復讐者
「カロク、あなたには復讐者になってもらいます」
「復讐者?」
ライラと名乗った少女……悪魔は、その名とは真逆に明るく笑って言う。 しかし不思議と恐ろしいとも思わなかった。 現実味がないからか、ライラが人間じみているからか、それは分からない。
「私は生き物と生き物の争いが好物です。 そして負けた側からの反撃……復讐は大好物ですっ!」
頬を赤くし、ライラは言う。 そして、その瞬間に俺はどうして呼ばれたのかを理解した。 先ほどライラが言っていた「見ていた」という言葉とも、繋がった。
「美しいと思いませんですか? 虐げられ、惨めも絶望も辱めも……多くの屈辱を受けた者たちが、復讐を果たすその姿がです! わたしはずっと、そんな世界の復讐を見続けてきました。 ありとあらゆる復讐だけを見ていたんです」
「純粋なんだな、お前は」
「……そう言われたのは初めてですが。 どうしてそう思ったんですか?」
俺の言葉に、ライラは不思議そうに尋ね返す。 いくら神と言っても、人の思考まで読めるわけではないらしい。 もっともそれができてしまったらライラが言う「復讐を楽しむ」という行為も叶わないだろうが。
「だって、そういうもんだろ。 人から殴られれば殴り返す、蹴られたら蹴り返す、悪口を言われたら言い返す。 そういう些細なことだって、言ってしまえば復讐だ。 人が当たり前だと思うことを蜜とするお前は、純粋としか言いようがないだろ」
「……ふふ、褒め言葉として受け取っておきますです。 それで、カロク。 あなたは復讐者としての敵性が限りなく高いんです。 通常、人間では成し得ない者。 復讐で生き、復讐に縋って生きてきたあなたにしかできないことです」
「まぁ確かに、俺はそういう生き方をしてきたけど。 それは俺に屈辱を味わえってことか? もしそうなら、お前も俺の対象になるぞ」
人の依頼を受け、俺は復讐の代理を延々と繰り返してきた。 そんな生き方をしてきた俺は、最後の最後、俺に恨みを抱いた奴に嵌められ、死んだ。
当然、タダでは死にはしない。 俺は全ての財産を奪い、死んだ。 今頃あいつは苦しんでいるだろう。 路上で生活をしているかもと考えると笑えてくる。
「いいえ、生前と同じですよ。 むしろ、私はカロクのそういうところに惚れたのですから。 この世界を歩き、依頼者を見つけ、復讐を果たす。 ただそれだけの簡単なお仕事です。 この私からの使命を果たし続ける限り、生活には困らない程度の金銭も力も与えてあげます。 私は遠目から見ていますので」
「断る。 やなこった」
「そう言って頂けると思ってました! いやぁ、やはり私の目に狂いはなかったです! そうやって快諾して頂けると私も……え?」
「嫌だって言ったんだ。 その使命は受け入れない」
「……ど、どどっどどど! ど、どうしてですかっ!? こ、これはちょっと想定外ですよ……どうしよう、どうしよう私……いやいや、だって断るとか思ってなかったですし」
こいつ……もしかして、ただの馬鹿なんじゃないのか。 自分の思い通りに事が運ぶ前提で行動をしているのか。 行動を起こすにあたってパターンを一つしか考えないとか……純粋じゃないな、ただの馬鹿だ。
「……それならこうしよう。 俺が嫌だって言ってるのは、お前の発言の一部だけだ。 そこをどうにかできるなら、聞き入れても良い」
「本当ですかっ!? それってなんですか!? なんですかっ!?」
ライラはパッと顔を上げると、嬉しそうに俺へと詰め寄り、尋ねて来る。 というかちけえ! 胸があたってる、当たってますよライラさん!!
