。

「……確かに、威力よりは手数で攻めた方が堅実なのかもしれないが……」

 アグニエルは静かに身を起こした。

 首が傾いたのは、骨が折れたからというわけではないらしい。軽く手を添えて左右に頭を振り、特に堪えている様子もなく彼は続けた。

「流石に動きが落ちてきている。無理もないのだろうがね」

 空ぶる攻撃は、的に直撃させるよりも多くの労力を消費する。ひとつひとつが微々たるものでも、山積すればそれは多大な影響を生じさせる。

 一方、防御や回避に専念すれば、それほど体力を消耗させることはない。時間はかかるが、安全かつ楽に戦局を運ぶことができる。

 アグニエルは待っているのだ。ホロウの体力が尽きるのを。

 それはホロウ自身も理解していた。そもそも、無策で突っ込むほど彼は馬鹿ではない。

 だが他に有効な攻撃手段がないというのも正直なところだった。

 アグニエルに対して魔術での狙撃は効果が薄い。魔術を反射、あるいは完全に相殺できるだけの能力を持っているからだ。確実に叩くなら武器や格闘術といった物理的な攻撃手段を用いた方が良い。

 しかし魔術で身体能力を強化したアグニエルは、強力な魔術と同時に前衛職に劣らぬレベルの体術も使う。半端な攻撃はかわされてしまう。

 無論、個々の能力ではホロウの方が勝っている。腕力では黒騎士に、速度では暗殺者に、魔力では神官になれば十分に対処できるレベルである。

 だがアグニエルは、その時に負けると分かっている能力は絶対に使ってはこない。的確に弱点を突いた攻撃を仕掛けてくる。それが、ホロウがアグニエルを圧倒できない理由だった。

 能力を駆使するために姿をその都度変化させる必要があること。自身の弱点が相手に露呈してしまうこと。それがホロウの弱点なのだ。

「……流石に、いつまでも繰り返しというのは飽きる」

 アグニエルは短剣を無造作に自らの足下に落とすと、錫杖を手に取った。

「少しは私の方からも、仕掛けさせてもらうよ」

 咄嗟にホロウは神官に変身し、防御魔法を自身の身に施した。

 アグニエルが錫杖を持つのは、大抵何か高度な魔術を使う時だからだ。

 無論杖がなくても同じことはしてくるが、その頻度は杖がない時と比較すると圧倒的に高い。それが相手を撃つための攻撃魔術なのか、戦力を削ぐための弱体魔術なのかはその時々によって異なるものの、何であれ相手が仕掛けてくる魔術は食らいたくはない。

「【Prophecy】」

 低く呟き、アグニエルは一歩を踏み出した。

「【Reflection】」

 間髪入れずに魔術反射の呪を唱える。

 しかし言葉は空を流れるのみ。魔術効果は発現しない。

 それが何故か、ホロウは理解していた。直前にアグニエルが使った魔術の影響である。

 【Prophecy】──予言、の名を持つこの魔術には、直後に唱えた魔術の発動時間を先送りにする効果がある。単体では何の意味もない魔術だが、他の魔術と組み合わせることによって初めてその能力を発揮するのだ。

 通常は攻撃魔術と組み合わせて即席の時限爆弾にしたり、治癒魔術と組み合わせて援護に使ったりするものだが、発動時間を任意で設定できないため、使い勝手はかなり悪いと言って良い。何の意味もない場面で効果が発現してしまい、単なる魔力の無駄遣いで終わってしまうことも少なくないからだ。

 それを、反射魔術と組み合わせるとは。

 反射魔術は、確かに魔術攻撃に対しては無類の強さを発揮する。どんなに強力無比な魔術にも対応できる。しかし効果が発動すれば一瞬で、永続はしない。魔術を反射しようがするまいが、すぐに効果は消えてしまう。

 発動時間がランダムでは、仕込む魔術として選択するには最も向いていないと断言できるだろう。

 相手の魔術攻撃を抑制するという意味では役には立つだろうが、ホロウのように武器の扱いにも秀でた者に対してはあまり意味がない。

 ……何考えてやがる?

