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長い夢を見ていた気がする。とても大切な、忘れてはいけない夢。永遠の誓い。でもうっすらと意識が戻るにつれて、掴んだ砂のように夢の記憶は消えて行った。
「エド、起きて」
目覚めて初めて聞く声が、愛しい女性の呼び声で、嬉しくなる。それで夢の事などすっかり忘れてしまった。ゆっくりと目を開けると、困った表情をした明がいた。
「明……。どうした?」
彼女が何か焦っているのは感じられた。何故だろう? そこまで考えて、自分が寝る前の出来事をゆっくりと思い出す。
朝早くに明に叩き起こされて、そのまま始原の家へと向かった。そこで明は必死になってパソコンという物に向かっていた。何もする事ができない私は、ただ彼女が頑張る背中をずっと見つめていたのだ。
そこまでは覚えているのだが、その後の記憶が無い。もしかしてあのまま始原の家で寝てしまったのだろうか? よく周囲を見渡すと、狭く見慣れない調度品が並ぶ部屋だった。
ここは始原の家の中の一室だろうか? 明が寝てしまった私をベットまで運んでくれたのかもしれない。申し訳ないな。そう思いながら眠気を振り切っておき上がった。
明はとても困った顔をしながら頭を下げた。
「初めに謝るね。ごめん!」
いきなり謝られて戸惑う。謝られるような事をされた覚えは無いのだが。
「何もわからなくてびっくりするだろうけど、時間がないの。ついてきて」
そう言って明は私の手を引いた。部屋を出て階段を下りると違和感を覚える。最近は毎日のように通った始原の家。明の作業を待つ間歩き回って観察した事もある。
しかしここは作りとしては似ているが、全く違う場所の用に感じる。
「う……んエドの足のサイズの靴なんてないよね……。お父さんのサンダル借りちゃおう。浴衣でサンダルもまあ…不自然じゃないか。もう日も暮れかけてるし、誰も気づかないよね」
言われて自分が浴衣姿なのに気がついた。起きてすぐに着替える間も惜しいとばかりに、明に連れてかれたからだ。そして明も同じ浴衣姿のはずだったのに、今はなぜか見た事もない形の衣服を見に纏っている。
何かがおかしい……。そう感じて明の手を引いた。
「明……何があったか教えてくれ。時間がないなら簡潔にでも良い」
明は困ったように首を傾げて、そのあと言いづらそうにもじもじとしている。その姿は大変愛らしいのだが、私の中で不安が増している。何かとんでもない事が起きているような予感がする。
「あのね……。実はここ私の家なの。エドを連れて帰ってきちゃった」
てへっと誤摩化すように笑ったが、その表情は引きつっている。明の家? 連れ帰った? 理解が追いつかずに戸惑う私を見て明はうーんとうなった。
「見せた方が手っ取り早いか」
そう言って外へ出る扉を開いた。始原の家ならそこには高い壁が立ちふさがっている……はずなのだ。しかし扉の向こうは見た事も無い、不思議な世界だった。
低い囲いにそって何本か植えられた木。その囲いの向こうには始原の家に似た建物が建っている。
「これ履いて外に出てみて」
言われるままに履物を履き、家の中からでた。家の中に比べて、ねっとりと湿気を帯びた空気が暑く不愉快だ。夏……なのか? おかしい。今日の朝は少し肌寒さを感じる秋口だったはずだ。そんなはずは無い。
ここはなんだ? 始原の家に似た建物がずらりと立ち並び、間に道が横切っている。道のはじには等間隔の丸く灰色の柱。柱と柱の間には紐がぶら下がっている。
柱と同じように照明と思われる高い棒も等間隔にたっている。
空を見上げれば茜色に染め上げられ、少しづつ日が落ちて行く。空だけが見慣れた景色で、パニックになった心を落ち着かせてくれた。
「お母さん達が帰って来る前に移動しなきゃいけないの。ついてきて」
明に手を引かれるままに歩き始める。みっしりと立ち並ぶ似たような家。時折道が十字路になったり、Y字になったり、ぐねぐねと曲がったり。それでも同じような建物が密集している光景はどこか不気味だった。
やっと建物の切れ目があったと思えば、そこは木に囲まれた小さな広場。
「まずは色々説明しないとね……。あそこに座ろうか」
広場の中の椅子に明は腰を下ろす。つられるように私も隣に座ったが、未だに状況が飲み込めない。ただ感じるのは、ここが自分の常識を超えた世界だという事だ。
「さっき……明は帰ってきたと言ったな。もしかしてここは明の世界。私にとって異世界なのか?」
「うん……そうなんだ。エドはいきなり説明もなく連れて来られてびっくりしちゃったよね。本当にごめん」
そう言いながら、少しづつ明はなぜ私もともに、明の世界へ行く事になったのか説明してくれた。
永遠に続く繰り返しの時間。その中で確かにした約束。明に私が言った愛の告白。
それはまったく記憶に無い事だったが、説明されて納得できた。もし自分がその状況に置かれていたなら、明とともに異世界に行く覚悟をしただろうと思えたのだ。
「帰る手段はないのだな」
「……うん」
「ならば仕方が無い。この世界で生きて行くしかないな」
「納得早っ! もっと混乱するかと思った」
「愛する女のいる世界で、共に生きて行けるのだ。これ以上の喜びはないぞ」
本気で言ったのだが、明は俯いてしまう。顔が赤いのは夕日のせいだけではないと思う。