第5楽章 イモータル
一同がいる通路は、通路とは言うものの実際はちょっとした部屋ほどの広さがある。若干壁や天井が崩落しあちこち足を踏み込めない箇所もあるが、動き回る分には差し支えがない程度だ。
オルバの話は一旦忘れることにして、礫は頭の中を戦闘態勢に切り替えた。
今自分たちが置かれた状況から、瞬時にそれぞれの戦闘能力を算出する。元々収拾したデータから色々と仮説を組み立てるのが好きだったので、こういうことは割と得意だった。
一見して、オルバの職業は武闘家だろう。武器は彼が両手に装着している巨大な籠手だ。
自らの肉体を武器にする彼らは己の動きを制限する装備を嫌うため、拳に装着する系統の武器か、あるいはカタールのように握って使用する簡素な刃物しか用いることはない。そう考えると、今彼が装着している籠手はそれに反する大きさと言える。
あれもホロウが持つ魔術武器のように、自らの魔力を具現化させた代物なのだろうか。モールダーがネガイウタの力の一部を与えられた存在だというのなら、同じ存在であるホロウと似たような能力を彼が持っていても何ら不思議なことではない。
そんなオルバの相棒──彼は輝と呼んでいたので、それが名前なのだろう──は、やはり軽装であることから少なくとも騎士でないことは知れた。深緑色の外套に、蝋で固めて補強した革で作ったらしい部分鎧らしきものを身に着けている。少なくとも魔術師である礫よりかは肉体労働派なのだろうが、あまり力仕事は得意ではなさそうにも見えた。弓術士か、盗賊か、おそらくは身軽さを売りにする職業だろう。どちらも好んで使用する武具には共通点が多いので、後は彼の行動から判断するしかない。
オルバの手によってどの程度鍛えられているかは一見しただけでは分からないが、少なくともオルバほど俊敏には動けないはずなので、死角からの狙撃にさえ注意すれば、今の礫でも十分対処できる相手であるはずだ。
それらを牽制するように、ホロウは棍の先端を相手に向けて見据えている。
道中は常に礫のサポートに回るような立ち振る舞いをする彼だが、実際はその辺にいるような魔物程度であれば単身でどうにかしてしまう程の力を持っている。先日の魔術師アグニエルの分身相手には不意を突かれてピンチに陥っていたが、実際はあの場に礫がいなかったらそうなることもなかったはずなのだ。
彼が敵に回ったら一体どうなることか──想像もつきやしない。
しかし、彼には万能であるが故の弱点もある。
彼は一部に突出した能力を持つと、それに相反する部分が劣化するのである。神官は攻撃手段を持たず、騎士は腕力に秀でているが故に魔力に乏しく、魔術に抗う力に欠ける。暗殺者は俊敏さのために物理的な耐久力を犠牲にしていると彼に説明されていた。それが彼の欠点であり、それを補うのが礫の存在なのだとも彼は言うのだった。
そして、礫自身は魔術師である。それも、神官姿のホロウとは正反対の、滅殺能力に特化した魔術師だ。ある程度ならば剣や弓といった騎士用の武器が扱えるのもそういった理由からだが、流石に正当な騎士と比較するとその能力は乏しい。
だが魔術であれば、その辺のプレイヤーには負けないという自信が彼女にはあった。
何故なら、礫は一般的に知られている攻撃系列に属する魔術のほぼ全てを習得したプレイヤーだったからである。
足りないのはそれを実際に行使する経験と、戦場に立つ幾許かの度胸だけ。自信さえ持てば、その辺のライバルに引けを取らないはずなのだ。
数の上では2対2。しかし1人が1人を相手にしなければならないというルールはない。
礫が治癒や支援といった非攻撃系列の技能を一切持っていないことを考えると、ホロウが自ら神官以外の職業に変わるとは考えづらい。あくまで攻撃役に回るのは礫で、ホロウはその援護に入る立ち回りとなるだろう。
ならば、輝の動向に注意しつつ、能力が未知数で厄介なオルバを先に叩く。それが最良のはずだ。
礫が脳内でそう方針を決めたとほぼ同時に──
オルバが、動いた。
ふっ、と短く息を吐き、彼は地を蹴った。視界の中央にホロウを捉えつつ、一瞬で体の位置を移動させる。
礫の背後に。
早い!
