第五話
今回も六話は明後日にアップします。
その後、美桜さんは目的地への方向を指示するのみで、先ほどまでのような雑談は一切させてくれないような雰囲気を纏わせていて、結局目的地のマンションに着くまで会話らしい会話はなかった。
明らかに咲希と別れた直後から、というよりは、俺があの嘘を吐いてからだ。
家庭環境が、ってな具合でな――おそらくそこだろう。なんとなく予想はついた。
ということはアレは、美桜さんにとって嘘じゃなかったということか。親と喧嘩中とか? ……だったらまずいことをした。頃合いを見て謝らなければ。
肝心の目的地だが、結構な部屋数がありそうな七階建てのマンションである。敷地面積も広め。
エントランスからオートロック式であり、そこかしこにある石造りの柱なんかは高級感も醸し出している。ホントにこんなとこ住んでいいのか? 逆に不安になってきたんだけど。
微妙に焦る俺とは対照的に、部屋番号を言いながらロックを解除してひたすら先に進む美桜さん。
追いかける形で一緒にエレベーターに乗っても結局無言が続いたので、やっぱり元気のない美桜さんの背中を見ながら思い切って聞いてみることにした。
「あの、美桜さん。聞きたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう?」
振り返った美桜さんの表情は驚くほど普通で、けれど、それが不気味だった。雰囲気までは消せていなかったから。
少なくとも……俺の家に居た時とはまるで違う、暗い雰囲気。思わず押し黙ってしまった。
「優世くん?」
「あ、いえ……やっぱり後でいいです」
「はぁ」
ヘタレてしまった。でも、こうしてエレベーターに乗りながら聞くよりはじっくり腰を据えて聞く方が良さそうだから、これでいいかもしれない。
そのまま黙ってエレベーターの慣性に任せ、着いた先はまさかの最上階。
見える景色はここら一帯を俯瞰できる絶好の場所な上、夕暮れ時の今、茜色に染まる街がなんだか絵に描いた芸術作品のように美しく見えた。
目を奪われて止まっていると、やっぱりいつの間にか美桜さんが移動していて慌てて追いかけた。そして一室の前で立ち止まる。ここか?
「えっと、ここですね。荷物は……まだ届いていないようです。何かの検査中なんでしょう」
ドアを開きながら言う美桜さん。そんなのされるとは聞いてなかったんですが? PCとか調べて欲しくないんですけど?
とりあえずは、中に入っていった美桜さんの後に続く。中を見てまた驚いた。
先ほどの美桜さんの説明通り、ある程度の家具などは揃っているようだ。ざっと見たところ、キッチン周りの冷蔵庫や食器等は完備。テレビやソファも用意されている。
さらに二人で暮らすにしては十分すぎる広さ。間取りにして、まず十畳ほどのリビングが一つ、プライベートスペースが二つ、キッチン、風呂、トイレ完備。ベランダもあるようだ。なんか新婚さん気分。
「あ、こっちの部屋は潤君が使ってかまいません。私はもう一つを使います」
浮かれていると早速の家庭内別居宣言で打ちのめされた。生返事を返しつつ美桜さんの顔色を伺うと、やはり優れない様子。
とりあえず使っていいと言われた方に手荷物を置きに行く。ベッドと机、椅子がある上にウォークインクローゼット。前の俺の部屋より機能美に溢れておる。グッバイ俺の部屋。思い残すことなんてないぜ。
荷物がないので見るのもそこそこに、リビングの方でゆっくりすることにしようとしたらすでに美桜さんがいた。
スマホに見えるけど、ただのスマホなのかわからない装置をいじっていた。こうして三人用ソファに座りスマホ(らしきもの)を操作している美桜さんは普通の女子高生に見える。今お時間あります? とか声掛けたくなるくらい。
とりあえず、もう一つのソファに俺も座った。
何かの報告でもしてるのかアプリでも触ってるのはかは不明だが、必死にディスプレイをスッスッしている彼女をこのまま見過ごすわけにもいかないだろう。
というわけで、いよいよ聞いてみる。
「あの、美桜さん」
「なんでしょうか?」
俺に顔を向けることなく応えた。
「あの……咲希が現れたときに、俺、とっさにウソつきましたよね? あれどうでした?」
核心からではなく、微妙に離れた所から攻めてみる。
「ええ、いきなりにしては、とっても上出来だったと思いますよ。少なくとも私よりは」
「そうですか、よかった」
爽やかスマイルで返すと、美桜さんも顔を上げてニッコリ笑ってくれた。可愛い。まだ慣れないなクソ。慣れなくていいんだけど。
