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第四話

 荷物の運び出しも無事終了。

 手に持てる物、肝心のメモリスティックも通学カバンに全部入れ、美桜さんが制服だったもんで再び制服に着替え直してからいよいよ出発。

 そして玄関を出てカギをしようとした時のことだった。

「優世くん」

 美桜さんに声を掛けられ「はい?」と振り向く。映ったのは美桜さんの後頭部。俺と同様に振り返っていた。

 その注意が行く先とはなんぞやと、視線を向けると――

「あれ? このみか。珍しいな、こんな時間に」

「……」

 半袖のデカデカとした英字がプリントされたシャツに、丈の短いショートパンツ、低めのヒールを履いた少女。

 仏頂面で立っているポニーテールな、この女の子は……というか、俺の妹である。

 途端、心配になる。このみは――

「邪魔。どけ」

 これなのだ。

 美桜さんという見知らぬ客人がいようが俺が兄だろうが両親だろうが、誰に対してもこんな態度。裏表がないと言えば聞こえはいいが、態度がコレじゃそれも型なしだ。

「お前ね……お客さんいるんだから、そんな言葉遣いは」

「お前にお前って言われたくねぇよ」

 思わずため息。別に俺を睨んでたりするわけではないものの、真顔で言われるのは逆に迫力がある。とはいえ妹なので怯むこともないけど。

 なんとも言えない顔で立ち尽くしている美桜さんに「すいませんね」と小さく謝ってから、ドアの前からはどかずに話を続ける。

 コイツは我が家で起こる何らかの問題、そのトラブルメーカーだ。俺がいなくなる手前、そこの所にも整理を付けなくちゃいけない。……正直、家にあんまりいないもんだから存在を忘れてた。

「また学校にも行かずに遊んでたのか?」

「言う必要ねぇだろうがよ」

「そうかい。……じゃあ俺も簡潔に済ませるけど、俺この家からいなくなるから」

「――は?」

 あんまり淡白な対応をするもんだから、ついこっちも淡白に返してしまった。さすがに驚いたようで、昔は可愛く見えていた目を丸くしている。

「私、何も聞いてねぇんだけど。おとんとおかんは?」

「俺もさっき聞いたからな。オヤジとおふくろは知ってたみたいだけど」

「ふーん」

 こんな対応だろうなとは思っていたので、特に思う所はない。……悲しくなんかない。

 考えるようにちょっとだけ視線を斜め下に向けているその姿だけでも良しとしよう。

「まあそういうことで、元気にやれよ。あと両親に迷惑掛けるんじゃないぞ。たぶん顔見せにくらいは出来るだろうからな」

「はいはい……じゃあな。ほらどけ」

 驚いた以外は何の感情も見せずに、このみは俺を押しのけると家の中に入ってしまった。

 またもため息を吐きつつも「行きましょうか」と美桜さんを促す。目を白黒させながら「あ、はい……?」と疑問符付きで従ってくれた。

 またも炎天下の元、歩いて行く。

 炙られ、熱されるような感覚に気持ちに心が折れそうになりながらも、隣にすんごい可愛い人がいるので滅茶苦茶やわらいだ。美少女ってすごい。

 道中、当然のことながら突っ込まれる。

「さっきの子が優世くんの妹さんなんですね」

「そうです。すみません、アイツ誰に対してもあんなんでして」

「いえいえ、私は別に。そうですか、あの子が……。あの、優世くん。あの子は家にあまり帰っていないんですか?」

「へ? あぁ、まあそうですね。どこほっつき歩いてるんだか知らないですけど」

「何をしてるかは知らないんですね」

「ええ……?」

 そこまで言うと、考えこむように下を向いてしまった。なんか気になる。

「あの、妹に何か気になることでも?」

「いえいえ、ご両親と違って事前に声を掛けられなかったので、どこに行ってたんだろうと気になりまして」

「なるほど」

「あ、そうそう。あんなに口調は荒いのに、自分のことを『私』って呼んでるのが何か可愛かったです。容姿もすごく可愛かったですけど」

「そーですかね、妹の可愛さなんて俺はわかんないです」

 別にシスコンでもないし容姿の評価なんてまともにした覚えがない。

 というか美桜さんを知ってしまった手前、自分の妹が可愛いなんて口が裂けても言えないだろう。可愛かったです、って笑顔で言うあなたの方が可愛かったです!