「せいっ!」
掛け声と共に、身を捻る。
振り向きざまに左の拳を、礫の背中へと打ち込んだ。
輝の方へと注意を向けていたために、礫は反応が遅れた。オルバの位置を察して身構えるその前に、相手の一撃をまともに受けた。
力の塊が体内を突き抜けるような衝撃が奔る。
痛い、などと思う前に、呼吸が詰まる息苦しさを感じて彼女は小さな悲鳴を上げた。
勢い良く、彼女の全身は傍の壁に叩きつけられた。頭だけは守らなければと懸命に受け身を取ろうとしたためか、頭は何とか壁への直撃を免れたが、代わりに当たった右肩を完全に潰してしまった。鈍い音が鳴り、その後にじわりとした痛みが込み上げて来る。
そうか──
ホロウが以前に言っていたことを思い出す。
ライバル同士が戦う理由はただひとつ。相手が持っている『音』を手に入れるためだ。
そのためには相手が所持している音泉のランタンを破壊することが必要不可欠で、それを所有している『主人公』は必然的に標的になるのである。
すっかり忘れていた。
「複数の敵が出た時、何から倒す?」
床に転がる礫に静かに歩み寄りながら、オルバは普段の調子で投げ掛けた。
「オレはね、まず倒しやすい相手から先に倒すタイプなんだよねー。ほら、頭数が減ればその分有利になるってゆーか」
戦闘時の基本である。頭数が減れば、味方が受ける被害が純粋にその数の分だけ減るからだ。
強力な技術や魔術で一気に全体を吹き飛ばしてしまえるなら、それが最も楽だろう。だが、その時滞在している場所が奥の深いダンジョン等であった場合は、余力を少しでも長持ちさせるために、極力魔力を消耗させる戦法は使わない。最初から全開だと、その分後が厳しくなるからだ。だから武器だけでどうにかしようと考えた場合は、自然とそういう行動を選択するようになるのである。
今のオルバの話は、ゲームの話だろうか。だがこのような状況には、それがゲームでも現実でも当てはまるように思える。
輝とオルバは、ホロウが神官の格好をしている時は攻撃能力を持っていないことを知らない。戦場慣れしていない礫の方が倒しやすいと判断したのだろう。
礫のすぐ傍まで移動したオルバは、そのまま片膝をつき、拳を構えた。
狙っているのは礫か、それとも彼女のランタンか。顔を伏せたままの礫からは見えない。
しかし、どちらであったにせよ、大人しくその一撃を受け入れる気は彼女にはなかった。
「【Tornado】!」
まだ呼吸が詰まっていたが、声が出せるならそれで良い。掠れた声で、礫は叫んだ。
その場に出現した烈風の渦が、オルバを吹き飛ばした。しかし渦の起点にいた礫自身も一緒に巻き込まれていた。
礫は痺れて満足に動かない指で何とかベルトの留め具を外すと、ランタンと一緒に付いている携帯電話を胸元に抱え込んだ。そのまま身を縮める。魔術の余波からランタンを守るためである。
荒ぶる風は衣を裂き、細かな傷を与え、消えた。
調整したとはいえ、完璧にはいかなかったようだ。ホロウとの練習試合の際に放ったものと比較して、今のは明らかに威力が大きかった。
もっとも、あのままオルバの一撃を受けることを考えたら、こちらの方が幾分もマシなのかもしれないが。
「……見かけによらず根性あるんだねぇ。相手もろとも自爆する人間なんて、見たの初めてだよ」
効果は、オルバの方により強く現れたようだ。礫と比較して衣の裂け方が激しい。
肌に刻まれた裂傷をぽりぽりと掻きながら、感心したように彼は言った。
「訂正。此処まで戦場慣れした人間を見るのは……かな」
その言葉をふんと鼻を鳴らして一蹴すると、ホロウは礫の傍まで行き、彼女を起こした。
肩を抱き寄せ、その体勢のまま彼女に治癒の魔術を施す。
「当たり前だ。おれの相棒なんだからよ、この程度はできてもらわにゃ困るんでな」