……………………。
で、止まった。せっかく一度上がった顔が、再びスマホに落ちている。
いや、このままの空気にしておくのは良くないだろ。今後の同せ……もとい、協力者体制生活のためにも。ずっとこんな空気が続くのは一日だって耐えられない。
今度こそ、思い切って聞いてみる。
「あの、美桜さん、さっき、俺がついたウソなんですが……もしかして、その、か、家庭環境に難がある……っていうのは本当だったりしますか?」
「ああ……」
と、顔を上げることなく応えた。
「すいません、やっぱりバレちゃってましたか。表情操作は割と出来るつもりなんですけどね、余計に不自然になっちゃいましたか。ごめんなさい」
「い、いえいえいえいえ! 余計なこと思い出させてしまったようで、俺の方こそこそすいません」
と、慌ててフォローするも、美桜は「そうですね、話しときましょうか」と、今度こそ顔をあげる。
――そのあまりにも瞳が虚ろで、思わず目を逸らしたくなった。
けれど、一度開いた口は、独り言でも語るかのように坦々と言葉を紡いでいく。
「正確に言うと、家庭環境に難があるんじゃなくて、家庭がないんです」
「えっ……?」
いきなり得た答えに面食らい、それ以上の反応が出来なかった。
俺に構わず、美桜さんは話し続ける。
「まだ私が小さい頃のことです。私は両親から毎日のように虐待を受けていました。普通、小学生になる前の頃の記憶ってあやふやだと思いますが、私は経験が経験なので今でもはっきりと」
ここで一旦途切れ、美桜さんは大きく喉を上下させてから
「覚えています」
と言った。
「何度も家出をしようと思いました。けれども、行くあてがない。おじいちゃん、おばあちゃんはすでに他界していて、親戚の家に行くのも子供の足では到底無理な距離だったので、毎日が早く終わってくれるのを、いつも願っていました。……全く良いことがなかったわけではないですけどね。ただの一度しかなかったですし、それを頼りにすることは出来ませんでした」
「……両親は、なぜ美桜さんに虐待を?」
今は口を挟むべきではないのに素朴な疑問が出てしまって、言った直後に後悔した。
何かを言いたくなった。何かで遮りたくなった。そんな考えがあったのかもしれない。
「さあ? 原因はわかりません。けれど、私は虐待をする前の両親を知っていたものですから、それも家出をできない理由の一つでもありました。しかし、誕生日まであと二ヶ月という時、私の人生を変える大きな出来事がありました」
ふと、美桜さんが自身の膝を、爪を立てるようにして強く握っているのに気付く。
「ある日、私がいつもの服装に、いつも行くお店で両親の代わりに買い物をした帰りのことです。家まであと、二、三百メートルというところで、足が動かなくなりました。まるで地面と足が仲良くなってしまったかのように、まったく上がらなくなったんです。
まだ幼なかったですから、その場で思いっきり、大声で泣き叫びました。お父さん、お母さんと叫びながら。もしかしたら気づいてくれるんじゃないかって。心配して家から出てきてくれるんじゃないかって。そう思って。
――けれど、私に声を掛けてきたのは、両親ではありませんでした」
彼女の表情はまるで、心がなくなってしまったかのように無表情。それが不気味で、でも止められなくて。
俺は押し黙って聞くことしかできない。
「今のセンティネルシールド、エンデシュロスの親組織とでもいいましょうか、そういう政府の極秘機関の幹部に当たる方でした。私のボロボロの服装と両手一杯の買い物袋姿を見て、これはただ事ではないと思ったのでしょう。私はただ、家に帰りたいと言っていたのを覚えています。そこからは、組織の施設に連れて行かれ、そして…………今まで育てられました。両親に会うことは、ありませんでした」
「え、両親はまさかその組織に……?」
「いえ、それはないようです。私が先日二十歳を迎えたとき、両親は元気にやっているよ、と聞いたので。ただし、見に行くのは構わないけど会ってはいけない、と言われて。
元気だという事実は知ることができたので、私は……それで、満足です」
そう語る美桜さんの瞳は、やっぱり暗くて。
どの口から満足なんて言葉が出てくるんですか、と無性に怒りたくなった。言わせた俺に、そんなことを言う権利なんてないけど。
小さな頃から虐待を受け、五歳の頃から政府お抱えの組織で英才教育を施され、現在までに至る、という日々。