 ま、それでも、だ。

「昔はもっと可愛かったんですけどねぇ」

「へぇー、反抗期ってやつです?」

「にしてもアイツの場合は長過ぎですけどね。いつだったかなぁ……昔、小学生にも入る前くらいガキの頃、三人でよく遊んでて、ある日――」

 などと話していると、前方からこの暑さの中を駆けてくる少女が一人。よくよく見ると美桜さんと同じ格好。つまりはうちの女生徒である。

 茶色がかった長い髪を振り回すように駆けてくるその姿を見て、思わず二人して止まってしまう。

 ん? でもあの姿ってもしかして、と目を凝らしてみると――

「あれ? 咲希じゃんか」

 思わず声に出てしまった。しかも「三人でよく遊んでて」のくだりに入っている人物の一人。

「あ、優世!」

 それで気付いたのか、俺の顔を見ながら速度を上げる咲希。そして俺達の前で急停止し、さすがにキツかったのか俯きつつ前かがみになりながら息をゼイゼイと吐いている。

「ど、どうしたんだよ。そんなに慌てて」

「はぁ、どうしたも……はぁ、こうしたも……ないわよ、この馬鹿! さっきのメッセージ何? 電話しても繋がらないし、自殺でもするんじゃないかって思ったのよ!」

「あー……」

 なるほど、そう捉えてしまったのか。……それはさすがに謝っておかないと。

「悪かった。そういうつもりじゃなかったんだけど」

「でしょうね! そんな可愛い娘連れてるわけだし!」

 そこでやっと顔を上げたのだが……その表情が、ちょっと怖い。

 怖いんだけど改めて見ると、コイツはコイツで美人だなーとか思ってしまった。ベクトルこそ違うけど、美桜さんと並べるかもしれない。考えたこともないから、今更そういう目で見られないけど。

 と、そんなことは今はどうでもいい。だって理由は書けなかったんだもん! などという反論は言えるはずもないこの状況、どうすべきか。

「で、その娘は誰? うちの生徒みたいだけ……ど……って! めちゃくちゃ可愛いんだけど! アンタみたいなド凡人が一体どうやったら連れて歩けるのよこの娘!」

 イライラした顔から驚愕の表情に変わっていく過程を見せつけつつ、人差し指をビシッと突き付ける咲希。失礼なやつだ。

「ドボン人って発音がなんか没落した人みたいに聞こえるから辞めろ。……あー、この娘はだな、その」

 どう紹介したもんだか……。

「私ですか? 私は三年の安達美穂って言います」

 と、迷っていると助け舟を出してくれた美桜さん。すげぇ、ナチュラルに偽名使ったぞ。

「三年生、でしたか。えっとすみません、アタシ、優世の幼馴染で二年の外園咲希(ほかぞの さき)って言います。あの、伺ってもいいでしょうか。……どういったご関係で?」

 さすがに先輩と知っては腰が低くなる様子で、ぎこちない笑顔を浮かべながらもそんな風に聞いてくる。

「優世くんの彼女です」

 ――瞬間、胸中に歓喜の叫びが木霊した。

 ヒィィィィィット! ヒット出ました! 直球ど真ん中を見事にレフト後方! 俺の心にランナー一塁! ガッツポーズを上げながら出塁を喜んでおります! ああ、滴る汗が美しい!

 内心の喜びようったらちょっと半端じゃない。……いや、わかってるんだけどね。そういう設定ですってことはわかってるんだけど、喜びを噛み締めたっていいじゃない。

 彼女いない歴=人生の人が言われたい言葉の三本指に入るって信じてる。

「アンタいつの間に……ってニヤニヤしてんじゃないわよ。まあ、それはいいとして。で、さっきのメールは何だったの?」

 ふう、と息を吐きながら言う咲希。そうだった、それについての理由が全く思いついてなかったんだった。

「タイミングといい、まさか駆け落ちじゃないでしょうね……?」

「「んなわけない!」」

 大慌てで言った言葉が重なる。まさかの同時に言ってしまった。

 ってあれ、今この人、仕事とか忘れて拒否したような。……ワンアウトです……。

 足を引きずるようにベンチへ向かう背中は、なんと哀愁漂っていることか。

「今度は何落ち込んでんのよ……忙しいわね。どっかには行くんでしょ? どこ行くの?」

「それは……ちょっと言えない」

「は?」

 そんな心と股間のベースボールは置いといて、どうにかして誤魔化さなければいけない。暑さからではない汗が、最初の玄関前以来ふたたび吹き出しそうになる。

「あれだ、ちょっと遠いトコに行くんだ」

「歩いて?」

「いやーなんていうか……遠いからこそ、歩いていく過程が必要っていうか……」

「意味わかんないけど」

 やばい。完全にパニクっている。

 どう言えばいいんだ。こんな状況じゃうまい言い訳が全く思いつかない。

「どうなんですか? 美桜さん」

 と、矛先を変える咲希。そうだ、いいぞナイスだ! この人ならきっとすごい言い訳を――

「うーんと、えっと……い、言いにくい場所、ですかね」

 なんだその苦しい言い訳! 若干さっき俺が言ったことと被ってるし!