「けど、後のことは全然考えてないんだねぇ。それで自滅したら何にもならないんだよ?」
「けっ、てめぇに指図されるようなことじゃねぇわ」
礫の負傷は魔術の効果であっさりと完治した。右肩の痛みも完全に消えている。流石に裂けた衣までは直らないので、そちらは街に帰還した時に繕う必要がありそうだが。
「立てるか」
ホロウが耳打ちする。
ランタンを抱いたまま、礫は頷いて立ち上がった。
よし、と頷き、ホロウは棍の先端を相手に向けながら続けた。
「あの野郎の口ぶりじゃ、多分黒髪の方はほとんど動けねぇはずだ。オルバの奴はおれが何とかすっから、あんたは黒髪をやれ」
「……分かった」
ランタンを腰の留め具に掛け直し、礫は落ちた杖を拾う。
礫は、ホロウと比較すると、それほど動ける人間ではない。しかしオルバはそんな彼女を見て「此処まで戦場慣れした人間を見たのは初めてだ」と言った。
訂正前の言葉にもあったが、相手もろとも自分を吹き飛ばす礫の命知らずな部分を見て言っているのだろう。
それは裏を返せば、オルバの相棒──輝には、そこまで捨て身になれる度胸がないということの自白でもある。
この世界に来た頃の礫も、そんな感じだった。ホロウに訓練され、魔物討伐を繰り返しているうちに、変わった。言うならば、成長したのだ。
輝はオルバに戦闘指南を受けているのか、そもそも戦闘経験自体があるのか、それは分からない。だがオルバにああいう評価をされているような者が相手なら、礫1人でも対等に渡り合えるかもしれない。可能性は十分にある。
今はそれを、ただ信じるしかない。
とん、と足元を棍で突き、ホロウは声を張り上げる。
「来な、脳筋野郎が!」
「……それってひょっとして、オレ?」
「他に誰がいるってんだよ──おらっ!」
向かい来るオルバが繰り出す拳を身を捻って避けると、ホロウはそのまま棍で相手の脛を打ち据えた。
棍の強度がどの程度のものなのかは不明だが、あれは痛い。ぎゃーと大袈裟な悲鳴を上げるオルバを視界の隅に捉えたまま、礫は自分の相手となる輝へと注意を移した。
ひゅっ。
焦点が輝の顔に定まると同時に、右の脇腹を飛来した矢が掠めて過ぎた。
思わずわっと声を上げる礫に、相手がくすりと笑う。
「魔術師は基礎体力がない……疲れて動きが鈍くなったら、終わりだ」
更に立て続けに放たれる3本の矢。そのいずれもが、礫の右側を通り過ぎていく。ランタンを狙っているのだ。
確かに、輝の指摘通りである。魔術師は一般的に肉体能力は他の職業と比較すると低い。
このまま回避し続けて疲労が溜まり、動けなくなったら──
相手が放った矢が礫のランタンを射抜く光景が脳裏を過る。
しかし。
礫は杖を構えた。
魔術師には体力がない。それは否定しようがない紛れもない事実である。
だがそれは、同じ人間である以上は相手も同じこと。結局は、容量に差がある程度の話でしかないのだ。
どんなに大量の燃料を搭載できる車でも、それを一瞬で使い切ってしまうようであれば意味はない。大切なのは、例え僅かな量の力でも、それをどう上手く活用できるかなのだ。
それに、もうひとつ忘れてはならない大切なことがある。
これが、画面の中のゲームではない、現実であるということ。
「【Wind】!」
魔術を放つ礫。風を呼び対象物を攻撃する魔術だが、彼女はその対象を輝ではなく、彼が放つ矢へと定めた。
飛来する矢のことごとくが、風の刃によって切り刻まれる。
魔物の胴を両断するほどの威力はなくとも、細い矢を細切れにするにはこの程度でも十分だ。
廃材と化した矢の残骸が吹き散らされ、床に散らばる。
しかし魔術の効果対象はあくまで矢なので、それを放った輝は無傷だった。特に動じた様子もなく、次々と矢を礫に向けて放ってくる。
矢を撃たれたら、それを魔術で迎撃する。その繰り返しの構図が出来上がりつつある頃。
