第4楽章 モールド
何故、敵と戦い経験値ポイントを貯めるとキャラクターが成長して強くなるのだろう。
一時期、そのようなことを考えたことがあった。
その答が、今目の前にあるものなのではなかろうか。
礫は思った。
経験値とは、文字通り経験の量を視覚的に理解しやすいように数値化させたものなのだ。
一定量に数字が達するとレベルがひとつ上がるのは、それは量が貯まったからではない。その分だけ知識を得、実践を持ってして技術を体得し、場数を踏んだ分だけ『慣れた』からなのだろう。成長してくるとそれまでの戦闘相手のレベルでは物足りなくなってくるのは、それだけその相手に対して慣れてしまったから。勝てると分かりきっている相手と刃を交え、勝利しても、一体それの何が利になると言うのか。
より強大な相手と戦い、苦労を重ねて勝利した時に得られる『経験値』の量は計り知れない。それはきっと、実力に圧倒的な差のある相手に勝利するために巡らせた知略や技術が、その者を大きく成長させたからだ。だから数字が大きいのだ。
きっとそうに違いない。
その理論なら、例え相手が魔物でなくとも、人は成長できる。
それが礫が導き出したひとつの結論だった。
目の前にはホロウがいる。今の彼はいつもの少年神官の姿ではなく、全身に刺青を施した褐色肌の若者の姿をしていた。
一言で表現するなら何処かの狩猟民族か原住民を彷彿とさせる格好だが、半分ほど和のテイストが混ざった奇抜なデザインの出で立ちである。忍者と原住民の服装を足して2で割ったら、多分こんな感じになるのかもしれないといった風の衣裳だ。ただ、相変わらずどんな姿になったとしても、顔半分を隠す長髪と右目を覆う布切れの存在だけは変化がない。此処まで外見を変化させられるのなら、眼帯も古銭風に変化しても良いだろうに。
彼は両手に1本ずつ小刀を持ち、深く腰を落とした体勢で礫を見据えていた。時折吹く風が彼の髪を跳ねさせ、隠れた灰色の瞳を覗かせる。
ひゅ、と風を切る音が彼女の耳に届く。
視界から、中央に捉えていたホロウの姿が消える。
この姿の時のホロウは、神官の時のように自身の能力を強化するといった高等魔術は使えない。騎士の時より腕力も劣る。
ただし、それらを犠牲にしても余りある俊敏さと器用さを持っているのだ。
彼は、そのように説明していた。
ホロウの能力は、彼の姿に応じて3通りに変化する。
突出した魔力を有し、治癒と防御に特化した神官。
腕力に秀で、相手を討つ破壊の力を宿した騎士。
機敏さに優れ、撹乱と射撃に長けた暗殺者。
状況に応じて姿を変え、仲間の力となる。それが彼の『戦い方』だった。
今消えたのも、決して魔術の効果によるものではない。自身の足で地を蹴り、駆けているのだ。単純に礫にその様子が視認できていないだけ。
物理的に移動しているのならば、軌道は自ずと見えてくる。進む方向は、最初からある程度決まっている。
礫は杖を垂直に構え、念じた。
「【Tornado】!」
竜巻を起こす魔術だ。元々風を操る魔術は効果範囲が広いため、複数の標的を巻き込むことを前提に用いられることが大半だが、礫はそれをわざと調整し、1人が巻き込まれる程度に規模を縮小させた。
脳内に描くイメージ次第で、魔術はどんな姿にでも形を変えるのだ。ホロウが教えてくれたことでもある。
魔術効果の発生地点は──礫自身が立っている場所だ。
彼女を中心に、螺旋を描きながら烈風が巻き起こる。ローブの裾が跳ね、露出した皮膚に薄い裂傷が生じる。
だがそれ以上に影響を及ぼしたのは、彼女に接近したホロウの方だった。
両者間の距離がなくなったその瞬間に、竜巻が発生したのだ。全身をまともに風に引っ掛けられ、そのまま彼は宙に持ち上げられ、吹き飛ばされた。
礫は、発生した風の渦を攻撃ではなく自身への防御障壁代わりとして利用したのである。
ホロウは宙で1回転すると、礫から少し離れた位置に着地した。礫がわざと魔術の威力を抑えたからということもあるが、視覚的な負傷は見当たらない。今の一撃にも特に驚愕した様子はなく、静かに彼女を見据えている。