「は、話すからちょっと離れて……。 俺、女の子に耐性ないから。 とりあえず離れて、な?」
「むう……これでいいですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「いきなり顔付きが変わりましたね。 少し面白いかもしれません」
嫌な楽しみを見つけるんじゃない。 気を取り直し、俺は咳払いをひとつした後、口を開く。 俺が気に入らないというライラの言葉、その部分は。
「ライラ、お前は物を楽しむとき、基本的に上から見下ろすタイプだろ」
「それは……そうですね。 正確に言えば、上から見下ろすではなく、上から見下すですが。 安全な場所から見下すことこそ、愉悦ですね」
「性格わりいなおい……。 だがライラ、知っているか? お前は神だ、神の子、悪魔神だ。 だからこの世界を見下ろし、好きなように眺めることができる。 違うか?」
「いいえ、その通りです。 ですが、それが?」
「分かってないな。 どんなものでも、経験してこそ真の娯楽になるんだよ。 どんなものでもそうだ。 ゲーム、トランプとかそういう類のものでも良い。 誰かがやっているのを眺めていて、それだけでお前は満足か?」
「……それは、少し不満ですね」
「だろ? だから俺はこの条件を出す。 ライラ、お前も俺と一緒に旅をして、復讐の楽しみを見出すんだ」
自分で達成することと、眺めることは大分違う。 人がする復讐なんて、見ていて気分が良いものでもない。 復讐には復讐が生まれ、それは延々と続く無限回廊だ。 その復讐の本質とも言えることをこの少女はまだ知らない。
「私も……一緒に、ですか? それは、怖くないんですか? 悪魔神ですよ、私」
「けれど俺を助けてくれた。 だから恩返しをしたいんだよ、ライラ。 俺が知る復讐の楽しみをお前にも味わって欲しいんだ。 ただ見ているだけで充分に楽しめたかもしれない、でも、それを経験したとき……お前はどうなるんだろうな?」
「経験……したとき」
ライラは言うと、上気した顔で俺のことを見つめていた。 そして口元を抑えてしゃがみ込み、肩で息をし始める。
「おい、大丈夫か……?」
明らかに様子が変わり、俺は少し心配になって声をかけた。 すると、ライラはどこか妖艶な声で言った。
「だ、大丈夫……れす。 か、かろくぅ……ちょっと来てください……ぅう」
「……」
汗も掻いている。 なんかの病気でも持ってるのだろうか……? しかしアレだ、俺はぶっちゃけ女の子耐性がない。 仕事であれば話は別だが、プライベートでは耐性が皆無と言って良い。 ここで俺が出すべき正しい答えは。 冷静に考えろ……ライラの状態はぶっちゃけなんかエロい。 ここで無闇に近づけばとても口には出せないことが起きてしまう可能性がある。 その手には絶対乗ってやるものか。 第一、俺には女子耐性などないのだ。
「ムリムリムリムリ、いやムリでしょ。 やだよ」
「んもぉ!!」
明確な拒絶反応。 だが、ライラはその言葉を聞くと飛びかかってきた。 全く予期していなかった俺は、その攻撃をまともに食らう。
「いってぇ……」
強い衝撃に思わず目を瞑り、数秒経って俺は目を開ける。 上には圧力、かなり熱い肌も感じる。 嫌な予感は、きっと当たっている。
「お前、頼むからそこを退いてくださ――――――――ッ!?」
その言葉は、最後まで言い切ることはできなかった。 口が、覆われたからだ。 何に、アレだ。 親しい男女がするような、アレである。 俗に言うキスというものだ。
柔らかく、そしてどことなく包まれるような感覚。 そこにあったのは紛れもなく愛情……ではない、逆セクハラだ。 異世界に行ったら逆セクハラされちゃいました、なんて本が書けそうなくらいの逆セクハラだ。
そのとき俺は驚きのあまり目を開けていたが、ライラの方はその目を閉じていた。 長いまつげと綺麗な肌、その美しさというものはここまで至近距離で見ていても変わらない。
「ッ!!」
数秒後、俺は我に返る。 慌ててライラを引き剥がそうとライラの肩に手を押し当て、力任せに押しのけようとする。 が、それは叶わない。 その細い腕と華奢な体のどこにここまでの力が隠されているのか、一向にライラの体が動く気配はない。
「んーっ!!」
それどころか、事態は更に深刻なものへとなる。 ライラの舌が、俺の口内へと侵入してきたのだ。 これはあれだ、Dから始まるキスだ。 異世界に行ったらDから始まるキスを……ええいそんなことを考えてる場合じゃねぇ!! 今の状況は非常にマズイ! 俺の超純粋な性格がこの女によって蹂躙されているではないか! 一応コレ、ファーストキスだからね!?