モールダー同士の争いにも、違う形での繰り返しが生まれていた。
「……【Recovery】」
尻餅をついたホロウが、自らの腹に手を当て呟く。
何かの一撃を受けたのだろう。魔術が効果を発揮すると、彼の表情に微妙に表れていた苦痛の色が和らいだ。外見的に何か負傷した様子は見られないので、単純に痛みの除去という理由で魔術を行使したようだ。
治癒が終わると、深呼吸をし、立ち上がる。改めて棍を構える彼に、オルバはいつもの笑みを浮かべつつ言った。
「言葉、なくても魔術できるんでないっけ?」
「悪ィな。昔の癖抜けてねぇんだ」
にやりとするホロウ。
分かる分かる、とオルバは相槌を打った。
「オレもあるよ、ついつい出ちゃうんだよねー。……ところでさぁ」
軽く体勢を低く落とし──瞬時にホロウの背後へと回る。
振り向きかけたホロウの背中に、突き上げるように拳を打ち込む。
ホロウは勢い良く天井に激突し、そのまま床に落ちた。彼がぶつかった天井に、罅が入っている。
非常識な力だが、それでもオルバにとっては力をセーブしているのだろう。真面目に打ち込むと建物まで破壊してしまいかねないからだ。
相手に勝利しても自分も生き埋め、では意味がない。
「さっきから治療しかしてないね?」
「…………」
オルバの攻撃を受け、負った傷をホロウが魔術で癒す。
先程から両者間では、そのやり取りが延々と繰り返されていた。
魔術で治癒が可能な限り、ホロウが倒されることはほぼないと言って良い。
しかし魔術では、疲労までは癒すことができない。動いているオルバも徐々に体力が落ちてきてはいるものの、ダメージを食らい、それを魔術で癒しているホロウの疲れ具合はそれ以上だった。
「水属性の魔術師は治癒能力に偏りやすい、って言うけど……まさか、そのくちだったり?」
「……てめぇの想像に任せるわ」
しかし相手の言葉を否定することもなく、答えてホロウは立ち上がった。
特にすぐさま反撃する、という風でもなく、落ち着き払った調子で貫頭衣に付いた砂埃を払い始める。何度も壁や床に叩き付けられたせいかあちこちが擦れているが、布自体は切れてはいない。見た目以上に丈夫な衣服のようだ。
「けどな。もしおれがてめぇの想像通りだったとしたら──1発で仕留めねぇ限り、何度でもしぶとく復活するってことなんだぜ」
「そうみたいだねぇ」
意地悪いホロウの発言に、オルバはぽりぽりと後頭部を掻いた。
「オレ、いい加減飽きちゃったよ。疲れるし。ついでに言うと暇ってわけじゃないしねぇ」
「おれだって暇人じゃねぇよ」
「うん。分かってるって。……だからさぁ」
言いながら微笑む武闘家は、再度ホロウの背後に一瞬で移動した。
彼の細い首を鷲掴みにし、そのまま宙に吊り上げる。
「そろそろおしまいにしよっか。ねぇ?」
みし、とホロウの体内で何かが軋む音を立てる。おそらく圧迫された骨が鳴ったのだろう。
オルバの握力は半端ではなかった。武闘家であることを差し引いても常識を遥かに超えている。その気になれば人間の頭など簡単に割れてしまうのではなかろうか。
モールダーは普通の人間と比較すると特別な能力を多く備えているのは確かだ。しかし、そこまで人間の範疇を超えた身体能力を持っているわけでもない。心臓を破られれば当然生きてなどいられないし、首を絞められれば窒息だってする。多少耐性があるとはいえ痛いものは痛いのだ。それは力を行使する方も同じで、自身の肉体の限界を越えた力を使えば、自身の方が壊れてしまう。だから、無意識のうちに力をセーブするものなのだが──
おそらくは彼が装着している籠手の力だろう、とホロウは思った。
武具の中には、装着者に特殊な力を与えるものが存在する。例えば身体能力を増幅したり、魔術的効果を付与したり。そういった品は主に装飾品の類に多く見られるが、武器に付いているという例は珍しい。
