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鍵屋シリーズ  作者: 凪森
3/6

第2話  蒼鍵 ―前編―


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 お酒と賭け事の大好きな王様が、ある春のお祭りの夜に酔った勢いから后である女王におっしゃいました。

「美しく賢い女王よ。余が思うに、ひとつの国に王は二人もいらぬ。この際どちらが真の王に相応しいか、今ここではっきりさせようではないか」

 するとお后である女王は酌をする手を止められ、にこやかにこう仰せになりました。

「おお、若く猛々しい栄ある王よ。実は私も前々からそう思っていたのです」

 そこで王と女王は戦うことになりました。

「お待ち下さい。どうして争うのです。これまで通り二人でひとり、で良いではありませんか」

 傍にいた従者が慌てて止めに入りましたが、お二人はおききになりません。

「女王よ、今宵の夜は長くなりそうじゃの」

「さようでございますね………いざ」

 とうとうお二人は戦闘体勢に入っておしまいになりました。こうなってはもう誰も止められません。

 従者は泣く泣くその場を離れ、どうせならば女王が勝利をおさめて下さいますように、と心の中で祈るしかありませんでした。



・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・




 ピンクの傘がバタバタと鳴った。

 有田(ありた)カンナは大降りになって来た雨をものともせずに、軽い足取りでその喫茶店の前までやって来ると、パンッパンッと音を立てて傘についた水滴を落とし、店の中へ入った。

 店内はいつも落ち着いたシックな雰囲気が漂っていて、カンナはそれが気に入っていた。なんとなく懐かしいような感覚がそこかしこにするのだ。

 程よく古ぼけて、淡くニス塗りが光る木製のカウンターに数脚の高椅子。窓側には四人がけのボックス席がいくつか並んでいて、そこを照らすのは天井から吊り下げられたアンティークなランプ達だ。

