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「では……さっそくだが、これからご両親にご挨拶に行こう」
「きょ、今日? 何の準備もしてないのに」
「準備はした。この為に、今日は一番良いスーツを着てきた勝負服だ」
「そ、それで……スーツだったの? プロポーズOKまで計算してたの……?」
「すでに京殿から手を回して頂いて、事前にご両親へ連絡してもらってる」
「私……聞いてないんだけど」
「言わないでおいてくれるように頼んだ。やはりプロポーズは私から言うべきだろう?」
明が立ち直る暇も与えず畳み掛けるように返事を返し、助手席へと誘導する。強引だがしかたがない。時間がないのだ。ビザが切れる前に、結婚の承諾をもらわなくては。
いきなり挨拶に行って、はいそうですか、と頷いてもらえるとは思っていない。それなら早めに挨拶に行って、親しくなって行くしか無いだろう。
「……」
むくれてそっぽ向いてる明を見て申し訳ない気分になる。
「明……すまない……」
「謝らなくてもいいよ。もう今更辞められないんでしょう?」
そう、引き返せない所まで来ている。いくら前から覚悟していたとはいえ、明の両親に初めて会いに行って、結婚の申し込みをするのだ。緊張しないわけがない。だから……逃げられないくらいに自分を追い込んだ。
「お母さんはいいけど……お父さんが大変だと思うな……」
明がぽつりと呟いた言葉に、内心動揺した。娘を持つ父親というのは厳しい物だろう。ましてや明はまだ若い。殴られるくらいの覚悟で挑む気だ。
明と結婚する事はもうずっと前から決めてた事なのだから。
「あら……いらっしゃい。わあ、話は聞いてたけどかっこいいわね」
開口一番ノリが軽い明の母親に既視感を感じた。京殿の時と似ている。明も含めて三人は顔がそっくりだ。性格も似るのだとしたら……明も将来こうなるのだろうか。
「改めまして、明の母の佳子といいます。エドガーさんよね。さあ、あがってちょうだい」
「失礼します」
丁寧にお辞儀をしたがすでにいなかった。
「お父さん。明の彼氏が来たわよ。とってもかっこよくて……」
無邪気な明るい佳子殿の声が聞こえてきて、緊張しながら部屋に入った。明の父君……どんな人かと思ったら、以外に小柄で華奢で大人しそうな男性だった。
「……いらっしゃい」
新聞を見ながらぼそりと一言返すだけで、こちらを見ようともしない。……これはなかなかに手強そうだ。
「もう……お父さんったら。ごめんなさいね。この人親バカだから、娘がとられたって、拗ねてるのよ。どうぞお茶飲んで寛いでね」
佳子殿は無邪気に朗らかに笑っているが、とても寛げる空気ではない。言われるがままに椅子に座るが、明の父君はちらりとも見ようとしない。佳子殿が間に入って紹介してくれたが、名前は康夫殿というらしい。
「京から聞いてるわ。車の工場で事務のお仕事をしてるんでしょう? お仕事忙しいの?」
「はい。今は会社の技術特許の申請手続きの為に色々と……」
「あら……特許だなんて凄いわね。それに話には聞いてたけど、日本語がとてもお上手。仕草も洗練されてて育ちも良いのね」
「ありがとうございます」
明も緊張してる様で、佳子殿が話の中心になって明るく会話がすすむ。ニコニコと佳子殿が褒める程に、康夫殿の周囲の空気がどんどん重くなってる気がするのは気のせいではないだろう。
「今日は京も後で来るの五人で夕飯食べましょうね」
「ありがとうございます」
少ししたら明も緊張がほぐれてきた様で、母と娘で仲良く話をし、私も話を合わせているのだが……。康夫殿が一言も会話に参加しないのが気になってしかたがない。
「ああ……お父さんの事は気にしなくていいよ。エド。お父さん元々口べただし。今日はいつもより機嫌悪いけど。そのうち慣れるよ」
「そうよねぇ。娘がいつか嫁にいくのは当たり前。いつまでも子離れしないんだから」
母娘二人がかりで明るく責められて、どんどん凹んでいく康夫殿。ああ……なるほど、この家のヒエラルキーで最下層で、いつも虐げられているのか。なんと不憫な。
その時ずっと新聞に眼を落としていた康夫殿がちらりと目線をあげて私を見た。ふっと嘲笑うように笑みを浮かべた後、また新聞に眼を落とす。
「……うちは、女の方が強い。明の尻に敷かれて後悔するんじゃ……ないかね……」
ぼそりと零した康夫殿の言葉に、なんだか……とてつもなく、嫌な予感しかしなかった。