「は!? ホテルとか……?」

「何でそれでわざわざメッセージ送るんだよ!」

 アホか、と言いながら咲希の頭に軽くチョップをかます。

 途端、頭の上にピコンと電球が出てきた気がした。咲希の頭ぐっじょぶ。

「正直に言うと、色々事情があってこの人、美穂さんを俺の家じゃ匿ってやれないんだ。だもんで、ちょっと遠い所に逃げるっつーか、そんな感じ。家庭環境が、ってな具合でな。深く掘り下げないでくれ」

 我ながらうまい言い訳が浮かんだように思う。こう言えばさすがの咲希も突っ込んで来ないだろう。

 家で散々見せられたドヤ顔を俺も作りながら見ると、美桜さんの表情はだいぶ落ち込んでいるように見える。演技はさすがにプロ級と言った所か。

 咲希も美桜さんの表情を見てか、無理矢理にだが納得したように頷く。

「……そっか。なんか複雑だねぇ。生活費とかは? 優世が稼ぐの? 無理じゃない?」

「失礼な! これでもお年玉貯金とかその他諸々の貯蓄があるんだよ! 後はバイトとかで頑張るけど」

「ふーん。ま、頑張ってね。アタシも幼馴染のよしみで応援してあげるから、何かあったら言って」

 これはさすがに苦しいかと思ったが、流してくれて助かった。

 というよりも、さすがに良心が痛む。咲希は純粋に好意でそう言ってくれてるんだろうから、嘘を吐いたことに対して。

 咲希はこうして駆けつけてくれたことからも分かるように、決して悪いやつなんかじゃない。いつだって周りに気を配る事ができる優しいヤツだから、幼馴染というのもあって最も信頼していると言ってもいいくらいだ。

