第1楽章 『ネガイウタ』
『ネガイウタ』は、発売日から7年経過した現在も衰えることのない絶大な人気を誇るモバイル専用RPG(ロールプレイングゲーム)である。
他のモバイル専用のアプリと同様に公式ホームページからゲームデータをダウンロードすることによってプレイ可能であるが、データには通常版と限定版が存在し、限定版はゲームのシナリオデータをプログラムした外付け型のメモリーを携帯電話にセットしてプレイする仕様となっている。限定版も通常版同様に、公式ホームページで通販注文をすることによって入手が可能だ。
限定版にはゲームオリジナルのストラップが付属する他、追加シナリオがシナリオデータに内蔵されているが、メインのストーリーに関しては通常版も限定版も同一のものである。
『ネガイウタ』の最大の魅力は、ファンタジーの王道とも言える「剣と魔法の世界」の世界観をひと昔前のタッチで見事に描いた懐かしさを感じるシナリオ構成でありながら、最新の技術を駆使して生み出されたこれまでに例を見ない斬新さを併せ持つキャラクターメイクシステムにあると言えるだろう。
プレイヤーキャラクターとなる『ネガイウタ』の主人公は、予め設定された固定データとなるものが存在しない。性別から外観、性格、果てには成長の過程で習得していく技術に至るまで、全ての人物データがプレイヤーとなるユーザーによって異なっていくのである。全く同一の主人公は2人と誕生しないのだ。まさに、主人公はユーザー自身と言えるだろう。
また、シナリオの途中で登場する仲間となるキャラクターにも同様のシステムが組み込まれており、こちらも主人公の能力に合わせて性格や秘められた能力が変化していく。こちらは最初からある程度設定されているデータ枠内の範囲で変化していくようだが、その種類は豊富に存在し、こちらも主人公同様に同じものはふたつと誕生しないキャラクターとなると言える。
更に、携帯電話特有の機能を利用したリンクシステムが存在するのも、本作の楽しみのひとつだ。公式ホームページ内に登録されているユーザーのマイデータとプレイ中のゲームデータをリンクさせることによって、その経過を反映させることが可能となっている。半年に1度、これらのデータを用いた公式大会が開催されているが、未だその熱気は冷めるところを知らない。
14回目となる今年の春大会も、例年通り本作の生みの親である株式会社ラセン・サークル本社ビルに設けられた特設会場内にて行われることが決定されている。大会には『唄の部』と『奏の部』の2種類があり、本作のプレイデータがあれば誰でも参加可能な唄の部に対し、奏の部は更に特定の条件を満たしたユーザーでなければ参加は不可能なので注意が必要だ。奏の部への参加資格に関しては、開発部の話では「ストーリーの中にヒントが隠されている」とのこと。隅々までプレイして、是非ともそのヒントを発見してもらいたい。
「7年経った今も全容が解明されていない『幻の演奏会』か──」
雑誌の表紙を閉じ、ふぅと息を吐く友人の横顔を、礫は横目で眺めていた。
黒髪、黒目。中肉中背で、日本人としての典型的な特徴を備えたごく普通の風貌の女子高生である。特別な美少女というわけでもなく、本当に何処にでも普通にいそうな少女だ。強いて言えば、何処となく気だるげで陰の入った眼差しが特徴だろうか──それくらい、目立った特徴のない風貌をしている。
「大会の出場者がいるってことまで分かってるのに、何で内容は分からないんだろね」
「さあ」
友人の言葉に適当な相槌を打ちながら、礫は何気なく手にしていた携帯電話の蓋を開け、その画面を呼び出した。
ネガイウタ。
幻想的な音楽と共に浮かび上がるフレーズは、確かに雑誌に書かれている通りに、数年前に流行していたRPGのオープニングを連想させる作りである。それが逆に、3D技術が発展した現代のゲーム業界だからこそ新鮮に目に映るのかもしれない。
「そのストラップ、結構洒落てるよね。あたしも付けてるよ」
友人の指が、携帯電話に付いているランタン型の小さなマスコットを指差す。
限定版のゲームデータを購入すると、特典で付いてくるオリジナルのストラップである。
「何て言ったっけ、礫。音源のランタンだっけ?」
「……音泉のランタン、だよ。白亜」
「あー、そうそう。そんな名前だったね。話の最初の方に出てくるやつ」
礫の言葉に、彼女はぽんと手を打った。緩いウェーブ掛かった栗色の髪が跳ねる。