 考えたところで答など導き出せないのは、分かり切っていた。だが、少なくとも仕掛けられたのが攻撃魔術でないのなら、時間差で狙撃される心配はまずない──それだけ分かっているのなら、今はそれで十分にも思えた。予言が行えるのはひとつだけで、幾つも同時に仕掛けることはできないのだから。

 それに元々、相手が反射魔術を使えると分かっている時点で、決定打に魔術を選ぶという選択肢は消えている。

 ならば取るべき行動は、限られている。

「【Ray】」

 アグニエルの指先が光る。

 次々と放たれる光線に真っ向からぶつかるようにして、ホロウは駆けた。走りながら姿を暗殺者に、得物を小刀に変え、相手との間合いを一気に詰める。

 腰の辺りを狙ってきた光を、上体を仰向けに倒してやり過ごす。スライディングでそのまま相手の背後に抜けると、軸足を捻って、滑る勢いは殺さぬまま体の向きだけを反転させた。

 手にした小刀を投げ放つ。相手にではなく、自らの後方──軸足が滑る先に向け。

 床に杭のように突き刺さる小刀に足を掛け、それを足場にしてホロウは跳んだ。蹴られた衝撃で小刀は床から抜け、そのまま具現力を失い消滅する。それと同時に彼の手には新しい小刀が生まれていた。

 振り向くアグニエルの右脇をすり抜けながら、得物を一閃する。

 しかし錫杖に当たり、刃は弾き返された。

 着地と同時に再度ホロウは床を蹴る。

 いくらアグニエルとて、人の身である。どんなに秀でた魔力を有していても、魔術を行使するには『言葉』が必要だ。ホロウのように念じただけでは魔術を発動させることはできない。息をつく間もなく攻めて、攻めて、攻めまくって、魔術を使う猶予を与えさえしなければ、それほど恐れる必要のある相手ではないはず。そう思いたかった。

 互いの距離が一気に詰まる。

 ホロウは小刀を振りかぶり──

 同時に、アグニエルの前に鏡が出現した。

 白銀の丸縁に収まった、半透明の影色の鏡板。先程予言効果を付与した反射魔術である。

 発動のタイミングとしては絶妙だったかもしれない。

 しかし生憎、ホロウが繰り出そうとしているのは魔術攻撃ではない。彼が手にした武器は魔力に物理的な具現力を与えたものではあるが、あくまで『武器』なのだ。反射魔術で跳ね返せるような代物ではない。

 と。

 アグニエルが大きく動いた。

 錫杖で軽く空を薙ぐ仕草をする。ホロウの小刀での一撃をあしらおうとしたのではない。魔術を発動させるための一種の身振りのようだった。

「【Meteorite】」

 紡がれる力ある言葉。

 空気が、震えた。

 2人を囲むように出現したのは、炎を纏った岩塊の群れだった。大きなものは人の身の丈を遥かに超えている。直撃したら無傷というわけにはいかないだろう。

 数ある魔術の中でも凶悪な部類に位置付けされている攻撃魔術、【Meteorite】。術者の任意の場所に召喚した隕石群を落とす魔術である。

 その絶大な破壊力を秘めた力の塊は、全てを粉砕する。敵味方問わず、落下地点に存在するもの全てを。究極の諸刃の剣なのだ。

 特に屋内で発動された日には、逃げ場などない。魔術の効果範囲は広く、無差別に降り注ぐ岩を回避する方法は皆無に等しかった。

 唯一、反射魔術の結界を纏っているアグニエル当人を除いては。

 通常、強力な魔術を使用した後は連続して別の魔術を唱えることは不可能に近い。

 どんなに熟練の魔術師でも、魔術を使えば少なからず使用した魔術のイメージの残滓が脳内に残るからだ。残滓が留まっている間は別の魔術のイメージがそれに阻害され、魔術が失敗してしまうのである。

 それは高等な魔術ほど強く残り、次の魔術を扱うまでに時間がかかる。数字だけで見ればほんの数秒程度ではあるが、戦闘中はその数秒が戦局を大きく左右するものだ。

 反射魔術に予言効果を付与したのは、そのためだったのだ。予め防御魔術を先に唱えておき、攻撃のタイミングをその発動に合わせる──予言を保険ではなく、布石として使用したのである。

「ち……!」

 今から防御魔術を使うために変身していたのでは間に合わない。

 やむを得ずホロウはアグニエルから大きく距離を取るようにその場を離れた。

 しかし多少離れただけでは、荒れ狂う岩塊群から逃れることはできない。

 小さな岩が、通り過ぎざまにホロウの右肩を引っ掛けた。

 その程度ならばせいぜい擦り傷ができるくらいだが、それはホロウ自身が気付かぬくらい僅かな分だけ彼の移動速度を鈍らせた。

 そしてそこに、今度は彼の体躯よりも何倍も大きい岩塊が突っ込んでくる。

 何とか身を捻って急所への直撃は免れたものの、半ば無防備状態の膝に岩の角が当たり、ホロウは表情を歪めた。

 そのまま、床に伏す。

 頭上すれすれの位置を幾つもの大小の岩塊が往来していく。

 案外床の上は魔術の効果範囲外なのかもしれない。やや危なげな感じでもあるが、床を砕こうとする岩の存在はなく、ホロウは魔術の効果が切れるまで床に伏せているだけで身の安全を確保することができた。

