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「結婚?」
「そう……まあ、急な話だけど、一応……恋人はいたのよ」
「お姉ちゃんおめでとう!」
「京殿、おめでとう」
最近休日は明とデートする事が多かったが、今日は京殿に呼び出され、昼ご飯を一緒に食べていた。呼び出されるのは珍しいと思ったが、幸せな報告は喜ばしい。
生き生きと明るい京殿の表情がわずかに寂しそうになった。
「その……ね。結婚を決めたのは、彼が転勤で遠くに住む事になったから、それについていこうかな……と思ったからでね……」
「え? 遠くって、お姉ちゃんどこに行くの?」
「大阪。食い道楽の街ね。まあ……東京から新幹線に乗れば、頑張れば日帰りもできる距離だし、大丈夫、大丈夫」
京殿は明るく振る舞っているが、どこか寂し気で、明は明らかに落ち込んでいた。それでも明が落ち込んでたのはわずかな間で、すぐに明るい笑顔を浮かべる。
「じゃあ……いつかお姉ちゃんの家に遊びにいこうかな。それで大阪とか京都観光も楽しそうじゃない?」
「うちはホテル? まあ……いいわ。いつでも遊びにいらっしゃい」
仲の良い姉妹だから離ればなれになるのは辛いはずなのに、二人とも前向きで明るくて。そういう所が眩しい。
「エド、明をよろしくね」
「もちろん。大切にする」
京殿は笑って一つの箱を取り出した。
「これ、返しておくわ。もう預かる意味もなさそうだし」
箱の中には京殿に預けていた護りの指輪が入っていた。ずっと預けたままだったからすっかり忘れていた。
「結局その指輪の謎は解けなかったけど、私もお母さんやお父さんも、エドを気に入って信頼してるもの。過去がどうとか気にする必要もないかなって。それ……エドの大切なものなのでしょう?」
「ああ……大切なものだ」
こちらの世界に着た時に身につけていたのは浴衣とこの指輪だけ。浴衣はとっくに処分してるし、あの世界との繋がりはこの指輪一つだけになってしまった。
日本に馴染みすぎて、自分が異世界から来たなんて、夢のように他人事な気分になっていた。久しぶりに指輪に触れたら、自分の生まれ故郷は帝国だったと思い出す。
決して家族の仲が悪いわけではなかった。むしろ互いに想いあっていたと思う。それでも国を背負う為に、会う時間も少なく、すれ違い、家族らしいことなどできなかった。
「ねえねえお姉ちゃんの旦那さんになる人って、どんな人?」
「……ちょっと頼りない奴なの。落ち込むと酒飲んで泣きついてくるのに、酒に弱くてすぐ酔いつぶれて……私がついてないとダメなのかしらっと思ったり」
「お姉ちゃん惚気? ひゅーひゅー」
「惚気じゃないわよ。明が羨ましいくらい。エドみたいな良い男がよかったわ。まあ……弟でも十分に嬉しいけど」
姉妹の仲睦まじい会話の中で、当たり前のように家族扱いされる。それがとても嬉しかった。
家に帰った後、指輪はまた鎖に通して首にぶらさげた。見るからに高級そうな指輪は、日常的に指につけるのには向かない。昔は当たり前のように側にあったものが、今の自分に不釣り合いな気分がして落ち着かない。
自分はとっくに「帝国の王子」という肩書きを忘れていたのだ。
ふと気づくと、いつのまにか明が側にいて、心配そうに私を見上げていた。視線の先には指輪がある。
「故郷を想い出しちゃった? ……エド。ごめんね。私のせいで、朱里達と別れる事になって」
「いや……それは私が決めたことで……」
言いかけた言葉は、明のまっすぐな瞳に押され消えていく。
「あのね。帝国の家族にはもう会えないけれど、もうエドは藤島家の家族なんだからね。私はもちろん、お母さんも、お姉ちゃんも、お父さんも……皆エドを家族だと思ってるよ」
祖国を失っても、新たな家族がいる。
藤島家はごく普通の、でもとても仲が良く、暖かく優しい家族で、その一員になれた事が、時々泣きたくなるくらい嬉しい。
私もこの国で生まれ変わったのだ。もう……失いたくない。
明をぎゅっと抱きしめると、小さな身体の温もりで、心が温まってきたように感じる。
「お姉ちゃんの結婚式、エドも参加するんだよ。従兄弟じゃなくて、私の婚約者だからね」
「家族であれば、肩書きなど気にしない」
「私が自慢したいの。こんなステキな婚約者でいいでしょうって」
明が悪戯っぽく笑う。そいう明の笑顔を見ると、うっかり昏く落ち込みそうな気分でも、さっと心が晴れて行く。明が続ける明るい結婚式の話を相づちをうって聞いてるうちに、私もまた結婚式が楽しみになってきた。
「花嫁のブーケをもらった人は早く結婚できるんだよ。私は当日がっつり狙いにいく」
「……明が学校を卒業したら結婚は決まっているではないか」
「エドにあげたいの」
「私に?」
明が人差し指で私の鼻をつついて笑った。
「ブーケには天使が宿ってて幸せを呼ぶんだって。エドに幸せをお裾分け。だから……絶対ゲットする。エドが私を抱えてくれたら、負けないよね」
力強く断言する明の姿に思わず笑ってしまった。結婚式に参加したことはないが、それはとても非常識な事なのだろうし、明だって本気ではないと思う。ただ……そうやって少しでも私を笑わせようとしてくれる気持ちは嬉しい。
京殿の結婚式の日。澄み渡る青空の下、投げられたブーケに飛びついた明が、着地に失敗して倒れそうになるのを私が捕まえた。
周りから冷やかされて恥ずかしかったが。同時に皆に祝福されている気分もして嬉しかった。
もう私は帝国人でも、異世界人でもなく、日本人なのだと。