彼に自分から動こうという気配はない。だが礫は構えを解かず、自ら動こうとはしなかった。ただホロウから視線を外さずに、じっと相手の視線を受け止めている。
膠着状態に陥った時は、余程のことが起きない限り、先に動いた方が不利になる。これもホロウの教えである。
動かなければ、状況は動かない。しかし先に行動を起こせば、それが例え一瞬であったとしても、相手に対策を講じるきっかけを与えてしまうことになる。魔術師の場合は特にそうだ。切り札の魔術を仕掛けても、それが防御されてしまったら終わりなのである。反撃を受けないまでも、戦局の流れを崩されてしまう。魔術専攻型だと肉体能力が乏しい分特にそうなりやすい。
だから、冷静になれない奴は魔術師には向かない。逆上するな。情は捨てろ。
おれのことも、ただの『駒』と思え。
何故、そこだけうるさいと思うほどにホロウがそう言うのかまでは、礫には分からない。きっと彼女が知らない別のところに、彼に盲目的にそう言わせるだけの要素があるのだろうが。
「……よし。練習はこれくらいにしとくか」
無言で対峙することしばし。先に沈黙を破ったのはホロウの方だった。
手中の小刀の具現力を解放し、構えを解いて、礫の方へと歩み寄る。彼が歩く度に、身に着けている装飾品がぶつかって軽い音を立てた。やたらと軽い音がするので、骨材や木の実を使って作った飾り物なのだろう。百貨店等で見かける民芸品専門店とかで売られていそうな首飾りを連想させる。
「今のは上手かったぜ。わざと懐に呼び込んで、反撃する。度胸がなきゃあれはできねぇ。地味だが効果的だ」
粗雑な言い方だが、彼にとっての賛辞ということくらいは分かる。礫は素直に笑った。
「ありがと」
「だが、威力の調整をしくじったら自爆するだけってのは覚えときな。ほれ、デコが切れてるぜ」
と、ホロウは自らの眉間を──髪で隠れているため見えないが、そこが彼の眉間の位置なのだろう──指でとんとんと叩く仕草をした。
同じ個所を指先で撫でると、小さいが痛みを感じた。血こそ出てはいないが、切れているらしい。
しかし、唾でも塗っておけば勝手に治りそうな傷だ。わざわざ治療するほどでもないだろう。
礫の真横まで来て、ホロウはその場に両足を投げ出して座った。
同じようにして、礫もその場に腰を下ろす。
改めて間近で目にする相棒の横顔は、まさに「妖艶」の言葉がそのまま形になったような作りだった。
人形のように綺麗な髪で、整った顔立ちで、中性的で。アニメやゲームの登場人物としては典型中の典型と言える『美男子』である。本当にこんな人間が存在するのだろうか、と疑いたくなるほどに、美しい。
そして、そんな存在を仲間として自分が連れ歩いて良いのだろうか、と奇妙な後ろめたさのようなものが胸中を掠めるのだった。全国の美男子好きの少女たちに知られたら、妬まれそうである。
白亜がまさしくそんなタイプだったので、この場所で彼女に出くわしたら何と言われることか。
考えたら思わず鳥肌が立ってしまい、礫は腕を擦った。
「寒いのか?」
そんな彼女を横目で見ながらホロウは言う。
この世界にも四季があるのかどうかは不明だが、気候は穏やかで、寒さは感じない。
これで魔物が徘徊していなければ、街の子供も安心して遊べる環境なのだろうが。だからこそ、住民たちからの依頼で魔物討伐を依頼される機会が多いのかもしれない。
礫はかぶりを振った。空を見上げ、言う。
「友達も参加してるからさ、この大会。ちょっと思い出しただけ」
「そうか」
ホロウも、それ以上は追及してはこなかった。別のことを言ってくる。
「最初は、皆面白いくらいに同じこと言うんだぜ」
「同じ? ボクみたいに?」
「おうよ」
ホロウも空を見上げた。
「おれは今回が初めてじゃねぇからな。前の時も、今のあんたみてぇなことを言ってた奴に結構会ってんだ。友達、兄弟、……あぁ、恋人なんてのもいたっけな。いろんな連中がいたけどよ、聞いたのはみーんな似たり寄ったりの台詞ばっかりだったな」
その中には、きっと彼自身も含まれているに違いない。