 そしてカウンター席の天井にはドライフラワーがぶら下がっている。名も知らぬ花々の他に、薬草(ハーブ)もあるのだとここの店主(マスター)である青年は言っていた。


 ドアベルのカラン、という音に反応して黒髪の青年が入り口の方を見る。店内の照明が放つオレンジの光に反射して、青年の鼻眼鏡が金色に光った。

 実はあれが銀色で、しかも伊達だということをカンナは知っている。


「おや、外は雨が降ってるんですか?」


 常時黒髪黒服の青年――ここの店主である――はカンナに親しげに訊いてきた。


「うん。最初は小雨だったんだけどね、ここに着く頃になって急にどばどば降ってきてさあ、楽しかった!」


 カンナはにっと笑ってカウンター席に向かうと、先客があることに気がついた。


「それは困ったなあ……」


 僕は傘、持ってきていないんです。とその客は言った。栗色の髪と、美形とまではいかないが目鼻立ちの整った顔。

 口調から穏やかな性格が感じ取られた。一瞬、目を瞠って、


「誰?」


 カンナはその青年を指差すと、カウンターの向うで紅茶を淹れている店主の青年に訊いた。


「誰って、お客さんだろ? 相変わらず失礼な奴だなぁお前」


 訊いたのではない方向からそう答えが返ってきた。ぴく、と目の端を強張らせてカンナは振り向く。この声には聞き覚えがあった。

 振り返った先、ボックス席のあろうことかテーブルの上で、胡坐をかいて紐で引っ掛けた何かを右手の人差し指でぐるぐる回している、銀髪の少年が目に映った。


「あらあ、いたの? あんまりちっこいもんだから、全ッ然気がつかなかったわ」

「それはお前の目がフシアナなだけで、オレのせいじゃない」


 少年はべえっと舌を出した。

 そのまま、もうカンナには関心が無いように銀色の瞳をテーブルの上に並べた何かに向けた。

 カンナもフン、と顔をそらすと踵を返してやっとカウンター席に座った。


「サイテー。なんでアイツ出てンの?」


 カンナがむくれて非難するように店主を見やると、


「子供にとってはおやつの時間ですからねえ」


 店主は苦笑して、白磁のティーカップに紅茶を注いでカンナに出した。


「そっかそっか。コドモだもんね」


 店主の言葉にカンナがうんうん頷いて満足していると、隣からくすくす笑い声がした。


「ずいぶん親しいんですね。よく来るんですか?」


 栗色の髪の青年が微笑(わら)いながら訊く。

 ボックス席の向うから、「毎回追い払っても懲りずにやって来るその根性はゴキブリ並だ」と呟くのが聞こえ、「銀玉(ぎんぎょく)…」とそれをやわらかく店主がたしなめた。

 カンナは銀玉と呼ばれた少年の方をじとっと睨んだ後、笑顔になって振り返った。


「うん。ここの雰囲気がすごく懐かしくて好きなの」

「懐かしい?」


 青年はちょっと首をかしげた。


「よくわかんないけど、そんな感じ。あたし有田カンナっていうの。えーと、今は高校生やってるんだ。よろしく」


 言ってぺこっとお辞儀をする。


「僕は樫村(かしむら)京一(きょういち)といいます。ここへ来るのは初めてだけど、……言われてみれば確かに懐かしい感じがするね」


 そう言って京一は辺りを見回した。


「でしょー?」


 両手で紅茶のカップを持ち上げると、カンナは一口だけそれを飲んだ。それから興味津々といった表情で、京一の方へ再び顔を向けた。


「ところで樫村サンはどちらのお客さん?」


 京一にはその問いの意味が解らなかった。

 どちらの、とはどういう意味なのだろう。どっちの、ということなのか、または自分がどこから来たのか、ということを訊いているのだろうか。

 答えようにも何を訊かれているのかが解らなくて京一が答えに詰まっていると、


「遊びに来て下さったんですよ。だから私のお客さんです」


 店主がそう助け舟をだした。


「お客はどっちもチアキのお客じゃん。あたしが訊いてるのは何を求めてここにいるのかってことなの」


 カンナは不満げに店主を見上げる。


「樫村さんは私の個人的なお客様ということです。それに……鍵屋の方はどちらかといえばアレのお客様ですし」


 アレ、と言って店主は銀玉の方を、彼には見えないように指差した。


「ああ、そういうことですか」


 そこまで聞いてようやく京一は納得がいった。カンナが怪訝な目をする。


「僕は以前、鍵屋さんとしてのこちらにお世話になったことがあるんです」


 それでカンナも合点がいったようだ。しかしまたふと不思議そうな顔をして、


「でもよくこれたね」