……友人はいるのだろうか。楽しく食事をすることはあったのだろうか。涙が出るほどの笑い話をしたことはあるのだろうか。――恋は、したことがあるのだろうか。
きっとないだろう。
『組織の施設に連れて行かれ、そして…………今まで育てられました』
彼女が作った、その「間」を想う。まるで感情の篭っていなかった、その長い間。
小さい頃の記憶は、語ったようによく覚えているのだろう。
けれどその先は、本当なら今ここにいる「安形美桜」を形成しているはずの長い歩みは――省略された。
語るべき言葉が見つからなかったんだろうか。語るべき内容がなかったんだろうか。
――空っぽだったから、語れなかったんじゃないだろうか。
数行にしかならないダイジェストのような人生を送った、安形美桜という女性。
その瞳がどこを向いていて、何を見てきたのか。もう、今の俺じゃわからない。
世間知らずだとか、割と育ちがお嬢様だとか、仕事は仕事と割り切ってるだとか、勝手な想像をしてた。
全然違ってた。もっと重い理由を抱えて、今この人はここにいる。
彼女は、知っている世界が狭すぎていた。人生が息苦しすぎていた。
決められたレールの上を走る、なんてものじゃない。
たったの一本しか、道がなかったのだ。
「――――」
言葉が、見つからない。
何か言うべきなんだと思う。
けど、”普通”の人生を送ってきた俺なんかが彼女に語りかけられる言葉なんてなくて、黙りこんでしまう。
今までにないくらい、後悔した。
自分が情けなかった。
美桜さんから見えないように握った拳は、指の骨が折れるんじゃないかってくらい力が入っている。
無力というのは、ここまで辛いものなのかと、いま身に沁みていた。空気をなんとかしたいとか、そんな理由で聞いていい話しじゃなかった。
今の彼女を見ていると、最初に出会った時に見せてくれた瞳の輝きは幻だったんじゃないかと、そんな気さえしてくる。
「……ごめんなさい、やっぱりこんなこと、会って一日も経っていない人に話すべきじゃなかったですね。ホント馬鹿ですね、私」
「いや、俺の方こそ――」
「少し、羨ましかったのかもしれません」
「え? ……羨ましかった?」
伏せがちな顔を少し上げて、俺の言葉を遮って語った事に驚き、素っ頓狂な声を出してしまう。
「はい。優世くんと、このみさんのやり取りが。私には下にも上にもいませんが、家族だなぁって。きっと、優世くんのこと好きだと思いますよ、あの子」
そんなことを言って、またあの完璧な笑顔を作る美桜さん。
……もう見てらんないな。なんでこの人の笑顔を見て、心が傷まなきゃならないんだ。
「俺は、その……美桜さんに対して言うべき言葉が、正直わかりません。けど、なんていうか……こう言っちゃ失礼かもしれないですけど、すごい人、だと思います、美桜さんは」
一つ一つ選びながら言った言葉に、美桜さんは少し目を見開いた後に困った笑みを浮かべて
「ありがとうございます」
と言ってくれた。
俺の言葉には、きっと何の意味もない。けど、彼女には笑っていて欲しかった。
そんな完璧な仮面の笑顔じゃなくて、俺が協力を申し出ると言った時に見せてくれるような、あの笑顔。
あれはきっと、本心からの笑顔だろう。嬉しいという気持ちが堪え切れずに表に出た、そんな表情。
あれをこそ、もう一度見たいから、俺が彼女の力になれる可能性があるんだったら全力でなってあげたいって、このとき思った。
そしてそのまま微妙な空気が流れ……そうになったのだが、それを断ち切ったのは美桜さん。
「そ、そういえば! こんなことをしてる場合じゃないんでした! やるべきことをやらないと!」
こんな空気は押し潰しますとでも言うように、パンと乾いた音を立てて手を合わせる美桜さん。その瞳には、もう色が戻っていて呆気に取られた。
……仕事は仕事と割り切ってる、ってのは外れてないかもしれない。
「お、おお? なんでしょう?」
「私が優世くんの家で、エンデシュロスに襲撃される可能性がある、と言ったのを覚えてますか?」
「ええ、もちろん」
漢心をくすぐられたアレだな、重機械がどうとかっていう。
「それでは」
俺の返事に満足したのか、ニッコリ笑って立ち上がる美桜さん。そして「見えるはずだ、あの死○星が!」とでも言い出しかねない、片腕を天井に向けて伸ばしたポーズを取った。
よく見ると、掲げたその手には何かが握られていて――
「戦闘訓練を始めます」
それがあのスマホっぽいやつだと気付いた瞬間、俺の意識は飛んでいった。




