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扉が開いたと同時に、耳をつんざく爆音とむせ返る煙草の匂いにうんざりした。
「……帰る」
「ちょ、ちょっと待てよ。エド。金欲しいんだろ。いいじゃないか。パチンコくらい」
ラーマンは焦りながら、私を引き止めて笑った。ホストは一回きりで辞めたのだが、あれからなんだかんだでラーマンと話したり一緒に出かけるようになった。友人ができた……と言えるだろうか。
確実に「悪友」だが。
「ギャンブルは嫌いだ」
「法律で認められた公営ギャンブルだぜ。そんなお固い事言うなよ」
「法律が許しても、あんな不健康そうな所は入りたくない」
ラーマンは呆れたように大きなため息をついた。
「ほんとに……まあ、エドは固いな……しゃーない。じゃあ、健康的に動物見に行こうぜ」
動物……動物園にいくのだろうか? ラーマンにしては珍しい微笑ましさだ。
「わかった。付き合う」
なぜかニヨニヨ笑うラーマンが怪しく見えた気がするが……。気にしない事にしよう。
ラーマンを信用した私がバカだった。
確かに動物がいる。広々とした場所で、馬が駆け巡る。ついでに周りのオヤジどもの怒声が駆け巡る。
「行け! サクラマイセンお前に一万つっこんだんだからな」
「逃げろ、逃げろ、逃げてくれよ……」
馬の集団がゴールにつっこみ、オヤジどもが阿鼻叫喚をあげている。
ここは競馬場だ。
「結局ギャンブルか……」
「まあまあ、入場料なんて数百円。それで馬を眺めて、美味しいもの買って飲み食いして、ついでに馬券でも買って……楽しいだろ」
結局またラーマンに振り回されてる……自分自身がふがいない。しかも……振り回されつつも、競馬場という場所が思いのほか楽しかった。客が騒がしいのは辟易するが、確かに屋台の食べ物はそこそこ安くて上手いし、広々とした空間は開放感がある。
それに……。
私の目は走る馬達に釘付けになった。帝国にいた頃……可愛がっていた愛馬がいた。黒龍……アイツは今、どうしているだろうか……。品種が違うのだろう。サラブレッドと呼ばれる馬達は、黒龍に比べるとすらりとして美しい。短距離を走るためだけの馬。
戦場で重い鎧を着た人を乗せて、何時間も走る馬とは違って当然だ。
しかし……品種が違ったとしても、やはり馬が走る姿を見るのは良い物だ。
「エド。パドック見に行こうぜ」
パドック? ラーマンに聞くと、出走前の馬が周回しながら歩く場所で、それを見てどの馬を選ぶか、客が観察する場所らしい。より間近で馬を見られる……そう聞くと、興味をそそられる。
騎手が乗った馬が、ゆったりと歩いている。くつわから伸びるロープを持った人が、馬と共に歩いていた。1頭、1頭、ゆっくりと見定める。
「黒龍!」
思わず私はそう……声をあげてしまった。黒龍に比べれば、すらりと細身の美しい馬だ。しかし……その毛並みが、顔つきが、何より額の白い模様がそっくりだった。
とても闘争心のある良い目をしていた。騎手との呼吸も良くあっている。
「ラーマン……あの馬の名はなんというのだ?」
「ん……あれか? ええっと……ネコジャンプ? か? 出走馬18頭中18番人気じゃないか。ダメダメあんな馬」
競馬新聞を片手につまらなさそうに言うラーマンに腹がたった。18番人気……つまり一番人気がないという事か? あんなに良い目をしているのに……悔しい。黒龍は絶対できる馬だ。応援せずにどうする。
「ラーマン……馬券というのは、どう買えばいいのだ?」
「え……買う気になったのかよ。いいじゃん、珍しくノリがいいな……まあ、色々買い方はあるが……1着、2着を指定するのとか……」
「では……今の所一番人気はどの馬だ」
「ん……と、ハルノキングダムだな……他のレースでの優勝経験もあるし、親馬の血統が良くて……」
キングタム……つまり王国か。なるほど、良い名前だ。見ると黒龍には及ばない物の、なかなか精悍な顔つきをしている。
黒龍を応援するつもりで買ってみよう。もし外れてもあの馬達の生活を支えられるなら……多少の金銭はかまわない。そう思い私は黒龍……もといネコジャンプ1着、ハルノキングダム2着で、1000円分買った。
「エド……なんでそんな、大穴馬券買ってるんだよ」
「私の金だ。好きにしていいだろう」
馬達がゆっくりと入場し、ファンファーレが流れる。いよいよ始まる……これは戦争だ。パンッっと扉が開いた瞬間、真っ先にネコジャンプが飛び出した。良いスタートを切れたのだ。
ぐんぐん伸びていく、思わず応援にも力が入る。
「ネコジャンプ! 走れ! 走れ。速く駈けるんだ」
競馬新聞情報によると、黒龍は逃げ馬らしい。競馬馬には2種類あって、スタートダッシュで差をつけて逃げ切るのと、後から追い抜いて勝つのと。
黒龍が勝てるかどうかは、序盤でどれだけ差をつけられるか……が勝負だ。
今の所黒龍は1人独走して引き離していた。しかし……レースが半分を過ぎる頃には徐々に差を縮められ始める。2番手グループの先頭にはハルノキングダムがいた。
「ネコジャンプ負けるな……逃げ切れ!」
思わず応援にも熱がこもる。そろそろ終わりが近づいてきたが、どんどんハルノキングダムが追いついてくる。賭け事など関係ない。ただ……あの黒龍に似た馬に勝って欲しかった。
「あと少しだ! 頑張れ!! ネコジャンプ!」
大声で叫びながら応援した。あと少し、あと少しなのに、とても長く感じる。等々追いつかれる……並んだか……という所で、二頭ともゴールした……どっちが勝ったのだ?
「信じられねえ……」
ラーマンが呆然と呟いた。写真判定が行われる程の僅差……だったが……。
「よくやった。よくやったぞ。ネコジャンプ」
そう……黒龍は勝ったのだ。一番人気のなかったアイツが、見事鼻をあかせたではないか。誇らしい気持ちで私は黒龍の健闘を称えるように拍手した。
「エド……いきなり万馬券当てるとか、ビギナーズラックでもありえね……おまえ、競馬の才能もあったのか?」
ラーマンが期待の眼差しでみてくる。どうせまたやろうとか、言うのだろう。
ギャンブル……は、好きではないが……こうして好きな馬を応援する……というのは、気持ちのよい物だ。例え勝負に負けても、健闘を称えられる。
少しだけ……またパドックに馬を見に行こうか……そんな気持ちになった時だった。
「ここで……何をしているんだい?」
振り返ると、温厚そうな笑顔に見えて、凄まじい怒りを滲ませた、武田社長が立っていた。
実在しないけど、競馬馬にありそうな名前を探すのが、一番大変でした。
ちなみにネコパンチとネコキックは実在しました。