 とだけ言った。京一には知らないことが多すぎて、どうもカンナの言うことがよく解らない。再び考え込みそうになったところへ、


「ここはちょっと変わってるんです」


 苦笑しながら店主――鍵屋の青年でもある――は言った。


「あまりお客さんがいないでしょう?」


 彼が店内を指差したので思わず京一も振り向いた。確認せずともお客は京一とカンナしかいなかった。

 最初京一がここへ来たときは鍵屋だと思って来ていたので、客がいないことにはあまり驚かなかったがかわりにこの内装に驚いた。

 あとで店主に趣味で喫茶店もやっているのだと聞いて納得したのだが、そうすると客がゼロということに少しばかり気まずさを感じた。


「はあ……」


 こうして向うから、客がいないだろうと言われても、何と返していいのか京一には解らない。


「それは店に人気がないとかそういったことではなくて、当然のことなんです。ここは普通、人の視界には入らないようになっているので」


 黒髪の店主――カンナはチアキと呼んでいた――は自分にも紅茶を注ぐとカウンターの向うに椅子を引っ張ってきて、京一達の前に座った。


「樫村さんあそこに何か見える?」


 カンナがつんつんと京一の肩をつつき、入り口脇のウインドウの方を指した。


「何かって……何も見えないよ?」


 なんの変哲もないガラス張りがあるだけだ。

 外はもう暗いらしく、店内のオレンジの光に照らされた自分達がそこに写っている。


「本当のここのお客さんにはね、あそこに“鍵屋”って文字が見えるんだって」

「……ってことは、有田さんも見えないの?」

「うん。あたしは初めっから喫茶店だと思ってた。実際やってたけどね」

「考えてみれば、お二人ともそういった意味ではかなり変わったお客様ですねえ」


 ゆったりと、感慨深げにチアキは呟いた。





・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・



 丸い月が遥か彼方の地平線上に消え、万物に命を吹き込む太陽が夜明けを運んできたとき、従者は自分の祈りが叶わなかったことを知りました。

 白い朝日が光を降り注いでいたのは、床にだらしなく横たわり豪勢にいびきをかいている王様の姿だけでした。

 どこを見回しても、お后である女王の姿を見つけることはできなかったのです。

「ああ、王様。一体なぜこのような事になってしまったのでしょう。女王はどこへいかれたのですか」

 従者は王様を起こすとそう尋ねましたが、王様は二日酔いのために頭ががんがんすると言ってまた寝ておしまいになりました。

 翌日、落ち着いた王様に従者が再び女王の行方を尋ねると、王様は困ったような顔をされ、こうおっしゃいました。

「実は余にもよくわからぬのだ。女王と勝負をしており、あと少しというところで一陣の強風が余と女王を包んだ。その後の記憶は無いのだ。そのまま寝てしまったらしい」

「ではその風が女王をさらったということなのでしょうか」

 従者は恐ろしくて震えだしましたが王様は全く動じません。

「何にせよ残ったのは余ひとりということだ。これからは余が真の国王であるぞ」

 玉座の肘掛を楽しそうにトントンと叩いて王様は豪快におっしゃいました。従者は悲しい気持ちでそんな王様を見つめていました。



・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・*:;;:*・




 カンナが言った本当のお客さんとは何なのだろう。

―――“彼女”にはきっと「鍵屋」の文字は見えていたのだろう、と京一は思う。

 僕らはお互いに決して再び交わることのない世界に分かれてしまったけれど、会いたいという一心が彼女をここへ導き、奇跡を起こしてくれた。

 でも京一は、青年に招待されることなくここへたどり着くことはできなかった。その差は何なのだろう。

 会いたいという気持ちの強さの違いなのか。そう考えると京一は気持ちが沈む。

 いつも通りに朝早く目を覚ますと、彼女がいなかったあの喪失感は忘れられない。

 呼びかけても返事がなかったあの日。少しずつ速まる鼓動が煩わしかった。

 リビングに作りかけのケーキをみつけて、わずかにほっとしていた自分がとても憎かった。

 その頃、僕の知らないところで彼女はたったひとりでこの世を去っていたのに。

 警察から連絡を受けてその死を知らされても、京一にとっては作りかけのケーキの方がよほど現実味があった。

 デコレーション途中のホールの横には、わずかに生クリームの残ったガラスボウルがあって、ついさっきまで彼女がそこにいたその瞬間を切り取ったまま、京一の前で沈黙していた。