 しかし、岩の直撃を受けた膝の状態は深刻だった。骨は無事なようだが、衝撃で感覚が麻痺してしまったようだった。力が全く入らない。つまり立ち上がれないというわけだ。

 麻痺した感覚は、治癒魔術では癒せない。時間が経過すれば自然と治るだろうが、それまでアグニエルが大人しく待っていてくれるとも到底思えない。

「無様な姿だ」

 自らの膝を叩くホロウを見下ろし、アグニエルは笑みを浮かべた。

 この状況ならば、光線のひとつでも放てばそれで決着は着くだろう。

 だが彼自身が先刻述べた通り、あっさりとこの『邂逅』を終わらせる気はないらしい。

 弄んでいるのである。この状況を。

 ホロウは歯噛みしながらアグニエルを睨み付けた。

「【Silence】」

 その視線の中央に、アグニエルの指先が突き付けられる。

 波紋のように広がる音の波──が、一瞬だが見えたようにホロウには感じられた。

「…………!」

 体の変調がすぐに自覚できた。

 声が、出ない。

 魔術の影響である。声帯が麻痺してしまったのだ。

 それほど持続力はない魔術なので、これも膝の麻痺同様に時間経過で自然と解けるだろう。

 だが例え僅かな間でも魔術が封じられてしまうのは大きな痛手となる。

「待ち人は未だ来ず。そして君は魔術を封じられ身動きも取れない」

 手を下ろし、アグニエルは大胆にもホロウの傍に歩み寄った。

 地に足を付けて立てない状態では、投擲武器もそこまでの飛距離は出せない。仮に出せたとしても、肝心の速度がない。恐れる必要がないのだ。

「……さて、どうする?」

「…………」

 魔術どころか声も出せない状況では、相手の売り言葉を買うこともできやしない。ただ視線を向けるだけのホロウのすぐ目の前までやって来ると、アグニエルは錫杖の先端を彼へと向けた。

 ゅんっ。

 彼の視界を何かが横切る。

 それはクインテット・カルバールに当たり、床に落ちた。

 小さな鉄製の矢である。

 アグニエルは矢が飛来した方向に視線を移した。やや遅れてホロウも同じ方向を見る。

 入口のところに、礫が立っていた。

 何処で調達してきたのか弓を携えている。弓術士が好んで持つようなやや大型の弓で、魔術師が扱うには負担がかかる代物だが──右手には、矢がある。先程射られたものと同じものだ。器用に3本の指の間に1本ずつ挟んでいる。

 そういえば、ある程度だったら剣とか弓も使えるって言ってたっけな。

 ホロウは胸中で呟いた。

 同時に、訝る。

 弓の形に見覚えがあったのだ。

 あれは、確か玄関の……?

 玄関で彼らを出迎えた2体の青銅の甲冑。その片割れが携えていた弓にそっくりだったのである。

 鎧から拝借してきたのだろう、とホロウは解釈することにした。

 確かに反射されてしまう魔術より、避けるか矢弾を落とさなければ対処できない分飛び道具の方が有利だろうが──命中しなければ意味がない。

「これは驚いた。弓を使う魔術師とは」

 アグニエルは双眸をやや大きく見開いて、笑った。

 その顔を見た礫は息を呑んだ。

 最終目標にしていた存在が、過去にこの地で斃れたはずの男の姿だったからだ。

「格闘術や短剣を扱う魔術師はたまに見るがね。魔術という最強の遠隔武器を有していながら更に弓を使うとは、本当に面白い芸当だよ」

 褒めているのか馬鹿にしているのか今ひとつ分からない台詞を口にして、アグニエルは礫の方へと歩み寄った。

 アグニエルの注意が逸れた隙に、ホロウは膝をゆっくりと伸ばした。やっと痺れが抜けてきたようだ。元のように駆けられるようになるにはまだ少々かかりそうだが、立って動く程度であれば差し支えがなさそうに感じられた。

 礫は身構えた。2本目の矢を弓に番え、アグニエルが近付いて来る分と同じだけ後退する。

 射撃には、的に命中させるために標準を合わせるための時間が必要なのだ。威力を出すためだけではなく、射撃を止められるのを防ぐために、だから相手から距離を置くのである。