「……仲良しは全員味方だ、って思ってやがる。世の中はそんな甘いもんじゃねぇ。此処にいるってことは、実際の関係が何だろうが『敵同士』なんだってのにな」
単なる思い出話でしかないその言葉に、僅かだが負の感情が紛れ込んでいるのを礫は感じ取った。
以前に、ホロウはそのことで何か嫌な思いをしたのだろう。
ぽつりと、誰に言うわけでもなく舌の上に言葉を転がす。
「……永遠に顔を合わせねぇ方がよっぽど幸福だ」
「え?」
「……何でもねぇよ」
ふん、と荒く息を吐く。
「だからよ、今のうちに言っとくぜ」
彼は、もう空を見てはいなかった。礫を見ている。
「目の前に『敵』が現れたら、それが例えどんな奴だったとしても、迷わず倒せ。迷わずだ。そうしなけりゃ後悔するのはてめぇの方になる。だから『敵』は迷わず倒せ。2回言ったぞ。いいな、分かったか」
「……分かったよ」
「おし」
礫が頷くと、ホロウは彼女の頭を脳天から掴むと、そのままわしわしと撫でた。
まるで子供扱いだが、不思議と腹は立たなかった。むしろ、何処か心地良さすら感じる。
きっと、徐々にではあるが、彼という存在が理解できてきたからだろう。周囲から見たら到底理解できないことかもしれないが。
それが真の『相棒』と呼べる存在であるのだということを彼女が把握するのに、それほどの時間は必要としなかった。
その相棒が、何度も繰り返す同じ言葉。
例えそれが自分にとってどんな相手であったとしても、『敵』である以上は迷わず倒せ。
──お互いに頑張ろ。手加減しないからね。
別れ際に白亜が言った台詞が蘇る。
もしも、白亜がライバルとして自分の目の前に現れた時。
その時、自分は彼女と同じ言葉を彼女に対して言えるのだろうか?
元の世界では、一体何日が経過しているのだろう。
体感と同じ分だけの時間が流れているのだろうか、それとも今此処で過ぎて行った時の流れも、実は全てが終わって元の場所に還った時にはほんの数分しか経過していない程度なのだろうか。長くもあり、短くもあり──しかし確実に、此処で過ごしてきた時間は礫に多大な影響を与えていた。
逞しくなった。一言で表現するならば、それに尽きる。
日常の中での彼女は、何処にでもいる、ごく普通の学生だった。
筆記用具を持ち、机に向かう、そんな日々を繰り返すありきたりな1人の少女だった。
それが、この場所に来て、変わった。彼女自身、自覚するほどに著しく変わった。
「礫」
名を呼ばれ、彼女はふと意識を前方へと戻した。
討伐した魔物から出現した『音の欠片』を抱えたホロウが、怪訝そうに彼女を見つめている。
「回収。逃げちまうぞ、これ」
「あ……ごめん」
小走りでホロウに近寄り、礫は音泉のランタンを『音の欠片』に近付けた。
茜色の灯がランタンに吸い込まれ、中の蒼い灯と混ざり合う。
ランタンの蓋が閉まったのを確認し、彼女はランタンを元の位置に戻した。
ホロウが色々と指南してくれたおかげか、魔物討伐にも随分と慣れた。
だが、狩れども狩れども魔物の数は一向に減少する気配を見せない。
一体何匹存在しているのか。終わりなどないのではと思うこともたまにある。
「減ってるぜ。確実に」
そんな彼女の疑問に混ざる一抹の不安を一蹴するように、ホロウはにやりとしながら答えた。
「おれら以外にも『音』を回収してる連中がいるからな」
現存する魔物の数は増えない。これにはれっきとした根拠がある。
魔物は魔術師アグニエルの魔術による産物と称されているが──実際は、ネガイウタを砕いた際に生じた『音の欠片』を核にして魔術師アグニエルが生み出した存在なのだ。
狩り続けていけば、いずれ『音』は全て回収され、魔物はいなくなる。
仮に、仲間が大勢いたら。あるいは『主人公』たちが協力し合ったら。
そうすれば、世界中にどれだけの魔物がいようが早く終わるだろうに。
礫は呟くが、ホロウはきっぱりとそれを否定した。
「そりゃ無理な話だな」
「分かってるよ。大会なのに、協力し合ったらおかしいってことなんでしょ」
最近の運動会では、優劣を付けるのはおかしいと、皆で1列に並んでゴールをする競技があるらしい。競争心を生まない教育が最近の主流なのかどうかはいざ知らず、奇妙な世の中になったものだ。
