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中学生は空中都市の夢を見る2

作者: 夏川彗

  そのころのぼくってヤツはまあ箸にも棒にもかからない手合いで、性の目覚めっていう困ったちゃんがカラダのなかをサソリのように這いずり回るわ、考えだとか気持ちだってものがぜんぶ自意識とかいう悪者に蝕まれていてやることなすこと裏目裏目に出る始末だった。学校ってのに行けばそこじゃ誰もが認める「へんちくりん」で、社会ってのにぎゅうぎゅうに土俵際まで追い詰められたガキんちょどもの格好のターゲットとなっていた。ぼくは「極北」に住んでいるようなもんだ。部族同士の争いに敗れ、北へ北へと移住を繰り返し、ついには極寒の荒地になんとか定着できた、そんな人たちの末裔なんだぼくは。だから絶望的にぼくは「中学生」というゾーンから離れていたけれど、それでも現実問題としてこのクソうさんくいニッポンの郊外に縛り付けられているわけだから、自分が中学生であることや「現代」という「終わりの季節」を生きていることから逃げられるはずもない。

 端的に言うとぼくは中学校が大っ嫌いだった。

 満員電車に押し込められたふびんなひとたちのように、ぼくたちは狭い教室に詰め込まれ、必然的にお互いを憎みあい「いじめ」やら「非行」やら「万引き」やら「受験」やらの戯れにふけっていた。それは救いのない「世紀末の作法」とでも呼べる悲しい遊びだ。

 古橋という学校の中心人物がいた。なかなかの規模の土建屋の息子で、それを土台にして自己肯定感が強く、人の苦しみを理解できない者だけに与えられる乱暴さと傲慢さを身に付けたウォーリアーだった。古橋は中学校に入ってから早い段階で一勢力を形成し、一つ上のノータリンどもが受験勉強を始めた二年生の秋ごろから急速に実力を付け学校の帝王になった。この前触れたように、この男とは女の趣味がカブっていたせいで後々ぼくはソウルへの移住を余儀なくされる。やはり北に逃げたのだ。それはぼくたちの種族にとっての宿命みたいなもんなんだ。

その古橋がだ、三年に上がるやいなや「最終戦争」を提唱したときたもんだ。

「そりゃあオレだってさんざん悩んださ。耳から膿が出てくるくらい悩んだよ。いや鼻から毛虫が出てくるくらいかな。いやはやもみ上げがとんがるくらいだとも感じられたさ。まあそれはいいんだ。悩んだ結果オレは決断したんだ。「戦え」ってことさ。どうしても気に喰わないのさ。なんか言いたくてうずうずしてる。腹の底にたまったオレたちの怒りってヤツがただのうのうと羊のように生活することを許さないんだ。『あのころはよかったなあ』なんて言ってる大人野郎どもを信じることなんかできやしないよ。さあいまこそ立ち上がるときだ。世界が終わってしまう前に。この狂った『場所』から逃げ出そう。」

この言葉がかの三年戦争の口火を切った有名な文句だ。革命家ヅラした本橋は中学生の熱狂のアイコンにまで祭り上げられていった。


さあ戦争の口火は切られた。戦いってヤツが始まったのだ。

まず男の3分の1が「ひきこもり」を始めた。学校になんか目もくれず家でビデオゲームやらアニメやらマンガやらに耽溺する日々を送るようになった。それから「旅」っていう語感に見せられたヤツらがいた。そいつらは本橋の宣誓を聞くとその足で国道17号線に赴き集団ヒッチハイクを試みた。そいつらに目的地なんてものはありもしなかった。てんでバラバラになり、最後にはインドに行き着いてガンジャとガンジス川のとりこになったヤツ、沖縄で米軍相手の商売を始めたヤツ、タンカー乗船員になってアメリカでポール・オースターという名で小説を書いたヤツ、中東の紛争地帯で傭兵になったヤツ、ペルーで総理大臣になるもクニを追われたヤツに、それからブラジルのサッカークラブでレギュラーを勝ち取ったヤツ・・・と枚挙に暇がない。

さらに渋谷に定着しギャル男に擬態化する男たちもいた。こいつらは女をいてこますことにそのすべての能力を注ぎ、絶えずハイ・テンションを持続するすべをストリートとレッド・ブルから学んでいった。そして大学に上がるころにはアイ・ティー系のカイシャやナンパエロ本編集者の道へと進んでいった。