 もっとも、魔術師が相手では時間稼ぎもあまり意味はない。魔術は術者の視界内全てが射程範囲だからだ。瞬間的に発動する魔術に狙撃を妨害されておしまい、である。

 狙っていることを相手に悟られる前に、当てるべきだった。

 弓の弦を引き絞る礫。

 その瞬間には、アグニエルは既に彼女の背後に立っていた。

 空間を渡ったのだ。

「……遅い」

 振り向きかけた礫の背に、アグニエルの肘が食い込む。

 ずだん、と勢い良く礫は床に叩きつけられた。

 起き上がろうとする彼女の手首を踏みつけて、アグニエルは言う。

「不相応な武器を無理に扱おうとしても、何かしら影響が体の方に出るものだ。発想の面白さは認めるが、身体能力がそれについていけていない」

 礫が苦悶の表情を浮かべた。手首を踏む足に力が籠められたのだ。

 それでも、彼女は掴んだ弓を決して手離そうとはしなかった。

 まだ諦めていない、そういう表情だった。

 まだ、何かやるつもりなのだ。

「【Floatage】」

 アグニエルが魔術を唱える。

 それの効果が発現したのは、ホロウだった。

 何とか身を起こそうとしていた彼の全身がゆっくりと持ち上がり、3メートルほど浮かび上がったところで静止する。

 浮遊の魔術だ。一時的に自身にかかる重力を中和して通常では登って行けないような高所に移動するための魔術を、アグニエルはホロウに対して使ったのである。

 ただ浮遊する、それだけの地味な効果だが、効果が発生している間は足が地に付いていないため、物理的な力を出しづらくなるという欠点もある。他者に施されたとなると、それは宙に拘束されたことと何ら変わりはない。任意で魔術が解かれない限り、効果が切れるまではほとんど何もできなくなってしまう。

「……さて」

 アグニエルはホロウに向けていた視線を、礫へと移した。

「お嬢さんは、まだこの男を信用しているのかな」

 此処で君が私を倒しても、かつてと同じ出来事を繰り返すだけだ。

 魔術師は、子を諭す親のような口調になっていた。

 ──始まりの日。

 アグニエルがそう呼ぶ、8年前の今日。

 此処でホロウは、螺旋という名の男を殺した。

 それと同じことがまた起きるという。

 認めたくない予想そのままに、ホロウは昔日に叶わなかった願いを再度唄に託すべく、礫を犠牲にするつもりなのか。

 礫の表情が僅かに陰ったのを察したのか、アグニエルは口の端を上げた。

「単刀直入に言おう。私に協力したまえ」

「────!?」

 ホロウが驚愕に表情を一変させる。

 それは、礫も同じだった。だがそれは、アグニエルの言葉に対してではない。

 アグニエルが急に、彼女を踏みつけていた足をどけたのだ。

 そればかりか、彼女の手を取って優しく立ち上がらせる。張り詰めた空気のような、敵対的な色の気配も消えていた。

「私は8年続いたこの歪んだ輪廻を終結させたい、ただそれだけなのだよ。今此処で私に協力し、あの男を共に倒してくれるのならば、お嬢さんには危害を加えない。規約通りに何でもひとつだけ願いを叶え、現実世界へと還すことを約束しよう」

「……何でも?」

「何でも」

 アグニエルは頷いた。

「ネガイウタには、それだけの力がある」

 8年前、アグニエルの名を語るこの魔術師は、ホロウの魔術によって殺された。

 しかしあの後に何かがあったのか、その時にホロウの願いは叶えられることはなかったのだろう。今なお彼がこの場に存在していることが、その証拠だった。

 そのために、この『ゲーム』は今日まで繰り返されることになったのだ。

 それを終わらせるために、これ以上無用な屍を積み上げないために、此処で禍根を断つ、と。それに協力しろという。

 彼自身の復讐の念がそこに込められているのかどうかは分からない。だが彼に協力し、ホロウを討てば、礫は当初の予定通りに勝利者の称号を掲げて現実世界へと帰還できると彼は宣言した。彼女の願いを叶え──蘇生した親友と共に、帰れると。