 そんな心の内をなるべく見せないように、頷いた。

「おう、頼んだ」

「ん、素直でよろしい」

「あ、わり。ついでなんだけど、このみの事もよろしく頼むわ。元々家にあんまいないから、あんま手は掛かんないだろうけど」

「あー、そうだね。このみちゃんのことは任せといて。……じゃ、アタシは家に帰る。またね、優世。美穂さんも、また」

 笑顔で手を振る咲希に、美桜さんも苦笑いを浮かべながら手を振る。

「はい、また」

 そうして去っていく咲希の背中を見送って、さすがにもう声が届かないだろう位置にまでなってから口を開いた。

「迫真の演技ですね、美桜さん」

「ですか? ありがとうございます」

 普通にそう応えてくれたのかと思ったものの――その表情は一向に明るくなっていなかった。最後に咲希に見せた苦笑いがそのまま貼り付いている。

 演技、気に入らなかったんだろうか。あんなの、普通じゃできないと思うんだけど。




 自分の部屋に入る。持っていたかばんを放り投げて、ベッドに倒れこんだ。そのまま結っていた髪を解く。

 隣の部屋からは物音一つしない。ゲームの音も、漫画を読んでる時にかけてる音楽も、何一つ。

 この時間いつもなら家にいるはずのおにぃは、さっき衝撃的なことを言ってた。この家からいなくなるとかなんとか。

 正直もっと詳細を聞きたかったけど、もう叶わない様子。徒歩で出てったから、すぐ行ける距離だとは思うんだけど……一緒にいた子は誰だろう。

 学校にはあまり行ってないし、彼女が出来たとかそういうのも聞いてなかったから、詳細は分からない。

「誰よ、あの子……」

 呟いて、つい素が出てしまう。

 コッソリついて行ってしまおうか。でも、もしバレたらどう言い訳すればいいか分からない。

 たまには帰ってくるって言ってたし、我慢するべき。…………なんだろうけど。

「……あぁ、もう! 気になるったら!」

 枕に顔を押し付けて髪をガシガシと掻いた。

 こんな風に自分にイライラしてしまうことなんてしょっちゅうだけど、今日は殊更ムカムカする。

 正解がわからない。思う通りに行動していいのか、それとも我慢すべきなのか。

 お父さんやお母さんに詳細なんて聞けるはずがない。そんなことするくらいだったら私も出て行く。

「ストレス解消しに行こ……」

 バッティングセンターにでも行って、あの色白で丸顔の白球野郎をカッ飛ばしてやる。心と身体のベースボール。そしたらちょっとは気が晴れるかもしれない。

 そうして立ち上がった時、窓から入り込んでいるはずの陽が変に陰っているのに気付いた。カーテンは閉めてないのに、と視線を向けた瞬間、固まる。

「よう」

 ――――誰か、立ってる。

 女の人。

 親しんだ知人に挨拶でもするかのように片手を上げている。

 けど、私はこんな人知らない。後光が差してて顔がハッキリわからないけど、私にこんな知り合いなんていない。

「だ、誰? 何でこの部屋にいるの? ……警察呼ぶよ?」

 間違いなくさっきまで居なかった。

 いくらなんでも、部屋の中にいる人物を見逃すはずがない。じゃあ、いつ……?

「おろ? さすがに驚くかぁ。あーすまんな、馴染みのある声の方が良いよな。んん……ぁ……さ、これでどう? この声なら聞いたことあるでしょ?」

「は……?」

 突如、声色が変わった。

 口調すらも変わった。

 それまでの、言えば唸るような声とは違った、本当に耳馴染みのある声。

 意味が、わからない。

 ――コイツは今、何をした。

 その声は、聞いたことがある。その口調は、知っている。

「咲希姉なの……?」

「ん? 声だけで一発で誰かわかるなんてすごいねぇ。そっちからだと顔見えないでしょ? ま、それ以外にも若干細工してるから、まだ顔は見せないけどね」

「こ、ここで何してるの……?」

「……ねぇ、今のセリフで気づかないとダメだよ。ま、混乱してるみたいだし仕方ないか。…………ぁーめんどくせぇこの喋り方。ま、研究にもなりゃしねぇ退屈な奴の真似なんざこんなもんか」

 わからない。

 わからないけど、この人は咲希姉じゃない。そして、私のことを知っている。私が咲希姉と知り合いだと――最悪、幼馴染だということすら知っている。

 一方的にこちらの事情を掴まれているという恐怖と、得体の知れない女が部屋に侵入しているという恐怖で足元から凍っていく。

 もしかしたら、咲希姉は何か酷い目にあったんじゃないか。それとも、咲希姉はこの女と――

 いや、考えだけ先行させても仕方がない。情報が少ない今、それをしても不安を煽るだけだ。

 だから、くじけないように気勢で負けるわけにはいかない。自分の中で出来る最大限で睨みつける。

「だれ、だ、お前。今すぐここから出て行けよ!」

「お、そうそう。聞いてた話しじゃあたしに話し方が似てるとか言ってたっけなぁ。なるほどねぇ、仮面だったわけか」

「うるせぇ! あんま調子こいてると、その足へし折んぞ!」

「ハッ! やってみろよボンクラの妹。その代わり、こっちは首以外全部へし折ってやるから覚悟しろ」

 …………何なんだ、この女は。

 自慢にもならないけど、こんな口調で出歩いてた手前、面倒くさい奴に絡まれることなんてよくあった。そんな時にこうやって睨むと、大体のやつはすごすごと引っ込んでいったものだった。

 だけどこの女は怯むどころか、さらに挑発で返してきた。

 全く未知の存在。それでも突っかかってくる女もいたけど、コイツは違う。いま飛びかかったら、間違いなく仕返しされる。

 が、こっちの躊躇をよそに相手はそこまでやる気もないのか、頭を掻きながら何でもないことのように言った。

「さっきブツブツ言ってたけど、何お前、お兄ちゃんのことが気になんのか?」

 唯一わかる単語が出てきて、縋るように叫ぶ。

「お、おにぃのことなんか知ってるの!?」

「……おっもしれーな。ころころ口調が変わりやがる。多重人格か? 情緒不安定か? 思春期にありがちの『私の中には魔界より降臨せし魔王が住んでいるのだ』的な設定か?」