が、そういう意味ではないらしく、ホロウはただ首を振るのだった。
「それもあるけどな。それとは別に、協力できねぇ理由があんのさ」
「…………?」
「──ふむ、こんな場所で他の参加者に会うとは……」
小首を傾げる礫に答えるように声を掛けたのは、ホロウではなく全く別の方向にいる存在だった。
現在2人がいるのは、アルクレイドからは若干離れた場所に存在する無人の遺跡である。
彼女たちは都市から魔物討伐の依頼を受けて此処に来ているのだが、同じ目的で訪れた人間が、他にもいたということなのだろうか。
崩落しかけた通路の果てから、人影がふたつ、姿を現した。
1人は長身痩躯、巨大な弓を背負った黒髪の男。もう1人は黒髪よりも若干小柄だが、逞しい体つきの金髪の男である。両者共に軽装で、弓を背負った方は腰に礫が持っているものと同じ形状のランタンを下げている。しかし、中の炎の色が違う。礫が蒼であるのに対し、こちらは茜だ。
ランタンを所持している、ということは、礫と同じようにあの扉を介してこの世界へと訪れた大会参加者の1人なのだろう。
ふむ、と黒髪が声を漏らした。その視線は、礫が持っているランタンへと注がれている。
「水か──」
「水……?」
「属性だな」
回答しつつ、ホロウは前に出た。その手には既に魔力の棍が握られている。
「最初にデータを作った時、属性付いただろ」
主人公に宿る属性のことである。
すなわち、4大元素。火、水、風、土。キャラクターは皆、このいずれかの属性を宿している。道中行動を共にする仲間も同様に、必ずどれかの属性を持っている。
属性はプレイヤーの意思とは無関係に、キャラクターデータを作成した時点で自動的に決められる。これは自身で選択することはできず、また後に変更することもできない。与えられる属性が決定する法則は解明されてはいないが、名前やデータ作成時に設定する項目等で多少変化するのではないかという説が現段階では最も有力視されていた。
キャラクターは能力値とは別に、宿した属性の特色を継いだ成長過程を辿る。
例えば習得する魔術の系統が偏ったり、同じ属性の技術を他と比較して早期に習得したり。要素は様々だ。同じ職業でも、実際に蓋を開けてみれば攻撃的だったり保守的だったり色々といるように、その影響は大きいのである。
特にそれが魔術師であった場合、かなりの違いが生じる。治癒や防御に特化した技能を持つ者を神官と呼ぶように、時にはその呼び名すら変わってしまうことがある。
あれ、と礫は小首を傾げた。
「でも……ボク、確か火だよ?」
ランタンの炎の色が所有者の属性の色を示すのなら、礫が持つランタンが宿す炎の色が水属性を示す蒼には絶対なるはずがない。
「そりゃそうだ」
ホロウは肩を竦めた。唇を舐めつつ、続ける。
「そこにあんのは、おれの属性の色なんだからよ」
「随分と無知なんだねぇ? そっちの大将ってさ」
礫が更に訝る様子が滑稽だったのだろう。金髪が元々細い糸目を更に細めてけらけらと笑った。
元の手の大きさと比較して随分と大きいであろう機械の手のような籠手を填め直し、首を軽く回す。薄桃色の拳法着を纏う彼の胸元を飾る勾玉の首飾りが揺れ、音を立てた。
礫はむっとして、ホロウの横に並ぶように前に出ると、言い返した。
「キミに言われなくたって、ホロウは色々ボクに教えてくれてるよ。そりゃ、ちょっと口悪いけどさ……」
「……おい」
半眼になるホロウ。
ふぅん、と金髪は鼻を鳴らした。
「でも、ランタンのこと知らなかったんでしょ? その分だと、音のこともモールダーのことも知らなそーだねぇ。当たってるんじゃない?」
「…………」
ち、とホロウが小さく舌打ちするのが礫の耳に入った。
モールダー。
『ネガイウタ』の知識の本を紐解いても、そのような言葉はこれっぽっちも姿を見せない。
──主人公と行動を共にする仲間、その役割を与えられた連中のことを此処では『M』って呼んでんだ。
ふと、ホロウに初めて会った時に聞いた言葉のひとつが頭に浮かぶ。
『M』──
ひょっとして、モールダーの頭文字の『M』?