 討伐対象が暗黒魔術師アグニエルから型無の道化ホロウへと変わる。ただ、それだけの話なのだと。

「……どうして」

 礫は言った。

「ゲームの中の存在に、そんな力があるの?」

「……さてね」

 アグニエルは肩を竦めた。

「偶然というものは、人の理解の範疇を越えている」

 その偶然がこの世界を生み、歪みを生んだ。

 言って、彼はホロウを見やった。

 ホロウは唇を舐めながら、足下に視線を彷徨わせていた。

 この状況を打開しようと思考を巡らせているのか。同時に、現状を半分諦めているようにも見て取れるが。どちらだろう。

 どちらであったとしても、今までの彼の言動を見てきた礫としては、彼が大人しくしていること自体が珍しく思えてならなかった。

 その様子に──礫は、意識の奥底から何かが沸き上がってくるのを感じた。

「だからこそ、いつまでもこの歪んだ作品を残しておくわけにはいかないのだよ」

 アグニエルは錫杖の先端を、ホロウに向けた。

「根元から根絶しなければ──な」

「──随分とお美しい話だなぁ? おい」

 と。それまで黙っていたホロウがアグニエルの語りに割って入ってきた。沈黙魔術の効果が切れたらしい。

 しかし、浮遊魔術の効果はまだ続いているため、発声する以外のことはほとんどできないようだったが。

「もっともらしく語ってるけどよ、肝心な部分が抜けてるじゃねぇか」

「魔術が解けたか」

 さして困惑した様子もなく、アグニエルは呟いた。

「ならば再度、支配下に置くまで」

「遅ぇよ!」

 吠えるホロウ。同時にアグニエルの錫杖の先が光る。

 その一瞬後に、ぶしゅぅ、と蒸気が噴き出したような音が鳴り、錫杖の光が消滅した。別の魔術に干渉され、効果が消滅したのだ。

「おれに喋られちゃ困るってか。まぁ、そうだろうな?」

 衣裳の裾を揺らしながら、ホロウはにやりとする。

「てめぇは、おれを始末するそれらしい理由が欲しかったんだろ」

「理由はある」

 間を置かず、アグニエルは答えた。

「私は此処で君に殺された。忘れたわけではあるまい」

 暗黒魔術に魂を喰われ冷たくなりゆく相棒を見下ろしながら、冷たく笑うホロウの顔。それを瞬間的に思い出し、礫は小さく身震いした。

 瓜二つの別人でも双子の兄弟でもない。紛れもなくこの男は、あの時此処でホロウに殺された男なのだ。

 彼は8年前の復讐を果たすために、アグニエルの名を騙ってホロウが目の前に来るのを待っていたのだろうか。

「私の仇は、私が討つ。これ以上の理由は存在しないだろう」

「……ああ、そうだな」

 ホロウは肩を竦めた。唇を舐めて、続ける。

「──それが本当の、てめぇの身の上話なんだったらな」


 先入観は曇り硝子だ。

 見えるものに影を落とし、輪郭を曖昧にし、正しきは何かを不明瞭にする。

 遠くから見ていた彼らのやりとり。彼らの会話。

 それらは本当に、自分が思っている通りの人間から行われたものだったのだろうか。

 聞こえていたのは言葉のやりとりだけ。見えていたのは姿だけ。

 その時、その瞬間にその言葉を発しているところを直に目にしたわけではない。

 脳内補完された一場面が真実とイコールであるとは、限らないのだ。


「此処で、魔術師は神官に殺された。見たまんまを説明すりゃ、確かにそうなるな」

 そこでホロウは一旦言葉を切った。アグニエルの反応を伺っているようだ。

 相手に動く気配がないと悟り、再度開口する。

「けどよ、あの魔術師は本当にてめぇだったのか? 神官はおれだったのか?」

 何処となく、負の感情を纏い歪んだ表情を外に見せながら。

「そうさ。見ただけじゃ断言なんざできねぇよな。中身が今とは真逆だなんて、あの場面だけを遠目から見せられて、それだけでどうやって気付ける?