それからしょぼくれちまった暴走族を立て直そうという硬派なヤツもいた。そいつらは「戦争」っというパブリック・イメージを最大限活用し、「戦いに一番近いのは暴走族だ」というセールス・トークでリクルートに汗をかいた。もう一度ハイウェイの覇権を握り社会(=学校)に適応できないガキの居場所をとりもどう、というヤツらの心構えは理科系男子の胸を打った。暴走族加入のネックになっていたバイクの獲得というハードルを、理科系の本田総一郎よろしくの「自分で作っちまえ」精神を発揮し自主製作バイクの開発に成功することで、克服することが出来たのだ。「それまでの暴走族はショッパかったねえ。盗むか、買うか、二つしかねえわな。だがなあ彼らと手を組んで一気にハナシが進んだってワケ。なんてったって『作っちまう』んだからさ。これはおったまげたよ、世紀の大発明だよ、マジで」と棟梁の榊勇人が証言している。実際のところ生産分野を持った暴走族ってのは史上初めてで、その動員力たるやハンパねえものがあった。なんてったってちょっとでもヤル気のあるヤツがいたらその場でバイクをポーンときたもんだから。やがてその暴走族「最終滑走隊」は「宇宙制覇」を達成し、ついには広報・営業を兼ねる走り屋と企画・開発・生産の理科系によるベンチャー企業へと発展した。そしていまじゃ誰もが知ってるようなグローバル・カンパニーだ。アメリカ人からタイ人、ひいては北朝鮮人にも愛好者がいるってんだから驚きだよ、まあったく。

女だってなにをするか分からない。まずイケてる女たちは渋谷を目指した。そして渋谷でギャルに擬態した。そこで学校じゃ考えられないような経験をし、ケータイ小説の著者やギャル・ブランドを立ち上げる猛者なんかも現れた。なかには池袋で止まるヤツもいた。池袋ってのは東京の北方に住む人間には親しみやすい場所なのだ。

 つぎに援助交際グループってのも出来た。女学生自ら援助交際をコントロールしようという試みだ。これはオッサンどもに好評だった。やくざが絡まないせいで「値段」が安くなるし安全なイメージも広がった。さらに女たちはノウハウを蓄積していったから援助交際がよりスムーズに楽しく享受できるものになった。

それから同人誌を作り始める女たちも現れた。「やおい」ってヤツだ。吹奏楽部と美術部にこの手合いは多かった。ヤツらは里中あゆみという強烈なストーリー・テラーを得て完全分業体制に基づく本格的な制作環境を構築し、年に二回ある「コミケ」っていうお祭りで莫大な利益を上げるようになる。次第にこいつらは商業漫画にも手を広げ、いまじゃアニメーション・ムービーにだって着手し始めた。来週の土曜にヤツらの作ったアニメ映画が全国公開される。「ワタライの白い海~最終戦争と都会のアリス」ていうタイトルだ。チェックしろ!

 まあ男女が完璧に別々に「最終戦争」を戦ったってワケじゃもちろんない。暴走族だって同人誌だって旅野郎だって男女入り乱れてる。入り乱れてるっていやあ乱交サークルも出来上がったんだ。「倒錯はファシズムへの抵抗」とかワケのわかんねえことを言って週に二回は近所の廃工場で乱交を行った。おんなじ学校のうちで入り乱れるのに飽きると他の学校へとその輪を広げ、サークルは拡大の一途を辿るようになる。いちどある中学校の体育館で100対100をやったらしい。ソフト・オン・デマンドもビックリだ。それはそれはすげー眺めだった。百人の真っ裸の男女がだだっぴろい工場を埋め尽くしてセックスをしているんだぜ。みんなレゴのように複雑な組み合わせを構築していて(男―女―女―男―男)だったり(女―男―女―女―男―女)だったり(女―女―女)や(男―男―男―男)なんていう異色な感じもあってそれはそれは面白かったなあ。

他にも社会起業家のヤツらや映画制作チーム(ぼくはこれ。なんてったって映画部だったからね)などと沢山あるんだけど、紙幅が限られてるらしいじゃないの、しかたないから今度会ったときに聞かせるね。もちろん乱交のことも。


 それで肝心の革命家、古橋はどうしたかってのがやっぱ気になるよね。

 そう古橋はやっぱり「皇帝」だったんだな。それはそれは派手好きなヤツだった。まず教師をやっつけるのがウケがいいと思ったのだろう。教師を片っ端から裸にしてそのまま授業することを強制した。なかなかのセンスだ。それはやっぱりウケた。ガキどもは裸の先生たちの授業をバカ笑いしながら楽しみ、それぞれの教室をグルグル回っては教師の裸を採点した。あいつの土手っ腹は吐き気がするだの、あの女の裸はタマらねえだの(その教室には目を真っ赤に充血させた男で一杯になった)、あの男のカラダ・・・セクシーじゃない?だの、ああいうオヤジのカラダ・・・ワタシ好きなのだの、アレは真性包茎じゃんだの、もうなんだのかんだの大騒ぎだ。「うおおおなんかムズムズするぜ」とか言いながら四組の中島くんが脱ぎ始めたのをきっかけに、みんな競い合うように服を脱ぎだして、仕舞いには先生も生徒も全員裸の「全裸学級」が誕生した。

それで古橋大将、やっぱオレってアタマいいなあ、と真っ裸で気をよくした。オレがすることはみんなが追随する。オレの卓越した腕力でこいつらを幸せにしてやっている。セカイはオレのもんだ。セカイはオレを中心に回ることすらできないほど何もかもオレのもんなんだ。間違いない。