 ガラスボウルの中で乾燥し、わずかに固くなった生クリームだけが、静かに現実の時を刻んでいた。




   *




 時計の短針が三と四の間あたりに来たころ、銀玉と呼ばれた少年がカウンター近くまでやってきた。


「お腹空いた」


 きらきら輝くような銀色の瞳がすねたようにチアキを見上げる。

 銀玉という名に相応しく、髪も光沢のある綺麗な銀色をしているこの少年は、チアキに言わせるとどうやら人ではないらしい。


「おやつなら先ほど渡したはずですが?」


 横目で一瞥するにとどまったチアキの答えに、少年はむっとする。


「あんなんじゃ全然足りないっての! 最近ずっとおやつばっかじゃん。三食全部おやつじゃ腹減るのも当たり前だろ! 主食を出せよ、主食を!!」


 猛烈にまくし立てた少年に京一は少しばかりだじろいだ。


「食いっ気の盛んなガキだわね。主食がないのはいいことじゃないの」


 人間にとってはね、とカンナが意味ありげに京一に笑いかけた。


「あの……、よければ僕持ちで何か出してあげて下さい」


 三食おやつ、と聞いてさすがに京一は驚いた。チアキと銀玉の二人がどんな関係にあるのか分からないが、年齢的に見てチアキがこの少年の世話をしているのは明白だった。

 どういうつもりかは知らないが、年端もいかぬ少年がお腹をすかしているのを彼がほうっておくつもりなら、自分が何か奢ってもいいと思った。

 だがチアキは京一の申し出をやんわりと断った。


「お気持ちは嬉しいのですが、コレの食べ物は人のそれとは違うので」


 そうそうと、隣でカンナが頷く。


「人間の欲望で白く濁ったちっこい鍵がこいつのご飯なのよねー」

「おやつだって言ってんだろ! それにやな言い方するなよな!」


 毛を逆立てた動物のように少年はカンナを睨み上げた。


「事実じゃないの」

「うるさいっ! あーもうっ、なんかでっかい悩み事抱えた奴こねえかな……」


 不謹慎な台詞を吐く少年に京一は眉根を寄せる。


「悩みを抱えた奴って……?」


 どうもこの店は分からないことだらけのようだ、と京一がため息をつくと、銀玉が上目遣いで顔を覗き込んできた。


「なあ、あんた。なんか叶えたい望みとかってない? どんなことでもいいからさ」


 そう訊かれて京一はかるく目を瞠る。


「どんな望みでもだって?」


 そうか。

 では彼女の願いを叶えてくれたのはこの少年なのだろう。

 気づいた途端、胸に鈍い痛みが走った。どんな願いでもなどと言われて、静かだった心中に波紋が生まれる。

 そう言われて疼かない傷はない。今までだって何度も強く思った。

 使われなくなったマグカップにそっと触れ、一人だけの朝を迎え、間違えて二人分炊いてしまったご飯を一人で食べる時、願いはいつだって一つだった。彼女の不在を突きつけられるたびに、蠢く感情があるのは事実だ。

 でも、


「奇跡は一度で十分だよ」


 それは幸福と残酷を伴って訪れるから。


「ちぇっ……。悟っちゃった人間ってやだね」


 そう言われて京一は苦笑するしかなかった。


「そういうお前は本当に、いつまで経っても成長しないですねえ」

「特に精神年齢がね。そんだけ生きてて幼児並みって異常だわ」


 チアキの揶揄にカンナも便乗して、再び銀玉いびりが再開されたようである。


「うるさい。オレはいたって正常な速度で成長してる。チアキが変な歳のとり方してるだけだ。異常なのはチアキの方だ!」


 びっとチアキを指さすと、銀玉は音もなくカウンターの上に浮かび上がり、胡坐をかいて座った。京一はぎょっと体を強張らせた。

 人間ではないと言われていたものの、いきなりこんな光景を見せられるとやはり驚いてしまう。


「確かに、チアキも変わってるよね。……実際のところ今いくつなの?」


 カウンターに肘をついて、両手に顎を乗せたカンナがにこにこと黒髪の青年に訊ねる。


「十八ですが?」


 チアキも笑顔で返すが、カンナはフンと鼻を鳴らした。


「それは現代(ここ)での年齢でしょ? チアキが経た時間はいくつかって訊いてるの」


 ああ、また始まった……と京一は思った。

 全く不可解だらけの店だと、もうあまり気にしないことにして京一は黙って彼らのやり取りを聞いていた。


「そうですねえ……あちこち行ってましたから、ちゃんと数えてはいないんですが、二百くらいじゃないでしょうか」

「わお、二百歳! なんだ、立派なおじいちゃんだったのね!!」


……あまり気にしないことにして、京一は黙って聞いている。


「失礼ですねえ。皺なんかありませんよ」

「だから異常なんだよ!」


 おっとりと答えるチアキに、銀玉は吐き捨てる。


「でもやっぱり、チアキより年上のクセに未だ赤ン坊なアンタの方が異常よね」


………あまり気にしないことにして、京一は黙って聞いている。


「オレはお前らとは違う摂理に生きてんの!」

「まあ、それもそうですが……やはりこの中で一番異常なのは貴女(あなた)ではありませんか?」


 空になった自分のティーカップを片づけながら、笑顔のまま青年は問いかけた。


「……え?」


 カンナは小首をかしげる。

 表情は相変わらず笑っているが、まとっていた雰囲気が凍ったのが京一にもわかった。


「こんなかで一番年上って言ったらあんたしかいねぇだろ?」


 銀玉がにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。

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