「まぁ、知らない方が都合が良いってこともあるんだろーけど、ね」
金髪はにやりとした。
「いいよ。そこのモールダーは教える気ないぽいし、オレが代わりに教えてあげちゃう」
「オルバ、あまり他の連中と慣れ合い……」
「まぁまぁ。減るもんじゃないしねー。ほら、どっちみちやっちゃうんだしさ、だったら輝だって面白おかしく楽しめる方がいいでしょ?」
何処か意地悪く言うと、オルバは襟元を綴じている朱色の紐に指を掛けた。
一同が注目する中、彼は着用している拳法着を脱ぎ始めた。
驚くほどに無駄がない引き締まった上半身を晒すと、そのまま礫たちの方に背を向ける。
刺青だろうか。オルバの背の中央に、臙脂色の線で何かが描かれていた。
握り拳大に塗り潰された丸を囲むように広がる、まばらに円を形成した線だ。線も記号か文字を書いたものなのか、滑らかな直線ではなく複雑な形状を作っている。それを見て礫が真っ先に思い出したのは、彼女が通っている学校の用具倉庫に転がっている壊れたバドミントンの羽だった。正面から見た形状が、何となく似ていたのだ。
「これ、なーんだ」
肩越しに振り向きながら、悪戯を面白がる子供のようにオルバが言ってくる。
それに、棍の先端を突きつけながらホロウが答えた。
「余計な入れ知恵すんじゃねぇ。知識にゃそれぞれ知るべきタイミングってもんがあんだよ」
明らかに、憎悪の籠った声である。
その意に気付いてわざとかそれとも気付いていないのか、楽しげにオルバは続けた。
「これはねぇ……」
「おい、聞こえてねぇのか」
無視されたことに腹を立てたのだろう。ホロウは棍の先端に魔術の光を宿らせた。力ずくで沈黙させるつもりらしい。
オルバはそれを気にした風もなく、振り向きながらその先端を無造作に掴んだ。
握り潰された棍の先端がじゅっと音を立て、先端の光が消える。
まさか魔術効果を握り潰して消去するとは予想していなかったのか、思わず目を見開くホロウの脇腹に、オルバの爪先が食い込んだ。
少年の小さな体躯が宙を横殴りに飛び、すぐ傍の壁に激突する。
「ホロウ!?」
鈍い音が通路に反響する。壁に亀裂が入り、欠片がいくつか床に落ちた。
ホロウは壁に背を付けた格好で、ずるずるとその場に座り込んでしまう。
オルバはそんなホロウに一瞬だけ視線を送り、すぐに外した。彼のことは興味の範囲に入っていないのだろう。
「線に見えるでしょ? 実はこの模様の線ひとつひとつがね、言葉なんだよ」
「言葉?」
思わず問い返し、礫は今一度オルバの背に描かれた模様に注目した。
礫には、どうしてもただの糸屑のような線の集まりにしか見えない。だが、そう言われて見れば、何かの文字のようなものに見えなくもない──と、思う。
「そっ。言葉」
礫の好奇心を邪険に扱う風もなく、オルバはにこりと笑った。
「歌詞なんだよー」
言いながら、再度、礫に見えやすいように丁寧に背中を向けた。
その横で、ホロウが呻きながら棍を杖代わりに立ち上がる。余程深い蹴りを食らったのか、荒い呼吸を繰り返すだけで何かを言う余裕まではないらしい。ただ、オルバを睨みつけている。
「不思議に思ったことない?」
そんな少年を横目でちらりと見やりつつ、オルバは続けた。
「魔物を倒して回収した『音』──明らかに音泉のランタンよりも大きなものを吸い込んで、何で中の火は何も変わらないんだろうーって。大きな火種を放り込んだら、普通は爆発しそうなもんなのに。考えたことあるでしょ?」
「…………」
礫は、自分の腰に下げたランタンに目を向けた。
火種が何かも分からない、ただ燃え続けるだけの蒼い炎が相変わらずの調子でそこに存在している。
確かに言われてみれば、音という物理的な実体を持たないものであるとはいえ、これまでに相当の数をランタンに回収してきたが、中の炎には何の変化も生じていないように見える。
「それはそのはず。音泉のランタンってねぇ、別に集めた『音』を貯蓄してるわけじゃないんだよ」
「……え?」
「ランタンはね、単なる媒体なんだよ。『音』を回収して、元のネガイウタに復元するための型に組み込む、ただそれだけのものなんだ」
『音』は元々、魔術師アグニエルの手によって数多に分解された願いを叶える楽曲『ネガイウタ』であったもの。数多にしてひとつの存在である。