 ……あの日本当に殺されたのは、おれの方だ。違うか?」

「…………」

 アグニエルは答えない。

 しかしその口元が僅かに笑っているのを、ホロウは見逃してはいなかった。

 ホロウの言葉は続いた。

「おれを殺したてめぇは、中身を残ったおれの身体に移して此処から出て行った。……それで、終わる予定だったんだ。少なくともてめぇの計画ではな」

「……なかなか想像力に富んだ話だな」

 ホロウに拍手を送るアグニエル。

「しかし、根拠はない。その話こそが想像上の産物であるという可能性もある」

 と、傍らの礫にちらりと視線を送り、

「更に言えば、このお嬢さんにとっては、どちらが真実であろうと関係のない話でもある」

「…………?」

 アグニエルの言葉の意味が汲み取れず、礫は思わず小首を傾げる。

 その肩を静かに抱き寄せて、魔術師は続けた。

「お嬢さんに選択してもらうとしよう」

 宙に束縛されたホロウを、錫杖の先端で指し示しながら、

「問おう。私とあの男の言葉、どちらを信じるか」

 ──それは、選択という名の脅迫に等しい。

 礫はホロウとアグニエルを順に見比べた。

 選ぶ自由をくれているようにも見えるが、実際は自由などないのだ。それは先程からの、アグニエルの言動からも理解できる。

 このまま礫がアグニエルを信じると宣言すれば良し、そうでなければ、この至近距離である。一瞬にして魔術で蒸発させられてしまうだろう。

 死にたくなかったら、私に従えと。

 ならば──

 ふたつの呼吸の後、礫はアグニエルの方を見た。持っていた2本の矢を放り投げ、両手で弓を握り締め。

「……分かったよ」

「…………!?」

 同時だった。

 ホロウの目が見開かれるのと、アグニエルの双眸が細まるのが。

「賢明な判断だ」

「礫……お前、何を……!」

 ホロウは叫ぶ。が、その声は途中で聞こえなくなった。アグニエルが放った沈黙魔術で、先程と同じように発声を封じられてしまったのだ。

「……白々しい真似はやめてよ」

 礫は嫌悪感剥き出しの表情でホロウを睨みつけた。

「ボクを殺して、身代わりにする気だったんでしょ」

「そう気付いただけでは、悲劇は繰り返されるだけだ」

 錫杖を下ろし、アグニエルは言った。

「理解しているね? 繰り返さないために、君はどうするべきなのか」

「……信用の証拠、ってわけ?」

 アグニエルの手が、肩から離れる。

 礫は両手で弓を抱えたまま、1歩前に出た。

 じっと、ホロウを見据える。

 いくら魔術を封じられたとはいえ、彼には変身能力がある。接近した瞬間に騎士や暗殺者に変身され、斬られてしまう可能性は十分にあった。必要以上には近寄れない。

 しかし近寄る必要など、元々彼女にはなかったが。

 ホロウも、礫をまっすぐに見ていた。

 相変わらず前髪に隠れた小顔だが、何故かこの時だけは、それが手に取るように分かった。

「ボクは、ボクの願いを叶えたい。そのために、ネガイウタは完成させなきゃいけない。どんなものが相手でも、逃げちゃ駄目なんだ」

 唇を真一文字に結んだ彼女の顔を見て、ホロウは思った。

 いつの間にか、こんなに立派な顔をするようになっていたのかと。

 口内で小さく礫は呟いた。

 何を言ったかまでは、ホロウの位置からでは分からない。僅かに唇が動いた様子が見えただけで──

 ──唇が?