それから再度大きく息を吐き、空を見上げる。
日が傾きかけた空を、雲がひとつふたつゆっくりと流れていく。これといって特徴のない、普段から見ている日常の空だ。
「……出てみたいなぁ。奏の部、特別だって言うけど何が違うんだろう? 条件って何なんだろうなー」
「それを探すのも、ゲームのうちなんだと思うよ。ボクは」
想像を膨らませ胸躍らせる友の横顔に、礫は半ば投げやりな様子で意見を述べた。
奏の部に参加した人間は、確かに存在している。それは雑誌にもある通り、紛れもない事実だ。
しかし、一般的に知られているのはそれのみで、大会の内容やその結果に至るまで、奏の部に関しての情報は一般公開された前例がない。
参加資格についても同様に、雑誌に書かれている以上の情報はなかった。
奏の部の参加者のコメントが雑誌に掲載されることもなければ、制作会社自らが情報を明かすこともない。その全容は自らの力で解き明かせと言わんばかりだ。
まさに、未だ全容不明で完結していないゲームと呼ぶに相応しい。それはまるで、進化を繰り返すオンラインゲームのように。
だからこそ、発売日から7年が経過した今でも売れ続けているのではと礫は勝手に思うことにしていた。
白亜と別れ、見慣れた道を歩きながら、礫は3日後に開催される公式大会のことを考えていた。
大会への参加申請は単純だ。ゲームユーザーの証明である、データが入った携帯電話を持って大会会場である株式会社ラセン・サークルのビルへと行けば良い。他の準備は何もいらない。ただ、大会で好成績を収めるために、少しでもデータの質を上げておく。準備内容を敢えて挙げるとしたらそれくらいだろう。
今では、女性ユーザーの存在も珍しくはない。格闘技の試合とは違って、ゲームの大会は性別など関係なしに皆が平等な状態で戦場に立っている。
全てにおいて平等な立場になれる。礫が、ゲームを愛する理由のひとつである。
この時だけ、自分が女であるということを忘れることができるから。女だからと振る舞いについてをあれこれ指摘されることもないから。
何故、今の世の中はこうも男尊女卑のかたちで存在しているのだろう。
考えても、溜め息しか出ない。
分かっているのだ。自分1人が考えたところで世の中が変わるわけではないと。
もしもネガイウタのように、どんな願いでも叶えてくれる唄を奏でる楽器が本当に存在していたら、自分はきっとこう願うに違いない。「全てが平等な『特別』が存在しない世界に、今の世の中を創り変えてくれないか」と。
憂鬱になるような考えを巡らせるのはやめよう。
今は少しでも大会で善戦できるように、腕前を磨いておかなければ。
歩きながら、礫は『ネガイウタ』を起動させた。
大会当日も、天候は穏やかな小春日和だった。
もっとも、天候など屋内で開催されるゲームの大会には何の影響も及ぼさないが。雨が降ろうが雪が降ろうが槍が降ろうが、お構いなしに大会は開かれる。
礫は白亜と共に、大会会場であるラセン・サークル社の本社ビルに訪れていた。
此処に来たのは今回が初めてだった。当然、どのような場所なのかということは想像の中での認識しか彼女の中にはない。世界最大規模の大手ゲームメーカーとされる会社の存在自体が、まさに雲の上のような存在だからである。通常の企業にはありえないようなものが色々と潜んでいそうで、想像が全くつかなかった。
会社名を刻んだ盾型のプレートを抱える巨大な彫刻が、正門の横でその存在を誇示していた。鎧を纏い、誇らしげに双翼を広げる翼竜である。企業ロゴと一緒によく目にするキャラクターだ。
ビルの玄関口付近には、明らかに大会参加者と思わしき人々の姿があった。皆携帯電話を手に、視線をその画面に落とし込んでいる。大会前の最終調整といったところか。
今慌ててゲームを進めたところで大した差はないだろうに。
ふと、視線を横へとずらして、礫は唖然とした。
白亜も同じような様子で携帯電話の画面を食いつくように見つめていたのである。
「……今更慌てたところで無駄だよ、白亜。テストが一夜漬けで何とかなった経験なんてないでしょ」
自分の携帯電話を手にした手の甲で、こつんとその頭を軽くこづく。
「ほら、エントリーだけ済ませちゃおうよ」
しかし白亜が携帯電話から視線を離そうとしないので、礫はこれ以上言うのは無駄かと言葉を掛けるのはやめた。
友人の手を引き、玄関口から建物の内部に足を運ぶ。