否、そういった武器をわざわざ探し出して用いる者の方が、と言うべきか。
大抵は武具に一時的に特殊効果を付与する強化魔術で同等の効果が得られるため、入手の手間を考えると手を出さない者の方が多いのだ。いたとしても究極を追及する人間か、あるいは武器コレクターか。その程度でしかない。
「最後に遺言くらいは聞くよ。何かある?」
「…………」
ホロウは棍を持たない方の手で相手の手首に触れる。
ただ触れるだけだった。引き剥がそうという気配がない。
ひゅう、と喉を鳴らし、言う。
「……遺言なんて言う必要ねぇよ」
「そっか」
ぐ、と唇から呻き声が漏れる。首を掴まれた手に力を入れられたのだ。
しかしそれに動じることもなく。淡々とホロウは続けた。
「この程度じゃ──」
相手の手首に触れた掌に、力が籠る。
「──おれは倒せねぇからな」
ごどん。
重いものが落ちる音。
体を束縛していたものが失われ、ホロウの体は落下した。
だが尻餅はつかない。束縛が消えた瞬間、既に彼の足の裏は床に着いていたからである。僅かに膝を屈めただけで、体勢を崩すことはなかった。
そのまま更に踏み込んで、得物を一閃する。
わざとそうしたのか、大剣の先端は相手の胸元を浅く薙いだだけだった。
拳法着が裂け、首飾りが石をばら撒きながら足元に散る。
その上に、ぼたり、と大粒の雫が落ちた。
「…………!」
「こいつは鋼じゃねぇからな。半端な切れ味じゃねぇぜ」
ホロウはにやりとした。綺麗な断面を晒す自分の手首を見つめるオルバに、血でべったりと濡れた暗黒剣を見せる。
魔力の実体化によって生まれた武器は、通常の金属製の武器とは異なる点がある。
魔力の大きさに比例した硬度を有し、物理的に劣化することがなく、その形状を自在に変化させられるという点だ。使用者が望むままの道具にすることができる。そして最大の利点は、常時携帯する必要がないということ。いつでも必要な時だけ取り出すことができるのだ。
ホロウは足元に転がる丸い物体を拾うと、オルバの方へと差し出した。
「ほれ。蘇生魔術辺りで治療すりゃ、ひょっとしたらくっつくかもしれねぇよ?」
「…………」
オルバは受け取ろうとしなかった。ただ信じられない、と言いたげな表情で眼前の黒騎士に視線を向けている。
手首を落とされたことが、ではない。そんなことは戦乱の世に生きる者にとっては日常茶飯事だ。何よりモールダーには痛覚に対する耐性がある。身体の一部が吹っ飛んだくらいでは動じたりはしないのである。
彼は、目の前の少年が一瞬にして大人の騎士に変貌したことに驚愕しているのだ。
単に姿を変えるだけなら、魔術師であれば可能だ。事実、外見を変化させる魔術が世には存在し、それはある程度の魔術の技量を持っていれば、勉強次第で難なく習得することができる。
しかしその魔術は、あくまで外見を変化させるだけのもの。実際の能力が変化することは決してない。例え魚に変身したとしても、水中で呼吸が可能になるわけではないことと同じだ。
だが、ホロウは。
彼は顔に面影を残してはいるものの、外見に合わせてその能力までもが完全に変貌している。神官だった頃の非力な一面が何処にも残っていない。これでは全くの別人である。
別人に──
ふと。オルバはあることを思い出していた。
その記憶が正しいかどうかは、それを見れば確認ができる。
彼は黒騎士の存在を気にしつつも、視線だけをそれへと向けた。
礫が持つ、音泉のランタンへと。
彼女は輝と睨み合いを続けていた。完全に自分のことは相棒ホロウへと任せ、輝の相手に意識を集中させているのだろう。オルバの方を全く見ていない。