全ての『音』を回収しても、それだけでは終わらない。元の唄として蘇らせるために、音を組み上げて楽曲にする必要があるのだ。まるで莫大な量のピースが集まったパズルのように──そしてピースが揃っていても、元の形に組み上げなければ何の意味も為さない。それも組み方をひとつも間違えることなく完成させなければならない。
そのためには『型』が必要なのである。組み上げた時に歪な形にならないように、間違えないように、完璧に完成させるための鋳型が。
その鋳型こそが。
「……ネガイウタが破壊された時。そうなった時のために、ネガイウタは自分を元通りに復元させるための力を作って特定の人間にそれを与えたんだ。自分が望む以外の形にならないように、『鋳型』という形の能力でね。
その能力を持った人間というのが、オレたち。モールダーって呼ばれる存在なんだよ」
モールダーとして与えられた能力は、自らの全身に、回収した『音』を焼印の如く刻むこと。
そのために、彼らには鋳型としての能力以外にも、色々と特殊な力を与えられる。声をひとつも発することなく魔術を行使したり、痛覚に対して高い耐性を備えていたり。普通の人間には考えられないような力を、彼らは持っているのだ。
しかし、その一方で。鋳型の能力は、文字通りその者をネガイウタの核として楽曲の一部に組み込んでしまうという代償もあった。
──それはネガイウタが、自身の能力を託した者が使命を拒否しないように予め組み込んでおいたシステムだったのかもしれない。
モールダーは、鋳型の名が示す通り、ネガイウタの復元を使命とし、その助力となる者を助け、そして唄が復元された時になって初めてネガイウタの束縛から解放されるのだ。
それは逆に言えば、使命を果たさねば永遠にネガイウタに囚われ続けるということでもある。
それは、自ら望んでその役割を背負った者にとっては名誉となるだろう。
しかし、時として望まぬ者にその能力が与えられることもある。
むしろ、その方が多いのだろう。ネガイウタの仕組みを細かく知る者など、この世には数えられるほどしか存在していないのだろうから。
そういった者たちにとっては、この使命は枷以外の何でもない。
ホロウと、オルバ。彼らにとっては、一体どちらなのだろうか──
「余計なこと言いやがって──」
ホロウは呻いて視線を外した。
彼の苦い表情から、今までのオルバの言葉は全て真実であるということが分かる。
オルバが指摘した通り、ホロウはこの世界での立ち振る舞い方を教えてくれたり戦闘指南をしてくれたりはしたが、自身のことやその他物事の核心に触れるようなことを語ることはしなかった。
最初はまだこの世界に不慣れな礫にあれこれ語っても無意味だから語らなかったものだとばかり礫は思っていたが、実はそうではなかった。
余計な感情を礫に与えないためだったのである。わざと伏せていたのだ。
「別に同情はいらないよ? あんたたちにとって所詮はこの出来事もゲームなんだし、オレらはゲーム世界の住人なんだから。その程度の認識で十分だと思うよ?」
元通り拳法着を着用し直し、オルバは言った。
片手で軽く相棒に合図を送ると、礫の方へと向き直り、構えを取る。
「教えたのも、単なるオレの気紛れだし。何も知らないまま終わるってのも可哀想だしねー」
棍を構え直すホロウに、ちらりと一瞬だけ視線を送り、
「ホロウ、だっけ? あんたには分かるよね。同じ事情で此処にいる、いわゆる同士なんだもんねぇ」
「……てめぇ、ちっとお喋りすぎんだよ」
ホロウは、棍の先端で宙を軽く切る仕草をする。
魔術を使ったのだろう。彼自身と礫を、純白の光が衣のように優しく包み込んだ。
「言っちまったもんは仕方がねぇ。別に嘘じゃねぇし今更否定はしねーけどな……」
「あはは、オレも流石にそれ以上は喋る気ないよ?」
怖い怖い、と口にしつつ、オルバは深く腰を落とした。武闘家が反撃を取る際によく見せる体勢だ。
その後方で、彼の相棒が射撃の狙いを定めて弓を構えている。
その標準が自分が腰に下げたランタンであると悟った礫は、黒水晶部分を盾代わりにするようにランタンの傍で杖を構えた。
「ただ、オレたちにも利点がないわけじゃない、ってことで、この話はおしまーい」
例えそれが自分にとってどんな相手であったとしても、『敵』である以上は迷わず倒せ。
それは自分だけに言えることではない。相手方も同様だ。倒さなければ、倒されてしまう。
思う部分は色々とあるが、此処で大人しく倒される気など毛頭なかった。
オルバの顔から、人懐っこさを感じさせる笑みが消える。
それが、戦闘開始の合図となった。