だがその快楽はすぐに蒸発した。警察がやって来たのだ。誰かが通報したみたいだ。そして革命家は気づくことになった。まるで何かが乗り移ったみたいに古橋は演説を始めた。

「オレは先公を懲らしめればオレらを取り巻く社会の圧迫から自由になれるものだと思いこんでいた。だがそれは決定的な思い違いだった。敵というものは社会のありようだ。この戦後という深い幻想のうちに沈みこみ、それがすでにまったく機能していないという事実を知りながら、それでもなおそれを捨て去ることが出来ない、そういう社会のありようだ。それによってオレらは必要以上に苦しめられ、意味の無いガラクタを身につけるよう強制されている。戦線を拡大するんだ。もっと派手に暴れてやらなけばオレたちがどう感じているのかヤツらには分からない。攻めろ攻めろ攻めろ!さもなくば死ね!」

 これもまた有名な演説だ。あんただって聞いたことがあるだろう?かの「はだかの決起集会」だ。

 この言葉は生徒たちの熱狂的な興奮に迎えられた。お祭り騒ぎだった。炎のように燃え上がった生徒は三八歩兵銃とカラシニコフを握りしめ、おまわりどもと校門を跨いだ銃撃戦を展開した。古橋には極めて優秀な部下がいた。アフガン帰りのアシモフだ。アシモフは歴戦の勇士だ。アフガンじゃロシアやアメリカの近代軍隊を寄せ付けなかったし、中東戦争じゃピラミッドよりも高い死体の山を築いたともっぱら噂だ。そんなやつが指揮する軍隊を敵にしたおまわりどもは今世紀一ついてなかったとしか言うほかない。アシモフ隊はろうそくの火を吹き消すくらいあっというまにおまわりどもを壊滅させ、増員された200人あまりの県警どもを一人残らず病院送りにしちまった。

 これはバカでかいニュースになった。号外も出たし、テレビ局は昼夜ぶっ通しで片っ端からこの事件を取り上げ、テレビ・ジャックという事態になった。すると、面白いもんだ日本中どころか世界中の中学生どもが社会に反旗を翻し始めた。真っ裸で。インターネットは強烈だ。世界中のもんもんとしたガキどもがぼくたちの所業を目の当たりし感化されたのだ。服を脱ぎ、革命に立ち上がった見捨てられたガキどもの反抗。世界もまだまだ捨てたもんじゃねえなあ。世界は美しいよ。世界はなあ・・・・



 「起きろヨシダ!なにを寝言を言っている。『世界は美しい』だあ?世界は醜いに決まってるだろうが。ヨシダーおまえぼやぼやしてると『負け組』になってネットカフェで暮らすようになっちまうぞ。早くこのクラスのでき損ない野郎どもを蹴散らさんか!やらなければお前がやられるぞ。いいのか甘ったれの貧乏野郎!」

 時代遅れの鉄拳制裁だった。ぼくは椅子ごと吹っ飛ばされ昏倒した。眠気と夢の残り香がすっと引いていく。椅子に座りなおすとみな文字通りがりがりと勉強している。ここは学習塾だ。いまサバイバルゲームの最中なのだ。福沢先生が生きていたら、おの有り様をどう思うだろう?

「戦場で眠るとはどういうことだ、ヨシダあ!」

「戦場・・・ここは戦場なのか?戦争に勝ったらなにがあるんだ?きれいなオネーチャン?札束の風呂?金銀財宝?酒池肉林?ぼかぁ分かってんだぜ。そんなもんありゃあしねえんだ。そのむこうにはなにもねえのさ。あーあ悲しくなっちゃうね。徒労だよ、と・ろ・う。」

「キサマ、死ね!」

 塾の犬野郎の定規が風を切る音を上げてオレの首筋に突進した。俺のカラダは首から上がなくなった。オレのアタマはボーリングのタマみたいに机の間をごろんごろん転がっていく。それをすっと拾うヤツがいた。それは古橋だ。古橋は中学三年になるとすぐに塾に通いだした。不良みたいなナリをしてなんて臆病な野郎なんだ!古橋はゴミ袋でも見るみたいな目でオレの生首を見てゴミ箱に放り投げた。ごんという鈍い音とともにアタマはホールインワンだ。それが合図となったように教室のなかのオレへの関心はゼロになった。授業はなにごとも無かったように進んでいく。みんな戦争をしているのだ。受験という「最終戦争」を。

 付け加えると古橋は県内で一番の進学校に進んだ。トウダイを目指すヤツらが集まる気持ち悪い男しか行けない学校だ。なにより悲劇的なことはその進学校にぼくも通っていたということだ。まるでアメリカンジョークみたいだ。あるいは性質の悪いおとぎ話だろうか。

最後に付け加えておくことがある。

ぼくと古橋のような人間を信頼しないように―


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