今背後から忍び寄れば確実に一撃を加えられそうであるが、そうしようと動けばホロウに攻撃されることになる。だから不意打ちはできない。ただ、彼女が持っているランタンを見る。
そして、確証する。
やはり、記憶は間違っていなかった。それは同時に、彼に悟りを齎すこととなった。
記憶が正しければ、今自分が相手にしている者は──
礫が持つ音泉のランタンに宿る炎。
火種もないのに燃え続ける小さな炎は、眩い茜の輝きを放っていた。
火属性を示す赤い輝きを。
「……『型無の道化』……!?」
「だから、言ったろ。おれは『虚無』だってな」
ホロウは唇を舐めて、笑った。
「ちょいとばかし訳ありでな。特別製なんだわ」
ホロウが振るった剣が、手首を失った彼の片腕を肩からばっさりと斬り落とす。
オルバは小さく呻きを漏らした。
返り血がホロウの頬とオルバの上半身を赤く染め上げる。その場に膝をつく相手を前髪に隠れた灰色の瞳で見下ろしながら、ホロウは八重歯を覗かせた。
「最初っからなーんも隠しちゃいねぇし、嘘ついてもいねぇぜ? 単にてめぇが気付かなかった、それだけの話だろ」
ぱぁんっ、と硬い何かが砕け散る音が響く。
彼らは同時に音がした方向を見た。
そこには、ずっと睨み合いを続けていた2人の『主人公』たちの姿がある。その一方が大きく体勢を崩し、尻餅をつく様子が視界に飛び込んでくる。
両者の足元に、大量の屑が落ちていた。元の大きさが分からないほどにばらばらにされている。何で切ったのか、その断面はえらく鋭利だ。散らばる屑のほとんどは似たような形状のものばかりだが、その中に、それらとは明らかに材質の違うものが混ざっている。
硝子の破片と金属の欠片──砕かれた音泉のランタンのなれの果ての姿だった。
「【Wind】!」
何度目だろう。輝が放った矢が、礫の魔術によって粉々にされる。
足元には、そうしてできた残骸が大量に散らばっていた。
「──いたちごっこじゃないか」
面倒臭そうに溜め息をつきながら、輝は背に手を回した。弓と共に矢筒を背負っており、彼はそこから矢を取り出しているのだ。
革の手袋を填めた右手が矢筒の口に触れる。
「…………!?」
その瞬間、輝の表情が豹変した。
同様に、礫の顔にも表情が浮かんだ。もっとも、相手には口元は見えないだろうが。
笑みを浮かべ、彼女は静かに言った。
「やっと気付いた?」
輝の双眸が、背後の矢筒を捉える。
ない。
そこにあるべきはずのものが、なかった。
視線を前に戻すと、礫は彼女の足元に落ちている何かを拾っているところだった。小さな、人の指ほどの太さの棒切れだ。先端に少々毟られ元の形が崩れた羽が付いている。それを彼へと見せてきながら、
「ボクが、無駄に同じ魔術を撃ってただけだと思ってた?」
何故、礫は輝を攻撃しなかったのか。自身に飛来する矢を迎撃してるだけだったのか。
今この瞬間になって、ようやく輝は理解した。
彼女は待っていたのだ。輝の矢筒から、矢が全てなくなるのを。彼が攻撃手段を失うことを。
「オルバ……!」
相棒の名を呼ぶ輝に、礫は杖の先を向けた。
「此処は、確かに『ネガイウタ』の世界だよ。キミが持ってる知識は、正しいとボクも思う。
だけど、此処は本物で、起きていること全部が現実なんだよ。……それを忘れてるようじゃ、キミはボクには勝てないよ」
杖の黒水晶が宙に魔法陣を描き出す。
「──【Ray】」
発せられた一条の光が、輝のランタンを中央から撃ち抜く。
飛び散った大量の硝子と金属の破片が、矢の残骸の上にばらばらと落ちた。
ランタンが砕け散ると共に、それは虫籠から抜け出た蛍のようにふわりと宙を舞い始めた。
茜色の灯──輝の音泉のランタンの中で燃えていた炎である。
それを、横から伸びた手が掴み取る。
漆黒の籠手を填めた黒騎士の右手だった。
「ゲームオーバー、だ」