彼女たちを出迎えたのは、企業らしさを持ちつつも、何処となく異質さを感じる景観の巨大ロビーだった。何処かの美術館を連想させるような、透明のケースに収められた展示物があちこちに置かれている。
装飾が見事な宝剣に盾、口が開いた宝箱から溢れ出る骨董品に金貨の山、プロペラが回転を続けている古風な飛空艇の模型──全て、ラセン・サークル社がこれまでに発売している作品内に実際に登場した品物のレプリカである。
受付らしきカウンターを照らす照明器具にも、見覚えがあった。礫たちが現在携帯電話に付けているストラップにもなっている、あのランタンである。
等身大のレプリカは、実際に手に持って使用するアウトドア用品のものよりも若干小さかった。金属で補強された丸鉢状の硝子容器の中に、蛍のような丸い光が灯っている。
「こんにちは。大会エントリー希望の方ですか?」
思わず内装に見とれていると、横手から掛けられた声に、礫は意識を現実へと引き戻された。
視線を向ける。と、こちらを見下ろしている青年と目が合った。
人形のような整った面持ちの、金髪碧眼が印象的な若者である。正確な齢は不明だが、成人を迎えて少し経った程度だろう。一目で見て、衣裳と分かる衣服を身に着けている。
紫の布に金糸で施された刺繍や、要所にあしらわれた大粒の宝石に貴金属が美しい。明らかに魔術師を彷彿とさせる衣裳だが、手にしているものは法術用の錫杖ではなく、筆記用具に紙束だった。
礫が頷くと、青年は微笑みながらゆったりとした会釈をした。
「ようこそ、ラセン・サークル主催のネガイウタ公式大会へ。まずは、エントリー参加資格となる『ネガイウタ』のデータを保存している端末の確認を、させて頂いても宜しいでしょうか?」
「端末?」
「失敬、携帯電話です」
礫が尋ねると、青年は後頭部を掻きながら言い直した。
言われた通りに、礫は『ネガイウタ』の画面を呼び出した携帯電話を相手へと差し出した。空いている方の肘で、未だゲームに熱中している白亜の横腹をつつく。
青年は2人に差し出された携帯電話の画面を順番に見つめ、次に携帯電話から下げられているストラップへと視線を移した。ゆらゆらと揺れている小さなマスコットを何やら嬉しそうに見つめ、言う。
「限定版の御購入、ありがとうございます」
ストラップの有無で判断してるんだ。全員が付けてるわけじゃないと思うんだけど。
割とどうでも良いことではあったが、それでも突っ込みを入れずにはいられない礫だった。
「エントリーの参加資格の有無を確認しましたので、こちらをどうぞ」
青年は、手中の筆記用具と紙を2人に手渡した。
紙は、大会参加の申込用紙だろうか。幾つか記入を要求されている項目があった。
「大会に使用する大切なものなので、記入漏れがないようにお願いします。記入がお済みになられましたら、私まで提出して下さい」
言いながら、カウンターの方へと視線をずらす。
「私は、あの辺りで待機していますので。では、宜しくお願い致します」
一礼をして去っていく青年の背中を見送り、礫は受け取った用紙の文面に視線を戻した。
記載されているのは、大会参加中の注意事項等といった、至極ありきたりなものだった。記入を要求されている項目も、氏名や住所といった、エントリー用紙に記入する項目としてはごく普通のことばかりである。
年齢。性別。プレイ時間。作品への思い入れ。順番に記入を進めていき──
書き終わり、深呼吸をひとつ。
丁度、白亜も記入を終えたところのようだった。
目を合わせて頷くと、2人はカウンターで待つ青年の元へと向かった。
青年はカウンターの奥に設置された小さな樽──内装の装飾の一部で、本来は椅子ではないのだろうが──に腰掛けていた。彼女たちの姿を見つけると、立ち上がり、手を差し出してくる。
礫から渡された2人分の質問用紙を受け取ると、中身を確認し、頷いた。
「ありがとうございます。では、こちらをお持ち下さい」
再度差し出された掌が、何かを握っていた。
金属製の小さなピンバッジだった。円形の板に、何か紋章のようなものが刻まれているが、何を模しているのかは分からなかった。ひょっとしたら形式だけのもので、デザイン自体には何の意味もないのかもしれない。
「そちらが、大会エントリー中の印となる証明章です。左側の胸に、見えるように着けて下さい。そちらがあれば、社内の開放中の設備が全て無料で御利用になれます。大会参加中は紛失しないように、大切に保管して下さいね」
大会中は不特定多数の人間が出入りするため、その識別をするために配布しているものなのだろう。