 そこで初めて彼は気付いた。

 彼女の口元を覆っていた薄布のマスクがなくなっているということに。

「そうすることがボクの使命なら、ボクは戦う。その相手が白亜でも、ホロウでも──」


 先入観は曇り硝子だ。

 見えるものに影を落とし、輪郭を曖昧にし、正しきは何かを不明瞭にする。

 それが手にしたものの本当の姿すら、惑わされ、分からなくなる。


「──キミでも、ね?」


 かつて、ホロウは礫に教えた。

 魔術とは『力を召喚する術』ではない。脳内に思い描いたイメージによって、如何様にも姿かたちを変える『具現化した想像力』なのだと。

 魔術師とは、そういった想像力を携え万物を探求する者たちのことを示す称号なのだと。

 空を舞う炎の鳥も、地を這う水の蛇も。全ては術師たちが願い、創り上げた想像の形だ。

 それを理解していれば、人を惑わす衣を1枚編むことも、容易なことになる。


 世界が停止した。そんな一瞬の錯覚の後に事態を把握したのは、アグニエルだった。

 胸元に、黒髪を垂らす小さな頭がある。礫の頭だ。

 表情は彼の視線の向きからは伺えない。その代わりに小さな旋毛が見えるだけだ。

「……お……?」

 声が、漏れた。

 自身の声であることをアグニエルはすぐに理解した。

 意味のない声だ。無意識のうちに喉の奥から押し出された、言葉にすらなっていない声だった。

 ただ、内容に意味はなくとも、感情は含まれている。

 状況に対する疑心と──汗のように染み出てくる怒りとが。

 魔術の制御が切れたのだろう。中空の束縛から逃れ、床に落ちるホロウの姿が視界の端の方に映った。

 礫はアグニエルから離れた。黒い瞳は、まっすぐに暗黒魔術師の姿を捉えている。

 あれほど強く握り締めていた弓は、もう彼女の手の中にはなかった。

 アグニエルの胸を、斜め下から突き上げるようにして貫いていた。

「……こ……」

 数歩、よろけるように前に進み出るアグニエル。

 その指先が弓に触れた瞬間、変化が起きた。

 弓を、青白い光が包み込む。それは端から徐々に剥がれ落ちるように、光の粒子となって宙に散っていく。

 光が完全に消滅した後には、弓は全く別のものへと変化していた。

 弓だけではない。矢の方にも同様の変化が起きていた。鉄の矢だと思っていたものが、3つとも黒い布切れへと変じている。

 丸められた薄布だ。端の方に、半ば強引にちぎったような痕跡がある。

 礫の口元を覆っていたマスクだ。

「本来は人を別の姿に変身させて、目を欺くための魔術だけどね。こういう使い方もできるんだよ」

 何処かで聞いたことのある口調で言うと、礫は口の端に笑みを浮かべた。

「……覚えてる? キミが、言ってた言葉だよ」

 ──最初から、飛び道具で勝負するつもりは彼女にはなかったのだ。

 そうするように見せかけて、実際は別の手段を決め手として隠し持っていた。

 無論、普通に接近しただけでは避けられてしまう。だから彼女は短剣を『弓』に変え、わざと不釣り合いな大きさの得物を相手の視界にちらつかせることで、注意を引いたのだ。同じ魔術で化粧した偽りの『矢』を射る素振りを見せ、得物の本来の形を欺くために。

 『矢』を手離したことで、アグニエルは礫の『弓』を注視するのをやめてしまった。それが自らが知った形──実在の品を模したものであったが故に、思い込んでしまったのである。弓は、矢なくしてはその機能を果たさないと。

 喉の奥から込み上げてきた熱いものを吐き出しながら、アグニエルは胸に突き立てられている短剣の柄を掴んだ。礫が今の今まで握り締めていた、弓に見えていたものだ。魔術師が護身用に携帯するような、装飾が施された小振りの黒い短剣──それを、力を込めて引き抜く。

 刃が抜けると同時に噴き出す鮮血を、掌で押さえる。その程度で流血は止まらないが、少しの間だけ抑えられれば良かった。気管さえ塞がっていなければ、魔術で傷口を塞ぐことができるからだ。