言いながらホロウは左手にある暗黒剣の具現化を解き、尻餅をついたまま動かない輝の頭にぽんと手を置いた。
「射撃手は武器を最低2種類は持ち歩け。常識だから、覚えときな」
「……オルバは、教えてくれなかった」
「……ま、そりゃそうだろよ」
輝からの返答に、ホロウは肩を竦めて応えた。
「──ホロウ」
小さな声が、彼の名を呼ぶ。
礫もまた、その場にぺたんと座り込んでいた。床に杖を投げ出し、目を丸く見開いてホロウの顔をじっと見つめている。
「ボク……」
「怖かった、か?」
彼女が頷くのを見て、彼はそうかと漏らしながら彼女の傍に歩み寄った。
目の前まで来たところでその場にしゃがみ、相手の顔を覗き込んで、
「偉かったな。1人でよく頑張った」
いつものように彼女の頭を撫でてやると、それで緊張の糸が切れたのだろう、ホロウの胸に顔を埋めるようにして礫は彼に縋り付いた。
これまで幾度となく魔物との戦いを繰り返し、レベルアップを果たしてきた礫だが。自分と同じ立場にいる人間と刃を交えたのは、彼女にとっては今日が初めてのことだ。
目についたものを盲目的に襲う魔物とは違い、明確な意志を持って戦略を立てて向かってくる相手を単独で迎え撃つことは、想像以上に彼女に緊張感と不安感を与えたのだろう。
無理もない。自分にも似たような経験があったから、彼女の胸中はよく分かる。
小さく震える礫の背中を抱き寄せてやりながら、ホロウはふとそんなことを思うのだった。
「……う……」
苦悶の表情を浮かべ、オルバはその場に身を伏せた。
背中を丸めてその場に小さくなる彼の全身から──黒々とした靄のようなものが染み出始める。薬物を火にくべた時に発生する黒い煙よりも濃く、深い闇色の煙だ。臭気はないが、異様な雰囲気がある。それは先刻ホロウに斬り落とされた腕や手首からも、同様に発生していた。
ホロウの腕の中でそれを目にした礫が、息を呑む。彼女だけではなく、輝も似たような面持ちでその様子を見つめている。
オルバの言葉を借りるなら、モールダーはネガイウタを復元するために存在する鋳型である。彼の使命は、全ての『音』を相棒が持つ音泉のランタンを用いて自身の肉体に刻印し、唄を完全な形で蘇らせること。
しかしランタンを失った時点で、それは不可能となる。
『音』を回収できなくなった鋳型は──
「──ランタンを壊しちまったからな」
同類であるホロウだけが、淡々とした様子でそれを眺めている。
「まぁ、それがおれらのルールだ。今更怨みなんて言う資格はねぇ。……これは、貰ってくぜ」
と、言いながら彼は礫の腰に下がっていたランタンを手に取った。
先程掴まえた輝のランタンから逃げた火種を近付けると、反応してランタンが蓋を開いた。
『音』を回収する時と同じように、火種が小さな窓から中へと吸い込まれていく。流石に他のランタンの火種は異物として認知されるのか、ふたつの茜色の灯が混ざり合った瞬間、それは大きく膨張した。開いた窓から炎を吹き出さんとする勢いで──しかしそう見せただけで、すぐに元の大きさに戻る。
礫にランタンを返却し、ホロウはそのまま視線を向ける方向をオルバからずらした。
彼らが姿を現した通路の奥へと。
僅かに。
「……?」
礫と輝も、それに気付いたのだろう。2人も同時にそちらを見やった。
壁に反響し、正確な位置までは分からない。だが、そう遠くでもないようだった。砂利を踏むような乾いた音が、徐々に近付いてくる。
何の抑揚も感じ取れない、無機物的な靴の音が。
気を取られていた礫は、唐突に体を引っ張られて転倒しそうになった。ホロウが半ば強引に彼女を立ち上がらせたのである。
杖を拾い、ホロウは礫の肩を抱いて歩き出す。相棒の意思などお構いなしに、近付きつつある物音に背を向けるようにして。
礫は困惑した。背後のオルバたちと、ホロウの顔を交互に見比べる。