「うるっさい! アンタに言われたくない! おにぃのこと知ってるのかって聞いてんの!」

 すると、影が揺れるように動いた。頭部だけ。

 たぶんコイツは今、意地悪そうに笑みを浮かべているんだろうと思った。

 表情が見えないのに伝わるその嫌悪感に、寒気が走る。

「さて、このみ。お前には今、選択肢が二つある」

「っ!」

 今度はおにぃの声。

 もう、何なんだ本当に。意味がわからないどころじゃない。

 ここまで脳みそをかき乱された経験なんてなくて、発狂したくなる。

 こっちの質問なんか答える気はないとばかりに、選択肢があるなどと言い出す目の前の女。

 再度、影が動く。影が一本伸びた。形からして、手から指を出した様子。

「ひとーつ。あたしをこのまま見逃して、大好きな、それはもうだぁい好きな『お・に・い』のことを何も知ることなく、お前はこの家で生きていくか」

 また声が素……だと思うものに戻りながら、馬鹿にした言い方をする。ムッとするこっちに構わず、二本目の影が伸びた。

「ふたーつ。あたしらと一緒に来るか」

 ……何を言っているのかわからない。一緒に来るとは何なのか。誘っているつもりなら詳細を話せ。

 だいたい、おにぃのことは好きだが、それはあくまで兄妹としてだ。コイツが煽っているような感情は持っていない。

 そして選択をする意味もわからない。一つ目も二つ目も論外。だから従う気はない。

「三つ目。警察を呼んでアンタを逮捕してもらって洗いざらい聞き出す」

 言いながらスマホを取り出した――


 瞬間、持っていたはずのスマホに穴が開いている。ピンポン玉くらいはありそうな穴が。


「は?」

 理解が追いついていない。

 一秒前まで無事だった物が、一秒後には見ただけで使い物にならないとわかってしまう状態になっている。

 ――何が起きた。何をされた。

 間違いなく、取り出した時は無事だった。瞬きのような時間で穴を開けられたということしかわからない。

 稲妻を散らすスマホは、自身ですら何が起こったか分かっていないかのように、悲鳴のようなパチパチとした声をあげている。

 慌ててそれを手放し、カーペットの上に落ちたそれを呆然と見つめた。

 そんな私の反応に満足したのか、吹き出すように笑いながら女は言う。

「フハッ、ほいっ、三つ目の選択肢さんはお亡くなりになりましたっと。別に呼ばれてもいいんだけどな、時間も勿体無ぇし、デモ~ンストレ~ショ~ン。ほぅれ、とっとと選べ」

 間延びした言い方をしながらふざける女。

「アンタ、何者なのよ……」

「それを知りたきゃ二つ目を選べ。おらウジウジすんな」

 どうすればいい。どうしたらいい。

 相手は間違いなく、異常。少なくとも常識が通じる相手じゃない。一瞬でスマホに穴を開けられるような、何らかの手段を持っている。

 腕っ節に自信がないわけじゃない。絡まれたことなんて何度もある。

 けど、目の前の化け物に、喧嘩仕込みの腕が通用するなんて到底思えなかった。

 寒気が走る。

 ひとたび背筋を這い上がったそれは、伝染するように身体の隅々まで走っていった。

 じわじわと、なんてものじゃない。一瞬で恐怖が身体中に蔓延り、麻痺し、氷漬けにされたように指一本すら動かなくなった。視界まで暗くなったように感じる。

 思わず両手で己を抱き締めた。寒いから。冷たい腕で冷たい身体を温めようとしても、一向に元の体温には戻って行かない。それでも抱きしめていないと、自分が自分だとわからなくなっていく気がした。

 ――逃げたい。この状況から、逃げ出したい。

 けど、振り向いて走ると同時に、スマホにやったような手段で身体に穴を開けられるんじゃないかと思うと、動けなかった。

「あたしらとしては、二つ目を選んで欲しい」

「……」

「だんまりか。おいおい、勘弁してくれよ。あんまり長居したくねぇんだよ」

 そんなこと言われても、黙りこむしかない。何かを話す気力なんて、もう恐怖に塗りつぶされていた。

 選択肢なんて何があったか、とっくに飛んでいた。

 泣き出したりしない自分を褒めてあげたいくらいだ。

 この女は、異常すぎる。

 そうして佇んでいると、つまらないとでも言うように後頭部をガシガシと掻くように影が動いた。

「さっさと選んでくれりゃ良いんだがなぁ、もうひと押しが必要か。…………あんま言いたくねぇが、特別にもいっこ情報をやろうじゃねーか。あー、実はだな、お前の――――」

 目の前の女が発しているその言葉を、どう解釈すればいいのか。

 恐怖している私に追い打ちをかけたその言葉に、どう反応すればいいのか。加えられた混乱にどう対処すればいいのか。

 今の私には、判断出来なかった。

 ただひとつ、わかったこと。

「――あんた、何が、望みなの」

「あー、あえて言うなら仲間?」

「……はは」


 私には、選択肢なんてなかった。

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