4
もうじき春から初夏に変わるのだろうか。太陽の日差しを浴び続けると暑くなってくる。首にかけたタオルで顔の汗を拭って、高枝切り鋏を持つ手に力をこめた。
「庭木の剪定までやってくれて、本当に助かるわ。お父さん小さいし、最近は腰が肩が……ってね」
「いえ……これくらいいつでも」
「やっぱり男手があると楽よね」
佳子殿は朗らかに笑って私の作業を見守りつつ、のんびり菓子をつまんでお茶を飲んでいる。藤島家の庭は小さいが、生い茂った木が家に影を落として困っていたらしい。木の剪定などした事がないので、頼まれた後ネットや本で勉強し、見よう見まねで頑張っている。
藤島家に挨拶に行った日から、毎週通ってきて、佳子殿に何かを頼まれて手伝い、そして夕食をご馳走になって、康夫殿の愚痴に付き合い終わる。
そんな日々がどれくらい続いたか。未だに結婚の申し込みの話もできないのだが。
「お疲れさま。暑かったでしょう? 冷たいお茶飲んで休んでね」
「いただきます」
かなり汗をかいたから、乾いた喉に流し込む、冷えた麦茶が染みた。ほっと一息をついて、沿えられたクッキーをつまんだ。
「悪いけど、ひと休みしたら、買い物に行ってきてくれないかしら? 車でいかなきゃいけない距離と荷物なのだけど、お父さん最近眼が悪いって、運転嫌がっちゃって」
日差しを浴び続けて肉体労働よりも、車で買い物の方がずっと楽だ。車の運転は好きだし問題ない。了承して買い物リストのメモを受け取った。
「わかりました」
「お店の場所はお父さんが案内してくれるから。たまには男二人で出かけてきてね」
にっこり笑顔で言われて震えた。気楽なドライブとは言えない、重い任務のようだ。しかし断れるわけもない。既に私は藤島家最底辺のポジションが確定してしまったのだから。
買い物は何の問題もなく終わった。康夫殿は店への案内だけ口を開き、それ以外はずっと沈黙で気まずかったが、こちらから何を話していいのかわからない。ずっと愚痴を聞き続ける日々だったし。
買い物が終わって帰る運転中だった。
「ちょっと……寄って欲しい所がある」
「……わかりました」
その静かな口ぶりに、何か重い話があるのか、買い物は口実だったのだろうかと緊張した。
やってきたのはそれなりの広さのある公園。子供用の遊具もたくさんあったし、大きな木がそびえる並木道や、芝が広がる広場もある。
親子連れが多く、子供達のはしゃぐ声が響いていた。実に平和な日常の風景を眺め、康夫殿は重い口を開いた。
「明が子供の頃、何度かここに連れて遊びにきた事がある。とても喜んで、無邪気に笑って……走り回って……」
眼を細めてしんみりと昔語りを始める康夫殿の姿は、いつもと違って背筋がびしっと伸びていた。昔の想い出が、今目の前に浮かび上がっているような、そんな懐かし気な雰囲気が見ていて伝わってくる。
「私にとって二人の娘は世界一可愛い。でも……世間様の眼から見れば特別な所があるわけでもない平凡な子だ。だから……わからない」
くるりと振り向いて、まっすぐに私を見る目が真剣で、強い意志が感じられて驚いた。明の粘り強さや、忍耐強さは、父親譲りだったのかもしれない。
「君はきちんと仕事を勤めて稼ぎがある。きっと仕事もできるのだろう。女に好かれそうな見た目で、家事も何でもこなせて、私の愚痴をずっと聞き続ける忍耐力と、佳子の我儘を全部聞き入れる優しさがある」
こんなに自分を認めてくれているとは思わなかった。嬉しいと思うよりその先を聞くのが怖くなった。
「どうして明なんだ。君なら他にいくらでも女性は選び放題だろう」
「私は……私は明さんが……」
「好きだ……というのか? 真面目な君が嘘をつくとも、私達を騙しているとも思わない。短い付き合いでもそういう事は見ていればわかる。でも……それは若さ故の勢いで、一時的な気の迷いだったりしないのか?」
若さ故の勢いで結婚して、そして愛が冷めて離婚する。それはこの国でありふれた事なのだろう。康夫殿の心配は当然の事で、むしろ私の事を信用した上で言ってもらえたのだから、感謝しないといけないと思う。
たぶん佳子殿も同じ心配をしているのだろう。
まだ……何も二人に言えていない。国を捨ててきた事、もう帰る場所もない事、私と明がどんな困難を乗り越え、そして絆を深めていったのか。
それを知らなければ、いつまでたっても、きっと理解してもらえない。
私はすぐに言葉を返す事もできず、男二人で無言で藤島家に帰った。帰る道中ずっと考え続け、そして決めた。
明と相談して、異世界からやってきた事を話そう。
そんな事を言っても信じてもらえる気がしないが。
それでも藤島家の皆は、とても優しく暖かく。そんな人々に、自分の過去を偽ったまま、家族になってくれとは言えないと思った。
家族として一生付合っていくなら、自分の過去話は、絶対に避けて通れない。