「な……ちょっと……え?」
「ありゃ、おれらとは関係ねぇ。行くぞ」
確かに、勝負は既についている。此処に訪れた当初の目的である魔物退治も既に終了しているため、ホロウが言う通り、彼女たちが此処に留まる理由はない。
しかし、それだけでは先を急ぐ理由にはならない。礫にはそう思えた。
此処で彼女たちがこうしている間にも、何処か遠い空の下で他の大会参加者同士は争っており、あるいは世界中に散らばる『音』を回収して回っており、姿を見ることなく戦線から脱落していく者がいる。そうしてライバルの数は数を減らしていき、世界中から魔物が姿を消し──いつかは最終目標である魔術師アグニエルへの挑戦権を得るために、残ったライバルが持つ『音』を求めて向かってくる者が必ず現れる。
全ての『音』が揃っていなければ、幻の居城とまで言われる所在地不明のアグニエルの本拠地を探し出すことができないからだ。
アグニエルが持つ楽器『叶奏神器クインテット・カルバール』に導かれた『音』が世界の何処かに姿を隠した幻の居城へと主人公を導くことによって、初めてその場所へ足を踏み入れることができるようになる。ゲーム内ではそういうシナリオだったため、おそらく同様の理に支配されているこの世界でも同じだろう。
アグニエルへの挑戦権を持てる者は1人だけ。
礫が此処でこうして『音』を所持している限り、他のライバルはアグニエルの元へ行くことができないのだ。対決が必然であっても、わざわざその機会を早期に設ける必要はない。
音の発生源は、すぐ傍まで来ていた。それが床を踏む金属靴の音であると明確に分かるほどにまで音の質が鮮明になっている。
通路の奥の曲がり角に。
先程オルバと輝が現れた時と同じように、それはゆっくりと、一同の前に姿を現した。
紅と闇が斑に混ざり合った色合いの甲冑。一言で表現するならそういうものだった。
それは小振りの刃物で全体に装飾を施したような、やたらと刺々しい形状をしている。それでいてマントを引っ掛けないのが不思議で仕方がない。背に持ち主と同じくらいの長さの大剣を収めた鞘を背負っており、腰にも標準サイズの剣と短剣を収めた鞘をひとつずつ下げている。それらも全て、甲冑と同じ斑色で統一されていた。
一角獣のような捻じれ角を額に生やした兜は、頭部だけではなく顔全体を覆っている。左の頬の部分が若干砕け素肌が覗いてはいるが、ほぼ全体を鋼の下に覆い隠しており、表情等は外側からではほとんど伺えない。唯一見える素肌も、何かが付着しているせいで明確な肌の色が分からなかった。
人間なのかどうかすら怪しいそれは、全身から黒い靄を放ち続けるオルバ──靄の量が、若干増えてきているように見える──と、座り込んだまま動かない輝の中間の辺りまで来ると、立ち止まった。
頭が僅かに動いている。彼らを見ているらしい。
あの鎧、何処かで……
礫は記憶の何処かに引っ掛かりを感じ、眉根を寄せた。
しかし、それを完全に思い出すまでには至らない。ホロウに引っ張られ、邪魔されてしまったのだ。
「余所見してんなよ。また転ぶぞ」
「ちょっと……見るくらい、いいじゃないのさ。魔物だったら、退治しなきゃ……音の欠片──」
「ありゃ魔物じゃねぇ。禍黄泉の騎兵だ」
目を合わせるな、と小声でホロウは言い放った。
「……あぁ、名前なんて知らねぇかもな。まぁ名前なんざどーだっていい。とにかく見るな。目が合ったら終わりだぞ」
見ようにも、ホロウが引っ張るから見えないじゃない。
何とか首を捻り、礫は後方を見やる。
禍黄泉の騎兵。そうホロウに呼ばれる斑の騎士が、輝の胸倉を掴んで強引にその場に立たせる様子が見えた。
相手の顔に何を見たのか、表情を歪ませる輝の横顔が一瞬だけ視界に入り──それが、礫が見た彼らに関する最後の光景となった。