だがそれなら、何故もっと簡単に目につきやすい腕章やネームプレートにしなかったのだろうか、と礫は胸中で小首を傾げた。偽造の心配でもしているのだろうか。
「着け終わりましたら、あちらにある3番と書かれたエレベーターから大会会場へとお進み下さい。エレベーターは自動で運転していますので、特に操作する必要はありません。目的地前で停まりますので、どうぞ御安心下さい」
それで、説明は終了らしかった。深々と頭を下げると、青年は笑顔で2人を見送った。
「では、御武運を」
外から見上げるこの建物は、周囲にあった他の建物と比較すると頭ひとつ抜きん出て高い印象を受けた。その時は流石世界最大規模の企業の本社だと思ったものだが、内部から外を見ても、改めてそのことを認識させられる。
勝手に乗客を運んでいくエレベーターの窓から見える外の景色は、模型のように小さく見えた。道行く人々がまるで豆粒である。
一体何階まであるのだろうか……と訝る。
不思議なことに、このエレベーターには操作用のボタンどころか階層表示用のパネルすら付いていないのだった。ただ、人の意思などお構いなしに一点を往復するだけの代物らしい。
この仕様では普段社員が利用する時に困るのではないか、と思うものの、ひょっとしたら大会時以外は使用しないエレベーターなのかもしれないと考えると、その疑問は解消されるのだった。もしも本当にこれが大会専用で普段は機能していないのだとしたら、逆に全自動の方が会社にとっては都合が良いかもしれない。下手に社内を部外者にうろつかれることがないのだから。
しばらく待っていると、2人を乗せたエレベーターは勝手に停止した。
扉が開かれたので、外に出る。彼女たちが降りるとすぐに扉は閉まり、エレベーターは下へと降りてしまった。
まず2人を出迎えたのは、ロビーにあったものと同じ展示用のケースと、その中に安置された巨大な黄金の物体だった。
それを形容するなら、竪琴型の蓄音機、とでも称すると最も近いかもしれない。振り子時計の内部を見ているような発条が複雑に組み込まれた形状の竪琴に、彫刻が見事な金属の花が咲いている。大きさは人よりも遥かに大きく、床から天井近くまであった。
この階層は通常の建物よりも天井が高い。予め此処にこれを設置することを想定していて、そのために天井を高く設計しているのかもしれない。その証拠に、それは廊下の中央に鎮座しているにも拘わらず、違和感が全くないのだった。
「これ、あれよね。『ネガイウタ』の」
「叶奏神器クインテット・カルバール」
「そう、それそれ。楽器の模型よね。こんなものまであるのね」
白亜は展示ケースに近寄って、楽器を見上げた。
確かにそれは作中に登場する楽器を忠実に再現した展示用のレプリカではあるが、傍で見るとその存在感は圧倒的で、しかし美しかった。音も立てずに回転する発条が、今にも楽曲を奏でそうだ。
廊下は一本道で、すぐに果てがあった。企業のビルとは明らかに思えない作りの、それこそRPGの世界で見かけそうな蔦が這う赤煉瓦の壁に、木造の扉がひとつ、ある。
大手企業は、ロビーで大会エントリーの受付役を担っていた青年の衣裳を取ってもそうだが、大会会場ひとつにも此処までの拘りを持っているらしい。通常のイベントでも、此処まで作品の世界観を忠実に再現した会場は滅多に見られないだろう。
扉の横には小さな金属のプレートが下がっており、印刷文字でこう書かれていた。
『第14回ネガイウタ公式大会会場』
「あった。あれね」
扉の前まで移動して、白亜は礫の方へと振り向いた。
「それじゃ、お互いに頑張ろ。手加減しないからね」
「……それはボクの台詞だよ」
友人の言葉に、にやりとして礫は返事を返した。
静かに、扉に手を掛ける。
音もなく、内側に扉は開く。
扉の向こうは真っ暗だった。
雰囲気作りの一環で部屋の照明を落としているのだろうか。しかしそれにしては不自然な暗さである。
まるで漆黒の何かがそこに詰まっているような。闇だけが、そこにあった。
訝りつつも、礫は足を踏み入れて──その足の裏が、空を踏み抜いた。
踏むべき床が、ない。
「────!?」
訝る間もなく、彼女の体躯は暗黒の宙を舞っていた。
でも、それはきっと些細なことなのだろう。自分自身にとっては。
これは入口なのだ。始まりを迎えるための。
自分はただ、その場所に足を踏み入れただけ。
兎を追って穴蔵に飛び込んだ、アリスのように。