 が。

 開口し、そのまま魔術師は動きを停止させた。

 唇の動きが、重い。

 発声できなくはないが、縫い付けられたように動きが鈍くなっていた。

「……確か【Paralysis】だったな」

「!……」

 その声に、アグニエルの肩が小さく跳ねた。

 面を上げる。

 白い神官の少年が、まっすぐに彼のことを見据えていた。

 手に何かを持っている。小さな硝子の瓶だ。

 その正体は、すぐに分かった。それは先程沈黙魔術の支配下に置いたはずのホロウが喋っていることからも明らかだった。

 解呪薬。

 魔術によって身体に齎された効果を無効化する霊薬である。

 礫が、アグニエルを攻撃したと同時にホロウに渡したのだ。

「……何故……」

 どうにか声を絞り出し、アグニエルは問うた。

 その言葉は礫に当てたものなのか、ホロウに当てたものなのか。

 個々によって意味の解釈は異なりそうだが──先に答えたのは、より鮮明にその一言を聞き取れる位置にいた礫の方だった。

「気付いてないの?」

 自らの唇を、指先で撫でる仕草をする。

「ホロウはね。何かあると唇舐める癖があるんだ」

 癖とは無意識のうちに出るもの。当人ですら、それに気付いていないこともままある。

 さり気なさすぎて誰も気付かない、その者を象徴する精神に刻まれた指紋のような存在なのだ。外見が変わったからといって、簡単に変化するものではない。

「螺旋、って呼ばれてた、キミと同じ姿をしてた人。あの人も、同じことをしてたんだよ」

 礫はアグニエルから離れ、正面に向き直った。

 手に、魔法陣を展開させた黒水晶の杖を携えて。

「ボクもホロウを見るまで、忘れてたんだけどね。……けど此処まで見せられたら、嘘つきがどっちかくらい、考えれば誰にだって分かるでしょ」

「──そういや、まだ話してなかったな。何でおれが今になっててめぇの前に出てきたのかってな」

 礫の言葉を引き継ぐように言いながら、ホロウはアグニエルの眉間に左の人差し指で触れた。

 ──既視感。

 全く同一ではないが、酷似した光景を目の当たりにした時の感覚が、胸の内に蘇る。

 どろりとしたものが渦を巻く、重苦しい感覚だ。

「てめぇが最初に指摘した通りさ。おれは待ってたんだ。ずっと……この馬鹿げた茶番劇をぶっ壊せる奴が来るのをな」

 ちらりと礫の方を見やる。

「8年待ったけどな、その甲斐はあったと思うぜ。おれが思ってた以上に──こいつはよく育ってくれたよ。きっとこいつなら、何もかもを終わらせてくれる」

「……分かって、いるのか?……輪廻を断つことが……何、を意味して……いるのか」

「分かってるさ」

 ふ、とホロウは微笑した。

 何処か自嘲気味にも見て取れる、薄い笑み。それをアグニエルへと向けながら、彼は宣告する。

「てめぇの尻くらいはてめぇで拭かねぇとな──」

 静寂が満ちた夜の闇。その中に響くホロウの声は、物静かだった。

「……あばよ。てめぇに殺された借り──確かに、返したぜ」

 物静かで、しかし鋭さを秘めた。まるで極限まで研いだ鋭利な刃物のように、触れるもの全てを切り裂いてしまうような、そんな触れ難さがあった。


 ──────

 螺旋という名の少年がいた。

 少年は、何処にでもいる普通の、しかし他者よりも少しだけ夢見がちな少年だった。

 少年は、剣と魔法が当たり前のように存在する世界に憧れていた。

 本を読み、ゲームで遊び、空想しているうちに、いつしか本当の『剣と魔法の世界』の住人になりたいと考えるようになっていたのであった。

 考えるだけでは収まらなくなり、ある日少年はその空想を元に、ひとつの物語を小説にして書いた。

 やがて少年は大人へと成長し、遊ぶことも空想することもしなくなった。

 ただ、少年時代から抱いていた憧れだけは失うことはなかった。

 憧れはいつしか、彼の中で願望へと変わっていた。

 だが、彼が描く世界は所詮絵空事。空想の中だけに存在する架空の物語でしかない。

 ならば幻想を体感できる世界を創ろうと、かつて彼が書き留めた空想を基に自らが住人になれる『剣と魔法の世界』をサイバー世界の中に生み出した。

 その世界は後に、小さな窓の中で万人に触れられる物語として日の目を見るようになる。

 『ネガイウタ』と呼ばれ、未だ完結することなく成長を続ける物語はそうして世に誕生した。

 ──────


 ホロウから死の魔術を受け、絶命した魔術師の全身が黒々と染まる。

 闇に浸食されていくように、肌が、髪が、衣が、全てが黒く細かな塵となり。

 虚空に溶けるようにして、消えていった。

 彼は、他人の肉体という容れ物に己の魂を宿らせていた。言わば精神だけの存在だったのだ。器を失い、還るための本来の肉体がホロウのものとなっている今、放り出された精神を維持させるための手段が彼にはなかったのだろう。

 魔術師が完全に滅び去った、その後に残っているのは──

「……音の欠片?」

「ああ」

 それを掴み、礫によく見えるように掲げながら、ホロウは頷いた。

 ホロウの中にある『音』と反応し合っているのだろうか。それは、今までに目にした『音』とは異なり、虹色の光の玉のような外見をしていた。

「復元された、ネガイウタだ」

 その言葉が、呪文であったかのように。

 光の玉はホロウの手を離れ、ホロウの体内に宿った『音』と共に、2人の頭上近くまで舞い上がって行った。

 祭壇に置かれたクインテット・カルバールの黄金色の表面に、虹色の光が反射して──

 弾け飛ぶように、音の欠片は広間全体に光の帯を広げる。帯の1本1本は細かな文字で構成されており、その並びは、まるで巨大な魔法陣のように見えた。

 一瞬、礫の視界に何かが影となってちらついた。

 かつて目にした、『音』を刻印したオルバの背中だった。

 あの時はただの刺青にしか見えなかった、黒々としたそれが。

 解き放たれたこの時は、虹色に煌めき、その姿はまさに宝石のようで。

「……綺麗」

 礫は、思わず呟いていた。

 これが、本来のネガイウタの姿なのだ。

 叶奏神器クインテット・カルバールと、ネガイウタ。ふたつの宝が、この手に戻った。

 それはつまり、此処が旅の終着点であることを意味していた。

「旅、終わりなんだね」

「ああ」

 感動を噛み締める礫の言葉に、ホロウは小さく頷いた。

「此処が、終着点だ。本当に……長かったな」

 唇を舐めて、深く息を吐く。それとほぼ同時に。

 展開したネガイウタは、輝きながら楽曲を奏で始めた。

 黒板を爪で引っ掻いたような、女子供の悲鳴のような。脳を揺さぶる音が広間全体に響き渡る。

 そのあまりにも酷い『唄』に、礫は思わず悲鳴を上げていた。

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