「ぷはぁ……」
そんな俺の想いがようやく通じたのか、ライラは俺の口から離れると、どこかとろんとした目つきで俺の顔を見る。 白い頬は若干だが赤く染まっており、なんとも言い難い雰囲気となっていた。
「お、おま、お前ッ!! いきなりなにするんだよ!?」
「……これで大丈夫です。 カロク、今のはただの契約ですよ」
「契約……?」
ライラは俺に馬乗りになったまま、そんなことを言う。 契約……と言われても、何が何やら分からない。 あれか、婚姻契約か? いきなりあんなキスをしたってことはそういうことなのか? 嫌だよ俺、生涯独り身を貫こうとしているんだから。
「悪魔神との契約です。 わたしの力の殆どをカロクへと受け渡しました、これにてあなたは人でありながら人智を超えた力を持つことができたんです。 それで、わたしは悪魔神でありながら人に毛が生えた程度の力となりました」
「は……? っつうことは、俺が強くなってお前が弱くなったってことか?」
「ええ、そうです。 カロクの言う通り、遠巻きで見ているよりかは実際に体験した方が良いとの結論が出ましたので。 そこで考えたんです、神であるわたしが力を失い、人であるカロクが力を持てば、お互いにとって一番有益なのでは、と」
にっこり笑い、ライラは言う。 その顔は既に、最初に見ていた無邪気な笑顔であった。 雰囲気も少し、柔らかい気がする。
「神という立場は些か力が強すぎ、人という立場はこの世界では辛いものがあります。 故にわたしとカロクの力が逆転すれば、それはそれは丁度良いものになるのでは! と考えたんです!」
ライラは腰に手を当て、依然として俺の上に跨ったままで言う。 こいつが威張るというのは似合わないが……つまりなんだ、今では俺の方が強いってことなのか?
……こいつ、まさかとてつもない馬鹿なんじゃないだろうか。
「さぁカロク! 旅に出ましょう! わたしを楽しませてくださいっ!」
「言いたいことと、どうしてキスをしたのかの理由は分かったぜ、ライラ」
「き、ききききすなんてしてませんっ! 契約です、けいやく! 不埒な考えはやめてくださいっ!」
焦り、必死に手を振り回しながらライラは言う。 そのキスと契約の違いが全く分からないが……最早それは考えの近いじゃないのか。 とにかくこいつ、そういう形態を取らないと純情な奴なのかもしれない。
「どっちでも良いけど……もう二度としなきゃな。 で、お前自分がしたこと分かってるのか?」
「わたしがしたこと……ですか?」
唇に人差し指を当て、ライラは首を傾げる。 なんとも可愛らしい感は出ているものの、行動の馬鹿さがそれを打ち消していると言っても良い。
「……くく、あはは! おいクソガキ、お前さっき言ったよな? 力関係の逆転って。 ってことはアレだ、今じゃ俺の方がお前より強いってわけだ。 意味分かるか? テメェの足りない脳味噌で理解できるか分からないけどなぁ! あっはっはっは!」
悪役のように俺は笑う。 自分のほうが強いと分かった瞬間にこれとは、我ながら小物感まる出しだが仕方ない。 だっていきなりこんなところに連れて来られ、訳の分からない使命を与えられそうになっていたからな。 これからはあれだ、自由というのを謳歌し、この女はその辺にでも放って自由気ままに過ごすとしよう。 ちなみに高笑いをしているが、馬乗りになられたままである。
「あ、言い忘れていましたけど、契約自体はいつでも破棄できます。 わたしが契約主ですので」
「……なんちゃって! よし、ライラさん、俺と一緒に旅をしよう!」
「ふふ、そのつもりですよ。 ところで先ほど何か言いましたか?」
ライラは笑う。 無邪気な笑顔が今は怖い。 その後、俺が何をされたのかはあまり語りたくないことである。 大雑把に説明すると、女耐性がない俺が嫌がること、である。